「山本さんのたっての希望とはいえ……彼にやらせてよかったものかな」

「心配御無用、吾輩にお任せあれ! この九品仏大志、誓って皇国に仇為す輩をを殲滅してご覧にいれましょうぞ!」

──やっぱり不安になってきた。

 

 

 

 

──百日あとまで念入りに

1941年12月12日 真珠湾

 船そのものについて考えれば、戦艦は軍艦の中でもっとも建造・維持にコストが掛かる艦種である。ただ、空母に関してだけは搭載する飛行機という別の問題が存在するのだが、ここでは船のみに議論の対象を絞ることとする。

 そういう意味において、海洋国家が保有する戦艦の数と質というものは、その国の国力そのものを測る最良の尺度であるのかもしれない。質より量が優先された前弩級艦華やかりし日露戦役のころならばいざしらず、超弩級戦艦が世界の基準となった現在においては、とくにその傾向が強いといえるだろう。十分な工業力基盤がそなわっていなければ超弩級戦艦の量産など無理なはなしであるし、より強大な攻撃力、強靭な防御力、俊敏な速力を追求するためには、工業技術力の裏づけが必要不可欠だ。そしてひとたび取得した戦艦を満足な状態に維持しているか否かという点も、その国の経済力と海軍の練度を色濃く反映する。

 だとすれば、今司令部から見下ろせる湾内に停泊している艦隊を保有しているのは世界一の国力と海軍の質を誇る国だということになる。ただでさえ狭い湾内は、いまや水面を探すのが難しいのではないかと見る者が錯覚しかねないほどの大混雑に見舞われていた。もともとここを母港としていた諸艦艇に加え、北米大陸の東西両岸から集結してきた艨艟達が大挙停泊しているのだから、無理もない。水先案内の担当者にしてみればこの状況は悪夢以外のなにものでもなかったが、たしかにこの光景は海軍に対して人間が抱く一種の幻想を具現化した存在だといえる。

 ただ唯一問題があるとすれば、その種の幻想を少なからず抱いている人間のうちのひとりが、アメリカ合衆国太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将だということだろう。彼とて交通整理の苦労を案じないではなかったが、やはり一人の海軍軍人として、これだけの大艦隊を率いる機会に恵まれたことに対しては素直な感動を覚えたい。

 

 スミス参謀長の声が、しばらく感慨に浸っていた彼を現実に引き戻した。

「PBY飛行艇の航空偵察によれば、彼らはすでにマーシャルからの撤収準備を始めています。一方で、西カロリン方面およびオガサワラ近海に配置した潜水艦の定時報告を総合すると、いまのところ彼らの主力部隊が大規模な作戦行動に出る兆候は見られないとのことです。よって、おそらく彼らはマーシャル諸島では本格的な抵抗線は構築せずに、トラックからマリアナ方面に防衛の重心をおいて我々を迎え撃つものと推測されます」

「ふむ。すると作戦見通しに変更は必要ないということだな」

「イエス。マーシャルを拠点化したのちに、トラック、マリアナと侵攻するルートで問題ないと考えられます。あるいは、パラオに戦力の一部を分派してフィリピン救援に当たらせるというオプションも、選択肢の一つに数えられるでしょう。あとは、トラック東方──おそらくはポナペ島周辺海域と予測されます──で決戦を挑んでくるであろう日本艦隊主力との戦い次第です」

「それについては」
 心配にはおよばんよ、とキンメルは笑った。そのためにキング長官に無理を言ってまで、大西洋からありったけの戦艦を引き抜いてきたのだから。

 確かに自信を抱いてよい数だった。戦闘艦艇だけで96隻の大艦隊のうち、25隻を戦艦が占めている。ひょっとしたら、勝利に対して疑いを抱くことすら罪なのではないか──そう思わせるだけの説得力が確かにこの艦隊には備わっていた。戦艦はどれも少々古めだが、対する日本海軍とてそれは同じこと。正面切っての殴り合いなら、世界中どこの海軍と戦っても引けを取ることはないだろう。

「まぁ欲を言えば、イギリスが東洋艦隊に充分な戦力を廻してくれなかったのが残念だが。せめて戦艦が一隻でもあれば、日本軍の戦艦を引きつける効果が見込めたものを」

 二日前、イギリス東洋艦隊が日本海軍の集中攻撃によって壊滅したとの急報が入っていた。彼らは巡洋艦2、駆逐艦4の戦力でシンガポールを出撃したが、シンゴラ沖で空襲を受けて戦力は半減、さらに水雷戦隊の夜襲に遭って残存艦のすべてを叩きのめされ、旗艦「コンウォール」もまた魚雷多数を受けてトーマス・フィリップス中将もろとも南シナ海に消えたという。

「致し方ありますまい。現在イギリス海軍は、戦艦を7隻しか保有していないのですから」

 スミスは答えた。ワシントン条約下で建造した新鋭艦を維持するために、旧式艦を大量に破棄する羽目になりましたからね。それに、彼らは『ビスマルク』『シャルンホルスト』を撃沈するための代償として『フッド』『レパルス』をうしないました。もはやロイヤル・ネイビーの戦艦保有数は、危険なほどに減少しているんですよ。本国と地中海を守る分だけでも不足がちな台所事情を考えれば、東洋艦隊に配備する戦艦の余裕などないということでしょう。

