「どうしたまい同志。そんなことでは戦略理論界の制覇など見果てぬ夢で終わってしまうぞ」

「……終わっていい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

──熱く萌える水平線

1942年3月1日 ミッドウェイ

 ミッドウェイは、中北部太平洋の合衆国勢力範囲では最大の規模と能力をもつ索敵線拠点だった。ここで過去形を用いているのは、この環礁がもはやその機能を喪失しつつあるからだ。仕掛人は日本海軍第一航空戦隊──この時点で世界最大最強を誇る空母機動部隊の搭乗員たちである。ミッドウェイ環礁の面積は、たかだか5平方キロ程度。そこに、艦戦27機、艦爆45機、艦攻36機。合計108機という、過剰とも言えるほどの攻撃隊が襲い掛かった。

 積み上げられた土嚢に囲まれた対空銃座から激しく20ミリ曳光弾を打ち上げてくる兵士たちを見て、浩之は気の毒に、と思った。位置は西島の兵舎群のそば。ただしその大半はすでに銃爆撃を受けて倒壊、炎上している。あの位置では立ち込める黒煙にさえぎられて、ろくに照準もつけられないだろうに。あのまま銃撃を続けていては、むざむざと銃座の位置を暴露するだけだ。

 浩之の予感は的中した。空襲がはじまった当初から対地銃撃以外に仕事を見つけられなかった零戦の一機が、腹いせのようにその銃座に向かって急降下すると、20ミリ機銃弾の一連射を見舞った。着弾で背後の人間ごと吹き飛ばされた土嚢が宙を舞い、一帯が土煙に覆われる。その中で数度、小さな炎が上がる。銃座から脱出した兵士はいなかった。それを見届けた浩之は、さて、と考えた。腹の下に抱えてきた25番を落とす場所をどこにしよう。急降下で狙うべき目標はもうほとんど残っていなかった。

 結局浩之は西島を大回りして東島まで赴き、そこの滑走路に水平飛行から爆弾を投下した。そのころには、ミッドウェイ基地守備隊の士気は完全に崩壊していた。第一撃で司令部建屋と通信施設をまとめて吹き飛ばされ、戦闘機と飛行艇のすべてをうしなった彼らは、既に存在しない指揮系統のもとで個別に抵抗を試みるしかなかった。

 合衆国軍将兵の名誉のために付け加えるなら、この状況下においてなお彼らの奮闘は見事といえるものだった。現場に配置されていた各級指揮官は司令部からの連絡が途絶している状況を確認するや、直ちに麾下部隊を掌握して対空射撃を開始、数機の日本機の撃墜に成功したのである。だが、滑走路と水上機発着場に800キロ爆弾が次々と投下されたことで、この島を防衛するために払われたあらゆる努力が無に帰してしまった。ハワイからの海底ケーブルはいまだに生き残っていたが、その端末となる通話機は佐藤雅史少佐率いる九七艦攻小隊が投下した800キロ爆弾によって破壊されていた。相対すべき戦闘機を一機残らず地上で撃破してしまった制空隊は、とりあえず島内で目に付いた動くものに──それは車両であったり陣地であったり、果ては地面を這いずる負傷者だったりしたが──片っ端から機銃弾を叩き込んでいった。

 約20分にわたって繰り広げられた殺戮劇は、「紀伊」所属の艦攻小隊が重油タンクに投下した800キロ爆弾によってクライマックスを迎えた。彼らが投下した爆弾は狙いたがわず重油タンクの薄い外壁を突破して内部で炸裂し、周囲の炭化水素に対して自らと同様の化学反応を強制した。数秒後、既に応力のバランスを失って自重のモーメントをささえきれずに崩壊しつつあったタンクは、内側からの爆圧によって弾けとび、巨大な火柱と化した。

 全機の投弾を確認した浩之は、中隊に集合を命じた。長居は無用だ。眼下のミッドウェイは、たちのぼる黒煙に覆い隠されようとしていた。すくなくとも、その下が珊瑚礁の楽園という形容とはほど遠い環境へと変貌していることは確実だった。

 中隊集結後に点呼を取った浩之は、渋い表情になった。麾下の編隊から、また一機が欠けていた。これで、「駿河」艦爆中隊の通算被撃墜は5機。GFの母艦航空隊では最も多い被撃墜数だった。たしかに中隊は、輸送船4隻プラス地上施設という艦爆によるものとしては屈指の戦果を挙げていたが、そのために払った戦死10人という代償は決して釣り合いが取れるものではなかったと浩之は思っている。

 この日の作戦で一航戦は、艦戦2、艦爆5、艦攻3の未帰還を出した。浩之と同じ思いをした男は少なくなかった。

 

 

同日 ジョンストン

 ジョンストン島は、太平洋における合衆国海軍戦略上の要衝中の要衝だった。ハワイから中部太平洋、内南洋への玄関口とも言うべき位置にあるのだから、当然といえる。さらに、ウェークからマーカスを経由すればその先には小笠原。日本の喉元に匕首を突きつけることすら可能な拠点だった。

 であるから、この島の防備は実際たいしたものだった。戦闘機は海軍基地航空隊の腕利きから選りすぐられた五個中隊40機。使用機材も最新鋭のD型ワイルドキャットが揃っている。高射砲や陸戦隊の配置もぬかりない。これに、索敵機としてPBY飛行艇10機とSBDドーントレス24機が追加されていた。狭い島嶼基地としては、望みうるかぎりの戦力が集中されていると思って間違いない。

 問題は、この島に殴りかかった航空戦力が、防衛能力の限界をはるかに凌駕するシロモノだったということだ。日本海軍が誇る快速機動部隊、山口多聞少将率いる第二航空戦隊(「蒼龍」「飛龍」)と、立川雄蔵少将率いる第五航空戦隊(「翔鶴」「瑞鶴」)から発進した艦戦36機、艦爆35機、艦攻22機の攻撃隊の前には、多少の防衛兵力などまったく問題にならなかった。たしかに守備兵力の戦闘機部隊は合衆国海軍航空隊でも屈指の精鋭だった。かれらが装備しているD型ワイルドキャットは、良好な運動性能と重火力を誇る傑作機でもあった。だが、化け物のような練度を誇る日本海軍航空隊の前には、それすら赤子の手を捻るようなものだったのだ。守備隊の将兵にしてみれば悪夢だった。防空戦闘機隊は、全機スクランブルが間に合ったにもかかわらず、第一撃で十数機をまとめて叩き落とされたあとは一方的に料理されてしまった。その直後に舞い降りてきた急降下爆撃機が島内のめぼしい砲座に爆弾を叩きつけ、仕上げとばかりに艦攻が滑走路や施設群に大型爆弾を投下していく。防戦している守備隊までが見とれるほどの見事な手際で、ジョンストン基地は無力化されてしまった。日本軍が払った損害は、艦戦1、艦爆1の撃墜のみ。事実上のパーフェクトゲーム成立だった。

