註:黄色は三人称、緑色は一人称でザッピングしています
……で。試着室の中だから当たり前といえば当たり前なんだけど。
こうしてショーツ一枚で一人で立ってると……なんか、こう自分自身というものに激しく疑問を感じてしまったりする。何で俺は、こんなところにこんな姿格好でこんなものを持って立ち尽くしているんだろう。数時間前までは、ごく普通の男子大学生・兼剣術師範代として鍛錬に励んでいた筈なんだけど。
ふと横を見ると全身の映る鏡まであったりするから、余計始末が悪い。映っているのは見慣れない女の子。なんだか他人の着替えを覗き見しているような気まずさ。当然ながらそれが自分自身なわけだから、さっさと手に持っているブラジャーを着けてしまわないと、この着替えシーンはいつまでたっても終わらないわけで。
父さん、確かにあなたが俺に課した試練の数々は、それは厳しいものでした。命の危険に遭ったことだって一度や二度じゃありませんでした。でも、今の事態は想像の外です。乗り越えられる範囲なんて完全にぶっちぎってくれてます。ここまでのピンチは、俺、生まれて初めてですよ……
──でも、あの人のことだから、今ごろ草葉の陰で腹抱えて笑い転げてるんだろうなぁ。はぁ。
諦めて、いそいそと渡された下着を着けてしまう。いつだか、真一郎さんが言ってたっけ。「心の去勢」って。
……とはいえ、たゆん、と揺れる胸はやっぱり悲しかった。
「恭子ー、着けてみた?」
カーテンの合わせ目から忍が頭を突っ込んでくる……って。
「ぅひぁっ!?」
あ、あの、忍さん? ここ、曲がりなりにも試着室で。で、俺の格好。下。ショーツ一枚。上。半分着けかけのブラジャー。
そりゃぁ俺達二人、一年程前から精神的にも肉体的にもすっかり遠慮はなくなってるし、お互いもっとあられもない姿だって幾度となく目にしてる。身体の中まで知り尽くしたような仲。とはいえ。
これは、さすがにヒドいんじゃないでしょうか。
「し、忍〜っ……」
情けない声を上げてから気付いた。忍の視線。一点に集中している。
……あぁ、そういうことか……
「忍……あんまり見つめないで欲しいんだけど」
「……恭子、ずるい。昨日今日女の子になったばかりなのに……」
と言ってもねぇ。いや、言わんとするところは判るんですけどね。こればっかりは俺自身にもどうすることもできない問題なわけで。それに傷物ですよ?
着けかけだからホールドが十分じゃないんだけど。それでも、胸筋の強さのおかげか重力無視する勢いで「ぷるんっ」と言わんばかりに自己主張してる104センチ(実測者・談)のバスト。これで自分が生粋の女の子なら、少しは誇らしい気分にもなれるのかもしれないけれど、元が男なだけに、もう重いわ揺れ方が気になるわで大変。
それよりも忍。91センチの君が愚痴ったりすると、世の女の子の大半は怒るんじゃなかろうか。
「傷物だとか、私の大きさだとかは関係ないわよ。羨ましいのは一緒だもん」
と言う台詞と共に、にゅっと手が伸びてきた。
こら、掴むんじゃない。
「わ、本物だー」
そりゃ、本当に女の子になってますから。
「……で、忍。いい加減、恥ずかしいんだけど」
「あ、いっちょまえに恥ずかしいんだ」
当たり前です。
「恭也なら気にしないと思ったんだけどなぁ」
いや、それ以前に。女の子が女の子の胸を掴んでる図ってのはどうかと思うし、だいたいそうやってカーテンの隙間から身を乗り出されると外から見えそうなんだってば。
「しょーがないなぁ……」
……だからって試着室の中に入ってきますかこの娘わ。
「えへへ〜♪」
意味深に笑う。何を考えているのやら。
「ねぇねぇ、恭子〜」
妙に甘い声を掛けてくる。こういうときの忍は、絶対に何か企んでるんだけど……
「これ、お揃いっ♪」
やおらそう言うと、黒の上下セットを差し出してくれた。
「私が持ってるのと同じデザインのが見つかったから、ちょっと合わせてみてよ」
忍の期待に満ちたまなざしが痛い。受け取ったのはサイドレースのショーツと、スリークォーターのブラジャー。どっちも、大々的にレースが入ってる……
──父さん、卒倒しなかった自分を誉めてあげてもいいですか?
