あなたの知らないRIKAさんMamiさんのすべてがわかる 掲示板ダイジェスト
2001年

よろしくお願いします。 投稿者:Blue Tree  投稿日: 7月19日(木)15時16分54秒

チューインガム掲示板をアップしました。感想や質問、情報がある人はぜひ、書き込んでください。
それから、同時代に活躍した歌手のことについて、みなさんで情報交換など、やっていきたいと思いますので、どしどし書き込んでくださいね。ガムが好きな人もチョコが好きな人も…。


たまに寄らせて貰います 投稿者:MERLION  投稿日: 7月21日(土)00時43分08秒

なぜか「小鳥よ飛びなさい」の歌が、時々、思い浮かんでしまいます。
あと、4分の5拍子の曲はなんでしたっけ?


4分の5拍子わかりました。 投稿者:Blue Tree  投稿日: 7月23日(月)09時16分08秒

4分の5拍子の曲は「ともだちの歌」だと、とある人物から、メールをいただきました。ちゃんと、わかる人はいるのですね。


びっくりでしょう? 投稿者:Blue Tree  投稿日: 7月26日(木)08時35分28秒

「お便りのコーナー」を見て皆さん、びっくりされた事でしょう? 何の、お便りかなーと思うと、実は……。
掲示板は、りかさんもちゃんと、読んでくれていますので、皆さん、どんどん書き込んでください。
ちなみに、あの、4分の5拍子の答えも、りかさんからのものです。


(無題) 投稿者:RIKA  投稿日: 7月28日(土)00時09分17秒

MERLION さん、私達のオリジナルの中に4分の5拍子の曲があった事をよく覚えていらっしゃいました。 見事です。 4分の5拍子にする事によってリズムの乗りがよくなり、レコーデイングの時はとても楽しく唄った記憶があります。
 私達の作品をいつでも覚えていてくださる方がいらっしゃる事を知り、私もマミも大変嬉しく思います。


元チューインガムその2です。 投稿者:Mami  投稿日: 7月30日(月)05時17分35秒

こんにちは。 まみです。ファンの皆さん、いつまでも私達のことを覚えてくださってありがとう。感激してます。 本当にスゴイ!と、姉と二人で感心してます。 この掲示板もいつも楽しみに読ませていただいてます。 私も時々参加させて下さいね。


明星の記事について。 投稿者:Mami  投稿日: 7月30日(月)06時03分55秒

cavotさんのおっしゃる通り、私は、あの空中ブランコ、怖かったんです。あの写真は、ブランコが高く舞い上がってから、実は自分が高所恐怖症であったことに気づいた恐るべき一瞬をとらえたものです。 怖いし、でもカメラが向いてるから泣けないし、と、子供ながらに葛藤したのを覚えています。
それからあのインタビューですけど、あれは、明星の人達が勝手に作り上げたものですね。私達は、あんな大阪弁では話しませんでしたから。 今読むと、なんだかおかしいですねー。


当の本人にバカ受けの記事デシタ。 投稿者:RIKA  投稿日: 7月30日(月)17時11分06秒

私も明星に掲載された記事を読みました。お腹を抱えて笑いマシタ。gazboさんスゴイ! それからマミもcavtotサンのスペルを間違えてしまったようデスネ。 本当にオッチョコチョイ・シスターズ デス。
 飛行機恐怖症はこの私デス。 昔から仕事で飛行機に乗るときはいつもドキドキしていました。 今も飛行機に乗るのが苦痛で睡眠薬を飲んでもグッスリ眠れません。どなたかこの悩みの解決策ご存じないですか?


チューインガムの由来は・・・? 投稿者:RIKA  投稿日: 7月31日(火)11時41分20秒

ではご希望にお答えします。実を言いますと本人の私もどうして「チューインガム」と命名したのか記憶にないのです。多分ゴロが良くて可愛い響きがあったので家族皆で決めたのだと思いますが。そしてその後、こじつけで取材の際に私が仲雅美さんのファンであったという事もあり、関係者がそういう風に決めて話題性を作った、という事だったんです。
 今になってみるととても笑えますね。 とにかく2人ともまだまだ子供だったので色々な事を深く考えていなかったみたい(笑)。 これで納得していただけましたか。
未発表の曲のデモの件は今ちょっとした企画があって検討してますのでお待ちくださいね。


私も拝見しました 投稿者:ガム母  投稿日: 8月 1日(水)11時12分44秒

初めまして「ガム母」すなわち、りか&マミの母デス。懐かしい娘達の資料を拝見させていただきました。 特にgazboさん提供の画像は凄い。
 当時の事をいろいろと思い出して胸がいっぱいです。 皆さんどうもありがとうございました。


りかさん、元気でした。 投稿者:千春  投稿日: 8月 5日(日)23時05分06秒

私は、彼女達の高校留学の4年先輩ということで、1976年11月に留学の試験官として、お世話をしてからのおつき合いです。彼女達が「チューインガム」だということは、一切知らずに、1977年の夏まで、留学前のオリエンテーションなどで指導しておりました。
1977年夏に、先日お亡くなりになったお父様に、大変お世話になることがあり、また、留学中に御両親と御会いしなければならない立場にあったりして、・・・ お亡くなりになる約3ヶ月程前に、お電話でお話したばっかりだったので、本当に驚愕し、残念で仕方ありません。
 
また、私が78年から、再度、米国留学した際には、りか&マミ姉妹から手紙やテープレターを頂き、一人生活の楽しみでもありました。
80年に入り、東京で就職したのですが、ちょうど、その頃に彼女達の活動が東京に移り、留学仲間達と、当時はよく会ったもんです。来日した、りかさんの米国のホストマザーとも、御会いしたりしました。
一緒に私の車で帰省したことも、今では懐かしい思い出です。車中の約5時間、後部席で、お二人が唄いまくったのも、思い出されます。歌手として、彼女達とおつき合いしていた訳ではないので、当時ヒットしていた「スリラー」を唄い、その美声には、本当にビックリしました。ふたりのマイケルジャクソンの「振り」付きには、もっとビックリしましたが???
 
8月1日の夜、日本で一番暑かった「トヨナカシティー」で、りかさんと17年ぶりに再会しました。相変わらずのりかさんでした。彼女らしい言動は、昔と変わっていません。むしろ、現在のほうが、落ち着いた感じで、非常に「大人」を感じました。
  マミさんとは、先日、お電話でお話出来ましたが、彼女は、話してて「大人」というよりは、「母」を感じました。落ち着いたというよりは、貫禄を感じました。初めて御会いしたのが、中学3年のときでしたから、感慨ありました。
 
現在、静岡に住んでおりまして、お茶のプリン「茶プリン」を持参したわけですが、これには、かなり受けてました。当然、「愛は込めてないで」とお渡しいたしました。同席した、もう一人の留学仲間(どうも、その昔、マミさんが憧れた男だったとかで、この8月1日まで、彼は、そのことを知らなかった)は、意味が理解できず、「当たり前や!」と叫んでおりましたが。(そーそー、千春という名前ですが、私は男性です)
 
  私は、チューインガムのファンというよりは、りか&マミファンです。まぁ、兄貴分ってとこでしょうか。彼女たちは、どー思っているか知りませんが。そーだよね?>おふたりさん
  ということで、またちょくちょくお邪魔させて頂きます。
 
ps.ガム母様へ:
今回は御会い出来ませんでしたが、お元気でしょうか?
次回は茶プリンではなく、お茶を持っていきます。


また登場しました 投稿者:RIKA  投稿日: 8月 6日(月)02時46分10秒

こんにちは。しばらく投稿欄に参加していない間にまた新しい方々から、嬉しいメッセージをいただきました。(けんとサン、petbottlerサン、QAZサン、yoshinonサン、それに千春サンまで)
それにBlue Treeサンは以前一度だけ公開放送で唄った事のある私達のオリジナル曲のタイトルをよく覚えていらっしゃって驚きました。その中でも「青い島」はとても気に入っていた曲で、実はこの曲で、南米で行われるソング・コンテストに参加する予定で作ったのですが、当時私の高校受験とスケジュールが重なってしまった為に辞退する事になった、という苦い思い出があります。「トヨナカ・シテイー」に続いて英語の歌詞をつけたり、ちょっと西洋風に意識して作ったのですが・・・
あと「私の願い」は両親が作詞作曲した事もあって歌唱の部分で高度なテクニックを要求され、かなり緊張してスタジオ録音した思い出があります。
 録音した物がテープに残っていると思いますので探してみましょう。 チューインガム・ホームページの事を私に知らせてくれた先輩の千春サンは先日父を亡くして落ち込んでいる私を励ましにわざわざ静岡から会いに来てくださいました。そのときにいただいた「茶ツプリン」(抹茶のプリン)はなかなかオイシカッタです。
妹のマミも皆さんに宜しく、との事デス。 彼女は最近この投稿のページが開けない、と嘆いています。(何故でしょうか?)