「まぁ、幸いにも我々は戦艦を持っている。ここはひとつ、日本人に艦隊決戦というものを教育してやろうじゃないか」

「そいつは聞き捨てならないな、エド。ちっとばかりジャップを舐めすぎてるぜ──ああ」

 それまで黙っていたウィリアム・ハルゼー少将が口を挟んだ。居合わせた全員が意外そうな表情で発言の主を見つめる。その視線に気付いたのか、ハルゼーは咳払いを一つしてから付け加えた。この男が日本人を──というよりも外国人一般を──毛嫌いしていることは、太平洋艦隊では誰もが知っている。

「誤解しているようなら訂正しておくが、個人的な好悪の判断と敵の実力を見極めることはまったくの別物だぞ。たしかに俺はジャップは大嫌いだ。やつらにノックアウトを食らうのは御免こうむりたい。だからこそ評価と分析は怠りなく行うんだ。巡洋艦相手にできたことが戦艦相手にできないと誰が決めた?」

 一部の出席者の間から感心したような呻き声が上がる。彼らは内心ハルゼーを見直していた。この男、猪突猛進しか能がないと思われがちだが、そのじつ自分の信念のためには努力を惜しまないという一面ももっている。空母指揮官となるために年齢制限を強引に蹴っ飛ばしてパイロット資格を取ったのはその一例だ。

「陸軍から回ってきたシェンノート・メモを見ただろう? 連中を侮らないことだ。たしかにありゃ個人の主観だから不正確な表現もあるにちがいない。だが不正確だからこそ、それを元に敵の実力を軽く見るのは愚の骨頂だ。違うか?」

 何人かがむっとした顔で何か言いかけて、思いとどまったように口をつぐむ。たしかに正論である。反論できる者は誰もいなかった。

「なるほどな、ウィル。君の言うとおりだ。だが、それがわかったところで今さら作戦を延期するわけにはいかんぞ」

 むっとした表情でたしなめるキンメル。

「第一段作戦は既に動き始めている。今後の見とおしに修正を加えるとしても、それからだ。早くてもトラック攻略に取りかかってからだろう」

 ハルゼーは、この男にしては珍しく納得したのかしていないのかはっきりしない調子で「おぅ」と返事をすると、着席した。内心、「ちょっと違うんだがな」と思っている。俺が言いたかったのは、王立海軍が敗北を喫したという事実ではなく、そのプロセスにおいて何が起きたかなんだが。すっかり舞いあがっているキンメルが、はたして理解してくれたのかどうか。

 

 

 

 

南溟死闘録

第一話 デッカイトットマーチ

 

 

 

 

──船の数は多いけど

1941年12月16日 呉

 多くの海軍においては、艦艇の公試における艤装員長はそのまま初代艦長に就任するのが通例となっている。この巨艦についても、その例外ではない。

「ようやく、艦長に昇格かな」

 この場合の該当者、柏木耕一大佐が感慨深げに溜め息をつく。
 ワシントン条約に艦隊派代表部の一員として参加した柏木賢治少将(当時)の長男だ。「精悍」という単語を溶鉱炉で溶かし、「包容力」という元素を加えて合金化したような風貌は、見事なまでに父親譲りといえる。色街でならさぞかし好かれるであろう容貌だが、あいにくとここは軍艦の上。

 もっとも今はその精悍な顔が、ほっとしたようにだらしなく弛んでいた。先程正式な引き渡しが完了し、肩書きから「艤装員長」が外れたところである。これで彼は、晴れて新戦艦「大和」の初代艦長に就任したというわけだ。なんだかんだ言っても、公試というのは緊張するものだったりする。

「しかしまぁ、意外と言っちゃなんだがGF司令部がないってのは気楽でいいね」

 柏木はのほほんと言っているが、じっさいこれはたいした事件だった。口さがない者は、海軍始まって以来の暴挙とまで断言している。なにしろ設立以来第一戦隊旗艦から降りたことのない連合艦隊総司令部が、あっさりと横須賀鎮守府内に移転してしまったのだ。柏木はこの一大改編を好意的にとらえていたが、その彼にしたところで、これほど劇的に物事が動いてしまったことには驚きをかくせなかった。

 もっとも、そのおかげで「大和」艦内の空気はずいぶんと気楽なものになった。柏木個人の嗜好からいえば、むしろこちらの方が性に合っている。その意味で、彼は今度のGF長官に感謝していた。

 

 

横須賀

 GF先任参謀の九品仏大志大佐は、長官公室に入ったとたん、スチーム暖房の熱気と盛大なくしゃみで出迎えられた。

「ほぅ、長官もずいぶんと有名になられましたな」

「ん、失礼した──あぁ、先任か。まぁ佐世保鎮長官時代に比べればな」

「GF長官ともあろう立場の方が噂一つされないというのも問題というものですからな。ところで本日の用件ですが──」

 九品仏はそう言って本題に入った。

 マーシャル諸島に駐留していた兵力の撤退と再配置、ならびにトラックへの戦力集結は順調に推移しております──あぁ、無論のこと一航艦は別にしての話ですぞ。一航艦は事前の手筈どおり単冠への集結に向けて行動中ですので、今回の戦力移動には含まれておりません。まぁ、言ってしまえば総棚ざらえです。内地に残っている戦力は護衛総隊に移管する予定の巡洋艦がひとにぎりだけですが、この期におよんで有力艦を遊ばせておく手などありましょうか! 否、国力・兵力とも数倍の相手と戦うのに、余分な戦力などありはしないのです!