結局、まずはかーさんとフィアッセが選んだ分を一通り合わせてから、忍が持って来たやつを……なんだけど……これはかなり、デザイン的に着けるのが躊躇われる。
真一郎さん、俺の覚悟なんて全然甘いものでした。まだあなたが到達した領域には到底届きそうにありません……と、こんな覚悟しなきゃならないってのも、それはそれで悲しいものがあるな。
──現実逃避してる場合じゃなかった。とにかくコレを合わせてみないことには、目の前の忍が引き下がらないだろう。とりあえず、派手にあしらわれたデザインに関しては気にしないことにする。落ち着け、高町恭也。これは見た目何の飾り気もないごく普通の下着だ。
そう言い聞かせて、ブラジャーに腕を通した。うぅ、みじめ……
「……わ。すごぉい。恭子、綺麗〜」
忍が感心したような声を上げる。
「でも、ちょっと傷ついてるのが惜しいかな」
前はこんなもんじゃなかったけどね。とりあえず、左右の胸に残った傷痕はうまいこと隠れてくれたけど、他に左肩と脇腹、右の肋骨の下、右太腿、左右腕、と結構見える位置で消えなかったやつも多い。くるっと回りながら鏡で見てみると、背中にもでかい袈裟懸けが残っていた。
……で、それ以前の問題。鏡に映った姿が必要以上に艶っぽいってのがなぁ。過剰なまでに立派なバストに、細く縊れた腰。柔らかく曲線を描いたヒップ。それを色気担当とも言うべき悩殺系デザインの下着に包んでいるわけで。
それを考えると、今の「くるっ」は我ながら相当精神的に痛かった。激しく後悔。
「忍……やっぱり恥ずかしい」
「だいじょーぶだいじょーぶ、もっとびしっと自信持とうよ」
「いや、自信もなにも中身は男なわけで」
どうにも精神的に最後の一線を踏み越えられない。頭の片隅で、この状況に流されたら最後だと警報が鳴っている。
「うーん……いっそ『恭也』のことは忘れてみたほうがいいと思うんだけどなぁ」
あの。忘れるも何も今の人格捨ててどうしろと。
「だって、その姿で中身が恭也って思いっきり不自然なんだもん」
……そりゃ今が下着姿だからでしょうに。
「ま、帰ったらみっちり『女の子』をレクチャーしてあげるから期待してね」
期待は勘弁してください。せめて神妙に聞きますから。
「恭子さん? とりあえずいくつか選んでみたけど……」
……助かった。美沙斗さんだ。
「あ、ありがとうございます……」
ほんとにもう。この時点での援軍は涙が出そうなくらい有難かった。
「じゃぁ、私は他にいろいろ見繕ってくるね」
実に楽しそうな「にまっ」という笑顔でカーテンから出て行く忍。
……まだ何かやらかす気ですか。どうかお手柔らかに願います。
「……?」
忍が試着室の中から出てきたのを見て妙な顔をしながら美沙斗さんが差し入れてくれたのは、白・黒・グレーといった無彩色系統のカップが入っていないスポーツブラやショーツの類。この手の下着はある程度サイズフリーだから、心配せずに着けられる。それに、飾り気のないデザインだから男物と大差ない感覚なのも有難い。
「あ……」
カーテンの隙間から俺の姿を見て、美沙斗さんがびっくりしたような表情で顔を赤らめた。
「え……?」
そういえば俺の格好。忍から渡された悩殺系デザインの黒い下着。
……うわ。いくら、相手が事情を斟酌してくれるであろう美沙斗さんとはいえ。いくら、血縁の身内とはいえ。なんぼなんでも、これは恥ずかしい……!
ばばっ!
