第2回 2002.4.28 
 作
cavtot

 東京・渋谷のパセラ渋谷店9階905号室。
 今回の出席者はせきぐちさん、岡田早苗さん、よっしーさん、KENさん、こうのさん、漆畑(うるちゃん)さん、転校生さん、yosinonさん、みつるさん、alohaさん、sigebouさん、BlueTreeさん、cavtotです(順不同)。
 alohaさんはまだ到着しませんが、予定の12時を回り、せきぐちさんの開会宣言(?)のあと12人で乾杯、お土産配りと自己紹介で始まりました。今回は参加できなかったちくわまんさんからは、ちくわまんじゅうをいただきました。
 せきぐちさんの粋な計らいで、お店のBGMじゃなくてチューインガムの歌のオンパレードをBGMにして、いい雰囲気で過ごせました。

 冒頭、掲示板でもバクロされたチューインガムのベストCDが発売されるという情報が、BlueTreeさんから発表されました。シングル盤全部(Together含む)が収録され、他に「私の願い」「青い島」、クリスマスアルバムの中の「アベマリア」が入るそうです。また、りかさんがCD解説を執筆中で、「チューインガムのホームページを見てくださった方々に捧げます」というコメント入れてもらえるよう、会社に交渉中だそうです。



▼自己紹介(要約してあります)(自己紹介の写真は、すべてみつるさんからいただきました)

KENさん

チューインガムは大学1〜2年の時に初めて聞いてLPを買いました。卒業して2年ほどするとラジオから聞こえてこなくなったが、その後どうしたのかなとずっと気になっていました。
 2年くらい前に、あるホームページの掲示板で吉田拓郎の話題になり、チューインガムも拓郎の「結婚しようよ」をカバーしていると書き込んだが全然反応がありませんでした。これはいったいどうしたことか、世の中に知られていないのかと思い、いろいろ検索していたところ、チューインガム資料室にめぐりあいました。


漆畑(うるちゃん)さん
 チューインガムは中学生か高校生ぐらいに聞いたのが最初でした。35歳ぐらいのときにフォークソングのリバイバルみたいのがあって、テレビなどで放送されたんですが、どうも自分の思っている歌が登場してこないのに気がついて、何だろうと思って考えたらそれはコッキーポップの一連の歌だったんです。このとき初めてコッキーポップがマイナーな番組で、世間一般のフォークから外れていたんだとわかりました。そうなると逆にもう一度聞きたいという気持ちが大きくなってきました。
 チューインガムを聞きたい一心で中古レコード屋さんで探しても、チューリップはあってもチューインガムは見当たらず、ようやく「風と落葉と旅びと」を探し出し、声に触れることができました。コッキーポップのホームページやっているところの掲示板で、BlueTreeさんのホームページを紹介する書き込みがあり、そこを開いたら何と本人達が参加しているのがわかって、「風と落葉と旅びと」の中で笑っているみたいなんだけども、ほんとに笑っているのかどうしても本人に聞きたくて質問したのが最初の書き込みでした。そしたら確かに本人達も笑っていて、しかも何で笑っているか理由も書いてくれたんです。
 岡田さんの登場もセンセーショナルで、2年経って手紙が来なくなったのが突然電子メールで届いたんですが、書き込む言葉がなくて、今日初めてお会いして光栄です。


よっしーさん
 昭和34年、りかさん世代の生まれで親しみを持って聞いてました。一番最初にチューインガムに触れたのは「岡田さんの手紙」を明星ヤンソンで見たときで、最初これは男の友情の歌かと思いましたが、2、3回読んでこれは女の子の歌だなとわかりました。社会人になって赴任地が関西で、ラジオ関西で「海のみえる放送局」が番組の間に流れていた思い出深い曲です。この曲はチューインガムをダカーポがカバーして歌ったんじゃないかと勝手に勘違いしていまして、それを掲示板に載せたら、何たることだとまみさんに怒られました。


yosinonさん
 中学のときはどんな曲でもわかるくらい歌を聞いていました。高校になってだんだん歌謡曲から離れていったんですが、「リルケの詩集」「チャップリンに愛を込めて」を聞いてすごく印象に残っていたのですが、てっきりシモンズが歌っていると思い込んでいました。
 何年も経ってから「チャップリンに愛を込めて」を聞きたいなと思いつつ、インターネットをやっていたら、やまがたすみこのファンの掲示板でチューインガムのページができたことを知り、そこでチューインガムが歌っていたことを知りました。それからレコードを手に入れ「チャップリンに愛をこめて」を聞くことができました。最近は他にもレコードを集めて聞いています。