 口角泡を飛ばす勢いで九品仏はまくしたてる。部屋の主──長瀬源五郎連合艦隊司令長官が止めなければ、きっと半日でもしゃべり続けていたことだろう。

「──おっと失礼、吾輩としたことが。とにかく、事前の計画は目下順調に推移しております。言ってみれば、太平洋艦隊はさしずめ巨大な魚ですな。内南洋という仕掛けに誘いこんで、しばらく弱らせておけば宜しい。鮪の一本釣りではないのですから直接狙いにいくなど愚の骨頂、戦力の無駄な浪費です。適当なエサをちらつかせて気を引いておいて、血管を締め上げてやりましょう」

「なるほど、確かに有効な手だ。しかし……」

「なにかご不満でも?」

「いや……鬼かね、君は」

「いえいえ、柏木大佐ほどではありませんよ」

「?」

「それはともかく、吾輩は手持ちの権能の中で最良の方策を選択したまでのことです。どのみち我が国には、手段を云々するような贅沢をおこなうだけの余裕などありませんからな──まぁ、吾輩にもう少し権限があれば、この作戦も不用なのですが」

「もっと簡単に勝利する方法でもあるのかね?」

「吾輩にもっと権限があれば、こんな割の合わない戦争など最初から起こさせておりませんよ」

 

 

 

 

──寒うござんす

択捉島 単冠湾

 払暁の仮設桟橋にはうっすらと雪が積もっていた。これだけの高緯度ともなると10月には初雪が降り、12月ならばもう根雪の季節だ。ただし、空母「駿河」の艦上は綺麗に除雪されていた。まぁ飛行甲板が積雪や凍結を生じているようでは問題だが。

 停泊中のため航進にともなう合成風はなかったが、真冬の北太平洋を渡る風は容赦なく甲板上を吹きすさぶ。身を切るどころか顔面が凍り付くような冷たさだが、起きぬけの目覚ましにはちょうどいい。艦爆隊長・藤田浩之少佐のような寝起きの悪いタイプにとっては好都合だ。律儀に緊急発進に備えて露天繋止されている零戦の脇を、両手で頬を叩きながら歩く。気合を入れる意味もあるが、こうでもしないとしつこい眠気が飛んでくれないというのが本音だ。

 発動機にウォーマーを掛けられた零戦の脇を通るときに、寒さに震えながら悴んだ手で作業をしている整備員の姿に気づいた。「ご苦労さん」と一声掛けてやる。振りかえった整備員は、浩之の顔を見るなり棒杭でも飲みこんだように直立し、しゃちほこばって敬礼した。飛行隊長と直に顔を合わせた緊張からだけではないらしい。海兵の同期で幼馴染の艦攻隊長・佐藤雅史少佐からよく言われるが、普段からあまり好ましいとは言えない浩之の面相は、とくに寝起きには恐ろしく不機嫌そうに見えるのだ。苦笑しながら答礼した浩之は、そんなに固くなるなよ、といってその場をあとにした。

(しかし)

 浩之は思った。ここが出撃前の集結地に過ぎないのは誰にでもわかることだ。だが、俺たちはいったい──

「──どこへ行くんだ?」

「浩之を探してたんだよ。どうせ目覚ましに上に出てたんだろ?」

 艦攻隊長の雅史が通りかかったところだった。独り言を勘違いして声を掛けてくる。

「矢島中尉がダウンだ。風邪だってさ。搭乗割が変わったのを伝えようと思ってたところだよ」

 浩之が直率する編隊の第二小隊長のことである。

「ま、この寒さだからな。体調崩す奴の一人や二人は出るだろ。後で絞ってやるさ」

 そう言いつつも、浩之は内心すこし部下に同情する。なんだかんだいって、やはり彼も寒いのは苦手だ。願わくば、今回の出撃先は暖かいところでありますように。

 浩之の願いが天に通じたわけではないのだろうが、彼はこののち南の海で悪戦を重ねることとなる。それが本人にとって幸せだったのかどうかは知る術もないが。とりあえず、この日乗艦とともに単冠を出撃した浩之は、その後二度とこの地を訪れることはなかった。

 

 

 

 

──大事にしていた最新鋭

12月22日 トラック環礁

 「大和」の就役によって覆ったものの、つい一週間ほど前まで、本邦最強戦艦の座は「加賀」と「土佐」の姉妹が占めていることになっていた。が、日本には海軍内(とくに第三戦隊の関係者)の誰も──ついでにいえば国民も──が暗黙のうちにみとめている公然の了解事項がある。

 ──天城級のほうが強い。

 じっさい、この両者のカタログスペックにおいて天城級が劣っている要素といえば、舷側装甲の最大厚くらいのものだ。砲火力や甲板装甲厚はまったくの互角、速力や排水量など勝っている点も多い(一般に天城級が最強と思われている理由もここにある。ふつう素人が戦艦の強さを論じるときは、主砲口径と門数、速力、排水量くらいしか見ないことが多い)。そんなわけで、第三戦隊は自他ともに認めるGF最強の戦艦部隊だった。