 ただし、ジョンストン守備隊の通信機は、250キロ爆弾の直撃によって破壊される直前に敵襲の一報を打電することに成功していた。

「ワレ日本軍艦載機ノ攻撃ヲ受ク」

 メジュロに届けられたこの電文は、あらたな海戦──史上初の空母機動部隊同士の対決を演出することとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

南溟死闘録

第二話 Burning Heat

 

 

 

 

 

 

 

 

──鋼色チェイサー

1942年3月3日 ジョンストン東南東沖160浬

 合衆国海軍第四任務部隊を率いるハルゼー中将は、日本艦隊の位置を正確に把握していたわけではなかった。だが、じつにこの男らしい行動力にあふれた決断をくだした彼は、空襲の一報が届いてからわずか6時間後には、麾下部隊を率いて出撃していた。ジョンストン近海に進出した第四任務部隊は、そこで初めて索敵線を一斉に展開。同基地を完膚なきまでに叩き潰した下手人の捜索にとりかかった。

 しかし、第四任務部隊の戦力は開戦時の強力な完全編成とはほど遠いものだった。ハルゼーは出来うることならば、麾下の空母──「エセックス」「ボンノム・リチャード」「エンタープライズ」の三隻すべてに十分な護衛をつけてこの作戦に投入したかったのだが、マーシャルに進出した太平洋艦隊主力の燃料不足は予想以上に深刻な状態に陥っていた。さらに、連日の空襲によって航空基地の稼働状況にも不安が生じていた結果、太平洋艦隊司令部の強い意向もあって、「エセックス」をメジュロ防空用にに置いて行かざるを得なくなってしまったのだ。

 このため、第四任務部隊の編成は旗艦「エンタープライズ」および「ボンノム・リチャード」の二空母を擁し、総計200機近い攻撃力を持ってはいたものの、護衛艦艇は重巡「ミネアポリス」、軽巡「ヘレナ」および駆逐艦5隻という非常に心許ないものだった。なにしろ、連日の空襲で駆逐艦ばかりが目の敵にされているので、太平洋艦隊の駆逐艦はほとんど払底状態にあった。開戦時に配属されていた48隻のうち、すでに15隻が海の藻屑と消えている。今のところはまだ深刻な打撃と受けとめる者はすくないが、開戦からわずか3ヶ月で30%をこえる損害という数字は、考えてみれば不気味なほどおおきなものだった。じっさい、駆逐艦は泊地の機能や防衛力の維持のためにも多数が使われている。今回のような遠出にすぐに伴って行けるような艦の数は、きわめて限られたものなのだ。「駆逐艦の不足ごときが出撃を控える理由になるか!」とキンメルに向かって啖呵を切っては来たものの、いざとなってみるとこの偏った編成はいかにも痛い。現在本国では、予備艦扱いとなっている懐かしきフラッシュデッカー達を現役復帰させて戦線投入するための作業がはじまっているというが、根本的な解決とはなっていないのが実情である。やはり、新型艦の早期大量就役は急務だった。

 であるからして、索敵爆撃スコードロンのSBDが送って寄越した敵艦隊発見の報に、ハルゼーの口元がゆるんだのも無理はない。今のうちに先制攻撃を掛けて敵空母に損害を与え、のちの反撃力を減殺するというオプションは、空母の防御力に不安を抱える今の彼にとっては必須となっていたからだ。耳にした者全てを陽性の何かに駆り立てずにはおかないような声で攻撃隊発艦開始が命じられ、制空隊のF4Fに続いて爆装・雷装したSBDとTBDが次々と発進して行った。

 

 

 いっぽう、日本艦隊のほうも一筋縄では行かなかった。なにしろ指揮官は、海軍でも十指に入る闘将として知られる山口少将と立川少将が揃っている(ちなみに海軍五大猛将といえば、山口多聞・角田覚治・田中頼三・高町士郎・三川軍一のことを指す)。作戦能力にも長けた山口の意見具申を受けて、「翔鶴」から追跡役の艦爆が発進する。さらに、その後から本命が続いた。零戦36、艦爆31、艦攻33の攻撃隊である。自分たちが送り狼をつけられているとは露知らぬSBDは、100機の攻撃隊を引き連れて母艦を目指し一直線に飛行していた。

 最初に目標に到達したのは、米軍機のほうだった。やはり、目標地点目指して一直線に飛行するのと、送り狼のコースを頼りに索敵攻撃じみた出撃を行うのとでは、同じ距離でも到達時間が全く違う。攻撃隊の総数は、艦戦32、艦爆16、艦攻24の計72機。これだけの機数が一度に襲いかかれば、艦戦の半分を制空隊に回してしまった日本艦隊には防ぎようがないはずだった。

 ところが、そうそううまくことは運ばない。なにしろこの時期、燃料問題が原因の訓練不足によって、太平洋艦隊の母艦航空隊の技量は極めて劣悪なレベルにまで低下している。とくに洋上航法術の状態は深刻だった。緊密な編隊を組んで進撃するはずの隊形は道中で大きく乱れ、数機単位での波状攻撃となってしまったのだ(これには、母艦上空で編隊を組む習慣のない合衆国海軍航空隊の体質も影響していたが)。これは数機ずつの小編隊多数による波状攻撃となるため、迎撃側に長時間の精神的緊張を強い、防空態勢を揺さぶって隙を生みやすくするという利点もあったが、一つ一つの編隊は単一機種で構成された少数機の集団に過ぎないため、当然ながら撃墜されやすく消耗も多い。一歩間違えると全く成果が上がらない危険もあった。