こうのさん
 りかさんと同い年です。
 小さいときから音楽が好きで、作曲家になりたかったんですが、中学校のときに同い年の女の子(松田りかさん)が作った「風と落葉と旅びと」を聞き、プロになるのをあきらめました。
 むかしFM東京に出演するというので会いに行って、一度だけ生のりかさん・まみさんを拝見したことがありました。コッキーポップを早い頃から聞いていました。一時私はインターネットの流しのギター弾きみたいのでフォークをやっていて、テレビ神奈川のローカルにも出たことがありました。


みつるさん
 昭和36年、まみさん・岡田さんと同い年です。チューインガムが活躍していた頃、私はそのことを全然知らなくて、あとになってラジオなどで知りました。また曲もあんまり知らなかったので、レコードをネットオークションで手に入れたりして聞いています。
 掲示板では理論ぽい書き込みをしていますが、音楽の専門家でないのでデタラメもいっぱい書いていますので信じ込まないようにお願いします。


せきぐちさん
 チューインガムを最初に知ったのは、よっしーさんと同じように明星ヤンソンでした。そして欽ドンというラジオ番組で「ゴリラの歌」で聞き、これはおもしろいなと思いレコード屋さんに行きました。そしたら、全曲集とファーストアルバムがあり、中学生の私は2枚買うお金を持ってなくてどっちを買うか迷い、シングルの曲がたくさん入っていてポスターの付いた全曲集を選びました。
 インターネット時代になり、チューインガムを検索していたらcavtotさんのページがヒットして、メールを出したりしていたら、そのうちにチューインガム資料室ができて中身がすごいなと思っているうちに、掲示板もできたりして、ずっと初期の頃から書き込みをしたりしています。


cavtot
 1999年ごろ、自分のホームページを作ろうとしていました。昔TBSラジオ聞いた鈴木由里さんの手記「ともしび」をどうしてもページにしたかったから(これがなかったらホームページは作っていなかったかも)です。
 これだけではさみしいので好きな歌手のページを、曲の紹介のつもりでBGMを入れて作りました。しかしBGMは著作権の問題があり、じきに外すことになりました。そうこうしているうちに、チューインガムのページを見たBlueTreeさんから、「資料がたくさんあるんだけどページにしませんか」というメールが来たので、じゃホームページにしちゃえということになって「チューインガム資料室」を作り、今に至りました。
 趣味は音楽を聞くことで、中高生時代は歌謡曲・クラシック・洋楽、何でも聞いていました。その中でチューインガムの歌は気になる存在でした。レコードを買わなかったので、レコード屋さんで毎月新譜のチェックをし、CDが出るのを待っていました。
 中波ラジオ(AM)は野球シーズンになるとどこの放送局も野球中継をするので、当時野球中継しないラジオ関西を聞いていました。ここで流れてくる「海のみえる放送局」は一番身近に感じていました。


BlueTreeさん
 やまがたすみこを検索したらすごいホームページが見つかりました。だったらチューインガムもあるだろうと思ったら、ガム(お菓子)のチューインガムばっかりだったんです。そこで「風と落葉と旅びと」で検索したらcavtotさんのところが見つかったんです(その前に「バハマ」で検索したらページが見つかったが、そこへメールを出しても返事も来なかったので、これはアカンわ)。
 そこではせきぐちさんの「バル・バルーンの名前で活動していたときがありました」というメールが載っていたりしていたので、一般にはその程度の情報しかないんだったら、自分はもしかしたら全部レコードを持っているのではないかと思い、ホームページを作るんだったら資料を提供しますよとメールを出しました。てっきり断られると思っていたのですが、「やりましょう」ということになって、二人でネチネチと1か月かけて公開まで持っていきました。
 結果的にはここまで来るとは自分でも思っていなかったし、いつかは(チューインガムの)二人の消息だけでもわかればいいかなと思っていたら、いきなり連絡があったときはびっくりしました。そして話しがどんどん膨らんでいって、一番驚いているのはこの自分です。


