WILLIAMS FW08  (1982)
(1993年製作、オートモデリング Vol.12掲載)
1982年シーズン、この年の本命は、ようやくコンペティティブなマシンとなったフェラーリ+G.ヴィルヌーブでした。しかし、第5戦ベルギーGP予選、主役となるべき彼は帰らぬ人となってしまいます。それは、この年のF1がとてつもなく危険なものとなる予告でした。その後もパレッティの死やピローニの重傷と悲劇は続きました。77年に登場したウィングカーは、そのベンチュリー効果を高めようと、サスペンションはガチガチに固められ、ドライバーの肉体的負担は限界に達していました。そしてエンジンはフォードDFVからいよいよ力をつけてきたターボエンジンへと主役は移りつつあり、その圧倒的なパワーはマシンの安全性の許容範囲を超えようとしていました。加えて、FISAとFOCAの政治的な対立、車両レギュレーションにおける数々の失格問題など、常に危険な雰囲気の漂うシーズンでした。
この年、ウィリアムズはターボエンジンを獲得できなかったうえに、前年までのジョーンズ、ロイテマンというビッグネームを二人とも失い、実力未知数のフィンランド人ケケ・ロズベルグを抜擢せざるを得ませんでした。マシンは名車FW07の進化型 FW08。ターボ勢に対抗するため、超ショートホイルベースを特徴とし、敏捷性を重視したコンパクトなマシンです。もっともこのクルマは、本来リア6輪車として開発するためのベース車でした。
ロズベルグは予想に反して、しぶとく入賞を重ね、熾烈を極めるチャンピオン争いを繰り広げます。第12戦ドイツGPでポイントリーダーのD・ピローニが再起不能の大クラッシュ、ロズベルグが優勝なしでチャンピオン獲得かと思われましたが、第15戦スイスGP、FW08と自信にとっての初優勝を成し遂げます。そして、チャンピオン獲得。終わってみれば、優勝者はなんと11人、いかにこの年各チームの力が拮抗していたかが分かります。
たった1勝でのチャンピオン獲得ですが、ロズベルグの走りは勇猛果敢、力でマシンをねじ伏せ、派手なカウンターで観客を大いに沸かせました。それは、ターボ時代の到来とともに急速にデジタル化していくF1シーンにおいて、ドライバー本来の魅力を持った最後のファイターと言えるものでした。
これもブラーゴのミニカーがベースです。ブラーゴのBT52、MP4/2そしてFW08は1/24と表示されていますが、実際は1/20でタミヤのシリーズと並べても何ら違和感はありません。しかし、ブラーゴがモデル化したのは、フラットボトムでサイドポンツーンが縮小された翌年型FW08Cです。改造はサイドポンツーンをくっ付けて、ウィングカーに仕立てるところからです。本当はもとのサイドポンツーンを切り飛ばして新造すれば良いのですが、そのままこれを利用し、プラバンで作ったサイドポンツーンを貼り付けました。下面も一応プラバンで作りましたが、もとのポンツーンがそのまま残っているので、とてもひっくり返しては見せられません。
あと大きな変更点はノーズの長さです。FW08CではシャシーバランスのためかノーズがFW08に比べ、若干伸びています。ここはもう鉄ヤスリでダイキャストをガリガリ削っていくしかありませんでした。
ミッション、足回りは、ブラバムBT50やらルノーRE30からの流用です。この時代のウィングカーの特徴であるフロントウィングがない高速戦タイプにしたかったので、リアウィングも小型の一枚タイプです。72D同様真鍮板を曲げて前縁で折り返して作りました。フロントサスは、真鍮角線を組合わせて自作しました。
カラーリングは、当時、ウィリアムズといえばこのカラー、FW06から続く、白緑のサウジ・エアカラーです。なかなか上品なカラーリングでした。白緑の境界に細い金のラインが入ります。これも、各マークは流用デカールに加え、コピーやら、プリントゴッコ(当時結構流行ってました)での自作デカールの寄せ集めです。当然ケケをコクピットに乗せます。今はなきモデラーズのレジン(絶版になって非常に残念)ですが、珍しくステアリングを切ったところを再現しました。
このFW08、人気がないのか、キットには全く恵まれないクルマです。お世辞にも美しいスタイルではありませんが、力強い局地戦闘機のようなイメージを感じます。ケケのドラインビングスタイルとマッチした、また、正統ウィングカーの完成型として、なかなか魅力あるスタイリングだとは思うんですが。