やっと来れました! 投稿者:Mami  投稿日: 8月 6日(月)04時41分53秒

最近ずっと、この掲示板のページが開けなくて、嘆いていたのですが、やっとのことで今日は成功しました。バンザーイ。(Blue Treeさん、cavtotさん、お騒がせしてすみませんでした。) しばらく来れなかった間に、色々な人達からのメッセージが入っていたんですね。面白く読ませていただきました。
こらこら千春さん、いくら私達の兄貴分のあなたでも、私の昔の憧れ話を暴露しないでくださいよー。(もうとっくに本人にはバレテいると思ってましたけどね。懐かしい思い出です。)私も茶プリンを食べてみたかったです。今度アメリカまで持って来て下さい。無理かしら。
 
ちなみに私は、今でも高所恐怖症ですが、飛行機は大丈夫です。あれは、鉄の箱の中に入っているような感覚ですから。オープンなのが駄目なんです。 ”今ここで手や足が滑ったら落ちる!”という感じがするのが怖いんです。 我ながら勝手な恐怖症です。この気持ちをわかっていただける方はいらっしゃるかしら。
 
”私の願い”は、私も大好きな曲です。父は本当に素晴らしい詞を書く人でした。それに母の生み出した美しい旋律がぴったり合って・・・いつか皆さんにお聞かせ出来るといいですね。
また次回も無事にこのページに来る事が出来ますように。


日本一のおかあさんの話。 投稿者:Mami  投稿日: 8月 6日(月)12時16分39秒

Blue Treeさん、随分前のメッセージへのお答えですが、確かに私達は、”日本一のお母さん”というテレビ番組に出ました。確か母に向けて、私が書いた詩を読みました。(詩の出だしは ”おかあさんは不思議です・・・”だったと思いますが、その後はもう忘れてしまいました。)
あの時は、母だけでなく、今は亡き祖母(101歳まで生きた、私達の大好きだったおばあちゃん!)も一緒に出演して、とても楽しかったです。おまけに賞品でぬいぐるみを一杯頂いて、大喜びで帰りました。 それにしても、本当によく覚えていらっしゃいますねー。 改めて感心します。


みなさんありがとうございます。 投稿者:Blue Tree  投稿日: 8月 6日(月)12時45分54秒

petbottlerさん、けんとさん、千春さん、Mamiさん、RIKAさん書き込みありがとうございます。
千春さん、暴露(笑)話ありがとうございます。ちょっとホロッとされられる部分もあり、りかさんマミさんとて、一人の人間なんだと、益々、親近感がわきました。
Mamiさん、「日本一のおかあさん」の話ありがとうございます。なんだか、これで、すっきりしました。
RIKAさん、「青い島」には、そんなエピソードがあったんですね。あの曲は、ポプコンの関西地区予選の模様がラジオで放送された時、録音したテープを、今でも大事に持っています。(全国放送では、なかったので、チューインガムと同じ関西でよかった)
あの時は、他の人の曲も聞かないで、チューインガムと、言うだけで、「この曲がグランプリに違いない」と、思っていました。
でも、その中には、いろんなエピソードがあったんですね。今、私にとっては、チューインガムの歌は全部「グランプリ」です。


せきぐちさんへ。 投稿者:Mami  投稿日: 8月 6日(月)23時18分28秒

飛行機の離陸の時に足をふんばるのは私も同じです。 あの、”これでいよいよ ”という感じ、何とも言えませんよね。そういう人って意外と多いんじゃないですか。隣で全然平気な顔して雑誌か何か読んでる人がいても、足元を見ると、やっぱり力が入ってたりする(笑)。
飛行機がいったん空に舞い上がってしまえば、あとは本を読んだり映画を見たり機内食に気を取られたりして、結構楽しんでしまえるのが私のパターンです。


Blue Treeさんありがとう。 投稿者:Mami  投稿日: 8月 7日(火)07時53分02秒

Blue Tree さんのお言葉には涙が出ました。 私達の音楽をそんなに思ってくださるファンの方がいらっしゃるなんて、胸がいっぱいです。 私達の未発表オリジナル曲集の発表に向けて、今頑張っているところです。一日も早く皆さんに聞いていただけるよう、努力していますので待っていて下さいね。 本当にありがとう。


オメデトウ! 投稿者:RIKA  投稿日: 8月10日(金)03時41分42秒

1000カウント、いやすでに1036カウントになってますよ。 これからも益々がんばってください。 このページがいつまでも「憩いの場」でありますように。
 「岡田さんの手紙」はいろいろな方に気に入ってもらっているオリジナルですが、ご存じの方もあると思いますけどあの曲はノンフィクションです。
 当時11歳で作詞したマミに変わってエピソードを説明しますと・・・ 同級生の岡田サナエさんが豊中から神戸の加古川に転校していった悲しい気持ちを唄ったモノです。
 あの曲と最初のアルバムのジャケット撮影を豊中市桜塚高校で行いましたが、カメラマンは従兄弟の山口慎悟が担当して本当に和気あいあいの雰囲気でした。二人とも撮影されてる、と云う意識が全然なくて「お遊び気分」がモロに出てますでしょ。チューインガム資料室のトップに使われている写真もその時撮影されたモノです。
これからも私達のオリジナル曲に関する質問があったらドンドンしてくださいね。覚えている限り(?)お答えします。


岡田さんの手紙 投稿者:Mami  投稿日: 8月10日(金)06時33分26秒

皆さんから ”岡田さんの手紙”のお褒めの言葉を読み、嬉しい驚きです。あの曲は、風と落葉やゴリラに比べると、印象の薄い存在なのかと思っていました。 あの詞にまつわるストーリーは、姉からの投稿にある通りです。 早苗さんとは、あの曲がシングルになった時に会ったきりです。今頃どうしているのかなあ。 (とにかくものすごく頭の良い子だったから、医者か弁護士にでもなっていても不思議はない・・・。)


では、もう1つ。 投稿者:せきぐち  投稿日: 8月11日(土)00時49分31秒

RIKAさん、Mamiさん「岡田さんの手紙」の件、お答えありがとうございました。調子に乗ってもう1つ。
「トヨナカ・シティー」にジュリアーノ・ジェンマが出てきますが、これは当時作詞された、りかさんがジュリアーノ・ジェンマのファンだった、とかなのでしょうか?


お答えします 投稿者:RIKA  投稿日: 8月11日(土)04時49分05秒

せきぐちサン、「トヨナカ・シテイー」についてのご質問ですが当時から洋画に懲りだして実はアラン・ドロンのファンだったのですが、ゴロが合わないのでマカロニ・ウエスタン俳優として活躍していたジュリアーノ・ジェンマになりました。(笑)今、私がイタリアに住んでいるのもなんか不思議な縁ですネ。ジェンマさんはまだご健在で時々イタリアのテレビ番組に出演されます。
 それから風間嵐さん、「動物たちの世界」がCD化されるのは初耳でした。あの曲は私達の2枚目のアルバムの中でも特に気に入っているオリジナルです。 情報をどうもありがとう。


ゴリラの唄について 投稿者:RIKA  投稿日: 8月11日(土)20時27分48秒

Blue Treeさんのご質問ですが、実はあの声のレコーデイングの時に私達は立ちあっていないのでハッキリしたことを覚えていないのです。(父に聞けば詳しくわかるのですが・・・)
立ちあった父のその当時の説明によると、バックのレコーデイングの際にタマタマ居合わせたアフリカ帰り(もしくはアフリカ系の)の人がこの曲の説明を聞いて感動し、アフリカの事を思い出しながら即興であのセリフを引き受けてくださった、と云う事だったハズです。 そうだったよね、マミ? 彼女の解答を待ちましょう。
 それから「ブロークン・ハート」のジャケットの私の名前の表示ですが単なる誤植デス。 私は本名も芸名(?)も生まれた時からいつもヒラカナです。


岡田さんの手紙 投稿者:MERLION  投稿日: 8月12日(日)01時20分32秒

質問しても良いと言うことなので、昔からの疑問なのですが、岡田さんが歌ってた歌は何なのですか? 何となく小学校の校歌かななんて想像してるんですけど?


