註:黄色は三人称、緑色は一人称でザッピングしています
「レイデン・イリカル……」
「リリカル・マジカル……」
「厄災なる氷河……」
「その流れを止めて……」
『在るべき場所に……居るべき場所に……!』
道場での鍛錬を一通り終えて少し身体を休めていると、いきなり強い揺れが襲ってきた。
「地震か……でかいな」
「ちょっと、家の中、見てこないと……とっとっ……わぁっ!?」
美由希が立ち上がろうとしてよろめいたそのとき、一際大きな揺れが起きて。
「なっ!?」
「恭也さん!」
「きょ、恭ちゃん!? ……むぎゅっ!」
すぐ目の前で、衝撃波を伴った強烈な閃光がはじけた。
「あいったぁ……」
最後の大きな揺れでモロにバランスを崩し、道場の床と熱烈なキスを交わしてしまった美由希が鼻を抑えながら顔を上げると、目の前で見知らぬ女性が尻餅をついていた。
「え……? えっと……どちら様でしょう?」
思わず口をついて出る、間の抜けた台詞。そこまで言ってから、ようやく相手の様子に気付いた。ちょっと肩幅が余り気味の黒いカッターに、こっちは腰周りのきつそうなブラックジーンズ。こんな格好をした人間が、つい一瞬前まで目の前にいたってことは……
「ひ、ひょ、ひょっとして……きょ、恭ちゃん?」
「美由希、ひょっとしても何も……」
そこまで言ってから、相手もようやく自分の身に起きた異変に気付いたらしく、沈黙。
そのとき、ようやく我に返った那美が、
「き……きゃぁぁぁっ!?」
と悲鳴をあげ、同時に
「ど、どうしたんですか、今の光!?」
と叫びながら晶が道場に駆け込んで来て、一瞬の硬直の後にこれまた沈黙した。
「さて……どうしたもんかな」
恭也の台詞が妙に間抜けに聞こえたのは、声質がソプラノに変わってしまっていたせいだけではなかったに違いない。
──場所は変わって、藤見台の丘。
「クロノくん……どうしたの?」
「え? あぁ……さっき『ヒドゥン』に魔力をぶつけたときね……ちょっと、力の余波が変な方向に流れたものだから」
「えっ!? まさか……その、ひょっとして、失敗とか……?」
「あぁ、いや、そんなのじゃないよ。少なくとも二つの世界に迫っていた危機は完全に回避できたし……それに、大きな不幸が起きるようなことにはなってないはずだ。成功だよ」
「よかったぁ……わたしのせいでうまくいかなかったら、どうしようかと思っちゃった」
「うん……本当によかった」
全然よくなかったことは、この数十分後に判明する。
「なんや、どないしはりましたか、那美さん!」
「何かあったのか」
ダイニングにいたレンと美沙斗さんが、悲鳴を聞きつけてどやどやと駆けてきた。
「き、き、き、恭也さんがぁっ……」
道場の入口から、那美が泣き出しそうな顔を見せる。
「なんやてっ、お師匠! 大丈夫ですか!」
次の瞬間、道場に飛び込んだレンと美沙斗さんの目が丸くなった。それはまあ、突然見知らぬ女の子が、いる筈のないところに現れればそうなるだろうが。
結局、翠屋にまで連絡が飛んで、かーさんとフィアッセが急遽駆けつけてきた。予想されたこととはいえ、俺の姿を一目見るなり、二人とも信じられないものを見たという顔。
……で。今はみんな一応落ち着きを取り戻して、こうやって高町家のリビングに集まっているわけだが。
「はー。あのお師匠が、こないな美人さんに変わってまうとはー……びっくりですー」
レンの正直な感想。それはまぁ驚くだろう。俺だって驚いた。
しかし……
「うぅ……ずるいよ恭ちゃん。私よりずっと女の子らしくなっちゃうなんて……」
……論点がずれてはおらんか? 妹よ。
「とにかく、これからどうするか考えなきゃね」
フィアッセの言う通りだ。そもそもこの現象の原因はおろか、一時的なものなのかどうかも解っていないのだから。
「とりあえず、一日待ってみて……戻らなかったらフィリス先生のところにでも相談に行ってみる?」
病院に行ってどうにかなるものとは思えないが、今はかーさんの意見が一番常識的なセンかもしれない。
しかし……長い一日になりそうだな。
そのとき。
「ただいまーっ」
「お邪魔しますー」
一同が、はっとした表情になる。一番説明の難しい相手が残っていた。
「おかーさーん、紹介したい人がいるんだけど……」
そう言いながらリビングのドアを開けたなのはの足が、はたと止まる。
「あれ? お客さま?」
「なのちゃん、実は……」
気まずい空気の中、最初に口を開いたのは晶だった。
「ええええええ!!!!」
ご丁寧にバンザイの格好で驚くなのは。一同、あぁやっぱりねという表情。
「くくく、クロノくーん!」
泡を食った様子のまま、なのはが玄関へぱたぱたと駆けていく。
──ほら、よくなかった。
やってしまった。ものの見事に。どうしよう。
クロノの正直な心境だった。
──やっぱり、正直に事実関係全部話して謝るしかないよなぁ。
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結局、事情の説明には30分ほど掛かった。