 そして、現状はまったくの後者だった。運の悪さもあるが、攻撃隊は艦戦・艦爆・艦攻がそれぞれ完全に分離した状態で日本艦隊に到達したからである。人外の練度を誇る二航戦の戦闘機部隊にとっては、児戯に等しい防衛戦だ。おまけに、全体の三割近くが航法を誤って目標に到達できず、そのうち艦戦4機が機位を失ったあげく未帰還となっている。実際の防空戦闘も、この現実を反映するものとなった。

 それでも真っ先に突入順番が回って来たのが戦闘機隊だったことは、米軍攻撃隊にとっては不幸中の幸いというべきだった。一応、制空隊が露払いをつとめるという大前提をクリアすることができたからだ。しかし、この制空隊こそは大集団で突入すべき機種である。数機ずつの小隊単位では、むざむざ撃墜してくれと言っているようなものだ。おまけに、この時期の合衆国航空隊は編隊戦闘のノウハウも未整備だった。こうなると、単機での運動戦に長けた日本軍の優位は動かない。まず、後ろ上方から殴り込んで20ミリで一撃。運良くそれを察知して散開しても、今度は水平方向の旋回戦闘に巻き込まれて為す術なく落とされる。かろうじて急降下での離脱に成功したとしても、低空で待ち構えていた直掩機に狙い撃ちされる。のちに米軍パイロットたちが「ジョンストン沖の七面鳥撃ち」と自嘲を込めて称した空戦は、このようにして艦隊上空からF4Fがあらかた追い払われてしまった時点をもって、第二幕へと移って行った。なお、32機出撃した制空隊のうち日本艦隊に到達したのは4分の3の24機。うち17機が直掩戦闘機に、3機が対空砲火によって撃墜され、前述のとおり4機が不時着して失われた。未帰還率は75%にのぼった。

 戦闘機隊に遅れること数分で到着した艦爆も、日本艦隊の防空網からのがれることはできなかった。SBDドーントレスは艦上爆撃機としては現時点で世界最高傑作と評して間違いのない名機ではあったが、だからといって爆装のまま戦闘機と喧嘩をして勝ち残れるわけではない。突入をこころみた機体は、群をなして襲いかかる戦闘機によって次々と討ち取られて行った。離脱後生還することができた機体もあるにはあったが、それは彼らが例外なく早々と爆弾を投棄して反転していたためだった。

 そして、ある意味もっとも悲惨だったのが最後に突入した艦攻隊だった。彼らが乗っていたのは、空荷状態でも最高時速が330キロを超えることのないTBDデバステーターだったからだ。先程SBD隊を見舞ったのと同じ殺戮劇がくり返され、ほんの数十秒で18機いたTBDは7機にまで減少した。一部の機体は勇敢にもさらに進撃を継続しようとしたが、それがいかに無謀な試みであったかは、直掩機隊の技量によっていともあっさりと証明されてしまった。

 結局、ハルゼー機動部隊が放った攻撃機のうち、生還したのは艦戦8、艦爆9、艦攻10の計27機だった。日本軍の直掩機の練度のわりには残存機が多いような気もするが、これは彼らの大部分が航法を誤って日本艦隊に到達できなかったからに過ぎない。さらに、帰還した彼らとて決して幸せだったわけではなかった。何故なら彼らが帰ってきたとき、第四任務部隊の各艦は攻撃隊を収容するどころの騒ぎではなかったからである。

 

 

 山口少将が立案した作戦は図に当たった。追跡機役の艦爆の誘導によって進撃した攻撃隊は、索敵爆撃スコードロンのSBDに道案内させるかたちで第四任務部隊を発見したのだ。米軍機と違って、日本海軍の母艦航空隊は洋上航法の技量もたいしたものだった(単座の戦闘機搭乗員にまで、推測航法を修得したものがすくなくなかった)。発進した攻撃隊は、発動機の不調で引き返した艦戦1機をのぞいて、全機が緊密な編隊を保ったまま第四任務部隊に到達したのである。総数99機の大編隊は艦隊外周から50キロの位置で、空母が装備した電探によって探知された。

 このタイミング──第二次攻撃隊の発進準備中という時間帯は、第四任務部隊にとっては最悪だった。なにしろ飛行甲板や格納甲板には燃料満載の爆装した機体が並んでいるし、混雑のせいで直掩機の増勢も思うようにはいかない。なによりも、それらを片づけるべき作業が、回避運動に伴う艦の傾斜のおかげでひどくやりにくくなってしまう。ハルゼーは歯噛みした。

「艦長、戦闘機は全部上げろ。飛行甲板に出ているやつだけで構わん。爆装の解除は間に合うか?」

「だめです、格納甲板の機体だけでも20分は掛かります!」

 それを聞いたハルゼーは、一瞬のためらいもなくこの男らしい即決を下した。

「間に合わない分はパイロットを降ろして機体ごと投棄しろ! 構わん、俺が許す!」

 艦長は一瞬、「どうやって……」と言いたげに怪訝な表情をしたが、すぐに神妙な顔になって命令を復唱した。

 米空母の格納甲板に備えられた、舷側開口部のカタパルト。重量級の全金属製単葉機が艦載機の主力となった昨今、こんなものをどうやって使えばいいのかと誰もが思っていたそれが、久々に真価を発揮するときがきたのだ。──不本意な形ではあったが。

 

 

 日本軍の攻撃隊の接触を受けるまでに、第四任務部隊ではCAP任務に回っていた機体に加えて23機のF4Fを空中に上げることに成功していた。さらに、SBD16機が空中退避の後に爆弾を投棄して直掩に加わっている。合計55機のF4Fとにわか仕立ての戦闘機は、35機の戦闘機に向かって突っかかって行った。例によって日本軍の戦闘機隊は精鋭が揃っていたが、さすがにこれだけ数の差があると一方的に直掩隊を制圧するというわけにはいかない。しかし、攻撃隊に取りつこうとする直掩機を妨害するくらいのことは余裕だった。CAPが撃墜に成功した攻撃機は、艦爆が2機のみだった。とうぜん、超の字がいくつもつくほどの精鋭揃いの日本軍パイロットは、この程度の損害で攻撃を躊躇したりはしない。