ゴリラの歌の話。 投稿者:Mami  投稿日: 8月12日(日)07時00分20秒

ゴリラの歌の ”不思議な声 ”については、私も姉が言っているのと同じような話を父から聞いたような覚えがあります。だから、それでいいと思います。とにかく、声の持ち主がアフリカ人だった事は確かです。 と思います。(なんかいい加減だなあ・・・。)あの頃はまだ子供で、そういう事に注意を払ってなかったんですね。 すみません。
 
それから、岡田さんがそっと歌っていた歌というのは、何とはない旋律を独り言のように口ずさんでいたんですよ。 多分学校で習った歌か何かだったんだろうと思いますけどね。 あの瞬間は、それだけで、別に会話なんか無くてもお互いの心が通じ合っていたんですよね。(MERLIONさん、これで納得頂けましたでしょうか?)
 
せきぐちさん、私も ”太陽がいっぱい ”の音楽は好きでした。私はアラン・ドロンのファンではなかったのですが、姉に付き合わされて彼の映画はよく見たものです。


秘密のお話 投稿者:RIKA  投稿日: 8月14日(火)01時14分50秒

まだ私は日本にいるのですが、今日本当に10年以上ぶりに親戚と集ってカラオケに行ってきました。何を歌ったか想像できますか? もちろん洋楽も歌いましたが(最近の邦楽を知らないので)「津軽海峡冬景色」と「夢芝居」です。結構うけましたよ。
 実は皆さんに秘密をばらしますけどマミは昔カラオケ女王、と呼ばれ、お得意は三波春夫さんのモノ真似をしながらオリビア・ニユートンジョンの「フィジカル」や プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」を歌うという特殊芸がありました。場内の人々は皆目がテンになっていました。 姉の私が言うのも変ですが、彼女の演歌の小節にはシビレマス。 マミ、ゴメン! ばらしちゃった!


こらおねえちゃん。 投稿者:Mami  投稿日: 8月14日(火)06時24分00秒

こらー、妹の秘密をばらすとは何たる姉か。 でも本当の事だから仕方ないかあ。
ちなみに当時の私の十八番は、夢芝居と越冬つばめと十戒でした。 いつも私の後ろで踊ってくれる友達が必ず何人かいて、盛り上がったもんです。 懐かしいなあ。
おねえちゃんの演歌、私も聞いてみたかったわ。


暴露ページ、ですか? 投稿者:Mami  投稿日: 8月15日(水)05時32分56秒

暴露ページなんかが出来てしまったら、ネタはほとんど私の話になってしまいそうでコワイですねえ。 何しろ私の方がスットコドッコイなところがあるもんで。 今、姉の暴露話を思いだそうと必死に考えているんですが、なかなか思い出せなくて困っているところです。(笑)
私の歌う演歌は、父が書いた演歌を私が歌ったデモテープが何作か残っているので、いつか皆さんにお聞かせする機会が訪れるかも知れませんが、 今日のところは、まあ考えておきましょう、という事にして、逃げさせていただく事に致します。


青い島について 投稿者:RIKA  投稿日: 8月15日(水)13時34分46秒

sigebou さん、投稿ありがとう。あの曲は最初外国の音楽祭に出品予定だったので、”Green Island" と名付けていましたが、日本語のタイトルを「青い島」にしました。
1974年ヤマハの会長さまのご招待で訪れた鹿児島沖の島「鬼介ヶ島」の思い出に作った作品でレコード化されていません。 この間もこの曲についての投稿があったので私も探してみたのですが、実はあの音源は手元に残っていません。 すごく残念です。


演歌のデモテープ 投稿者:Mami  投稿日: 8月16日(木)04時40分45秒

せきぐちさん、私はよく父の作品のデモテープの歌手をやらされたもんで、それが何本か残っているんですよ。父はポップスも演歌も書きましたから、色々なものを歌わされました。いつか父の作品集を発表する機会があれば、その時にお聞かせ出来るかも知れませんね。
 
それで思い出した、姉の暴露話をお一つ。
ある時、いつものように父から ”また曲を作ったから、デモテープ頼む。”と頼まれまして。
その時、”この曲はマミの歌い方よりも、りかの歌い方の方が合っていると思うので、今回は、りかに歌ってもらいたい”と言われたんですが、デモテープを作るのが面倒な姉は、私に、”マミは物真似が得意でしょ。だから私の真似をして歌いなさい。”と司令を下し、お人好しで姉思いの私は、姉の歌い方の練習を必死でして、テープを作ったのでした。
出来上がったテープを聞いて、”うまいうまい。私の特徴を良く掴んでるわー。”と、カラカラ呑気に笑っている姉に、父は絶句していました。 (しかし、やらせる方にもあきれるけれど、やった方の私にも、我ながらあきれます。)そのテープは、今は何処にあるのやら。
おねえちゃん、暴露話の仕返し、させてもらいました。 ケケケ。 これぐらいならいいでしょ。


トヨナカシテイーについて 投稿者:RIKA  投稿日: 8月17日(金)02時12分02秒

真っ赤なスポーツカーでドライブする場所はsigebouさんのご想像通り、中環の万博公園のあたりデス。sp−nh サンのご想像された「北千里」も近いセンです。
 当然、この真っ赤なスポーツカーはフェラーリのテスタ・ロッサの事です、と云いたい所ですが、当時の私はフェラーリの存在など全然知らなかったので「国産の赤いスポーツ・カー」となります。しかも特定の車種はありません。(笑)


カセットが見つかりました 投稿者:風間嵐  投稿日: 8月20日(月)23時13分23秒

ご本人たちが登場するホームページに出会えるなんてこのカセットを作っていた頃は、想像もできなかったですね。(あたりまえだけど)そういえば渋谷のエッグマンにライブを見に行った事も思い出しました。


ちょっと自慢? 投稿者:sigebou  投稿日: 8月21日(火)00時36分33秒

ところで、クリスマス・ベストヒットをお持ちでない方もおられるんですね。僕、持ってます。ちょっと自慢? 実はあの当時、僕もクリスマスアルバムの存在を知らなくて、75年の夏にりかさんマミさんから直接教えていただきました。もっと自慢? あのとき、10分ほどお話をさせていただいたのですが、緊張して汗びっしょり、頭がボーッとしてサインをいただくのも握手をしていただくのも忘れて帰宅したのを懐かしく思い出します。


ちょっとコメント 投稿者:Mami  投稿日: 8月21日(火)01時10分23秒

風間嵐さんは私達のライヴを見に来て下さってたんですねえ。 ありがとうございます。
sigebouさんとは、何処で御会いしたのかしら。ラジオの公開放送かイベントか何かだったんでしょうね。
 
Happy Birthday,おねえちゃん! (せきぐちさんの控えめモードには笑えました。)あとわずかな日本滞在、楽しんで下さい。


本当に感激デス 投稿者:RIKA  投稿日: 8月21日(火)01時11分18秒

私事の詩に感動していただいてかえって感激しました。日本を離れて約11年。度々帰国していましたが、今回は最長で2ヶ月間の滞在でした。最初の印象は「日本はテクノロジーだけが発展して何か忘れられたものがある」でしたが、知人に会ったり、今回この掲示板を通じて皆さんの「心」に触れる事が出来て嬉しくなりました。 これからも皆さんの素晴らしい「感性」を大切に持っていてください。 それは、私にも言える事デス。
 音楽活動していた頃から、15年以上過ぎているのにいつまでも私達の作品を忘れないで聞いていていただいている事を知っただけでも感激です。(しかもとても詳しくコメントまでいただいて) イタリアからも投稿させていただきますのでこれからも宜しくお願いします。 今年は嬉しい誕生日を迎えました(控えモードで?)。


Mamiさんへ 投稿者:sigebou  投稿日: 8月21日(火)01時50分59秒

とってもマイナーな会場だったので覚えておられないと思います。
大阪にあったヤマハ家具ショップで、音楽教室の発表会があったときのゲストでした。 僕は、高校のクラブ活動に名を借りてインタビューに行ってました。


sigebouさんへ 投稿者:Mami  投稿日: 8月21日(火)10時18分39秒

ウーム、その場所、覚えていません。でも音楽教室の発表会にゲストで出た、っていうのは、なんとなく覚えています。75年って言うと、その頃私は中2ですね。学校でテニス部に入ってましたから、きっと日焼けで顔が真っ黒だったと思います。(そこまでは、いくら何でも覚えていらっしゃらないと思いますが。) あの頃は、日焼けで鼻の頭の皮がむけちゃったまま、平気で仕事に行ったりしたもんです。 テニス部に入ってるもんですからあ、なんて、ケロッとした顔で言って。(笑)


