
| 作 cavtot |
東京・渋谷のパセラ渋谷店9階905号室。
チューインガムは大学1〜2年の時に初めて聞いてLPを買いました。卒業して2年ほどするとラジオから聞こえてこなくなったが、その後どうしたのかなとずっと気になっていました。
チューインガムは中学生か高校生ぐらいに聞いたのが最初でした。35歳ぐらいのときにフォークソングのリバイバルみたいのがあって、テレビなどで放送されたんですが、どうも自分の思っている歌が登場してこないのに気がついて、何だろうと思って考えたらそれはコッキーポップの一連の歌だったんです。このとき初めてコッキーポップがマイナーな番組で、世間一般のフォークから外れていたんだとわかりました。そうなると逆にもう一度聞きたいという気持ちが大きくなってきました。
昭和34年、りかさん世代の生まれで親しみを持って聞いてました。一番最初にチューインガムに触れたのは「岡田さんの手紙」を明星ヤンソンで見たときで、最初これは男の友情の歌かと思いましたが、2、3回読んでこれは女の子の歌だなとわかりました。社会人になって赴任地が関西で、ラジオ関西で「海のみえる放送局」が番組の間に流れていた思い出深い曲です。この曲はチューインガムをダカーポがカバーして歌ったんじゃないかと勝手に勘違いしていまして、それを掲示板に載せたら、何たることだとまみさんに怒られました。
中学のときはどんな曲でもわかるくらい歌を聞いていました。高校になってだんだん歌謡曲から離れていったんですが、「リルケの詩集」「チャップリンに愛を込めて」を聞いてすごく印象に残っていたのですが、てっきりシモンズが歌っていると思い込んでいました。
りかさんと同い年です。
昭和36年、まみさん・岡田さんと同い年です。チューインガムが活躍していた頃、私はそのことを全然知らなくて、あとになってラジオなどで知りました。また曲もあんまり知らなかったので、レコードをネットオークションで手に入れたりして聞いています。
チューインガムを最初に知ったのは、よっしーさんと同じように明星ヤンソンでした。そして欽ドンというラジオ番組で「ゴリラの歌」で聞き、これはおもしろいなと思いレコード屋さんに行きました。そしたら、全曲集とファーストアルバムがあり、中学生の私は2枚買うお金を持ってなくてどっちを買うか迷い、シングルの曲がたくさん入っていてポスターの付いた全曲集を選びました。
1999年ごろ、自分のホームページを作ろうとしていました。昔TBSラジオ聞いた鈴木由里さんの手記「ともしび」をどうしてもページにしたかったから(これがなかったらホームページは作っていなかったかも)です。
やまがたすみこを検索したらすごいホームページが見つかりました。だったらチューインガムもあるだろうと思ったら、ガム(お菓子)のチューインガムばっかりだったんです。そこで「風と落葉と旅びと」で検索したらcavtotさんのところが見つかったんです(その前に「バハマ」で検索したらページが見つかったが、そこへメールを出しても返事も来なかったので、これはアカンわ)。
いずれチューインガムのホームページを作りたいなーと思いながらインターネットを検索していたら、BlueTreeさんのページを見つけてしまい、最初に投稿さしてもらったときには「すごくうれしいです」と書いたんですが、本心は「くそやられてしまった」という複雑な気持ちがありました。
名前の由来は中学2年12月に豊中へ引っ越した際に、偶然にりかさんと同じクラスになったところからつけました。このホームページを見つけたいきさつですが、中学の仲間は誰かおらんかなと検索するときに、キーワードに有名な「松田りか」を入れたらこのページがヒットしたからです。
小学2年と3年(昭和44・45年)まみさんと同じクラスでした。まみさんと家が近かったこともあってよく遊んだ想い出があります。3年生の終わりに私は加古川に転校することになりました。とっても仲のいい友達やまみさんと離れるのがさびしくて、最後の日に挨拶してワーワー泣いたのが思い出されます。
お姉さん(りかさん)のほうと同い年ということで、デビューと同時にファンになってしまいまして、いまだにお姉さんの顔立ちが僕のタイプで変わらないです。



