【八八艦隊物語世界で遠き曙光】 遠き曙光1「ハワイの罠」  昭和16年7月。日米開戦が迫る中、一人の将官が太平洋艦隊参謀長に抜擢された。  レイモンド・スプルーアンス少将。合衆国海軍きっての智将と知られる用兵家だ。  スプルーアンスは日本と合衆国の艦隊兵力を詳細に分析し、一つの結論を下す。  すなわち、現状の太平洋艦隊では日本海軍には勝てない。  会議の席上でこの結論を述べたスプルーアンスは、その理由として戦艦の年式の差を一番に挙げた。  建造に20年を掛けた日本の八八艦隊計画は、その半数以上が艦齢10年以内の新鋭艦で占められている。  これに対して欧州大戦直後の3年余りで整備された三年計画艦隊は、全艦が艦齢20年近い旧式艦だ。  隻数こそほぼ拮抗しているが、その戦力価値は大幅に劣っている、と。  この前提に立った上で、スプルーアンスはハワイの地の利を利用して日本艦隊を迎撃する作戦を立案する。  その内容は、キンメル長官をはじめ太平洋艦隊の幕僚たちを愕然とさせた。  スプルーアンスは、戦術の中核を空母機動部隊と陸上航空隊、そして快速の巡洋艦部隊および水雷戦隊と定めたのだ。  さらに、航空部隊に対しては最優先攻撃目標を日本艦隊の空母部隊と指示し、戦艦部隊に対しては攻撃を控えるよう求めていた。  猛然と食って掛かる空母部隊指揮官のハルゼー中将に対し、スプルーアンスは冷静に理由を語る。  空母部隊で戦艦を沈められないとは自分も思っていない。だが、日本にも同じ考えを持っている指揮官がいない保証もない。  ならば、もっとも脅威度の高い空母部隊を最優先で攻撃し、足の遅い戦艦はその後でゆっくりと倒せばよい、と。  そして12月。  開戦と同時に、戦艦20隻を基幹とする日本艦隊主力は、太平洋艦隊との決戦を求めて一直線にハワイを目指した。  だが、決戦が予想される海域に到達しても、米艦隊主力は一向に姿を見せない。  訝る嶋田長官以下のGF司令部に、冷や水を浴びせる報告が届く。  後方に控えていた第一航空艦隊が米海軍の艦載機に襲われ、蒼龍・龍驤・瑞鳳の三隻が撃沈されたのだ。  戦艦部隊上空のエアカバーに戦闘機の大半を出撃させていた空母部隊に、この攻撃を防ぐ術はなかった。  さらに、燃料が少なくなった直掩隊が残存する飛龍を目指して交代したタイミングで、戦艦部隊に対して敵機が来襲。  ハワイの陸上基地に展開する、陸軍のB18爆撃機とA24攻撃機、そして海軍のヴィンディケーター軽爆の混成編隊だった。  主力艦を撃沈する攻撃力こそないものの、執拗な波状攻撃によって第一・第二艦隊は無視できない損害を受ける。  そして旗艦近江が複数の爆弾の命中により後部主砲塔使用不能の損害を受けるに至り、嶋田長官は作戦中止の決断を下した。  だが、そこにパイ中将率いる米海軍の第2任務部隊が、多数の巡洋艦と駆逐艦を伴って突っ込んできた。  空襲と損傷により隊形を維持できない日本艦隊はこの突撃を支えきれず、砲弾や魚雷を受けて戦闘不能となる艦が続出。  陸上基地から来襲したB17を中心とする重爆部隊と空母艦載機部隊までが攻撃に加わり、  近江の艦橋への機銃掃射により嶋田長官は戦死。日本艦隊は四分五裂の状態に陥った。  飛龍から来援した航空隊の援護を受け、辛うじて脱出に成功したとき、  日本側は戦艦扶桑・山城をはじめ、重巡4隻、軽巡1隻、駆逐艦5隻を失っていた。  さらに、撤退戦の立役者となった飛龍もまた潜水艦の雷撃を受けて撃沈され、  日本艦隊は完全に打ちのめされた状態で内地に逃げ帰ることとなったのである。  ハワイ沖での大勝利は、合衆国の世論を熱狂させた。  キンメル長官は新聞各紙によって英雄と持ち上げられ、さらなる勝利を求められる。  そして太平洋艦隊司令部は、勝利の立役者たるパイとハルゼーの両名に  それぞれ前線主力部隊の指揮を預け、次なる勝利を目指して日本軍の最前線であるマーシャル諸島の攻略を命じた。  スプルーアンスは、この段階での逆侵攻作戦は時期尚早と難色を示すが、  日本艦隊主力が消耗している今が最大の戦機というキンメルの主張により、作戦は承認された。  一方日本側では、戦死した嶋田長官の後任として古賀峯一大将が連合艦隊司令長官に就任。  緒戦での敗北によって予断を許さなくなった戦況を前に、古賀は就任早々から正念場を迎えることとなる。  呉の埠頭に立つ彼の眼には、帰港した損傷艦から次々と搬出されてくる負傷者の姿が映っていた。 遠き曙光2「中部太平洋海戦」  ハワイ沖で連合艦隊主力が惨敗を喫している頃、東南アジアではイギリス東洋艦隊が動き出していた。  対する日本軍は陸上基地航空隊による対艦攻撃を企図するが、  東洋艦隊は夜陰に乗じて行方をくらませ、容易には尻尾をつかませない。  その後も陸攻隊は南遣艦隊の巡洋艦を敵戦艦と誤認するなど混乱が続き、日本軍は貴重な時間を浪費する。  十一航艦が空振りを繰り返すうちに、東洋艦隊はマレー北部の陸軍を攻撃するという日本側の予想の裏をかき、  いきなりシンゴラ東方沖の第三艦隊に先制攻撃を掛けて来た。  虚を衝かれた形の第三艦隊は急遽態勢を整えて反撃しようとするが、先制を許したビハインドは大きく、  プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの集中砲火を受け、旗艦金剛は近藤司令長官もろとも轟沈。  