 攻撃隊の進路に立ちふさがるべき第二の障壁は、空母の護衛艦艇による対空砲火だった。合衆国海軍の戦術ドクトリンでは、空母の護衛艦艇群は2〜3隻の巡洋艦と二個以上の駆逐隊によって編成され、空母一隻を中心とする輪形陣を組んで対空砲弾の壁を構築して敵機の進入を防ぐことになっていた。だが……

「クソッタレ、護衛艦艇がこれじゃ対空砲が役に立たん! ジャップの奴ら、まさかこれを計算して嫌がらせみたいな攻撃をくり返してやがったんじゃないだろうな!」

 ハルゼーはわめいた。内陣に空母二隻を収めているため、輪形陣の半径は通常よりもかなり大きなものとなっていた。しかもただでさえ護衛艦艇の頭数が少ないため、対空弾幕はひどく疎らなものにしかならない。前述のとおり、合衆国海軍の空母戦闘群編成ドクトリンは、空母一隻につき多数の護衛艦で囲んで一個群を構成するというものだったが、さすがに彼らも、7隻しかない護衛艦艇を二分するような愚はおかさない。このため、第四任務部隊の編成は、合衆国海軍のものとしてはいささか異例な部類に属していた。しかし、どちらにせよ防御火力が致命的に不足していることにかわりはない。そして新生GF司令部が──というよりも、九品仏大佐個人が変革した日本海軍のあらたな戦術ドクトリンは、ここでもまたその方向性をはっきりと示していた。

「畜生!」

 ハルゼーは悪鬼の形相で叫んだ。なんてことだ。連中、ここでも律義に駆逐艦に狙いを絞ってやがる。

 

 

 最初に攻撃を受けたのは、輪形陣の左翼前方に位置していたクレイブン級駆逐艦「ベンハム」だった。「蒼龍」所属の艦爆小隊がおこなった急降下爆撃によって、彼女には250キロ爆弾2発が命中した。一番砲塔のすぐ脇と煙突直前の上甲板を貫いた対艦用爆弾は、装甲などなきにひとしい駆逐艦の艦内構造を次々と突破し、一番奥に到達したところでほぼ二発同時にその信管を作動させた。

 爆発の結果は壮絶なものだった。全長100メートル足らずの「ベンハム」の船体前部は、爆圧によっておよそ10メートルにわたって弾け飛び、そこから致命的な量の海水が侵入してきた。水圧と水の抵抗によって竜骨を中央部でうしなった彼女の船体は艦橋直下から二つに折れ曲がり、海上に大きく傾斜した惨めな姿を晒した。素人目にも、彼女を救う手だてはなさそうだった。

 続いて命中を受けたのは、右翼正横方向を守っていた「ベンソン」だった。彼女は幸運にも、自らに向かってきた艦爆小隊のうち2機に火を噴かせることに成功し、残る一機が投弾した250キロ爆弾も、彼女の左舷に水柱を吹き上げるにとどまった。だが、撃破した艦爆の一機──「翔鶴」艦爆隊長、高橋赫一少佐機だった──は右主翼全体から猛烈な炎を曳きながら、ベンソン級駆逐艦のネームシップの二本の煙突の間に設けられた四連装魚雷発射管を真上から押しつぶすように突入し、そこで腹に抱えていた250キロ爆弾の信管を作動させた。直後、輪形陣全艦を揺るがすような衝撃波と轟音が発生し、彼女の上部構造物と船体の中央部が艦の前後方向に向かってなぎ払われるように砕け散った。軍艦にとってもっとも致命的な部分を丸ごと失った「ベンソン」は、それから数分と経たないうちに猛火に包まれて横転沈没し、海上から姿を消した。

 さらに、輪形陣の後方に位置していたマハン級の「ダウンズ」と「ショウ」が続けざまに爆撃を受けた。さらに「ショウ」には、「瑞鶴」所属の艦攻小隊が雷撃まで見舞った。「ダウンズ」は250キロ爆弾を後部主砲弾薬庫付近に食らい、艦尾を推進器や舵機ごと吹き飛ばされた。黒煙をあげて海上に停止した彼女の後部にはさらに2発の爆弾が命中し、ここに設けられていた上部構造物の大半を消滅させた。同時に艦の後半全体に手の付けられない火災が発生し、彼女の艦長は総員退艦を命じるほかなくなった。「ショウ」は、「飛龍」所属の艦爆小隊が投下した爆弾が、右舷中央部に立てつづけに命中。艦橋後部にそびえていた三脚檣が左舷の海面に転がり落ちた。さらに発生した火災に油を注ぐかのように3発目と4発目が相次いで直撃し、連続した打撃に堪えかねた彼女の船体は中央部から一刀のもとに両断された。最後に艦前半部に命中した航空魚雷にいたっては、オーバーキルと言うべきだった。最初の打撃が発生した時点で、彼女の艦橋に居合わせた対処指示を出すべき人々は軒並み衝撃で即死するか、よくても人事不省に陥っていたからである。

 そして、輪形陣先頭のベンソン級駆逐艦「ヒラリー・P・ジョーンズ」が艦橋と後檣に直撃弾を受けて軍艦としての機能を停止した時点で、第四任務部隊の陣容から駆逐艦という艦種は消滅した。二隻の空母を守るべき盾は、もはや輪形陣右翼前方の「ミネアポリス」と、左翼後方の「ヘレナ」だけとなった。

 

 

 この時点に及んでもなお、合衆国海軍のファイティング・スピリットの発露は賞賛されてしかるべきものだった。生き残った二隻の巡洋艦は空母の左右前方に寄り添い、自らを盾とすることで、致命的な雷撃の被害が空母に及ぶことを避けようとしたのである。当然ながら、彼女たちは絶大な練度を誇る日本海軍航空隊が繰り出す苛烈な攻撃を、その一身に引き受けることとなった。

 二隻の巡洋艦と二隻の空母が撃ち上げる対空砲火は、熾烈なものだった。4隻合計40門の5インチ高角砲と無数の対空機銃が、砲身も焼けよとばかりに撃ちまくる。炸裂した高角砲弾の破片が艦爆の燃料タンクを貫いて火を噴かせ、海面すれすれを這うようにしたい寄ってきた艦攻が水柱に巻き込まれ、もんどりうって落下した。だが、当然ながら攻撃隊のすべてを食い止めることはできなかった。