いつもご苦労様。 投稿者:Mami  投稿日: 8月22日(水)06時17分18秒

sigebouさん、私も姉と同じ英語科に行きました。仕事場では、私はいつも ”うなずき役 ”でした。どちらかと言うと、口数の少ない子だったので。(今は話し出すと止まらない?!)それに、あの頃は音楽的にも主導権を握っていたのは姉でしたからね。
せきぐちさん、sigebouさん、あの頃はやっぱり私の方が黒かったですよ。
”猫 ”は良いグループでしたよね。 私も彼等の ”雪 ”は大好きでした。


お客さんのモノマネ? 投稿者:Mami  投稿日: 8月24日(金)05時15分23秒

そう言えばお客さんのモノマネも昔やったかも知れません。(どんな風にモノマネしていたのかしら?) 大石吾郎さんは今どうしていらっしゃるのかなあ。


写真公開OKです。 投稿者:Mami  投稿日: 8月25日(土)01時35分25秒

姉から Blue Treeさんに送られた私達の ”お宝写真 ”(皆さんにそう呼んでいただいて何だか照れますが)の公開は、もちろん私もOKですよー。 cavtotさん、お気遣いありがとうございます。
写真って、本当に、それぞれが撮影された時代を反映して面白いですよね。
 
姉は、今日イタリアに向けて日本を出発しました。色々な思いを胸に抱いている事でしょう。
”大阪モード ”から ”イタリアモード ”への切り換えが大変かも。(私なんてわずか2週間の日本滞在だったのに、少々戸惑いましたから。)
イタリアからまた、皆さんにお便りがあると思います。


イタリアからボン・ジョルノ 投稿者:RIKA  投稿日: 8月25日(土)08時25分19秒

皆さんイタリアに戻りました。日本語で書かれたこの掲示板を読むとなんだかホッとしています。実は皆さんに謝らなければいけないことがあります。キャッケラータのイタリア語のスペルを間違えていました。 正しくは”chiaccherata”となり、iが一つ抜けていました。
本当にオッチョコチョイの私デス。cavtotさんゴメンナサイ。 と、言うことでこれからもこちらから、チョクチョク参加させていただきますのでヨロシク!


やっぱり飛行機では眠れませんでした 投稿者:RIKA  投稿日: 8月26日(日)02時18分45秒

せきぐちさん、やっぱり怖くて興奮して眠れませんでした。
 それから、sigebouさんのご質問ですが、葛城ユキさんが歌った父の曲「わらぶきの家」は演歌と言うより、ポップフォーク調の凄く歌いやすい曲デス。よくコッキーポップでは流れていたみたいですけど。私も好きでした。また彼女の歌唱がとてもよくて・・・
それから新しく参加されたGOさん、KENさん、Yasushiさん、ようこそ! 今ふと気がついたのですが、私とマミを除いては参加者全員が男性なのですね。 なんだかとっても嬉しいです。ニコニコ・・・・でも女性の方もご参加ください。(と、フォローしておきます。)


わらぶきの家 投稿者:Mami  投稿日: 8月26日(日)04時40分19秒

”わらぶきの家 ”は、父の書いた中で、私が一番好きな曲です。ここでこの曲が話題になるとは、感激です。


それはそうと・・・ 投稿者:Mami  投稿日: 8月26日(日)09時35分49秒

sigebouさんは、私達の父が書いた曲の事など、ずいぶんとお詳しいですね。今掲示板を読み直して、そのことに改めて驚きました。コッキーポップなどでお聞きになったのでしょうか?
 
仲雅美さんは確かに男前でしたが、沖雅也さんのスコッチ刑事は本当にカッコ良かったですね。彼は、私の好きだった ”必殺仕事人 ”にも出ていましたが、あれもカッコ良かったですよ。(彼が出ていた頃は ”必殺仕掛人 ” だったかもしれません。その辺はもう忘れてしまいました。)ファンの皆さんとこんな事までお話出来るとは、嬉しい・・・。
 
GOさん、はじめまして。 それからKENさん、YASUSIさんも。 これからもどうぞ宜しくお願いします。
ライムライト・キャンキャンは、今は勿論解散していますが、私の得た情報によりますと、ドラムの中川まことさんは今でも小林幸子さんや角川博さんのバックバンドで活躍なさっているようです。 ”鉄道草 ”はもしかすると入手し難いかも知れませんが、どうかお気を落とさず頑張って捜して下さい。いつか必ず見つかりますよ。


スクラップブックを見て 投稿者:Mami  投稿日: 8月27日(月)06時09分57秒

今、久しぶりにスクラップブックのページを見て、新しく資料が追加されているのに気づきました。私とまったく生年月日が同じという小舟サン、資料提供どうもありがとうございます。
まったく同じ生年月日、ということは、性格なんか似てるかも知れませんね。小舟さんは何時にお生まれになったのかしら? 私は午前8時40分でしたが、生まれた時間も近かったら、これはすごい奇遇ということになりますね。
 
sigebouさんのような父の大ファンがいらっしゃったとは、うれしい限りです。父も天国で喜んでいることでしょう。 父に対する素敵なお言葉、ありがとうございます。 胸がいっぱいになりました。


探し物はきっと見つかるよね 投稿者:GO  投稿日: 8月27日(月)15時49分52秒

「高所」恐怖症というよりも、「転落」恐怖症なんです。
ですから、飛行機も東京タワーの展望台も大丈夫だけれど、例えば高層ビルの屋上から空を見上げるのはダメなんです。東京タワーや横浜マリンタワーを歩いて登った事がありますが、この階段もダメ。登り切って、展望台に入った瞬間、ほっとするんです。
エンパイアステートビルの展望台は金網が張り巡らされているから大丈夫だけれど、自由の女神の窓から外を眺めるのはダメ。
勝手な、というより、そもそも高いのが苦手なんじゃないんですよ。(自分で勝手に)落ちるのが怖いだけ。そう理解してから、少なくとも落ちる心配のないところだけは怖くなくなりました。 


なるほど、転落恐怖症。 投稿者:Mami  投稿日: 8月27日(月)23時15分17秒

GOさん、では私も”転落恐怖症 ”という事になりますね。 そう言われれば確かに私は、例えば、以前勤めていた会社がシカゴのシアーズタワーの71階にありましたが、全く平気で怖いなどと思った事は一度もありませんでした。 そうかそうか。 分析ありがとうございます。
Blue Treeさん、小舟さんにイケズしないであげて下さいね。 CD1枚とレコード2枚でも、持っていて頂いてありがたいと思っていますから。 宜しくお伝え下さい。


まだ時差ボケです 投稿者:RIKA  投稿日: 8月28日(火)16時23分44秒

こんにちは。 日本を発って4日ほど過ぎますがまだ時差ボケでこちらでの生活のリズムに慣れないでいます。 だから飛行機の中でぐっすり眠れる人が羨ましい。 ところでcavtotサン、早速のスペルの訂正ありがとうございました。キャッケラータを掲示板の欄に、そしてお便りコーナーの欄に風の便りを起用すると云うアイデアもナカナカよいと思いますよ。
それからKENサン、私達の声のヴァイヴレーションの分析鋭いデシタ。アルファー波ですかー。 確かに私達の声質は良く似ている為に良く「あれ、私はどちらをハモっているのだっけ?」などと思いながら聞くことが何度もありました。 「かたくりの花」は当時私は高校生でしたが、父の作品という事もあって、少し大人に近づいた歌唱法を意識して歌った曲でした。


かたくりの花の思い出 投稿者:Mami  投稿日: 8月28日(火)23時13分19秒

KENさん、かたくりの花がお好きですか。歌詞もちゃんと覚えていらっしゃいますね。
実はあの歌をスタジオで録音した時、私はものすごい風邪をひいていまして。そんな事も懐かしい思い出です。
sp−nhさん、”いけず ”は、関西弁です。 関東では使われませんね。 Blue Treeさんとは同じ関西出身同志なので使ったわけです。


ヴァイヴレーション 投稿者:KEN  投稿日: 8月29日(水)22時32分55秒

>sigebouさん、この質問の答えはRIKAさん、Mamiさんのご専門かと思いますが、私なりに調べてみました。
私も投稿する前ビブラートと言う言葉も頭をかすめました。バイブレーションではまずかったのかなと、思っていました。しかしRIKAさんもヴァイブレーションと書いておられましたので、実はほっとしていたのです。
バイブレーションを辞書をひくと、「声をふるわせる事、ふるわせて出す声」とあります。
ビブラートをひくと、「声楽で、くりかえして自然にあらわれる、音の高さのわずかのゆれ」とあります。
バイブレーションは英語だと思います。ビブラートは辞書にイと書いてあるのでイタリア語ではないかと思われます。バイブレーションは他にも振動という訳もあるので、音楽関係の言葉とするとひょっとしてビブラートの方が良いのかも知れない、とも思えます。
しかし私も音楽の専門用語に関しては全くの素人ですので、あとはRIKAさん、Mamiさん、宜しくお願い致します。