続く榛名も多数の命中弾を受けて戦闘力を失い、第三艦隊は危機に陥った。  これを救ったのは、雪辱に燃える十一航艦の陸攻隊だった。  空からの波状攻撃によって東洋艦隊は連携を乱され、大きな隙を作ってしまう。  そこに小沢中将の南遣艦隊が突撃。それぞれ10本近い酸素魚雷を叩き込まれた2隻の英戦艦は、  ひとたまりもなく転覆し、南シナ海の底へと消えていった。  一方、昭和17年2月。ハワイ沖の激闘の余韻覚めやらぬうちに、  パイ中将率いる戦艦部隊とハルゼー中将率いる空母機動部隊がマーシャルに押し寄せた。  対する日本は稼動する全空母を失った状態であり、急遽基地航空隊を増強したものの泥縄の感は否めない。  ハワイ沖で損傷軽微だった艦を中心に再編された第二艦隊もトラックから急行していたが、  マーシャル防衛の成算は未知数の状態だった。  だが、拙速を優先したハルゼーは、直率する第3.1任務群とニュートン少将の第3.2任務群に麾下部隊を二分し、  複数の日本軍拠点を同時に攻撃する方針を採った。  確かにマロエラップとメジュロを同時に壊滅させ、この方針は大きな効果を挙げたが、  ヤルートの第二五航空戦隊が第3.1任務群に向かい、  その一方でクェゼリンの第二六航空戦隊が第3.2任務群と対峙すると、ハルゼーの目論見は暗転する。  不採用を急遽返上して投入された一式陸攻を中心とする日本海軍基地航空隊の攻撃力は米軍の事前の予想を上回り、  50機以上の陸攻の集中攻撃を受けた第3.2任務群は駆逐艦以外の全艦を喪失、ニュートン少将は戦死した。  同じ頃ハルゼー麾下の第3.1任務群も陸攻多数の攻撃を受け、  ヨークタウンは魚雷6本を被弾して沈没、続いて3本を受けたエンタープライズも航行困難となる。  そこに、南雲中将麾下の第二艦隊が迫った。  空母部隊の危機に、パイ率いる第2任務部隊からキャラハン少将麾下の巡洋戦艦群が突進した。  ここに、開戦前から互いにライバルと目されていた日米巡洋戦艦の激突が発生する。  だが、戦闘の展開は一方的だった。  16インチ砲同士の砲戦を想定して同航戦を挑んだキャラハン隊だが、これが裏目に出たのだ。  キャラハン自身は合衆国製16インチ砲にとっては若干遠目の距離で砲撃を開始したつもりだったが、  第二艦隊が保有する伊吹級戦艦の18インチ砲にとっては、これは腰だめ同然の間合いだった。  巨弾に打ち据えられた米艦隊は、次々と被弾炎上。旗艦ユナイテッドステーツもまた、舵を食い千切られた。  敗北を悟ったキャラハンは、行動不能となった乗艦自身を囮として残存艦艇の脱出を図る。  そして太平洋艦隊司令部に対し、日本戦艦が装備する18インチ砲の存在を打電した直後、  ユナイテッドステーツの前部主砲火薬庫を撃ち抜いた一弾によって散華した。  合衆国海軍にとって初めての戦艦の喪失は、それに先立つ空母部隊の壊滅以上にキンメルに衝撃を与えた。  敗北の責任を負ったパイは解任され、新たにフレッチャー中将が戦艦部隊の指揮を執ることとなる。  一方の日本では、ハワイ沖の傷が癒えた戦艦群が戦列復帰し、空母部隊の再建も順調に進捗していた。  だが、待望の新型戦艦の建造スケジュールは遅れがちであり、古賀GF長官の悩みは尽きなかった。 遠き曙光3「南シナ海挟撃」  昭和17年6月、中部太平洋方面からの侵攻が頓挫した合衆国は、矛先を南方へと変えた。  再建されたイギリス東洋艦隊と連携しての共同作戦。目標は蘭印の油田地帯だ。  先鋒となったのは、戦艦4隻、重巡3隻、軽巡2隻、駆逐艦6隻から成るイギリス東洋艦隊だった。  対するシンガポールの南遣艦隊は、重巡5隻、軽巡1隻、駆逐艦10隻の小勢。  連合艦隊は主力から第十二戦隊の戦艦6隻を増派したが、彼らが戦場に到着する前に東洋艦隊はマラッカ海峡に突入した。  シンガポール沖に現れた東洋艦隊に対し、南遣艦隊を率いる小沢中将は海峡出口での一斉雷撃を企図したが、  英軍艦載機隊の妨害に遭い雷撃は失敗。南遣艦隊は駆逐艦2隻を空襲で失う苦しい立ち上がりとなった。  さらに、後続する巡洋艦部隊の砲撃が水雷戦隊を襲う。  旗艦名取に集中砲火を受けて指揮系統を失った第五水雷戦隊は効果的な襲撃運動を行うことができず、  英戦艦部隊の海峡突破を許してしまった。  完全に南遣艦隊を間合いに捉えた15インチ砲弾が重巡部隊に向けられる。  小沢中将が覚悟を固めかけたその時、東洋艦隊旗艦レナウンに16インチ砲弾が直撃した。  第十二戦隊の戦艦部隊が到着したのだ。  旗艦加賀が放った16インチ砲弾は、レナウンの機関系に深刻なダメージを与えていた。  だが、ソマーヴィル大将は怯むことなく、麾下の戦艦群に突撃を命じる。  速力が24ノットまで衰えたレナウンもまた、戦艦群の後尾から進撃を継続した。  反航戦から同航戦に入るまでにバーラムを失ったが、東洋艦隊は果敢な肉迫砲戦を挑んで伊勢と日向に砲撃を浴びせる。  上構に雨霰と15インチ砲弾を打ち込まれた伊勢は主砲塔5基を粉砕されて砲撃能力を失い、  日向もまた艦橋と煙突を蹴倒されて航行困難となり、隊列から脱落した。  一方、距離を詰めたことによって日本側の砲撃も精度を増していた。  長門と陸奥の砲撃はヴァリアントに10発以上の16インチ弾を直撃させて上構の大半を爆砕。  