 「ミネアポリス」の艦上に直撃弾炸裂の閃光が次々と踊り、第一砲塔が叩き潰されて炎上し、後部煙突が根元から折れ飛んで海面に落下した。さらに「ヘレナ」の左舷に3本の水柱が奔騰し、彼女は黒煙を吹き上げて海上に停止した。この状態でさらに「ヘレナ」は機銃の水平射撃によって艦攻1機を撃墜したが、前甲板に250キロ爆弾2発が命中して前部弾薬庫が誘爆したことにより、その奮戦には終止符が打たれてしまった。

 いっぽう輪形陣──すでにその態を為していなかったが──の内周に斬り込んだ攻撃隊は、二隻の空母に向かって抱えてきた爆弾や魚雷をたたき付け始めた。度重なる攻撃で裸に剥かれた空母たちも、必死の回避運動と対空砲火で応戦する。とくに「ボンノム・リチャード」の対空砲火は強力だった。彼女は1930年代におこなわれた改装で、艦橋前後に装備されていた四基の8インチ連装砲塔を5インチ連装両用砲に交換していたからである。彼女が右翼に配置されていたのも無理もない。右舷側に向かって激しく撃ち上げられた高角砲弾は、さらに艦攻4機を撃墜することに成功した。これは合衆国製艦艇による防空戦闘の模範と言えるほどの見事な射撃だったが、同時にそれが限界だった。最終的に空母の個艦防御射撃を突破した攻撃機は、艦爆7機に艦攻が15機。彼らが投弾した爆弾や魚雷のうち、250キロ爆弾4発と魚雷9本が目標をそれ、さらに命中したうち爆弾1発と魚雷1本が信管の不良によって不発弾となったが、残る爆弾2発と魚雷5本が二隻の空母に命中し、信管を作動させた。爆弾による打撃は「ボンノム・リチャード」に集中し、彼女の密閉式格納庫を内側からの爆圧によって醜く膨れ上がらせた。このとき格納庫内に残っていた雷装したままのTBDが誘爆を起こして被害をいっそう酷いものとし、さらに周辺の機体に残っていた燃料が発火するにおよんで、「ボンノム・リチャード」の格納甲板は一面火の海となった。

 一般にハードウェア的なダメージ・コントロール能力の高さで知られている合衆国空母であるが、その貴重な例外に属しているのが「エセックス」と「ボンノム・リチャード」の姉妹だ。彼女たちは1910年代末に立案されたいわゆるダニエルズ・プランによって計画され、巡洋戦艦の船体設計を応用して建造された大型空母だった。設計年代の古さのわりには、彼女たちにはクローズド・バウをはじめとする近代的なアイディアが随所に取り入れられていたりするのだが、基本的にこの姉妹にそなえられた設備は1920年代の思想によるものであり、1940年代の戦争に対応したものではなかった。また、レキシントン級巡洋戦艦の原設計に大した変更もなく採用された乾舷の高い船体は、必然的に船体に埋め込まれた密閉式格納庫の採用を彼女に強要した(そうしないと、重心が高くなりすぎて復原性や耐航性に問題を生じるからだ)。このような要因が重なったことにより、彼女たちは戦闘力維持能力が軍艦としてはあまり高くない部類にかぞえられていた。たしかに、3万トン近い「ボンノム・リチャード」の巨体は、連続して発生した打撃とそれによる誘爆火災によく耐えた。さらに魚雷が2本命中したが、その爆発力は堅固なバルジと増強された防水区画が食い止め、深刻な被害とはならなかった。この老嬢は、船としての死──沈没を免れることに成功したのだ。だが、軍艦──航空母艦としての彼女は、死んだも同然だった。飛行甲板が全体に下から隆起してしまった状態では、艦載機の運用など望むべくもない。

 いっぽう、「エンタープライズ」には爆弾は命中しなかったが、彼女は左舷に集中して3本の魚雷を受けた。25000トンの巨艦はさすがにこの程度の損害では致命傷とはならなかったが、戦闘艦橋にいたハルゼーが衝撃で転倒し、床で顔面を打った。

「あちち……くそっ。ビッグE、接吻するほど俺に惚れ込みやがったか」

 いささか笑えない冗談とともに身を起こす。ショック状態にあった艦橋要員の一部の間から失笑が漏れた。一睨してその場を収める。しまったとでも言いたげに口元を抑えた彼らは、慌てて本来の任務へと戻った。窓の外では、投弾を終えた敵機が次々と飛び去っていくところだった。どうやら、第四任務部隊にとっての一番厳しい時間帯は去った、そういうことらしい。

「急げ、傾斜を復旧するんだ! 攻撃隊だってまだ出せる! ビッグEは死んじゃおらんぞ!」

 ハルゼーが跳び上がって叫ぶ。どやどやと慌ただしく動き始める副長以下のダメコン・チーム。ファイティング・セイラーの闘志は、まだまだ衰えるということを知らなかった。

 

 

「封緘命令?」

 山口は思わず尋ねかえした。二次攻撃隊を送ろうと準備を進めていた矢先のことだった。

「GF長官と先任参謀の署名入りです。どうやら読まれていたようですな」

 作戦参謀が苦笑まじりに手渡した、「敵機動部隊と遭遇の場合のみ、一次攻撃隊発進後に開封すべきこと」とややこしい条件が記された封筒の中には、有無を言わせぬ命令が書かれていた。すなわち、二航戦および五航戦は攻撃隊収容後ただちに北上し、一航戦と合流のうえ作戦第二段を遂行すべし。

 ──追伸。敵空母は何時でも攻撃可能なり。機会は作る。

 どうやら、九品仏もGF屈指の闘将二人が轡を並べている意味は計算していたようだ。そのためのフォローまで書いてあったのを見て、山口は苦笑した。この命令書がなければ、彼は第二次攻撃隊をすぐにでも出すつもりだったのである。一次攻撃隊が見事に敵空母を無力化したことを知って、山口の笑いはさらに大きくなった。今は、敵空母よりもさらに叩く機会の得がたい獲物が、目の前に放り出されているのだ。ようやく傾斜復旧のなった「エンタープライズ」(しぶといことに、あれだけの被害を受けてなお艦載機の運用は可能だった)から索敵機のSBDが発艦を始めたころには、日本空母部隊は遥か北方へと離脱した後だった。