「ま、この称号もそろそろ返上だけどな」

 いくばくかの寂寥感とともに呟いたのは高町士郎中将。海兵37期の恩賜組だが、その経歴に似合わず軍令一筋の海上生活者として知られている。半年前、第一艦隊に横滑りした南雲中将の後を引き継ぐかたちで、第二艦隊司令長官兼第三戦隊司令官を拝命した。

「さきざきのことを考えれば、最強の手駒ってやつは縦横無尽に随時投入できたほうが有利だしな。その意味で、第一艦隊はただトラックに居座ってにらめっこの相手をしていい、か」

 高町は思った。それにしても、今度のGF司令部はずいぶんと思い切ったことをするもんだ。長官といい先任参謀といい、ひょっとしたら前任者達──山本五十六大将と黒島亀人大佐──の上をいくぞ。

 そこに、電文を持った通信参謀がやってきた。一読した高町の頬がゆるむ。

 ──本日1000、エニウェトク航空隊は在マーシャル敵艦隊への攻撃を開始せり──

「さて、どうなることやら……」

 高町は好奇心全開の子供のような微笑を浮かべていた。

 

 

 

マーシャル諸島 メジュロ環礁

 攻撃は執拗なものだった。正確な報告はまだ上がってきていないが、来襲した攻撃機は50機をこえると思われた。狙われたのは、おもに海岸堡付近に集積された物資と飛行場施設だ。

「被害状況を報告します。まず、航空基地のA滑走路に大型爆弾二発を被弾、復旧には2時間ほどかかる見込みです。さらに海岸に集積していた物資のうち、航空機用機銃弾と建設用資材を中心に若干の被害が出ています。特に12.7ミリ弾は全体の一割が喪失しました。元々備蓄数の多い口径ですので即座の影響はありませんが、今後の補給計画は多少見直さねばならないでしょう。航空機はワイルドキャット5機が未帰還、パイロットは二人が脱出に成功した模様です。ほかにカタリナ1機が地上撃破されました。人員の被害は戦死7名、重軽傷25名です」

 理不尽におおきな損害ではなかった。輸送船やタンカーに損害が出ていないのもありがたい。問題は、来襲した攻撃隊に戦闘機の護衛がついていたことだが──

「参謀長、さっきあらわれた敵戦闘機についてどう思う? 空母と自力飛行、それぞれについてだ」

「現実性として妥当なのは空母でしょうが、連中の空母の所在はあらかたこちらで把握しています。となると、残るは自力飛行のセンです。おそらくはクェゼリンやルオット、ウォッゼに残置された部隊ではないかと思われますが、そうすると連中の戦闘機は相当足が長いことになりますな」

「クェゼリン、ルオット、ウォッゼか……無理をすればこちらの単発機でも届かん距離ではないか。まぁ、マーシャルの制圧が完了すれば自ずと解答は得られるな」

 そこに、通信参謀が電文を持って飛びこんできた。文面を見たスミスの表情が曇る。

「どうした?」

「沖合を哨戒中の『ハマン』と『カッシン』がやられました。『ハマン』は爆弾二発を被弾、轟沈です。『カッシン』はまだ浮いていますが航行不能、火災が広がりつつあり絶望的だそうです」

 キンメルは歯噛みして唸った。なるほど、連中も一筋縄ではいかないということか。

 キンメルもスミスも知らなかった。この空襲は、きょう太平洋艦隊が直面することとなる日本軍による本格的な抵抗の、ほんの氷山の一角にすぎなかった。

 

 

 

 

──大変だぁ!

ウェーク南東沖 約400km

 日本海軍が装備する九一式航空魚雷は、炸薬量225kgという大威力を誇っている。これは駆逐艦はもちろん、巡洋艦でさえ当たりどころがよければ一撃で仕留めてしまうだけの数字だ。

「商船がそいつを食らって無事でいるわきゃないよな……」

 藤田浩之中尉は、眼下で展開されている殺戮劇を見て呟いた。

 さっきまで散発的ながらうち上げられていた対空砲火は、もうほとんど沈黙している。船団の対空火力の大半を担っていた駆逐艦が、あらかた制圧されてしまったためだ。8隻いたうち4隻の姿はすでに海上になく、残る4隻も艦上を炎に覆われている。甲板上の水兵たちは必死で消火作業にあたっているか、あるいは恐慌状態に陥って右往左往するかで、とても対空射撃をおこなうどころではない。だいいち、かれらが取りつくべき砲座のほとんどがすでに吹きとばされるか、炎の中に呑まれていた。

 あとは各々の輸送船の甲板上に仮設されている高角砲だけが脅威だが、元来そのような用途のために建造されたわけではない輸送船の船体は、火砲のプラットフォームとしては最悪の部類に属する安定性しか有していなかった。だいたい、対空射撃盤はおろか射撃指揮所すら備えていない船がほとんどであるし、ただでさえ命中率の落ちる砲側照準をおこなっているのは応召の予備役兵や、艦砲の扱いに慣れていない陸軍兵、州兵たちだ。中には戦闘機隊の機銃掃射で正規の要員が死傷したために、戦闘訓練を受けていない船員たちが砲を操作している船まであった。