ヴァイブレーションとヴィブラート 投稿者:Mami  投稿日: 8月29日(水)23時15分35秒

これは、KENさんのご説明で合っていると思います。どちらも意味は同じで、それを英語で言うか、イタリア語で言うか、の違いだけですね。でも勿論、古くから音楽用語として使われているのは、ヴィブラートです。
KENさんは ”調べもの ”がお好きですか? 実は私もそうなんです。もしかしてKENさんは私と同じA型かしら?
 
sigebouさん、”帰り道は夕焼け ”懐かしい!(この曲は、後年詞もアレンジも変えて ”Stardust Serenade”となって、”バハマ ”のB面に収まっています。)ご質問の答えですが、ああいうのを何と呼ぶのか、私も知りません。あれも旋律の一部だと考えて頂いて良いと思います。(姉の意見はどうでしょうか。)
sigebouさんから頂いたような、音楽的な質問は楽しいですね。これからもどんどんどうぞ。


チューインガム未発表曲アルバム 投稿者:Mami  投稿日: 8月31日(金)02時55分29秒

チューインガム未発表曲アルバムが、遂にmp3にアップされました。トップページにリンクも付けて頂きました。(cavtotさん、ありがとうございます。)今現在のところでは、プレイバックで聞いて頂く他には、ネットCDのみ購入が可能ですが、数日の内にDAD CD(実際のCD)も購入可能になる予定です。皆さんどうか聴いて下さいね。
mp3では、CDの購入も大切ですが、いかに頻繁にプレイバックされるか、という事が、チャートなどに影響する一番大切なファクターですので、ファンの皆さん、どうかプレイバックを頻繁にお願いいたします。どうか宜しく! お聞きになった感想などもお聞かせ下さい。
gazboさん、mp3の聞き方ですが、各曲の下にあるプレイボタンをクリックして頂けるとお聞きになれます。 最初はLo−Fiでお聞きになってみて下さい。(Hi−Fiの方が音質は良いですが、PCの機能によっては、音が途切れたりする事があるかも知れません。)


私も感激でーす 投稿者:RIKA  投稿日: 9月 1日(土)06時04分55秒

Mp3の聞いてその上皆様からのコメントまでいただいて感激しています。
それから、「AM神戸」の掲示板も読ませていただきました。 あらためて「海の見える放送局」は息が長く皆様から親しまれている曲なのだなーと嬉しくなった次第です。 音楽活動をしていた自分たちの思い出が最近新たに甦ってきたようで自分でも複雑な心境を味わっています。


最近良く来る問い合わせ 投稿者:西川敏弘  投稿日: 9月 1日(土)11時39分53秒

みなさんこんにちは
RIKAさんにもAMK-FUNをごらん戴き大変感激しております
さて、みなさんにお伺いしたいのですが私もあのようなページを開いておりますといろいろなメールをいただきます
最近よくある質問で、「海の見える放送局」は昔「コッキーポップ(大石吾郎さんの番組)」で、この曲はもともと「海の見えるポート神戸」というものだったのですかという変な内容が、まとめて違う人からきて驚いておりましたが、どうやらあの2chのネタだったようです。
 私は、その2ch掲示板のことを知らなかったものですから、「コッキーポップ(大石吾郎さん)」は、確かにAM神戸の深夜番組でネットしていたと思いますが・・LPの解説では、この曲は港の曲というより、LPに書いているように元々須磨にある小さなラジオ局をイメージしたものだし、「海の見えるポートこうべ」では他の歌詞とつりあいがとれないのではないかとコメントしておりました。
 もし、このあたりのこと(古い話ですが)覚えておられましたらお教えください


さっそくお応えします 投稿者:RIKA  投稿日: 9月 1日(土)18時22分28秒

最初から「海の見える放送局」です。 どういういきさつで「海の見えるポート神戸」となったのか疑問です。 最初から海の近いところにあるラジオ放送局をテーマにして作った曲です。 勿論須磨のラジオ関西をイメージできますが、アロハ調を意識してハワイにあるラジオ放送局をイメージする事もできるんですよね。 これはお聴きになったそれぞれの皆さまのイマジネーションにお任せです。 おわかりいただけたでしょうか。


mp3のリンク 投稿者:Mami  投稿日: 9月 2日(日)02時52分41秒

この度、AM神戸のホームページにも、私達の mp3のリンクを付けて頂きました。 西川さん、ご協力ありがとうございます。 cavtotさんにも相談に乗って頂いたりして、ありがとうございました。
早速皆さんに聴いて頂いて、感想も聞かせて頂いて、とっても嬉しいです。(こうのさん、お礼を言わなくてはならないのは私の方です。)
父の写真は、家族皆でコロラドに旅行した時に撮影されたもので、あれはいつ頃だったかな。 確か ’90年頃だったと思います。


2000カウントおめでとうございます 投稿者:RIKA  投稿日: 9月 2日(日)18時37分07秒

1000カウントからアッという間に2000にたどり着きましたね。 これもBlue Treeさんをはじめ、スタッフのアイデアと実力の成果だと思います。
 つくづく最近感じたのは何事にも勿論楽しむ事が一番ですが、それに熱をいれないといけない、という事です。 私にもいい勉強になりました。
 話は変わりますがKENさんのお言葉をありがたく思います。 グループ名をいろいろ変えたのは「チューインガム」というイメージにこだわらないように、というスタッフの人たちのアイデアでしたが、本人の私達には今ひとつ納得がいかないものがありました。 結果的には名前を戻す事になり、たいへん満足したわけですが、何となくその段階で力が尽きた感じで活動を中止したという次第です。 姉妹だから解散してもまたいつでも一緒に歌えるね、という形の「解散」でした。
あれから、15年以上も経過したんですよね。 でも今でもこのように私達の音楽を聴いていてくださる方が居る事を知って心から嬉しく思っています。


遅れ馳せながら 投稿者:Mami  投稿日: 9月 3日(月)00時58分54秒

2000カウントおめでとうございます。 Blue treeさん、 cavtotさんを始め、 掲示板を通して知り合うことのできた皆さんのことは、”古き良き友 ”という気がしています。
皆さんの想い、励ましの言葉、・・・ いつも心を打たれます。
チューインガムを ”解散 ” しても、音楽はいつも私達の中で生きていました。 今回また私達の音楽を皆さんと分かち合える機会が持てたことを、とても嬉しく思っています。
皆さん本当にありがとう。


チューインガムCD発売について 投稿者:Mami  投稿日: 9月 4日(火)07時32分28秒

チューインガム未発表曲アルバム ”Family Legacy”のCDの発売が、mp3の不手際により、大幅に遅れていますが、Dolphintide Productionでは、何としてもCDの発売が可能になるようにと、現在努力しているところです。
ご希望の方は、mp3のチューインガムのページの ” アーチスト・コンタクト ”をクリックして、メッセージをお残しください。 発売可能になり次第、Dolphintide Productionより、メッセージを残された方全員にメールにてお知らせいたします。


感激しました。 投稿者:Mami  投稿日: 9月 4日(火)10時07分15秒

sigebouさん、永年ファン宣言ありがとうございます。 感激です。10年後、20年後、 30年後もこうして皆さんとお話出来るといいなあと思っています。 いつまでも仲間でいて下さい。
 
mp3チャート情報をお知らせします。
現在、”Illusion”(フランス音楽チャート赤丸15位)、”置き手紙 ”(J−Popチャート36位)、”遠ざかる五月リプライズ ”(詩情曲チャート20位)の3曲が好調のようです。 ”Divi−Divi Tree”もJ−Popチャートで45位まで上がってます。
皆さん、プレイバックありがとうございます。 これからもプレイバック宜しくお願いします。 この前のメッセージで申し上げたように、CD発売が遅れて、歯がゆい思いをしています。 皆さんごめんなさい。 発売可能になり次第、お知らせします。


フランス語の曲 投稿者:RIKA  投稿日: 9月 5日(水)00時10分01秒

mp3のチャートの情報をマミから聞きました。フランス語で書いた曲「イルージョン」がフランス語の音楽のチャートの上位20位の中に入っているそうで、笑ってしまいました。
この曲はまだ音楽活動をしている頃結構おフランスに凝っていた私がフランス語を習い始めて、是非フランス語で曲を書きたい、と必死の思いで辞書を片手に書いたモノです。全体の詩の手直しは当時のフランス語の先生にお願いしました。そしてデモの録音の時は無理矢理マミにフランス語の発音の特訓をしてハーモニーを付けさせて・・・
そんなイキサツで作った曲なのでmp3で聞いている人が結構いるとは不思議な気持ちです。でも自分のオリジナルの中でも特に気に入っている曲なので嬉しいデス。
 おフランスに凝っていた私がイタリアに移住したという事実はもっと笑えますが・・・ 