sigebouさん
 いずれチューインガムのホームページを作りたいなーと思いながらインターネットを検索していたら、BlueTreeさんのページを見つけてしまい、最初に投稿さしてもらったときには「すごくうれしいです」と書いたんですが、本心は「くそやられてしまった」という複雑な気持ちがありました。
 趣味はステレオ(オーディオ)なんですが、そもそもの始まりはこのレコード(風と落葉と旅びと)をいい音で聴きたいということで、親にねだってステレオを買ってもらったことです。そのあともいろいろなシステムに買い換えたりしているんですが、(音質の)リファレンスはやっぱり「風と落葉と旅びと」とか、りかさんとまみさんの声が気持ちよく聞こえるのが基準になっているんです。
 日本橋の電気屋さんのオーディオ売り場で高級なセットを視聴させてもらうのに、「動物たちの世界」かけてもらうのは、最近この歳になるとちょっとはずかしいと思っていたんですけども、これだけ同世代のかたがいるので力強く思って、これからもチューインガムのCDを持って堂々と電気屋さんめぐりをしたいなぁと思います。


転校生さん
 名前の由来は中学2年12月に豊中へ引っ越した際に、偶然にりかさんと同じクラスになったところからつけました。このホームページを見つけたいきさつですが、中学の仲間は誰かおらんかなと検索するときに、キーワードに有名な「松田りか」を入れたらこのページがヒットしたからです。
 歌自体はそんなにたくさん知らなくて、「風と落葉と旅びと」「岡田さんの手紙」「トヨナカ・シティー」ほか数曲なので、皆さんの話しを聞いてレコードなりを少しずつ集めています。
 地元ということもあり彼女達の情報もあると思うので、わかる範囲でお知らせします。


岡田早苗さん
 小学2年と3年(昭和44・45年)まみさんと同じクラスでした。まみさんと家が近かったこともあってよく遊んだ想い出があります。3年生の終わりに私は加古川に転校することになりました。とっても仲のいい友達やまみさんと離れるのがさびしくて、最後の日に挨拶してワーワー泣いたのが思い出されます。
 加古川に住んで2年目、5年生のときにテレビで白いギターを抱えて「風と落葉と旅びと」を歌っているのを見ました。手紙のやり取りはしていたんですが、そのときに「テレビを見たよ」って手紙を出しました。そしたら神戸のたぶんSOGOだったと思います、「デパートのイベントがあるから来て」いう手紙をいただいたので行って、彼女達が間近で歌うのを見ました。実際に彼女達が歌うのを間近で見たのはそのときだけです。そのあとで「岡田さんの手紙」が出ました。
 実は「風と落葉と旅びと」が出た1972年6月21日の、6月21日は私の誕生日なので、その意味ではかかわりがあってうれしいなと思っています。その後も手紙のやり取りはあったのですが、中学生になって私は陸上競技を始めたので、なかなか音楽を聞く機会がなくなったし、まみちゃんとのやりとりも、そこで途絶えてしまいました。
 その後陸上競技を続け、大学卒業、教員となり、神戸市立の小学校に赴任したときにはラジオ関西が学区に入っていました。当時のラジオ関西の入っているビルの上階にはマンションのような住居があり、私は家庭訪問に行って、(海のみえる放送局のラジオ関西が)ここだここだと思ったこともありました。
 私が大学のとき神戸の王子競技場でトレーニングをしていたら、ひびきれいろうさんも高校のときに陸上をやっていて、私に「岡田早苗さんですね」と声をかけてこられたんです。私は、強く自慢させていただきますが、兵庫県の高校の大会のときに800mで4番だったんです。それで(有名な)私のことを知って下さっていたんです。
 その後、昔のことをずっと覚えていて下さってて、ここ(チューインガム資料室)で話題になっている岡田早苗は、自分(ひびきれいろうさん)が知っている岡田早苗なのか、確かめるためにいろいろ調べて連絡を下さったんです。それで私が「岡田さんの手紙」岡田早苗だったことがわかり、このサイトがあることを教えていただいたのです。「ここで岡田早苗さんがとっても話題になっているから見てください」言われ、掲示板を見たらすっごくてビックリしました。
 今まで、チューインガムは心の中だけで支えになっていたのが、多くの人たちの心の中にも生きていて話題になっていて、自分もその話題の一人となっていたことが、今までにないザワザワしたドキドキした気持ちになりました。で、このオフ会があることを知ったときに、どうしようどうしようとずっと考えてて、夫にも話したんですがあんまり理解しないようだったんですが、私が大事なことなら、まぁーいいだろうということで、今日1日、子供たちの面倒を見るよと言ってくれて、ここに来ることができました。