 当然ながら、その程度の対空砲火で200機になんなんとする攻撃機を防げるわけもない。輸送船団の必死の抵抗は、機銃弾と250kg爆弾の嵐によって瞬時といってもよいほどの短時間で無力化され、そこからは一方的な虐殺が始まった。次々と投下される爆弾が輸送船の甲板を障子紙も同然に貫き、船内に死と破壊と炎をふりまく。行きがけの駄賃とばかりに放たれる機銃弾が、甲板上の人間を片っ端からなぎ倒す。揮発燃料を満載したタンカーの舷側を魚雷が抉り、巨大な火柱が奔騰する。

「あ、畜生」

 浩之が呻く。生き残っていた輸送船──珍しく対空機銃を装備していた──に向かって突撃を掛けた艦爆一個小隊が、先頭から順に弾幕に突っ込んで次々と火を吹いた。

「緒戦で死ぬようなドジは踏むなとあれほど言っておいただろうが……」

 これで、経験を積んだ貴重な艦爆乗りが一気に六人減ってしまった。練度の高さがかえって仇となった格好だ。

「くそっ! だめだ、第一法は!」

 浩之は今更ながら、攻撃に際して突撃第一法を採用したことを悔やんだ。たしかに命中率は驚異的に高まるが、先頭機を撃墜したときの照準で連射を食らうと一個編隊がまるごと全滅してしまう。浩之自身が直率する小隊からも、一機の被撃墜が出ていた。

 撃墜された艦爆の一機がそのまま輸送船に突入する。船体中央部を突き破られた輸送船はそのまま活火山と化し、火柱をあげて消し飛んだ。弾薬運搬船だったらしい。すくなくとも彼らは、死に花だけは盛大に咲かせたようだった。浩之にとっては、なんの慰めにもなりはしなかったが。

 

 浩之たちの攻撃によって、合衆国は27隻の輸送船およびタンカーと6隻の駆逐艦、そして20万トンを超える膨大な量の物資をうしなった。

 

 

 

 

太平洋艦隊旗艦「サウスダコタ」

「見通しが甘かったということだな」

 キンメルはだれに言うでもなくぼやいた。スミス参謀長はしきりに額の汗を拭っている。

「無線標定では、確かにかれらの空母はクレにいるはずでしたが……」

 無線手だけを本国の港に残して偽装電を打たせ、艦隊はそのあいだ無線封止を守る。考えてみれば単純な手だが、今となってはそんな策に引っかかった自分達の愚かさを呪うしかない。波間に沈んだ物資は、食料医薬品の半分と各種弾薬の七割。燃料に至っては貨物船に分散されていた航空燃料と灯油の一部を除き、一滴たりともメジュロに届いていない。初動での躓きと呼ぶにはあまりに大きな代償だった。

「ともかく、補給計画と物資運用の再編成だ。ことは急を要するぞ」

 キンメルは蒼白な顔で命じた。補給計画を担当する幕僚達がばたばたとあわただしく駆けていく。失われた物資を補填するだけの大規模な補給計画を実行にうつすだけの時間を考えると頭が痛くなる。第二段作戦への移行は三ヶ月は遅れるだろう。ふと、東京までの距離がそれまで考えていたよりも数倍長くなったように感じられた。夏までには片付くと思っていた戦いだが、意外な長期戦を強いられることになりそうだ。

 かれらはまだ、自分たちが既に戦争のイニシアティブを失いつつあることに気づいていなかった。九品仏がその計算と策謀──悪逆非道とも言う──の限りを尽くして構築した罠の口は、徐々に閉じようとしていた。

 

 

 

 

──大事なものは何ですか

1942年1月1日 呉

 海上護衛総隊が設立されたきっかけは、軍令部の事情──それも、じつに日本のお役所的な──によるものだった。もともと通商路の保護は軍令部第二部の職掌となっていた。ところが、いざ米英を相手に開戦という段になってみると、西太平洋全域に拡大した商船航路や補給線を管理するには、第二部の人員規模はあきらかに不足だったのだ。事態はただ人員を増やせば解決というものではなかった。省庁をはじめとする官僚組織においては人員数はそのまま予算配分に直結する。試算された二部の配分額は、軍令部内の一部局に対するものとしては異常なほど過大な額だったのだ。こうして海軍内では深刻な議論が巻き起こった。他部局からの強い反発に、軍令部としてもそのまま第二部を拡大するわけにはいかなくなったのだ。

 ここで助け舟を出したのが、当時の堀悌吉軍令部総長だった。堀は騒動の火種だった第二部から海上護衛関係の部署を切り離し、連合艦隊と同格の部局として独立させたのだ。当初は部内からの猛反発が予想されたのだが、意外にも組織改変はすんなりと進んだ。連合艦隊──当時は山本五十六長官の絶大な統率力によってまとめ上げられていた──が一致団結してこの改革案に賛同したからだ。軍政畑にも人脈の広い山本大将の影響力は絶大だった。GFのみならず海軍省の上級将官からも多数の賛同意見が寄せられるに及んで、部内の反対意見は圧殺された。こうして海上護衛総隊創設の準備は着々とすすめられ、今日晴れて独立部局として正式に発足のはこびとなった。