特技について 投稿者:RIKA  投稿日: 9月 5日(水)17時36分21秒

sigebouさんに誉めていただいて恐縮です。でも私が語学が話せるのは単にそれぞれの土地で生活したからです。 毎日パンと水を買いに行かなくてはいけませんからね。(笑)
ただし私も不得手な事いっぱいあります。 たとえば「お裁縫」(家庭科の授業は苦痛でした)それから「絵を描くこと」です。 この機会に皆さんの「特技」を是非教えてください。
 KENさんのお言葉もありがたく思います。 あの「風と落ち葉と旅びと」は幼い天真爛漫な気持ちで書いた、という所がかえって人びとに感動性を与えたのでしょうね、きっと。今の私ではとてもあんな風にあっさりと言ってのけられない気がします。
 KENさんから「オペラ」のお話がでましたが、実際私は「オペラ」には全く無知でした。というよりも毛嫌いをしておりました。通訳の仕事上、そんな事を言っていられなくなり、しかもミラノには「スカラ座」と云う世界的に有名なオペラハウスがあるのでヤッパリ一度観に行かなくては、と思って今年の6月初旬に初めてスカラ座に行き、ヴェルデイのオペラ(リカルド・ムーテイ指揮)を観て感激し、すぐに父に電話をしました。 彼の「やっとりかもオペラの良さがわかったね。」という最後の元気な言葉が耳に残っています。 


子守歌 投稿者:Mami  投稿日: 9月 7日(金)06時46分55秒

子守歌、ですか。 アイデアとしては悪くないかもしれませんね。 私は子守歌が大好きです。
私個人としては ”竹田の子守歌 ”が一番好きな子守歌ですが、子供達の為によく歌ったのは ”ゆりかごの歌 ”です
実は、自分でも二年ほど前、長女の為に子守歌を一曲作りましたが、それはピアノ曲で詞がついていません。(長男の為にも一曲作らなくっちゃと今考えているところです。)
 
せきぐちさん、私達が持っていたのも新潮文庫のリルケ詩集でした。


主よ、秋です 投稿者:sigebou  投稿日: 9月 7日(金)14時10分37秒

今だから言いますが、リルケ詩集の一遍をRIKAさんがラジオで読まれたことがあるでしょう。
覚えているのは、頭の「主よ、秋です」と最後の「落ち葉が舞い散るときに」と、詩の中の「彼等に」を「かれなどに」と読まれていたことです。これも暴露になるのかしら・・・ちょと不安。
 みなさん同様、僕も当時探しましたよ、リルケ詩集。ちょっと読み始めましたが、文学的素養のまったく無い僕は、睡眠導入剤だったような気がします。
 でも、歌の方の「リルケの詩集」を聴いて、当時高校生だった僕は、ニレの木陰に芝生のある大学にあこがれたもんです。大学生って絵になるなあって。実際進学したのは機械工学だったので、毎日作業服と油にまみれ、僕の夢ははかなくも散ったのでありました。


参った参った! 投稿者:RIKA  投稿日: 9月 7日(金)15時19分12秒

皆さんの特技はまず第一に「記憶力」だと思います。sigebouさんの暴露には参りました。よーくあの時の事覚えています。私の不得手の一つが「漢字の読み」であの時も間違えて読んだ後、「しまった!」と思ったのが遅かったのです。 漢字大得意の父に「アホやなー」と云われたのを思い出しました。へへへ・・・
それから、LPの挿し絵ですがとてもうまく描いているモノは当時のクラスメートで絵が得意だった飯橋寿子さんによるものです。 今頃暴露してしまいました。
「子守歌」の件ですが、昔「トウトウ・マランバ」と云うブラジルの子守歌が気に入って録音したデモがあります。 大変きれいな旋律ですが、子供達に「早く寝ないとトウトウ・マランバと云う名の悪魔がさらいに来るヨー」という内容の詩デス。 機会があれば今度皆さんにそのデモをお聞かせしましょう。
 それから「私の甘ったるい声」の事ですが、本人はとても不満でハスキーな渋い声がどうしてでないのかしら、と悩んだものでした。 でも未だにさほど変わっていません。
「リルケの詩集」は私の本棚にはもうなく、とても残念です。 リルケはとても繊細な詩を書きましたが、バラのトゲが刺さって亡くなった、と幼い頃知ってショックを受けた事も思い出しました。 


著作権 投稿者:Mami  投稿日: 9月 8日(土)22時59分10秒

著作権の話ですが、これは複雑で難しい話ですね。 作詞作曲者、出版会社などを守るために、色々な可能性を考えてどうしても複雑にならざるを得ないのかもしれません。 印税の確保だけでなく、例えば盗作を防ぐためにも、著作権は大切な役割を果たしているわけです。
検索で私達の古い曲が見つからなかったのはどういうわけかわかりませんが、出版権利は今でもYAMAHAとCBSソニーが持っていると思います。 印税の分配は、作詞作曲者と出版会社との間で、きちっと決められています。
 
あのー、皆さん。LPの挿絵は、姉と姉の友達だけによるものではないですよー。 私も描いてますう。 全部姉によるものと思われていた方が多いようで、寂しい思いでございます。


挿し絵の件ですが・・・ 投稿者:RIKA  投稿日: 9月 8日(土)23時19分06秒

私の暴露でなかなか盛り上がっている挿し絵の件ですが、お願いした友達の飯橋寿子さんには「お友達のお願い」という形でしたので特別のお礼は支払わなかったです。
 でも合歓の里のポプコンに招待したり、東京でTVに出演した時も招待したり、(彼女の妹さんもマミと親友だったので)皆で合宿気分で楽しんだのを覚えてます。
 実は私事なのですが、引っ越しをして電話を新しく契約して開線になるまで2週間かかるので、しばらくこのページからは遠のきます。
 皆様お元気で。(本当にイタリアに居ると、待たされる事が多いのですよね。トホホ・・・)


挿絵の話とその他の話。 投稿者:Mami  投稿日: 9月10日(月)00時58分35秒

Blue Treeさん、私の挿し絵にちゃんと気づいて下さってたんですね。 数まで数えて頂いて、恐縮です。 すねたりしてごめんなさい。
 
KENさんの私の挿し絵への心温まる評価、ありがとうございます。 私は絵を描くのは昔から好きだったのですが、まあ下手の横好き、といったところでしょうか。姉のお友達と彼女の妹さんは、子供の頃からプロ顔負けの才能でした。
ジャニス・イアンは、曲の素晴らしさと、暖かみのある声が良いですね。 それに彼女はギターがものすごくうまいんですよね。
 
yosinonさん、私達のベストヒットアルバムを、”目ん玉が飛び出る位の ”高値でお求めになったそうで、何だか申し訳ない気がします。 今でも中古で売っているなんて、驚きです。どうしても入手出来ないレコードに関しては、ラジオ局にリクエストするという手もありますね。その曲にまつわる思い出話などを書いて送れば、NHKなどは結構良心的に捜してかけてくれると思いますが、如何なものでしょう?


シングルのB面 投稿者:Mami  投稿日: 9月11日(火)00時47分23秒

せきぐちさん、”No,No,No”を気に入ってくださってたんですね。 あの曲は、私達の尊敬する梅垣達志さんが書かれたもので、歌うのは結構難しかったのですが、作・編曲のセンスの良さで、カッコよく仕上がっています。
シングルのB面って、実はとても大切な役割を果たすものなんですよね。 A面のトーンを整えるという意味で。 だからB面の曲選びは慎重に行われます。 私達のシングルの中で唯一、どういう理由でB面に選ばれたかわからないのが ”ぼくらのもくばはせかいをまわる”です。 あの曲は何処から来たのか、何を理由に選ばれたのか、正直言って全くの謎でした。 今でも理解出来ません。(作曲者さん、ごめんなさい。)


私は大丈夫ですよー。 投稿者:Mami  投稿日: 9月12日(水)03時35分39秒

ほんとに今、アメリカは大騒ぎです。 シカゴの街も全閉鎖になりました。心配してくださった皆さん、私は大丈夫ですのでご安心ください。ありがとう。 (sigebouさん、あなたの古い友人はシカゴ郊外の田舎で無事ですからねー。)


笑わない声? 投稿者:Mami  投稿日: 9月12日(水)03時57分57秒

漆畑さん、私の声の魅力(?)をお褒めくださってありがとうございます。
私達の声って、少年少女合唱団みたい、ですか? あれよりはもうちょっと色気があったように思いますが。(笑) 笑わない声、ですか。ウーム。 ハモると機械的に聞こえてしまうのでしょうか。
 