転校生さんから、岡田さんに質問
「岡田さんの手紙」の中で、校庭のポプラ並木に名前を刻んだとあるので探したのに見つかりませんでした、これは本当ですか?
岡田さん
それは私たちの心の中にある木に刻みました。



 自己紹介が終わり、転校生さんのブツの回覧。わざわざ撮影のためマクロレンズを付けたカメラを持っていきましたが、余りにも個人的内容のため、撮影せず(良心が・・)。
 そのあと岡田さんにサイン攻め。サインのためのレコードがそこかしこに乱れ飛んでおりました。チューインガムならぬ岡田さんに、サインをおねだりする行列ができてしまうなど、めったに見られる光景じゃありませんよ。岡田さんは一人一人、メッセージを変えて時間をかけて書いていました。
 料理がどんどん運ばれてくるが、おしゃべり&ブツ閲覧に忙しく、ゆっくり食べるひまなし。



▼1時半にalohaさん登場、早速自己紹介
 お姉さん(りかさん)のほうと同い年ということで、デビューと同時にファンになってしまいまして、いまだにお姉さんの顔立ちが僕のタイプで変わらないです。
 中学の頃からアルバムを買いあさったんですが、後半のクリスマスのアルバムあたりから空白があります。中学2年の時に逃げた小鳥のLPにサインしてもらいました、本人は覚えていないでしょうが。
 ホームページが立ち上がったおかげで記憶がよみがえりました。閲覧はしているんですが書き込みまでなかなか行きませんが、今後ともよろしく。



 あっという間に会場明け渡し時刻の2時が過ぎ、しぶしぶ引き上げます。 alohaさんはたったの30分、でも会費は一人前分いただいてすみません。

1階ゲームコーナーで全員の記念写真。

(みつるさんから)
従業員の方に撮影をお願いしたところ、我も我もと次々にカメラを渡され・・・ありがとうございました。



パセラを出、渋谷駅前からバスで六本木に向けて移動・・。
詳しくはせきぐちさん、alohaさんにお願いしまーす。(と振る)


まみさんご用達だった本屋さん2階は?

十数人がお店の前にウロウロ、カメラを向けるアヤシゲな輩に
店員さんも飛び出してくるぅ・・


麻布十番街はせきぐちさんに任せ省略・・



一の橋付近(?)でalohaさんは仕事に復帰、ここでお別れ
忙しい中をありがとうございました


ここから地下鉄に乗り目黒へ
目黒駅から目黒通りをテクテク


とんかつとんき(閉まっていました)


ホリプ○
とっさに岡田さんが誰にも負けない速さで
正面玄関に駆け寄り・・

(みつるさんから)


ヤマハ音楽振興会ビル前



通りをはさんだ向かいのRoyalHostへ

ここで腰を落ち着けたが最後、もう動けない
話しは弾むし、ちょいと疲れもあったし


目黒駅へ戻り、KENさん、岡田さんとお別れ
ありがとうございました


残る10人は腹ごしらえに、
駅付近の「和民」へ


7時も過ぎて、帰りの時間が気になる
漆畑さん、転校生さん、BlueTreeさん、cavtotは
帰路 東京駅へ・・



今回、参加された皆さんのおかげで
とても楽しい1日を過ごすことができました
私も参加できて、とても良かったと思っています
また機会がありましたら参加したいと思います

そして、せきぐちさんにはいろいろお世話になりました
ありがとうございました