加賀と土佐もまた、マレーヤに大火災を発生させていた。  残るは手負いの旗艦レナウンのみ。南遣艦隊の勝利は動かないかに見えたが、そこに新たな艦影の接近が告げられた。  米太平洋艦隊の先遣隊だった。  レキシントン級戦艦4隻、ブルックリン級大型軽巡4隻を擁する太平洋艦隊前衛隊の陣容は、  この戦場においては決定的と言える強力なものだった。  たちまち、落伍していた伊勢と日向が次々と16インチ砲弾を受けて洋上に停止する。  南遣艦隊は加賀・土佐と最上・三隈を救援に振り向けたが、この戦力の投入は中途半端なもので、  不利な戦闘を強いられた分遣隊は逆に押し捲られて三隈を撃沈され、土佐も大破炎上する醜態を晒した。  だが、分遣隊は押されながらも果敢に反撃し、コンステレーションに必殺の一撃を見舞っていた。  瀕死の土佐が放った16インチ砲弾が、コンステレーションの前檣楼を直撃。続いて酸素魚雷2本が、下腹を深々と抉った。  指揮系統の麻痺によって対処指示が遅れたコンステレーションは、火災の延焼を食い止められずに弾薬庫に引火。  巨大な火柱が、シンガポール沖の中天を舐めた。  そこに、レナウンに止めを刺した長門と陸奥が急行してきた。  主力艦隻数で3対3の互角に持ち込んだ日本側は、隊列を組みなおして再度の砲撃戦を挑む。  前衛隊を率いるフレッチャー中将は、8ノットに及ぶ速力の優位によって日本艦隊の頭を抑えにかかったが、  小沢中将はその誘いに乗らず敢えて丁字砲戦を受けてたち、各艦の前部砲塔だけでの応戦を命じた。  この方針は、古参艦を揃えた日本側のメリットを最大限に活かすものとなった。  どっしりと腰を据えて放たれた16インチ砲弾が、次々とレキシントン級の隊列を捉える。  加賀に狙われたレンジャーは艦首を吹き飛ばされて大傾斜を生じ、コンスティテューションは陸奥の砲撃により初弾轟沈。  旗艦サラトガもまた、中央部に多数の命中弾を受けて沈黙。ここに海戦の勝敗は決した。  マーシャル沖に続く艦隊決戦の勝利に沸き返るGF司令部。  だが、その直後に凶報が届く。  バリクパパン石油基地が艦砲射撃を受けて壊滅。さらにマカッサル海峡を哨戒中の呂号潜が、北上する大艦隊を目撃した。  急遽行われた航空偵察で判明した数は、戦艦16隻、重巡7隻、駆逐艦20隻。  キンメル長官率いる太平洋艦隊主力が、ついに姿を現したのだ。 遠き曙光4「鋼鉄の墓標」  セレベス海をまっすぐ縦断した太平洋艦隊主力は、まずタウイタウイ基地に襲い掛かった。  同地には哨戒艇と敷設艦を中心とした警備部隊に加えて、軽巡天龍と龍田で構成される第十四戦隊が駐留していたが、  重巡部隊と駆逐艦部隊に圧倒され、さらに戦艦からアウトレンジでの砲撃を受けてひとたまりもなく壊滅。  行きがけの駄賃で水上機基地を砲撃した太平洋艦隊は、そのままボルネオ島の北を回って南シナ海に突入した。  航路選択からして、目標はブルネイ。  連合艦隊は急遽、集結地の海南島から第一艦隊の主力を出撃させた。  29ノットの全速で追撃に掛かった第一艦隊は、ブルネイ北方沖150海里の地点で太平洋艦隊主力を捕捉。  索敵機の報告で日本艦隊の接近を悟ったキンメル長官は全艦隊に反転を命じ、  日米両艦隊は真っ向から激突することとなった。  戦闘の口火を切ったのは、日本艦隊の先陣を務める第四戦隊の一斉射撃だった。  3万5千ヤードの超遠距離から放たれた巨弾は、偶然にも太平洋艦隊旗艦サウスダコタを初弾で挟叉。  動揺する幕僚達を尻目に、キンメルは悠然と麾下の艦隊に突撃を命じた。  お互い一気に距離を詰める両艦隊。  砲戦距離はあっという間に2万5千ヤードを割り込み、砲撃の精度は格段に増していった。  最初の命中弾は、太平洋艦隊の隊列中央部を進む第3戦艦群に生じた。  ウェストバージニアとワシントンに第四戦隊の砲撃が炸裂。18インチ砲弾の破壊力は絶大だった。  だが、大きくよろめいて隊列から脱落する2隻を打ち捨てて米艦隊は突進を継続する。  距離が2万2千ヤードに達したとき、米艦隊の砲撃が決定的な一撃を出した。  サウスダコタ級戦艦の放った高初速の16インチ砲弾が第一戦隊を捉え、尾張と駿河の横面を強かに打ち据える。  後続の第三戦隊にも命中弾が相次ぎ、赤城が射撃指揮所と後檣を相次いで撃ち抜かれて沈黙、  愛宕も10発以上の16インチ砲弾を被弾して大火災と速力低下に見舞われた。  キンメルの狙いは、まさにこれだった。  速力で劣る米艦隊は、戦闘距離を自由に決定する権利を失う可能性が高い。  ならば、お互いが突進することが確実な最初の一航過で可能な限り距離を詰め、  自軍の戦艦隊がもっとも得意とする2万ヤード前後の間合いで一撃に勝負をかける。  反航戦の間にメリーランド級2隻に加えて、インディアナとアイオワが大被害を受けて隊列から落伍したが、  米艦隊もまた第三戦隊に猛攻を加え、天城に速力低下、高雄に前部主砲塔使用不能の被害を与えた。  古賀長官は、ただの一撃で麾下兵力のほぼ半数が戦闘力を奪われたことに衝撃を受けていた。  さしあたり被害の大きい第三戦隊に後退を命じ、第一戦隊と第四戦隊の快速を活かして、  反転してくる米戦艦部隊に丁字砲戦を強要する方針を固めるが、  その直後に米軍の水雷戦隊が、第六戦隊の防戦を突破して第三戦隊に襲い掛かった。  