ところで、ご質問にあった、”風と落ち葉と旅びと”の、 ”風は友達、落ち葉は仲間、一人で旅する心の仲間・・・”の部分ですが、 はい、そうです、笑っています、私達。当時、姉が仲雅美さんのファンだったもので、よく二人で冗談で、”風は友達、落ち葉はなかまーさみー”と言って笑ってたんですよね。 それを思い出して、歌いながら二人で顔を見合わせて笑ったのが、そのままテイクになってレコードになったというわけです。 スルドイですね、漆畑さん。
 
せきぐちさん、そうです、”黄昏ドライヴ・マップ ”のジャケットのあの黄色い物体は、車です。


お久しぶりです 投稿者:RIKA  投稿日: 9月15日(土)08時07分04秒

ご無沙汰してました。 やっと自宅の電話の線がつながってネットが出来るようになりました。
ひさしぶりにこのページを読ませていただきましたが、やはりニューヨークのテロ事件も話題になっていますね。 私の住むイタリアでも毎日さかんに報道されています。 たくさんの罪のない人々が尊い命を絶つ事になって本当に悲惨な事件です。このテロの集団は心のない「殺人鬼」ですよね。 飛行機苦手な私は益々飛行に乗るのが怖くなりました。


Thank You! 投稿者:ちゃち  投稿日: 9月17日(月)03時31分34秒

BlueTreeさん、sigebouさん、SP-nhさん、gazboさん、せきぐちさん、いろいろ情報ありがとうございます。
「風と落葉と旅びと」はCDで聴くことができるんですね。さっそく捜してみようと思います。手に入ったら正座して聴いてしまいそう(笑)
それとBlueTreeさん、ご指摘の通り神戸の生まれなんですが今は仕事で埼玉にいます。時々実家に帰りますので、AM KOBE聞いてみますね。
ちなみに大学時代は豊中市曽根に下宿してました。チューインガムのお二人も曽根駅前のダイエー行ったことあるのかなあ・・・? とか思ってしまいました。


曽根駅前のダイエー 投稿者:Mami  投稿日: 9月17日(月)11時33分38秒

よく行きましたよ、ちゃちさん。 もしかしたら知らずにすれ違っていたかも知れませんねえ。
”風と落葉と旅びと ”がんばって見つけてください。 見つかったら知らせてくださいね。私も心の中でちゃちさんといっしょに聞かせていただきます。


かたくりの花 投稿者:Mami  投稿日: 9月18日(火)09時18分07秒

KENさん、レスポンスが遅くなりましたが、大掃除でEP2枚出て来て良かったですね。
”かたくりの花”で、私達が交互に主旋律を歌っているのがよくお分かりになりましたね。 もしかして私の鼻声で分かってしまったのかしら?(笑)あれは私にとって、初めてのソロのパートだったので、風邪をひいてしまったことが本当に口惜しく情けない思いでした
私達のオリジナルの中では意外と知られていない曲のようですが、私が好きな中の一つです。 それから、”リルケの詩集”のB面の ”この花をあなたに”が、すごく好きなんですよね、私。 いい曲だなあ、と思いながら歌ってました。


この花をあなたに 投稿者:こうの  投稿日: 9月19日(水)00時30分48秒

私も「リルケの詩集」のEP版を持っているので、B面もよく聴きました。ディスコグラフィーで調べたら、RIKAさんの作詞なのですね。
恋の想いを歌った胸キュン系(?)の歌、当時は同じ気持ちになって聴いていました。いつも片思いばっかりだったので(^_^;;


胸きゅんの歌 投稿者:RIKA  投稿日: 9月19日(水)07時13分00秒

こうのさんのご指摘通り、片思いで胸きゅんの気持ちを「この花をあなたに」に託して詩を書きました。 あの当時誰に恋していたか・・・もう忘れてしまいましたが。 あ、そうだ思い出した。でもこれは「ひ・み・つ」です。


ゆらゆらゆれて 投稿者:Mami  投稿日: 9月19日(水)22時31分58秒

BlueTreeさん、この曲は、”ぼくらのもくばは・・・”と同様に、何処から来たのか、何が理由で選ばれたのかわからない、”謎のB面曲”です。したがって作曲者がどんな方なのか知りません。 正直言って、この曲がどんな曲だったかも覚えていません。(作曲者さんごめんなさい。) もしかして姉が知っているかしら? 姉からのフォローを待つことにしましょう。


Q 投稿者:SP−nh  投稿日: 9月20日(木)00時12分35秒

MamiさんRikaさん
>何処から来たのか、何が理由で選ばれた
>のかわからない、”謎のB面曲”です。
 
それって、いきなり「はい、これですよ〜」って感じで譜面を渡されるような感覚なのですか?
自作曲でない曲、しかも知らない人の曲を歌うことになった、その時の気持ちってどうでした?


自作でない曲 投稿者:Mami  投稿日: 9月20日(木)11時25分35秒

SP−nhさん、そうですね、スタジオに入る少し前に譜面を渡されて、”これがB面になる曲です。”と言われて、ああそうですか、って言う感じかな。 その時に、どうしてこの曲に決定したのかなあ、この人は誰なのかなあ、とは思いましたけど、まあいいか、もう決まっちゃった事だしー、で、深く追求することなく割と素直に受け入れていました。
でも、申し訳ない話ですがやっぱり自分達の作った曲よりはどうしても印象が薄くなってしまって、レコーデイングが終わったら、それ以降は歌うことはほとんど無かったですね。(”黄昏ドライヴ・マップ”や ”忘れていたニックネーム”のように、他人の曲がシングルのA面になった場合は、もちろんそういうわけには行きませんでしたが。)


マミさんのギターは? 投稿者:せきぐち  投稿日: 9月22日(土)10時44分47秒

りかさんのギター見ました。とてもきれいですね。大事にしまわれていたのでしょうね。★マーク入りのサインがまたいいですね〜。
ところで、マミさんのギターもあるのでしょうか?


私のギター 投稿者:Mami  投稿日: 9月23日(日)04時12分00秒

せきぐちさん、 私のギターは、子供達の為に保存しておきたいと思っているので、日本からこちらに送ってもらえるよう手続きをしてあります。 届いたら写真を撮って、このHPに載せていただけるようにしますね。 あの頃私は何しろ子供だったもので、自分のギターにムーミンのシールか何か貼っていたんですよね。 まだ貼ったままになっているかなあ。(この夏帰国した時に見るのを忘れました。)


色々な話。 投稿者:Mami  投稿日: 9月24日(月)06時27分41秒

sigebouさん、お久しぶりです。 LPの選曲は、私達二人と、父、レコード会社の人、プロダクションの人、の皆で楽しくワイワイ話し合って決めましたが、どの曲がA面に入ってどの曲がB面に入るかというのは、レコード会社の人にお任せでした。 (LPの場合は、A面とB面、というよりは、全体の流れを考えて曲の ”配置 ”が決まります。)
私もチューインガム時代は、YAMAHAのギターが世界一だと思ってました。 白いギターの後に使いはじめたYAMAHAのフォークギター、今でもまだ持っていますよ。 このギターは今はほとんど弾くことはありませんが、私と一緒にアメリカ留学もした思い出いっぱいのギターなので置いてあります。
 
SP−nhさん、すみません、私も今度レコード針を買う時は少し高価なものにします。私も子供の頃はFコードの音がどうしてもきれいに出なくて苦労しましたよ。 だから当時は、高音だけがFコードになるような押さえかたをして弾いてました。
 
KENさん、ソナチネというのは、ソナタに比べて全体の長さが短いものの事を言うみたいですね。 ですから、ソナチネはソナタのミニ版といったところでしょうか。 前途多難とおっしゃいますが、エリーゼの為にが弾ければ大した物ではないですか! あれ難しいですよ。これからも頑張って続けて下さい。 私も今でも時々楽譜を買って来て、一人で練習しています。 一緒に頑張りましょうよ。