慌ててカーテンを閉じる。
「す……すまない……っ!」
美沙斗さんの狼狽した声。自分でも顔が紅潮していくのがわかる。
「そ、その……そんなつもりはなくても……あんまり綺麗で……」
「あ、み、美沙斗さんなら別にいいですからっ……!」
きゃぁ。美沙斗さんまで激しく混乱してるよ。というか、カーテン挟んで二人とも狼狽しまくった挙句に、お互いとんでもない具合にあらぬこと口走ってしまったような気がするけど。
とにかく、とっとと着替えてしまおう。それが一番。うん。
……と、脱いでいく途中で、ふと横の鏡を見ると。そこには色気の塊みたいな下着を脱いでいく、零れんばかりに豊満な女の子──当然ながら俺自身のこと──が余すところなく映っているわけで。
うぅ、あんなことあった後じゃ意識してしまう……
今の俺の心象風景。涙で滲んで何も見えません。というか、こんな死ぬほど恥ずかしくて惨めな思い、生まれて初めてです。羞恥心が現実逃避先求めて迷走しまくってます。あと一押しで、いい感じに壊れてしまえるんじゃないかって、そんな気までしてます。
「恭子〜、こっちも試してみてよ……って、あら? 美沙斗さん、どうしたんですか?」
かーさんとフィアッセが戻ってきたとき。
俺は美沙斗さんが持って来たスポーツブラとショーツを手に持ったまま、ベースに着けていたフィアッセのショーツ一枚というあられもない格好で試着室の中に立ち尽くし。その外では真っ赤になった美沙斗さんが呆然と俯いていた。
あぁ、二人して何やってるんだか。
とりあえず、三人には合わなかったやつを戻してきて貰うとして、俺のほうは溜まってる試着分を合わせて行かないと。
……女の子に遊ばれてる着せ替え人形に意識があったとしたら、こんな気分なんだろうか。
とにかく、片っ端から合わせて行かないことにはこの未試着の山はなくなりそうにないので、さっさと片をつけてしまうことにする。あれだけ散々な目に遭った後では、いい加減、羞恥心も麻痺してきていることだし。
「恭子〜、ちょっといいかな?」
……あぁ、まだコレが残ってたよ……
心中で滂沱と涙が流れている俺の都合に構わず、忍が試着室のカーテンから顔を突っ込んでくれた。
……確かに、恋人同士遠慮のない関係とはいえ。
これって、なんか違うんじゃないかなぁ……
で、中の様子を確認するや、またいそいそと試着室に入ってくる忍。
はぁ……今度はなんですか?
「うふふ〜♪ いいもの見つけちゃったのよね〜ぇ」
と、忍が差し出したのが。
パステルグリーンと紫の、それぞれ上下セット……はともかくとして、なんで二着ずつあるんですか?
「もっちろん、お揃いに決まってるじゃない♪ 一緒に合わせよ?」
……前言撤回。これはもう羞恥心云々でどうこうできるレベルの話じゃありません。
鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌で服を脱いでいる忍。
なんでまた、そこまで恥じらいの片鱗すら見せずに裸になるですか君わ。
「だって恋人とお揃いのインナーなんて滅多にできる経験じゃないもん。ワクワクするじゃない」
まぁ、確かに男女の関係だった頃は同じ床の上で服脱いでましたけど……だからって何故に一緒に試着を?
「試着はショッピングの基本だよ? それに、どうせならお揃い具合だって確認したいし」
……半分以上は遊ばれてるような気もするんですが。
「気のせいだよー、きっと。ほら、着替えて着替えて」
はうう。父さん、御神の剣は必勝を旨とするって言いますけど。こればっかりはどうあがいても勝てる気がしないです。と言うか、ひょっとしてこれから先当分の間、こうやって俺は遊ばれ続けてしまうんでしょうか。
「──よしっと。うん、ばっちり♪ どぉ? お揃いだと決まってるでしょ〜」
似合ってないとは言わないです。言わないけど。
……勘弁してください。もういい加減、俺、ゴールしてしまいそうです……
二人っきりのファッションショーは、かーさん達が戻ってくるまで続いた。
……結局、女性の買い物荷物というものが嵩張ってしまうのは、どんな場合でも例外はないらしく。アウターの売り場に向かうまでに、紙袋は3つになっていた。かーさんとフィアッセは「あーでもない、こーでもない」と散々迷った挙句、俺に合ったものを片っ端から買ってしまったし、忍は忍であの後、
「これも、恭子とお揃い〜♪」
とよせばいいのに二着ほど持ってきてくれた。
気が付けば下着の買い物だけで2時間掛かってしまったわけで、服のほうはもう超特急。それでも買い物袋は倍に増えてます。貴女達、一体俺に何着着せ替えるつもりですか?
「ま、さしあたって必要なものは揃ったんだから、あとはおいおい休みの日にでも恭子を連れて買い物に行けばいいんだしね」
フィアッセ、満足げな顔で宣言してくださいました。えぇ。有難いやら不安やらで涙が出そうでしたよ。
外に出てみれば、すっかり日が落ちていた。時計を見るともう7時を回っていたりする。
「さて! それじゃ帰りますか! レンちゃんの晩ごはんが待ってるわよ〜♪」
──はぁ。これからどうなるんだろ。