彼らを食い止めるべき第一水雷戦隊は、米軍の重巡部隊に拘束されて動くことができない。  至急報を受けた古賀は急遽戦艦部隊を反転させようとするが、  急転回で動きの鈍った日本艦隊に米旧式戦艦群が突進し、第一戦隊に14インチ砲弾の雨を降らせた。  既に中破していた尾張はこの一撃で止めを刺されて横転、続いて紀伊が艦橋への命中弾で指揮系統を失う。  さらに、反転した米艦隊主力が、戦場の只中に取り残された第三戦隊に迫る。  GF司令部が敗北の予感に戦慄したとき、米艦隊の隊列が大きく乱れた。  一足遅れて台湾を出撃した第三艦隊が、戦場に到着した瞬間だった。  戦況を変える一撃を米戦艦部隊に見舞ったのは田中頼三少将率いる第十一戦隊の重雷装艦群だった。  補助火力の低下した米戦艦の防戦を衝いて必中距離で放たれた酸素魚雷が、サウスダコタ級に次々と炸裂する。  4本を続けて被雷したマサチューセッツが海面に倒れ伏し、旗艦サウスダコタも大傾斜。  この雷撃は1万メートル以上の距離を駆け抜け、後方で孤立していたワシントンを轟沈させた。  のた打ち回る米戦艦の隊列に、水雷戦隊を前衛とした比叡と霧島が迫る。  第一戦隊を叩いて意気挙がっていた旧式戦艦部隊も、直後に第四戦隊の怒りの猛砲撃を受けて大被害を出していた。  新手の登場と、それに伴う麾下部隊の大混乱に作戦成功の見込みが失せたことを悟ったキンメルは、全軍に退却を命令。  追撃で次々と打ち減らされた米艦隊は、脱出に成功したときには出撃時の半数にまで勢力を減じており、  その中にキンメルと旗艦サウスダコタの姿はなかった。  残存部隊の指揮を任されたスプルーアンスの脳裏には、  退艦を求める幕僚の手を振り払って、力尽きた旗艦と運命を共にしたキンメルの姿が焼きついていた。  南方作戦の失敗により戦艦12隻を失い、開戦時に確保していた戦力面での優位を失った合衆国は、  内南洋方面を戦略重心として腰を据えた長期戦の覚悟を固めた。  一方、日本側も戦艦6隻の損失は決して楽観できるものではなく、新型戦艦の建造を急ピッチで推進する。  講和を模索する動きもまた生まれていたが、その努力が実を結ぶには時間が掛かりそうだった。 海の牙城1「バトル・オブ・マーシャル」  昭和18年。  日米の戦いは、マーシャルを最前線に散発的な航空戦と航路護衛戦を中心とした睨み合いを続けていた。  この膠着状況を打開すべく、米軍は新鋭艦を中心とした高速艦隊によるマーシャル攻撃作戦「スティンガー」を計画する。  ハワイの情報部が日本軍の通信状況を解析した結果、トラックに常駐する主力艦隊のローテーションの一瞬の隙を発見したのだ。  今なら、日本艦隊の主力を各個撃破することができる。  だが好機を活かすためには、巡航速力の遅い旧式戦艦を随伴していては間に合わない。  急遽、ウィリス・リー中将麾下の第3艦隊より高速艦が選抜され、第34任務部隊として出撃命令が下された。  新長官として南雲忠一大将を迎えたばかりの連合艦隊司令部は、まさに虚を衝かれた格好となった。  このような場面において真っ先に即応を期待できる戦力である第二艦隊と第三艦隊は、  その主力艦の殆どが整備補修のため内地に帰還中だったからだ。  現時点で対応可能なのは、トラックに居残っている第一艦隊のみ。  しかも、屋台骨である紀伊型戦艦で編成された第二戦隊を欠いている。  これに対して、報告によれば来襲が予想される米艦隊は9隻もの新型戦艦で構成されているという。  手元の戦艦は、大和・武蔵・加賀・長門・陸奥の5隻。  これに加えて16インチ砲連装3基を搭載した巡洋戦艦の剣と白馬が加入していたが、劣勢は否めない。  新生GFは、いきなり緒戦を逆境で迎えることとなった。  決戦海面に現れた日本艦隊は、5隻の戦艦で単縦陣を組んでいた。  2倍の数の優位を見た米軍指揮官のスコット少将は勝利を確信する。  ミズーリ級中心の高速部隊が日本艦隊の頭を抑え、ルイジアナ以下の主力部隊が横合いから射撃を加える布陣は、  日本側の対応火力を分散させつつ集中砲火を加えて一気に撃破できる必勝の態勢だった。  しかし、第一戦隊を構成する大和と武蔵の防御力と破壊力は、彼の想像力を遥かに上回っていた。  真っ先に第一艦隊の鼻面を押さえて大和に集中射撃を浴びせた高速部隊だが、  10発近い16インチ砲弾を叩き込まれても大和の戦闘力はまったく衰えず、  それどころか防御の薄いレキシントンをただ1発の命中弾で爆沈される始末だった。  逆に日本側は、新型戦艦(レキシントンの誤認)を一撃で仕留めた事により、大いに意気挙がったのである。  スコット少将の誤算はさらに続く。  高速部隊が早々に敗退したために彼我の体勢は正面切っての同航戦の殴り合いとなり、  2倍の優位にあったはずの戦力比は同数にまで縮まってしまった。  さらに、巡洋艦部隊から悲鳴のような至急報が飛び込む。  剣と白馬が米艦隊の補助艦艇部隊に襲い掛かり、16インチ砲弾の雨が重巡部隊に降り注いだ。  わずか数十分の間に、巡洋艦部隊はバルチモアとボストンを続けざまに失い、  手数を武器に挑んだ大型軽巡部隊は水雷戦隊の一斉雷撃を横合いに受けてコロンビアとヘレナを沈められ、  旗艦クリーブランドも酸素魚雷2本に下腹を抉られて大破漂流状態となった。  