 

 

「──決まりだな」

 ハルゼーは蒼白な顔の幕僚陣を前に言った。

「奴らの狙いはハワイだ。間違いない」

 いまや、全ての状況はその結論に収束していた。ジョンストンとミッドウェイ。合衆国勢力圏の表玄関とも言うべき基地をわざわざ二ヶ所も潰して、奥座敷の北太平洋に乱入してきたのは何故か。二次攻撃隊を送れば確実に止めを刺せたであろう第四任務部隊を放り出してまで、姿をくらませたのは何故か。答えはひとつしかない。すなわち、空母などよりも遥かに戦略的価値の高い目標──太平洋艦隊最大の根拠地パールハーバーが、まったくの無防備で目の前に転がっているからだ。

「参謀長、メジュロのキンメルに至急連絡を──それと、ハワイ方面の全軍に警報を出すんだ。急げ!」

 

 

 

 

──決められた道を

1942年3月6日

 先月末になってようやく旗艦「サウスダコタ」の艦上から解放されてメジュロ環礁の陸に上がった太平洋艦隊司令部は、いまや魔女の大釜といった有り様だった。海外旅行先で自宅の火災を知らされた大家族のようなものだろう。自宅──パールハーバーの正確な状況は、全くと言っていいほど入ってこなかった。キンメルのところに入った第一報は要領を得ない支離滅裂なもので、彼を閉口させる役にしか立たなかった(電話のむこうの作戦部士官も、すっかり動転しているらしく自分で何を言っているのか判っていない様子だった)。ホノルル放送の臨時ニュースもこれまたぼやけた表現で、情報の体を為していなかった(これには、市民の不安を煽らないようにとの余計な配慮が為されていたためもある)。いまのところもっとも信頼性が高いと思われる現地部隊代行司令部(陸海軍の司令部建屋は800キロ爆弾複数の直撃によって崩壊していた)からの報告では、重油タンクと港湾施設を中心に甚大な被害が出ているとのことだったが、これまた正確な状況は調査しなければわからない。無秩序に流入した不正確な情報は、それを受け取った人間たちを深刻な混乱に陥れた。

「とにかく、これを見てくれ。まったくひどいもんだ」

 キンメルはげっそりとした顔で、幕僚たちの囲むテーブルに置かれたレポートの紙面を叩いた。パールハーバーの正確な情勢が判明したのは、翌日の夕方だった。まず、重油タンクに貯蔵されていた350万バレルの重油──太平洋艦隊がむこう半年間行動するために必要とされていたそれ──がことごとく焼き払われていた。港湾施設も集中攻撃をくらい、とくに艦艇建造・補修用の乾ドックは再建に一年は掛かると思われるほど徹底的に破壊された。航空基地も、戦闘機が発着可能なものは完膚なきまでに爆弾によって耕されてしまった。さらに軍港警備用に残置されていたファラガット級駆逐艦8隻および港湾哨戒艇、掃海艇、輸送船などが残らず沈められ、司令部とそれに隣接する太平洋艦隊情報部の建物が全壊。おまけに電探・通信施設や兵舎までが全滅に近い被害を被っていた。航空機は戦闘機・爆撃機・輸送機・飛行艇など合わせて300機以上が喪失。ドックで改修作業中の旧式駆逐艦10隻あまりも全損した。人的被害は戦死1000人、負傷者1500人あまり。極限まで鍛錬された空母8隻分の艦載機による攻撃とはこれほどまでに凄まじいものなのかと、誰もが絶句するような被害だった。

 加えて、空母機動部隊出現の報を受けてジョンストン沖に急行したハルゼー麾下の第四任務部隊は、機先を制した日本艦隊の攻撃を受けて軽巡「ヘレナ」と駆逐艦4隻を喪失、空母2隻と重巡1隻を撃破されるという大損害を受けて撃退された。

「全滅じゃねぇか」

 第二任務部隊指揮官のパイ中将と戦艦部隊指揮官のキンケイド中将が同時にうめいた。

「おい、こりゃいったいどういうことだ」

 キンケイドがハルゼーに食って掛かる。

「あそこにいなけりゃ判るまいよ。言っておくが次も同じように行かせるつもりはないぞ」

 ハルゼーは不機嫌そうに答えた。

「駆逐艦の喪失が痛いですな」

 スプルーアンスが顔を歪めた。水雷戦隊を率いるエインスウォース少将とスコット少将が同意とばかりに頷く。この三日間で太平洋艦隊が失った駆逐艦は、現役の艦隊型だけで12隻。すでに喪失した15隻と合わせると、これまでに27隻が日本人の手によって鋼鉄製の魚礁に造り変えられたことになる。開戦以来の駆逐艦の喪失率は、この時点で早くも50パーセントを超えた。陸戦の被害評価で言うならば全滅だ。開戦から一年間というならばいざ知らず、たったの3ヶ月間での損害としては異常だった。どんな楽観主義者でも、この数字を見て笑っていることはできないだろう。

「表面的な損害だけでもたいしたものですが、むしろ本当に厄介なのはこれからです」

 戦務参謀の一言で、その場に居合わせた全員のあいだに緊張が走った。考えてみれば当たり前の話だ。パールハーバーが当分使えなくなったことは、前線で損害を受けた艦艇の補修をおこなうためには本土へ廻航するしかなくなったことを意味する。将兵に後方で休養を取らせるのもサンディエゴに行かなければ無理だ。なによりも、ハワイにプールしてあった艦艇用燃料や予備航空機がそっくり失われたことによる痛手は、はかり知れない。エニウェトクやトラック方面への圧力を掛けるべく配備のすすめられていた陸軍爆撃機の集結も遅れる。パルミラの中継航空基地としての能力は、ハワイほど高くないからだ。さらに、本土から中部太平洋方面への補給線の中継基地としてのパールハーバーが消滅したことで、太平洋艦隊の兵站幹線はパルミラ経由の一本に絞られてしまったのだ。これは、開戦以来激化の一途をたどっている日本軍潜水艦による補給線攻撃が、一気に容易なものとなったことを意味する。