 もっとも、さすがにその過程までは順風満帆とはいかなかった。おもてむきは山本長官の力で平穏を保っているとはいえ、海軍内部において海上護衛総隊への風当たりは(特に現場において)強かった。司令部の建屋は鎮守府の一角に間借りしていたし、当初GFから廻されてきた機材は二線級戦力としても使いみちのなくなった樅級駆逐艦や九三式陸攻ばかりで、一時期海上護衛総隊は「スクラップ置き場」とまで揶揄されていた。

 あるいは、山本長官の後任人事はその解消をねらう意味合いもあったのかもしれない。山本・黒島コンビの後釜としてGF司令部のトップに立った長瀬長官と九品仏大佐は、戦力構想から外れた峯風/神風級駆逐艦や5500トン級軽巡を、つぎつぎと海上護衛総隊に送り込んでいたからだ。この春からは、九六式陸攻の配備も順次開始される予定だ。──もっとも、GFを牛耳っている二人にしたところで、その意図まで統一されているわけではなかった。長瀬の意図は、元々対潜用に建造されたわけではないフネなのだから、せめて数で補わせてやろうという一種の親心だった。いっぽう九品仏に言わせれば、「こっちがやることは敵も真似てくると思え、その対策をおろそかにするな」だった。

 海上護衛総隊司令長官を拝命した陣内啓吾大将にしてみれば、どちらでも同じことだった。現在海上護衛総隊が保有している艦艇は大小合わせて70隻近いが、それにしても西は南シナ海から南はマーシャル諸島、北はオホーツク海に至る広大な領域をカバーするにはまったく手が足りていない。航洋性能を持った対潜護衛艦艇の大量配備は急務だった。

「いずれにせよ、フネが増えるのは嬉しいことだよ、うん」

 陣内にとっては本音だった。護衛艦の割り当ては火の車の状態が続いている。はっきり言って、水に浮かぶものなら公園のボートでも駆り出したかった。おまけに高級将校の人手もまったく不足している。運行管理局の大井篤中佐や航空参謀の千堂和樹大佐が「こんな仕事は自分の職掌ではないんですが……」とぶつぶつ言いながら艦政本部や各地の造船所を駆けずり回っているが、新造の護衛艦が姿を見せるのは、どう贔屓目に見積もっても一年は先になりそうだった。

「長官、GFから託を預かってきました。来月一日付けで水上機母艦3隻をこっちに廻してくるそうです」

 大井が帰ってくるなり開口一番に言った。陣内は「うわぁ」と嘆息して天を仰いだ。基本的に船が増えるのは大歓迎なのだが、唯一の例外が大型艦だ。索敵能力の向上はめでたいかぎりだが、補給艦や工作艦、何々母船といった類の艦艇は、すべからく高価値目標として優先的に狙われる傾向にある。こういった船の配属は、手放しでは喜べないのだ。商船を護衛するための護衛艦艇がそれ自体護衛を必要とするようでは、本末転倒もはなはだしい。1隻の水上機母艦よりも、3隻の駆逐艦のほうが欲しかった。

 やっぱり、量産型海防艦の対空砲力は強化しなけりゃならんか。陣内の頭の中では、海上護衛総隊の次期主力艦の姿がはっきりとしたイメージをとりつつあった。

 

 

 

 

──釣り針、釣り糸、針、ハリス

2月25日 横須賀

「いやはや、予想以上の難物だな。連中、いったいどれだけの物資を運び込んでいたのやら」

 米海軍の前進基地と化した感のあるメジュロ環礁の空撮写真を前に、長瀬GF長官はうなった。マーシャルへの航空攻撃と補給線遮断作戦を開始してから、すでに二ヶ月が過ぎている。その間、メジュロに送られる物資の三割近くが海底に消え、おまけに停泊中の艦艇は空襲のたびに回避機動を強いられている。日本軍の常識で考えれば、とうの昔に行動不能艦艇がつぎつぎと出ている時期だ。にもかかわらず、メジュロの米艦隊の動きに物資欠乏の兆候は見られていない。

「やはりコストでしょうな。それと補給物資の集積拠点。この二点が十分に整備されているだけで、補給の手間は天と地ほども変わってくるそうです」

「ほう。誰かから聞いたのかね?」

「なに、江田島の同期が護衛総隊の航空参謀をやっておりましてな。この間長良級を引き渡したときに積もる話をいろいろと」

「あぁ、千堂大佐か」

「あそこも内情は芳しくないようですな。航空参謀が艦艇の調達に奔走しているようでは。我が親友ともあろうものが情けない」

「今は産みの苦しみって段階だろうね。そのうち人員も機材も十分に使えるようになるよ。それはともかくマーシャルの米軍だが……」

 九品仏は肯くと、指先で眼鏡を押し上げるしぐさとともに説明を始めた。

「持ち込みの物資がいくら大量だとはいえ、おのずと限界はありましょう。それでなくともあれだけの規模の大艦隊です。決して補給は楽ではないはず。さしずめ現状は首に縄がかかった状態とでも言いましょうか。あとはひと絞めしてやる手が……」