スコットはなおも諦めず水雷戦隊による反撃を目論んだが、第十一戦隊の重雷装艦が一斉雷撃を行ったことにより、  米駆逐艦隊は撃沈5隻、撃破8隻という被害を瞬時に受けて壊滅した。  形勢逆転の望みが失せたことを悟ったスコットは、全軍に撤退を命令。  第34任務部隊は、戦艦3隻、巡洋艦5隻、駆逐艦12隻を失う惨敗を喫した。  敗報を受けたニミッツ長官は、日本海軍が以前にも増して侮りがたい実力を備えつつあることを痛感した。  中部太平洋侵攻作戦は急遽見直しが図られることとなる。  一方日本側は、これによって稼いだ時間を活用し、新造艦の艦隊編入と戦力化を急ピッチで進めつつあった。 海の牙城2「サイパン沖海戦」  昭和19年6月。  日本軍が明け渡したマーシャルを無血占領した米海軍は、  満を持してマリアナ諸島攻略作戦「ウルバリーン」を発動した。  攻撃を担当する第5艦隊は、開戦時の参謀長を務めたスプルーアンス大将が直率する。  この作戦にあたり、スプルーアンスは艦隊に戦艦を編入しなかった。  再建途上で無理使いを強いられて消耗している戦艦部隊の編制は中途半端であり、  今の段階で18インチ砲搭載艦6隻を擁する日本戦艦部隊とぶつかっても勝ち目は薄い。  ならば、戦艦と直接噛み合わない航空機を主力として戦うのが最上の策だ、というのがスプルーアンスの主張だった。  幸い、彼の麾下にはこの方針に最適の手駒であるエセックス級空母4隻が揃っていた。  さらに、ニミッツ長官からは作戦の延期を奇貨としてさらなる戦力が送られた。  最新鋭の超大型空母「ハワイ」である。  5隻合計の航空戦力は550機。  この数を以ってすれば、マリアナ諸島に展開する陸上航空隊に日本空母部隊が加わったとしても、  十分対抗可能であるとスプルーアンスは見積もっていた。  実際、日本海軍の空母部隊の泣きどころは搭載機数だった。  空母自体の数は揃いつつあったが、その半数以上が軽空母や改装空母。  第三艦隊の6隻の空母の搭載機を合計しても300機足らずでしかなく、  これにマリアナ諸島に展開する基地航空隊を加えてもようやく500機程度。  スプルーアンスの読みは、この点において的を得たものだった。  だが、この策が真に効果的だったのは、日本軍では米軍が戦艦を主力に攻め寄せると予想していたことだった。  戦場が空に限定されたことで、サイパン近海に遊弋する第一艦隊と第二艦隊は、事実上の遊兵と化してしまったのだ。  急遽本土から第三艦隊を呼び寄せたものの、当面は十一航艦が保有する150機の陸攻だけが防衛兵力の全てだった。  その十一航艦は二年前の実績を自信として勇躍米空母部隊に挑みかかったものの、  警戒レーダー網と新型戦闘機F6Fによる重厚な防空網の前に旧式化した一式陸攻は次々と撃墜され、  たった一度の出撃で134機中91機が未帰還となる壊滅的な損害を出す。  基地航空隊を退けて制空権を握った米艦隊は、続いてグアムの航空基地に猛爆を加えた。  陸軍航空隊を中心とした迎撃戦闘機隊も奮戦したが、数にものを言わせた制空隊に押し切られ、  グアム航空基地は使用不能と判定される被害を受ける。  後顧の憂いを断った第58任務部隊は、続いてサイパンとテニアンへの攻撃に取り掛かろうとしたが、  その前夜、夜闇を衝いてスプルーアンス麾下の第58.1任務群に突進してくる一群の艦影があった。  サイパン沖で遊兵化の憂き目を囲っていた、角田中将麾下の第二艦隊分遣隊だった。  突進する日本艦隊の前に、エインスウォース少将麾下の巡洋艦群が立ち塞がった。  旗艦クインシー以下4隻の重巡と10隻の駆逐艦が、第四戦隊の伊吹型巡洋戦艦に立ち向かう。  果敢な突撃によって第二艦隊の陣形を乱し、時間を稼いでいる間に、総旗艦ハワイ以下3隻の空母は全速で避退を開始した。  そこに、阻止線を突破した能代以下の第四水雷戦隊が迫る。  直衛の駆逐艦が最後の抵抗を繰り広げる中、日本軍駆逐隊による強引な肉迫雷撃が実施され、  ついに第2空母群旗艦のエセックスに酸素魚雷2本が炸裂した。  落伍したエセックスをスケープゴートとすることで残存艦は脱出に成功したものの、  この戦いで第58.1任務群は空母1隻と重巡2隻、駆逐艦4隻を失い、残る空母も損傷により戦闘力を失った。  戦力の半数以上を失った米艦隊は、第三艦隊との戦闘を避けてマリアナ攻略を断念し、退却した。  第5艦隊の敗北は、やはり海戦において戦局を決定付けるには戦艦が不可欠であるとの戦訓をもたらす。  また、空母の攻撃半径は対地作戦において有力であるとの分析も為され、空母部隊も一層の拡充が図られることとなった。  本国の工廠で次々と竣工するルイジアナ級戦艦とエセックス、ハワイ両級の空母。  それらが前線に顔を見せたとき、米軍の本格的な攻勢が開始されることは明らかだった。  一方の日本側も航空部隊の再建と拡充に力を注ぎ、決戦に向けての戦機が熟していくこととなる。  横須賀工廠では、それを象徴する存在、新造戦艦信濃が竣工のときを迎えていた。  そして起死回生の逆転を狙う策もまた、着々と練られつつあった。 海の牙城3「本土強襲」  昭和19年12月。  アリューシャン諸島ダッチハーバーに、その開港以来最大の艦隊が投錨していた。  