 今さらながら誰もが、パールハーバーを失ったことの意味を噛みしめ、後悔の念に苛まれていた。その時まで彼らは、自分たちがそこまで間抜けな愚か者だとは思っていなかった。なぜ、今まで自分たちはこれほど単純で重大な事実に気がつかなかったのか。太平洋における合衆国の生命線ともいえるパールハーバーを守る兵力が、ミッドウェイとジョンストンの守備隊しか存在しないという事実に。機動打撃兵力である空母部隊の戦力において、自分たちが日本軍に対して大差をつけられているという事実に。太平洋艦隊主力がマーシャルにそっくり出払っている間に──そして、彼らがトラックに集結した日本軍の戦艦部隊と連日空襲を掛けてくる基地航空隊に気を取られている間に、日本軍はありったけの母艦航空兵力、つまり700機近い艦載機を集中して叩き付け、ハワイの唯一の自衛手段であった固有の守備航空隊を圧倒。見事に太平洋艦隊の急所にクリティカル・ヒットを見舞ったのだ。

「これは……!」

 参謀の一人が、驚いた声をあげる。

「そうだ」

 キンメルは深刻な顔で頷いた。このままでは、太平洋艦隊主力はマーシャルで干殺されてしまう。彼は、この戦争が始まる直前に就任した新任の敵司令官のことを考えた。たしかナガセとか言ったな。こちらの急所ばかりを計ったように的確に突いてくる。そのうえ、正面から殴るときは戦艦や巡洋艦には目もくれず、駆逐艦のような脆弱な艦艇に攻撃を集中する。畜生、まるで悪魔のように狡猾な奴だ。海軍軍人の道義に悖る輩だ。実に許しがたい。

 

 

3月10日

 二隻の空母は、護衛の巡洋艦と駆逐艦、そして多数の輸送船を従えてパナマを越えた。

「やれやれ、本国じゃえらい騒ぎだぞ。25隻も戦艦を持ち出しておいて真珠湾すら守れないとは、キンメル長官と太平洋艦隊は何をやっているのか、と」

 輸送部隊指揮官のスプレイグ少将が呟いた。

「確かにパールハーバーを叩かれたのは痛かったですな。ジョンストン、ミッドウェイと、まぁ最悪でもせめて空母部隊だけなら、まだ救いようもあったのですが」

 旗艦「ホーネット」艦長のミッチャー大佐が同意する。

「とりあえず、我々はさしあたって太平洋艦隊に必要なものを全部持ってきました。これだけあれば、少なくとも太平洋での主導権を一気に奪われるようなことにはならないでしょう」

 そういってミッチャーが指差した窓の外では、旗艦「ホーネット」のほか、姉妹艦の空母「ヨークタウン」をはじめとして巡洋艦4隻、駆逐艦18隻、輸送船20隻の大部隊が15ノットで西進していた。

「一時しのぎにしかならんのじゃないかな」

 スプレイグが、指揮官らしからぬぼやきを見せる。彼はもともと、大西洋艦隊からの大兵力の引き抜きに反対していたのだ。イギリス王立海軍がかつてのような勢力を失っている今、大西洋だって決して軽視できる戦略正面ではなくなっているというのに。

 ミッチャーは、そのような指揮官の心情をある程度理解していた。彼自身、ドイツ海軍の脅威は無視できないと思っていたからだ。地中海にしても同様だ。将兵の質は別として、イタリア海軍の戦力は強大なものだ。イギリス海軍だけで対抗するのは至難の業ではあるまいか。ちなみに納得しているかは別の問題である。彼は、スプレイグの指揮官としてあるまじき態度を苦々しく思っていた。

(おいおい、頼むよ。もっとしゃんとしてくれ)

 ミッチャーは思った。指揮官の弱気は容易に将兵に伝染するんだから。いかんな、こりゃマーシャルに着いた頃にはこの艦隊の士気はどん底まで落ちてるぞ。困ったものだ。まったくよろしくない。

 もちろん、ミッチャーは内心の苦渋を表に出したりはしなかった。このうえ艦隊首脳陣の間に不信の種まで撒いてどうする。

 

 

「ひのふのみ……と」

 一路マーシャルに向かう輸送隊を監視する目があった。第六艦隊所属の伊−161潜だ。

「ヨークタウン級が二隻見えるぞ……『エンタープライズ』はこの前やっつけたはずだが……するとヤンキーども、大西洋から虎の子を引きぬいてきたか」

 潜望鏡を覗いていたのは、艦長の端島中佐だった。

「甲巡……多分ポートランド級か。あとは駆逐艦が多数……厄介だな。せっかくいいところまで沈めてたんだが、補充が来ちまった」

「水測では輸送船も多いようですが……雷撃しますか?」

「いや、これだけ厳重だとちょっと手が出せんな。マーシャルに近づいたところで基地空にでもやってもらうさ」

 副長の問いに、端島は首を横に振った。

「前進微速。このままできる限り追尾してみよう。日没を待って浮上、無線連絡だ」

 

 

3月19日

 太平洋艦隊の将兵がこの地に足を降ろしてからというもの、毎日連夜のように鳴り続けていた(そのために、サイレンのスピーカーは現在のものが二代目だった)空襲警報が、また鳴り出した。ひところ散発的なものになっていたエニウェトクの基地航空隊による夜間空襲だが、最近になってまた激化傾向にある。安眠妨害効果は迷惑なことはなはだしく、それに伴う士気の低下も重大な問題だった。