「このあいだ出撃した機動部隊というわけだ」

「ご名答。先日、軍令部で空撮の分析を行いました。敵艦隊に随伴している輸送船の数を見るかぎり、マーシャルの燃料備蓄量はそろそろ危険な状態に突入していますな。ここまでは計算通りです。燃料──特におおぐらいの大型艦の──に不安のある現状では、一航艦に対して全力での追撃は無理でしょう」

「まぁ、燃料の話となるとウチも笑ってばかりもいられないがね。一航艦と二航艦をまとめて動かしたおかげで、横須賀の燃料槽はほとんどからっけつだ。第二部長がぶつぶつ言ってたよ」

「いやいや、次は呉のタンクが空になりますよ」

「……そいつはなんとも」

 長瀬の顔に浮かんでいた笑みが引きつった。

「ぞっとしない話だね。ただでさえ南方攻略にまわす物資の配分でぴぃぴぃ言ってるのに」

「南方の石油が使えるようになるまでは、備蓄分を取り崩していくしかありませんからな。それまで時間を稼ぐのがわれわれの任務と言うわけで。なに、吾輩の手にかかればたいした造作ではありません」

 根拠がなくてもこれだけ言えれば立派なもの。長瀬はもう何も言わなかった。

 

 

 

マーシャル諸島 メジュロ環礁

 キンメルは、最近めっきり睡眠時間が減っていた。両目の下にできた大きな隈は、着実に顔面に占める面積を増やしつつある。もっとも、これは彼のみならずメジュロに駐留している太平洋艦隊の将兵全員にいえることでもあった。原因は、昨年末から定期的に継続されている日本軍の夜間空襲だ。彼らはあきらかに、太平洋艦隊の安眠妨害のみを狙って空襲をおこなっていた。直接的な施設・機材への被害は目くじらを立てるほどのことはなかったが、神経戦のダメージは着実に将兵の肉体と精神に蓄積されつつあった。これが結構ばかにならない。夜間騒音公害によるストレスは、あちこちに数字の形で噴出していた。

 たとえば、喧嘩沙汰や上官暴行で営倉に放り込まれる人間の数は、最近一ヶ月のあいだに四割も増えている。荷役や設営作業におけるミスも増加する傾向にあり、三日前にクレーンで吊下中のブルドーザーが岸壁に落下した事故では、この作業において最初の殉職者が出ていた。精神安定剤の処方量も増えつつあるし、神経症と診断されて送還される人間も皆無とはいえない。睡眠不足は現在の太平洋艦隊将兵にとって、爆弾以上に恐るべき敵となりつつある。

 今夜二度目の空襲警報が鳴り始めた。日本軍の攻撃機は、夜闇にまぎれて4〜5機の小編隊で来襲することが多い。そのたびにメジュロでは蜂の巣をつついたような騒ぎが起きる。照空灯の光帯が夜空を薙ぎ、陸上の航空基地からは陸揚げされた艦載機が緊急発進する。就寝中の将兵には総員起こしが掛けられ、寝惚け眼の彼らが配置につくかつかないかのタイミングで、停泊中の艦艇がいっせいに抜錨して環礁外に退避を始める。たった数機の攻撃に対しては過剰反応ともいえる慌てぶりだが、実際にどこに爆弾──2000ポンドクラスの大型弾なので無視するわけにも行かない──が落ちてくるやら知れたものではないので、手を抜けない。現に2月16日の空襲では哨戒艇一隻が至近弾で転覆し、三名が行方不明となっている。

 むろん、太平洋艦隊司令部では必要と思われる手を打っていた。照空灯の増強、そして腕利きを選抜して編成された夜間戦闘機隊。だが、夜間単独飛行、さらには空戦をこなすだけの技量を持ったパイロットの数はひどく限られていた。さらに、日本軍の攻撃機もまた簡単には尻尾をつかませなかった。戦闘機の航続時間ぎりぎりの間隔をおいて五月雨式に来襲する。寝入りばなに備えている防空体制の意表をついて、薄暮や払暁直前に来襲する。戦闘機のみで昼間大挙飛来し、迎撃機を掃討する。低空からの別働隊を随伴して対空砲火を潰しにかかることもあった。

 陸上の対空砲が猛然と火を噴きはじめた。艦艇群は沈黙をまもったまま、続々と環礁の外に向けて退避していく。発砲によって正確な所在をつかまれることを防ぐための措置だが、効果のほどは疑わしい。なぜなら──

「!」

 突如窓から差しこんできた強烈な光に、キンメルや幕僚たちの目がくらむ。上空で炸裂した照明弾によって、メジュロ環礁は煌々と照らしだされた。退避中の艦艇や地上施設がくっきりと姿を見せている。西側の空からは、機械式過給機に特有の派手なエンジン音を轟かせて、日本軍の双発攻撃機が突入してくる。

「全艦、対空射撃自由!」

 命令を下しながらキンメルの思考の一部は、「間に合わんな」と冷静な判断をくだしていた。案の定、即座に対空射撃をおこなえる対空砲はそれほど多くない。散発的に撃ち上げられる高角砲弾やまばらな対空機銃の火箭を意に介する様子もなく、攻撃隊は悠々と泊地上空に侵入をはたした。戦艦や巡洋艦といった大型艦に目もくれず、駆逐艦や輸送船に狙いを絞ると、次々と爆弾を投下していく。「チャールズ・F・ヒューズ」の舷側に水柱が立つのが見えた。直後、空中にむかって撃ち上げられていた火箭の数が激減し、行き足がとまる。キンメルは舌打ちした。足が止まったのは、機関に被害が生じた証拠だ。駆逐艦クラスの船で機関室のあるような区画に浸水が発生していると言うことは、つまり──