「アトラス」作戦の元に編成された、第3艦隊司令長官ハルゼー大将直率の第38任務部隊だ。  旗艦ハワイと同型艦アラスカを筆頭に、エセックス級空母7隻、マニラ・ベイ級空母10隻の航空兵力を中核とし、  護衛の戦闘艦艇としてミズーリ級戦艦4隻、重巡9隻、軽巡10隻、駆逐艦80隻を擁する。  一方真珠湾には、雪辱戦の指揮を任されたスプルーアンス大将麾下の第5艦隊が出航しようとしていた。  第二次マリアナ攻略作戦「ドラグーン」。  準備された艦艇は、ルイジアナ級6隻を含む戦艦16隻、空母10隻、重巡8隻、軽巡14隻、駆逐艦80隻。  合計で戦艦20隻、空母29隻、重巡17隻、軽巡24隻、駆逐艦160隻という空前の大艦隊が、  日本の二つの防衛要衝──絶対国防圏の要マリアナと帝都東京を目指す。  一方、防衛線を後退させたことによって反撃密度の向上を狙い成功を収めた日本だが、  米海軍の布陣を見抜けずにマリアナに戦力を集中してしまう。  結果、マリアナの守備兵力は伊吹型4隻をはじめとする戦艦15隻、空母6隻、重巡6隻、軽巡8隻、駆逐艦59隻という  攻め寄せる第5艦隊にも劣らない重厚なものとなったが、内地はガラ空きも同然の状態だった。  千島方面を哨戒中の陸攻が第38任務部隊を発見したとき、大本営では蜂の巣をつついたような騒ぎが起きた。  直ちに北海道から東北方面の航空隊に攻撃命令が出されたが、  400機もの新鋭機F4Uで固められた米艦隊の迎撃網は重厚を極めていた。  旧式機が中心の攻撃隊は次々と撃墜され、青森の第252航空隊に至っては、  出撃した零戦26機、九九艦爆35機、九七艦攻27機が全て未帰還となる一方的な被害を出す。  各地の陸軍航空隊も攻撃隊から多数の被撃墜機を出し、さらには大湊軍港と三沢航空基地が爆撃されるに及び、  北日本方面の迎撃網は完全に破綻した。  GF司令部ではマリアナ方面の第二艦隊を呼び戻すべしとの声が幕僚から噴出するが、南雲長官はこの声を退けた。  マリアナ方面の敵が上陸部隊を伴っている以上、決定力として主力艦隊を投入しなければ撃退はできない。  逆に、本土に来襲した敵の目的が攻撃任務であると判っている以上、対処の方法はある。  そう説明して、南雲は横須賀で最終調整中の信濃から全ての工員・技術者を退艦させるよう命じた。  その頃、マリアナでは第二艦隊と第58任務部隊の死闘の火蓋が切られていた。  手始めに、半年前の大被害から再建されて新鋭陸爆の銀河を揃えた十一航艦が先制の夜間攻撃を目論むが、  米軍はF6F艦戦の夜戦型を投入してこれを迎撃。  十一航艦は出撃44機中27機未帰還の被害を受け、またしても完膚なきまでに叩きのめされた。  続いて、夜明けと同時に第三艦隊の空母飛行部隊が米艦隊に襲い掛かる。  新鋭艦戦・紫電と新鋭艦攻・流星の猛攻はさしものF4Uを以ってしても止められず、  空母群旗艦グアムの飛行甲板に500キロ爆弾6発が次々と炸裂。  さらに、続いて3本の魚雷が右舷に集中して炸裂した。  黒煙と炎を吐いてのた打ち回る巨艦の姿を見て、攻撃隊指揮官は撃沈確実の無電を発する。  一方、折り返し放たれた米軍の攻撃隊も第三艦隊に到達した。  F4U66機、TBF33機に新鋭艦爆BT2D35機を加えた136機の攻撃隊が空母部隊に群がる。  確認された空母の数から想定した2倍の敵機に襲われた第三艦隊の直掩隊はこれを防ぎきれず、  日本側は祥鳳を撃沈され、翔鶴と飛鷹が艦載機発着不能の損傷を負った。  さらに、戦爆雷連合100機以上の第二波が電探に捉えられる。  間の悪いことに、このとき日本側の第一次攻撃隊が帰還途上にあり、米軍機来襲と着艦作業が重なる恐れが出てきた。  だが、第三艦隊司令長官の大西中将は動じなかった。  日本側の攻撃機は全て、空戦性能を有する流星に更新されていたからだ。  帰還した攻撃隊は、ちょうど突入態勢にあった米軍機編隊に大挙して襲い掛かり、20機以上を撃墜することに成功する。  陣形を乱された米軍機の攻撃は精彩を欠き、日本側は炎上漂流中の翔鶴に止めを刺されたものの、それ以上の損害を免れた。  辛うじて敗勢を食い止めた日本側だが、基地航空隊、機動部隊とも一時的に攻撃力を失い、航空攻撃が不可能となる。  米軍も、空母被弾による損害に加えて、翌日以降の対地攻撃に備えて攻撃機を温存する必要に迫られており、  日本空母を攻撃する余力はなかった。  こうして航空戦が互いに決定打を出せずに終息したことにより、戦闘は水上艦隊戦へと移行する。  だが、事前の予想に反して戦闘は一方的な展開となった。  第58任務部隊の戦艦群はクラス毎に全て主砲の規格が異なっていたために砲撃緒元の統一が取れず、  頼みの綱のルイジアナ級戦艦は、艦隊編入を急いだことが祟って練度不足でまともに砲撃が当たらない有様。  おまけに戦場のロケーションは、強力な水雷戦力を保有する日本海軍の十八番ともいえる薄暮から夜間の砲雷撃戦。  1時間ほどで水上戦闘の趨勢は決し、日本軍は3隻、米軍はルイジアナ級2隻を含む7隻の戦艦を失う。  巡洋艦以下の損害も決して無視できるものではなく、スプルーアンスは損傷艦の救援を済ませると早々に戦場を後にした。  空母戦、水上戦と続けて凱歌を挙げた日本艦隊は、米艦隊が去ったことを確信し、本土を救援すべく北上の途につく。  