「敵機総数、約60。おそらくエニウェトクからのベティです!」

 キンメルはふと気づいた。定期便にしては数が多い。どうやら、今日は久しぶりに日本人は泊地を叩くという贅沢をおこなう気になったらしい。

 照空灯が夜空に一本の線を描きだす。夜間戦闘機隊のスクランブル。陸上基地の対空砲座も、猛然と火を噴き始めた。停泊していた艦艇は一斉に抜錨して環礁の外へ。いつもの光景。慣れというのは恐ろしいもので、連日の夜間空襲は将兵の間での賭けの対象にすらなっているという。エニウェトクの敵基地は、早いうちに潰してしまわなければならんな。そんなことを考えながら、キンメルは司令部の地下壕へと急いだ。今月頭にパールハーバーを叩かれてからというもの、各種補給物資の輸送は思うに任せなくなっていた。届くはずの物資が届かないケースが着実に増えていたのだ(補給計画のトラブルにおける常として、その逆は一件も報告されていなかった)。だが、全体として補給物資の備蓄はペースがスローダウンしたものの、まずは順調に進捗しているといってよい。この分ならば、来月にはエニウェトクに対して何らかの手が打てるだろう。

 そんなことを考えていたキンメルの思考を無理やり現実に引き戻したのは、泊地出入口付近の方角から聞こえてきた轟音だった。仰天したキンメルがそちらを見ると、外洋に出た駆逐艦の舷側に巨大な水柱が出現していた。キンメルは愕然とした。なんてことだ。連中、最初から我々の艦艇が空襲を避けて外洋に出て行くことを読んだうえで、環礁の出入口に潜水艦を配置していたのか。

 

 

 この日メジュロに集結していたのは、第六艦隊麾下の海大型潜水艦9隻だった。彼らは環礁の出入口を射界に収める位置に陣取ると、潜望鏡で空襲の模様を観測。陸攻隊が投下した照明弾によって太平洋艦隊主力の動向を確認すると、艦ごとに約1分間隔で次々と魚雷を放って離脱した。最終的に作動不良で沈下したものを除き、合計34本の魚雷が外洋に出たばかりの米艦隊に向かって突進していった。

 最初に雷撃を受けたのは、二番目に外洋に飛び出した嚮導駆逐艦「ポーター」だった。右舷中央部に潜水艦用22インチ酸素魚雷を食らった「ポーター」は、缶室に浸水して大傾斜を起こし、被雷から僅か10分で横転した。

 続いて、重巡「ニューオーリンズ」の艦尾に一本が命中。魚雷そのものは不発だったが、どういう確率が働いたのか舵板付け根に命中した魚雷は、自らの運動エネルギーによってその支柱を根元から屈曲させたうえに、舵機本体を船体に向けて押し込んだ。これによって「ニューオーリンズ」は左舷に向かって緩い曲線を描くコースで迷走を始めたが、これはあらたな悲劇の引き金となった。彼女の進路上には、艦艇用の重油を満載した給油艦「ネオショー」が存在していたのである。「ニューオーリンズ」の異変に気付くのが遅れた(なにぶん夜間のことである)「ネオショー」は、これを回避することができなかった。狂ったように警笛を響かせながら突っ込んだ「ニューオーリンズ」の舳先は、「ネオショー」の舷側を貫き、重油タンクの隔壁を破壊し、自らも無数の屈曲や亀裂を生じながら竜骨を踏み折ってようやく止まった。後進を掛けた「ニューオーリンズ」の真っ黒に染まった舳先が引き抜かれると、軽構造の給油艦の船体はみしみしと嫌な音を立てて二つに折れ曲がり始めた。「ニューオーリンズ」は重症ながらも沈没に至るような大被害は受けていなかったが、「ネオショー」はどう見ても駄目だった。総員退艦が発令されたのは、「ネオショー」の上甲板が水面下に消える5分前だった。

 さらに、目の前で起きた衝突事故を避けようと右舷に転舵した戦艦「ワシントン」の左舷に水柱が立った。32000トンの巨艦が鳴動し、急減速が掛かる。そこに後続のマハン級駆逐艦「カニンガム」が衝突。自重の20倍もの質量に激突した「カニンガム」は、艦首を叩き潰されて急停止した。事態をややこしくしたのは、その「カニンガム」の横腹に命中した魚雷である。ひしゃげた船殻部材を突き破って艦内に突入した魚雷は、彼女の前部弾薬庫を誘爆させた。これで堪ったものでないのが「ワシントン」だ。至近どころか密着位置で大量の5インチ砲弾とその装薬の誘爆に見舞われた彼女の船体は、右舷後部が上甲板から水中部分にかけて砕け散った。たちまち、大量の海水が雪崩れ込んでくる。この状況下でなお、合衆国の優れたダメージコントロール技術は瀕死の彼女を沈没の運命から救うべく真価を発揮したが、右舷後部に2本目の魚雷が命中したことによって、「ワシントン」のタフさはその限界に達した。艦長は、彼女の巨体をメジュロ環礁のリーフに乗り上げさせることによって最後の職責を果たしたが、これによって彼女は、合衆国海軍の敗北の象徴として後世に長らくその姿をとどめるという不名誉にあずかることとなった。

 混乱の情景に総仕上げを行なったのは、駆逐艦「ブルー」が右舷に2本を同時に食らって盛大に誘爆を起こし、真っ二つに折れる光景だった。太平洋艦隊で30隻目の駆逐艦喪失となった彼女の沈没をもって、日本軍潜水艦による時間差雷撃は終わりを告げた。後には、燃え盛る海面と右往左往する艦艇の群れが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 AAMです。毎度お世話になっております。前回のあとがきの通り、そう遠くないうちにお目に掛けられたとは思ってます(安堵)

 さて、今回からいよいよ戦闘が開始されましたが……ひどいな、こりゃ(苦笑) 色々な意味で。えぇ。

 次回は、もう少しパワーアップした戦闘を描きたいと思ってますが……さて、どうなることやら。

 なお、この作品は完全なフィクションであり、必ずしも現実に即してはいないことをここに明記しておきます。  但し、作品内での設定の相互矛盾および基本的物理法則に対する考証の誤りなどについては、指摘して頂ければ今後の作品に対する貴重な参考意見とさせて頂きます。

●ヒストリカルノート(と称したネタの言い訳)

・エセックス級……史実のレキシントン級にほぼ準じます。ただし、あそこまで巡戦然とした設計はしてないので、使い勝手は若干向上しているようです。

・ヨークタウン級……排水量がこれまた史実比で5000トンほど増えています。

・端島中佐……とらいあんぐるハートより。チョイ役です。再登場の予定は未定。

・章題……前回は「みんなのうた」でしたが、今回は「夢色チェイサー」で攻めてみました(笑)