 彼の不吉な予想は、現実の光景によって裏づけられた。数分後、「チャールズ・F・ヒューズ」の舷側からばらばらと人間が海に飛び込み始めたのだった。キンメルの表情が、またいちだんと渋くなった。合衆国海軍は、この種の大型駆逐艦の保有量が極端にすくないのだ。

 

 原因は、駆逐艦の造りすぎだった。第一次世界大戦中に合衆国海軍は、フラッシュデッカー(もしくは四本煙突)と呼ばれる戦時増産型の駆逐艦を、一気に280隻建造していた。基準排水量1000トンの船体に10センチ単装砲四基および魚雷発射管12門という十分な武装を搭載し、35ノットの最高速力を誇るこのクラスは、その安定した性能と汎用性によって既存の駆逐艦戦力を一挙に置きかえるほどの傑作となった。おりしも進行していたダニエルズ三年計画の戦艦群とあわせ、合衆国海軍は一時期世界一の精強さを誇っていた。

 だが、技術の発達は日進月歩である。建造当時は世界有数の高性能を誇ったフラッシュデッカーも、十年たらずの間にたちまち旧式化の憂き目に遭った。そこからが、彼女たちの不幸の始まりだった。大艦隊建設華やかりし1920年代初頭とことなり、30年代の合衆国は深刻な不況に喘いでいた。とうぜん、海軍予算も緊縮財政のあおりを食って縮小される運命にあった。すでに艦艇としては老境の域にさしかかりつつあったフラッシュデッカーたちの後継艦は、いつまでたっても現れなかったのだ。むろん、海軍としてもこれを放置するつもりはなく、より大型で高性能な駆逐艦の建造計画は何度かもちあがった。だが、それらはみな議会の反対にあって潰されてしまった。すでに300隻もの駆逐艦を保有している我が国に、なにゆえこれ以上の駆逐艦を建造する必要がある。そんな予算があるのなら、国民生活の向上と国内経済の活性化に投入するほうがよほど重要だ。たしかにもっともな言い分ではあった。

 それでも合衆国海軍は1930年代に入ってから、乏しい予算を何とかやりくりして、ファラガット級、マハン級、クレイブン級といくつかの駆逐艦の建造を行っていた。だが、決定的といえるほどの数の調達には至らずフラッシュデッカーを完全に置きかえるには無理があった。おまけに新造艦たちはロンドン海軍軍縮条約の排水量制限内で建造されたためにひどく余裕のない設計をされたバランスの悪い代物で、額面どおりの最高性能が発揮できたためしがなかった。「チャールズ・F・ヒューズ」はこれを受けて条約失効後に改良されたベンソン級に属していたが、合衆国の艦船調達体制はようやく戦時体制に移行しつつある段階で、新型の建造は思うように進捗していない。太平洋艦隊には開戦時、先行量産型とも言うべき12隻のベンソン級のうち8隻が配備されていたが、これまでの戦闘ですでに半数の4隻が沈没していた。後続の新型艦が配備されるのは、早くとも今年の夏になる。日本軍はこれまで、戦闘艦艇に対して攻撃を行うときは駆逐艦を集中して狙っていた。たしかに一隻一隻の損失は軽微なものだが、これが10隻、20隻と累積すると無視できない損害となる。駆逐艦は防御も脆弱なので、攻撃の矛先を向けられると極めて喪失の確率が高いのだ。キンメルの頭痛の種は尽きない。

 今日二隻目の駆逐艦が水柱を上げた。数十秒おくれて火柱が続く。艦影を見たキンメルの表情がさらに険しくなった。気のせいか胃の付近に痛みがはしったようにも思える。火柱を上げているのは「ランスデイル」。たった今、残り四隻となったばかりのベンソン級の一艦だった。

 

 結局「ランスデイル」は撃沈こそ免れたが、艦首喫水線下をごっそりと吹き飛ばされ、修理のために本土に回航される途中で荒天に遭遇して沈没した。なお、250名の「チャールズ・F・ヒューズ」の乗組員のうち、生存者は92名だった。この日から2日後の2月27日、東南アジアで最後の抵抗線を敷いていた米英蘭三国連合艦隊が日本海軍の前に大敗を喫する。うち寄せる波は、合衆国軍の将兵が気付かぬ間にずいぶんと荒々しさを増していた。それが大嵐となって襲い掛かってくる日は、もう間近に迫っていた。

 

 

 

 

 毎度ありがとうございます。AAMです。開始当初は無謀にも内田さんのRoJと張り合うつもりで書いていたのですが、完全オリジナルで散々手間取った挙句に300kBという膨大な差がついてしまいました(爆)
 今のところ御大以上の超遅筆ペースで鈍行運転している「南溟」ですが、次回はそう遠くないうちにお目に掛かれる筈です……いや、お目に掛かれると思ってます……んー、思いたい……
 ともあれ、今後ともよろしくです〜(^^;(^^;