だが、それを遥か彼方の空中から観察している者がいた。  エニウェトク基地を発進した、大出力電探搭載型のPB4Y哨戒機だった。  第5艦隊司令部に届けられる一通の電文。  旗艦インディアナポリスの艦上で、スプルーアンスは「これで我々の勝ちだ」と満足気な笑みを浮かべる。  そのことを、日本海軍の誰一人として知る由もなかった。 海の牙城4「帝都攻防戦」  大湊・三沢に続いて釜石に空爆と艦砲射撃を見舞った第3艦隊は、  艦載機と燃料・弾薬の補充を済ませると、そのまま福島沖を南下して日立を目指していた。  だが、そこにマリアナ方面の第5艦隊が大きな損害を受けて撃退されたとの至急電が飛び込む。  この報に接したハルゼーは、「レイ、うまくやったな」と笑うと、日立攻撃の中止を命じた。  替わって、東京・横須賀と並ぶ攻撃目標として伝えられた都市の名前に、幕僚たちが色を失う。  それは、九十九里の海岸線から百キロ近い内陸だった。  命令によって銚子北東の沖合いに展開した米空母部隊に、陸海軍選抜の夜間攻撃隊が空襲を仕掛ける。  夜間戦闘機仕様のF6Fと対空射撃レーダーはここでも猛威を奮い、  一頻り暴風雨のような弾幕が吹き荒れた後、海面には墜落した機体が上げる炎と無傷の艦隊が残された。  そして12月8日。  グアム島各地の航空基地が、撃退したはずの米軍艦載機による攻撃を受けた。  続いてテニアンとサイパンの航空基地にも攻撃が行われ、さらにグアムには海兵隊が上陸を開始する。  通常の空母であれば撃沈しておかしくないだけの爆弾と魚雷を浴びてなお、ハワイ級空母の戦闘能力は健在だった。  後方に控えていたマニラ・ベイ級補助空母より搭載機の補充を受け、一旦後退すると見せかけて夜の間に引き返してきたのだ。  報告を受けて愕然とする第二艦隊司令部。  角田長官は取るものも取り敢えず引き返そうとするが、  油断もあいまって完全に機先を制されたマリアナの航空部隊は第一撃でほとんど無力化され、  嵩に掛かった米軍は新型戦艦部隊を前進させて艦砲射撃まで敢行した。  ここで、第三艦隊の大西長官から一計が具申される。  本土近海に出現した敵艦隊は空母が中心であり、第三艦隊を投入したほうが有効な戦力となりうる。  一方でマリアナに再来した敵は上陸部隊と戦艦部隊を中核としており、  第二艦隊を分離して引き返しても打撃を与えられるのではないか。  角田長官は、この賭けに乗った。  麾下兵力の中から水上戦闘に耐えられないと判断された損傷艦に護衛を付けて分離すると、  戦艦8、重巡3、軽巡5、駆逐艦22を率いて直ちにマリアナへと反転する。  大西中将麾下の第三艦隊は、空母3、重巡1、軽巡2、駆逐艦10を引き連れて本土へと進撃を継続した。  一方、日本近海。  払暁に南関東方面へ飛ばした偵察機が、「日本軍戦艦出航せり」の情報をもたらした。  「ヤマト・クラスだ。3番艦がもう完成していやがったか」  そう呟いたハルゼーは、先行させていた前衛隊への命令を切り替える。  「横須賀への艦砲射撃は中止。TG38.3は出航したヤマト級戦艦を捕捉し、撃沈せよ」  指示を受けたリー少将は雪辱に燃えた。  マーシャル沖での敗戦の責を問われ、第3艦隊司令長官を更迭されてから1年。  ようやく、その汚名をそそぐ機会が巡ってきたのだ。  ミズーリ級戦艦4隻、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦16隻を率いたリーは、勇躍浦賀水道を目指して進撃した。  その頃、鹿島灘の空母部隊からは戦爆雷連合数百機の攻撃隊が出撃していた。  沿岸監視哨からの報告を受けて、第三航空艦隊が新鋭局戦・陣風を、第十飛行師団が四式戦闘機・疾風を繰り出す。  制空隊のF4Uとの戦闘はまったくの互角となり、総武地区上空では激しい空中戦が繰り広げられた。  その乱戦の只中を衝いて攻撃機が舞い降り、地上施設に爆弾を叩きつける。  防空部隊は一進一退の攻防を繰り広げていたが、香取基地が滑走路に被弾したのをきっかけとして、  東関東上空の制空権は米軍有利に傾いた。  その隙を衝いて、米艦隊は切り札ともいえる二の矢を繰り出した。  2隻のハワイ級空母に各1個飛行隊だけ搭載されていた、最新鋭のF8B高速戦闘爆撃機だ。  各機2トンの爆弾を抱えた攻撃隊が全速で目指した先は、武蔵野の中島飛行機発動機工場。  爆撃は見事に成功し、日本陸海軍の生命線とも言える高出力発動機の生産ラインが炎に包まれる。  そして、制空権が米軍の手に帰した帝都上空に米空母からの第三次攻撃が迫った。  噴進戦闘機・火龍が戦闘加入したのは、そのタイミングだった。  時速850キロの高速で突撃した飛行隊は制空隊を追い散らし、裸になった攻撃機に疾風が食らいつく。  東京港と工場地帯への爆撃を狙っていた攻撃隊は投弾前に大きく態勢を崩され、有効弾を得ることができなかった。  一方で横須賀への攻撃は効果を挙げ、工廠施設や軍港、建造中の艦艇を中心に大きな被害が生じる。  だが、当初最大の攻撃目標とされていた信濃は外海への脱出を完了していた。  リー少将率いるTG38.3は、野島岬沖で一群の艦艇に行く手を阻まれる。  南雲GF長官の座乗する信濃が、重雷装艦由良、軽巡矢矧と駆逐艦7隻を率いて待ち構えていたのだ。  双方の補助艦艇群が一斉に突撃する中、戦闘の火蓋は切られた。  