「へぇ……そんな遠くから」
かーさん、早くも打ち解けに行ってるし。
あのあと、俺の身に起きた現象について説明してくれたのは、クロノ君と母親のリンディさんだった。二人ともこことは違う世界の出身だそうで、二つの世界に迫っていた危機を回避するためにいわゆる「魔法」を使ったのだが……そのとき弾けた「時空の嵐」の余波によって、こんなことになってしまったそうだ。
「──意外と驚かれないんですね」
感心したような表情のクロノ君。
まあ、夜の一族だの化け狐だのHGSだのって、生物学者や物理学者が目を剥きそうな実例を見慣れた身には、たいして驚くようなことでもなかったのだけど。そりゃ、普通の人間なら驚くよなぁ。
「本当に申し訳ありません……このたびは、なのはさんを無断でお借りしてしまっていたうえに、こんなご迷惑までお掛けしてしまって……」
ひたすら恐縮してるリンディさん。それに引きかえかーさんは……
「あらー、そんなに思いつめないでくださいな。別に命に関わるような事故じゃないんですから」
──これだよ。
「ちょっと、びっくりしたけどね」
フィアッセ、苦笑い。
「それに、この子ったらいつも扱いに困るほどの朴念仁だったんですから、これで嫌でも少しは可愛く振舞ってくれると思ったら、かえって感謝したいくらいですよー」
……かーさん……何もそこまで言わなくても。
「……ポジティブな人だね」
「あ、あはははは……」
感心したような、呆れたような表情のクロノと、もう苦笑いするしかないなのは。一方で、リビングの反対側では年少組が密談中。
「つまり……師匠は当分、女の子として暮らさなけりゃならないってことか」
「はぅー……お気の毒に」
「苦労するな……恭也君も」
美沙斗さんも、さすがに恭也への慰めの言葉が見つからない。ところが、
「でも……なんだか贅沢な悩みって気もしますよね、あのスタイル……」
那美の一言にその場の空気が凍りつく。
確かに、女性化した恭也のスタイルは半端でないことになっている。胸など、男だったときの胸囲をそのまま持ってきたのではないかと錯覚するほどの大きさだ。どうサバを読んでも95はありそうだった。
考えてみれば、この一角に集まった面々は揃いも揃ってお世辞にも胸が豊かとは言えない人ばかり。那美が70、晶が66、レンに至っては59だ。多少はふくよか気味な美由希でも84。一児の母である筈の美沙斗さんは、それよりも小さいときている。
「うぅ……希望は捨てないもんっ」
美由希の決意表明。確かに彼女はまだ目があるだろう。
「うぅ、うちは家族揃って小さいです……」
「な、那美ちゃん……あんまり気に病まないほうが」
「あわわ、落ち込んだらあかんですよー」
落ち込む那美。宥める晶とレン。ある意味これも修羅場な光景だった。
「僕達は、他にもこちらに影響が出ていないか調べてみます」
「嵐のかけら」の影響が、恭也だけに現れたとは限らない。他にもこちらの世界に影響をおよぼした可能性もある。クロノとリンディは、それを確かめてからミッドチルダに帰ることとなった。
「わたしも、できるところはお手伝いしますっ」
そもそもの発端となった一撃に関わっているだけに、なのはも真剣そのもの。そりゃぁ、できればこんなことになった不幸な人は、恭也だけに留まった方がいいに決まっている。
そこで、思い出したように桃子がリンディに尋ねた。
「そういえば、こちらでの滞在先は決まってるんですか?」
はっとするリンディ。たしかにこのサイズでは、これまでのようになのはの部屋に居候するのは難しいだろう。
「今までは、なのはさんのお部屋に泊めて頂いていたんですが……クロノが使っている宿があるので、そちらに移ろうかと……」
「あら、それだったらしばらくウチに泊まっていてくださいな」
さも当然のことのように誘う桃子。やはりこの人は家族が増えるのを歓迎するタイプらしい。
「で、でもこれ以上ご迷惑をお掛けするわけには……」
「いーんですよ、これだけの大家族なんだし、それにみんな賑やかなのが好きですから」
「そうそう、いっそのことクロノもこっちに移ってくればいいじゃない」
合いの手を入れるフィアッセ。ここらへんのチームワークは心得たものだ。ダテに長い付き合いをしてはいないというべきか。
「いいんですか?」
クロノも、あまりにトントン拍子で事態が進む様子に呆気にとられた表情。
「俺はべつに構わねーぜ。元々大食らいの多い家だから、一人や二人増えたくらいどうってことねーし」
「右に同じ」
調理担当二人が賛同したことで、インフラ面での障害、消滅。
「恭ちゃんも、いいでしょ?」
美由紀ははなから賛成モード。恭也も、この状況下で反論することの無駄くらいは知っている。
「確かに反対する理由はないな……しても無駄だろうが」
「それじゃ……お世話になります」
「よろしくお願いします」
クロノとリンディが深々と頭を下げ、かくして高町家に新しいメンバーが二人加わった。
──同時にそれは、恭也にとっての悪夢の始まりでもあったのだが。