浦賀水道の入り口に立ち塞がった信濃に対し、ミズーリ型4隻掛かりの16インチ砲弾が叩き込まれる。  レーダー管制を併用した米艦隊の射撃精度は高く、第二斉射にして信濃には2発の直撃弾が生じた。  だが、信濃は2万5千メートルで放たれた16インチ砲弾を主砲前楯と舷側装甲で悠々と弾き返し、  水煙の中から反撃の18インチ砲弾を放つ。  飛来した砲弾は米戦艦群の先頭を進むウィスコンシンの頭上で立て続けに炸裂し、無数の弾子が降り注いだ。  同時に、ウィスコンシンのレーダーの大半がブラックアウトし、隊内通信も不通となる。  この戦いに備えて用意された秘策、三式榴散弾による目潰し射撃だった。  混乱するウィスコンシンに構わず残る3隻が射撃を継続するが、信濃の続く射撃は後続のケンタッキーの頭上で炸裂。  今度も三式弾の弾片がレーダーアンテナを引き千切り、ケンタッキーもまた電子の目を奪われる。  さらに3番艦のニュージャージーが目潰しを食らった頃、ようやく米軍の射撃も信濃に有効打を与え始めるが、  再び砲撃をウィスコンシンに向けた信濃は一撃でウィスコンシンの艦尾を吹き飛ばし、全ての推進器と舵をもぎ取った。  それでも、リー少将はまだ冷静だった。旗艦ミズーリのレーダーは未だに正確な射撃諸元を弾き出していたし、  隊列を維持している艦同士はデータリンクによって照準を共有することができていたからだ。  改めて号令一下放たれた16インチ砲弾18発が降り注ぎ、うち一弾が信濃の前甲板に炸裂。  電路を切断された信濃は一番砲塔が使用不能となった。  だが、その寸前に放たれた18インチ砲弾9発は、神懸り的なまでの正確さでケンタッキーを捉えていた。  直撃弾は4発。うち2発が立て続けに前甲板に炸裂し、A、B両砲塔を残骸に変える。  もう1発は艦橋基部を貫いてCICを艦首脳部もろとも消滅させ、最後の1発は後檣楼を根こそぎにした。  艦上あらゆる場所から爆炎を上げてのたうつケンタッキーに、さらにとどめの一撃が向けられる。  18インチ砲弾6発が降り注ぎ、うち1発が艦中央部の一番分厚い舷側装甲を破って罐室で炸裂。  高圧ボイラー複数と副砲弾薬庫がまとめて爆発し、ケンタッキーは中央部から二つに折れて沈んでいった。  TG38.3の受難は続く。  重雷装艦由良の一斉雷撃によって駆逐艦部隊は隊列を大きく崩され、矢矧と夕雲型3隻による追い討ちが混乱に拍車をかける。  その隙に戦艦部隊への肉薄に成功した浜風と磯風が放った魚雷は、うち3本がニュージャージーを捉えた。  彼らは直後に駆けつけたクリーブランド級軽巡の猛射によって叩きのめされたが、  ニュージャージーの被害は既に手遅れで、3000トン余りもの浸水によって生じた大傾斜のために砲戦の継続は不可能だった。  これで残る米戦艦は旗艦ミズーリのみ。しかし、ここに来てミズーリの斉射が信濃に痛撃を与える。  既に彼我の距離は間近に迫っており、大和型戦艦の重装甲といえども長砲身16インチ砲の打撃は防ぎきれなかった。  中央部の装甲を相次いで食い破られて火災が発生した上に、  主砲射撃指揮所、二番砲塔測距儀、と相次ぐ打撃により、信濃の砲戦能力は激減してしまう。  さらに、続く斉射は前檣楼上部の副砲射撃指揮所付近に2発連続で直撃。炸裂時の爆風と破片が昼戦艦橋を包み込んだ。  同時に、信濃もクロスカウンターの形で斉射を放っていた。  直撃弾は1発だけだったが、これがミズーリの前檣楼頂部を吹き飛ばし、射撃管制系に大ダメージを与える。  既に2隻とも大破と言ってよい状態だが、互いに退けない信濃とミズーリは、接近しながら巨弾を叩き付け合った。  そして彼我の距離が5000メートルを切る頃、このチキンレースは相討ちの形で決着する。  艦首から艦橋周辺にかけて10発近い18インチ砲弾と複数の魚雷を受けたミズーリは激しく炎上しながら沈みつつあり、  麾下の戦艦全てを失ったリー少将は作戦中止を命じ、随伴の駆逐艦に移乗していた。  一方の信濃も、ダメコンの失敗から舷側副砲弾庫の誘爆に見舞われたことが決定打となり、副長によって総員退艦が発令される。  続々と将兵が退艦していく中、先の艦橋上部への被弾により致命傷を負っていた南雲長官は、  敵艦隊が撤退しつつあることを見届けて艦上で帰らぬ人となった。  同じころ、帝都上空の航空戦も日本側有利のまま決着しようとしていた。  北日本から延々と転戦を繰り返したTF38は予備機・弾薬とも底を突いており、攻勢の勢いに翳りが見えていた。  さらに、転進してきた第三艦隊が放った攻撃機がピケット艦のレーダーに捉えられる。  幸い大きな被害はなかったものの、この状況で日本軍の増援まで現れたとあっては、ハルゼーも作戦続行は断念せざるを得なかった。  こうして帝都への決定的な攻撃を退けた日本軍だが、防空戦闘機隊のみならず陸上施設の被害も大きいものだった。  特に武蔵野の中島飛行機工場の被害は深刻で、今後の日本の航空機生産に大きな支障が発生することは避けられそうに無い。  信濃に乗り込む南雲長官から内地の指揮を預けられ、結果的に連合艦隊の指揮を代行することになった小沢中将は、  ここで戦争の決着を付けるべくハワイへと送り出された別働隊の作戦成功を願わずにいられなかった。 海の牙城5「真珠湾の凱歌」