ギターとピアノについて 投稿者:RIKA  投稿日: 9月25日(火)07時06分23秒

ちょっとご無沙汰している間にギターの話で盛り上がってますね。
 私は6歳の時にピアノのレッスンを習いに通い始めたのですが、いつも一緒に着いて来て傍で聞いていた当時4歳のマミがまだ習っていないうちから耳で覚えて急にピアノを弾き始めたのには驚かされました。 それから彼女もピアノのレッスンを受けることになり、たちまち腕が上達してなんとなく私は面白くなくて今度はギターに挑戦したのですがそのギターの腕前もまたあっという間にマミに先を越される事になり、姉としては面目のない思いをしたものです。
 なんせ彼女は絶対音の持ち主なので調律は簡単にこなせるのが強みなのです。 チューインガムのデビュー当時は2人でギターを演奏していたのですが、バル・バルーンの頃はすっかりマミがギターの担当になったのに皆様はお気付きでしょうか。 「ブロークン・ハート」というシングルの曲ではマミが遂に赤いエレキギターを購入して演奏していました。 そんな訳でわたしの楽器演奏はすっかり趣味化してしまったのです。
 ギターは今でも時々趣味程度に弾いていますがピアノの方はご無沙汰しております。


赤いエレキギター 投稿者:Mami  投稿日: 9月25日(火)14時50分00秒

KENさんや姉からの誉め言葉、ちょっと照れます。 ただ好きで弾いているだけですから。 姉の影響が無かったら始めていなかったと思うので、姉に感謝しています。
あの懐かしい赤いエレキギター、今はもう手元にはありません。 現在私が持っているギターは全てアコースチックです(クラシックギターも1本)。
 
Blue Treeさん、私はステージではカッコつけて ”ブロークン・ハート ”のエレキギターを弾いていましたが(楽しかった)、レコードで弾いているのは、プロのスタジオミュージシャンの方です。 ごめんなさい。


3000カウントおめでとうございます。 投稿者:Mami  投稿日: 9月26日(水)08時06分14秒

1000カウントを超えたら、2000、3000はあっという間でしたね。
KENさん、音楽だけに限らず、下の子は何でも上の子を見ながら聞きながら育つので、確かに得ですね。 私も色々な面で姉から学んだことが多いです。
せきぐちさん、私も一応Aの音叉を持っています。時々確認の為に使います。 電気じかけの音叉(ウーン、なんだかババ臭い言い方だ)は使いません。ポーンと打ってチーンと響くのを聴く、原始的な音叉が一番正直で良いと思っています。
Cの音叉なんて、珍しいですね。


3000カウントおめでとうゴザイマス 投稿者:RIKA  投稿日: 9月26日(水)17時06分00秒

あっという間にまた3000カウントに達しましたね。オメデトウゴザイマス。
なんだかギターの音叉の話と「風と落ち葉と旅びと」のイントロの話で盛り上がっていますね。私は絶対音を持たない、と言いましたがどういうわけか「風と落ち葉・・・」のイントロはいつも頭の中にそのままの音で残っているので音叉が手元にない時はこのイントロの出だしのDの音に合わせて調律しています。
 確かにEP盤の方は若干出だしがゆっくりで途中で早くなっている、と私もずっと感じてました。 こうのさんのご指摘の通り、マミはよく譜面の音と出てくるキーの音が違うととても苦労していたようです。 ただし、アドリブでCMソング収録の時はとても楽チンでノーリハーサルでいきなり本番録音をしたものです。
 そう言えば今まで公開していませんでしたが結構私たちはCMソングや他のアーチストのバックコーラスも引き受けていたのですよ。結構このバックコーラスの仕事が好きでした。ただただハーモニーを楽しんで歌えましたから。


近鉄優勝おめでとう 投稿者:Mami  投稿日: 9月26日(水)23時12分47秒

近鉄優勝ですか! バンザーイ。 天国の父もさぞかし喜んでいることでしょう。 高校生の頃、良く父と一緒に近鉄の試合を見に行きました。球場のおうどんおいしかった。
こうのさん、
>もっとも譜面を見ながらキーを変えて歌を歌おうとすると、絶対音感の
>人は、苦労すると聞いたことがありますが。(譜面の音と出てくる音が違うと
>混乱するらしい)
・・・まさにその通りです。 トレーニングなどをして、絶対音を ”習得 ”した人の場合は、その点機転が利くと思うんですが、私のように、たまたま絶対音を持って生まれて来てしまった人は、機転が利かなくて混乱してしまうのです。
 
姉は絶対音が無いと言っていますが、CMソングやバックコーラスの収録の時は、何でも一発でやってのけてましたよ。 私にとっては最高のパートナーでした。


近鉄の監督 投稿者:Mami  投稿日: 9月26日(水)23時53分48秒

近鉄の監督さんって、梨田さんですよね? 現役の頃、大ファンでした。 セ・リーグでは、ヤクルトが好きです。 関西人というと、とかく阪神ファンと思われがちですが、私は、大アンチです。(阪神ファンの皆さんすみません。)


CMソングとバックコーラス 投稿者:RIKA  投稿日: 9月28日(金)08時18分39秒

CMソングはほとんど忘れてしまいましたが、覚えているのは「ひよこ饅頭」で最後に「ヒ・ヨ・コ」と言うのが楽しかった。それからどこかの鉄道のCMソングとか、京都の味ビルのテーマソング(今でももしかしてこのビルの中でかかっているかも知れません)。
バック・コーラスは火曜サスペンス劇場で岩崎宏美さんのバックと「ラジ」というシンガーのコンサートの際にバックコーラスを担当したり・・・それからエーッと・・・マミ、ヘルプ!


ヘルプ 投稿者:Mami  投稿日: 9月28日(金)09時18分26秒

それではヘルプ!(笑)させてもらいます。
えーとバック・コーラスは、アイドル歌手では当時新人だった大沢逸美さんのシングルとLPをやりました。それから、それから・・・私ももう忘れてしまったなあ。 随分沢山やりましたから。 また思い出したらお知らせします。
 
CMソングでは、ノーベル・ボンボンのテレビCMを、私達自身も出演して作りました。あのCM撮影は確か六甲の山の上で行われたのですが、撮影の最中にスタッフの人が牛に追いかけられたりして、大変でした。 それから、自転車で坂道を降りるシーンがあって、自転車があまり得意ではない私は、非常に怖い思いをしました
”ヒ・ヨ・コ ”は楽しかったけど、結構難しかったんですよね。 ”もうちょっと感情入れて!”とか、”ひよこの可愛い感じを出して!”とか言われたけど、あんな短い中に、どうやって感情入れるの?! と思うとおかしくて。 結果は、気に入っていただけたようでしたが。
 
QAZさん、”ある行動”って、どんな行動なのでしょうか? 興味深々。
ちくわまんさんって、Blue Treeさんのお知り合いの方なんですか? はじめまして。 又書き込んで下さいね。


余談 投稿者:Mami  投稿日: 9月28日(金)09時28分21秒

キリンビールのCMソングの ”Together”で、私達と一緒に歌う男性の声にお気付きでしょうか? あれは、元ゴダイゴのトミーさんです。


Togetherとトミーさん 投稿者:せきぐち  投稿日: 9月29日(土)01時09分01秒

ドラムのトミーさんですね。
英語バージョンの方をよく聴くと、なるほど、男性が一緒に歌っていますね。さすがにトミーさんかどうかまでは聴いただけではわかりませんが。左チャンネルからはマミさんの声も聞こえますね。
ところで、Blue Treeさんもディスコグラフィーで書かれていますが、”MORE"ってどういうコンセプトだったんでしょうか?


MOREのコンセプト 投稿者:Mami  投稿日: 9月29日(土)02時29分58秒

せきぐちさん、実は私にもさっぱり分かりません。(爆) 私達が続けていくかどうかわからなかったので、メンバーの流動性をほのめかす意味で考え出された ”コンセプト ”だったのではないかと思います。
 
QAZさん、現在高校生のお二人のマツダマミさんのご両親なら、私達の事をご存知かも知れませんね。 私達って、”昔 ”なんだなあ。(そりゃそうですよね。デビューしたのがもう30年近く前の話ですから・・・。)


逃げた小鳥について 投稿者:RIKA  投稿日: 9月30日(日)22時32分50秒

KENさんのご感想を聞いてうれしく思います。 そうですね。自分でもあまり意識した事がないですが、口を大きく開けて歌っていたのかな? 言葉ははっきりと表現する、というのは常に意識していたように思えます。
 まだマイナーの曲を上手く歌いこなすのには早いかも?等と言われて張り切って作ったのが「逃げた小鳥」です。父が補作曲をしたので彼から歌い方のアドバイスを受けてレコーデイングの時にとても力が入ったのを覚えています。 実際の経験に近いストーリーをテーマにしています。 当時飼っていたセキセイ・インコの「ムク」(ムクをテーマに「小鳥よ飛びなさい」を作りました。)が逃げた時かもしくは死んでしまった時に書いたのだと思います。
あの当時はまだ恋愛の痛みは経験なかったのでどうしても動物やペットを失う悲しみを歌う事しか出来なかったのですよね。 
話が変わって「トウギャザー」のオリジナルは私も誰が歌っていたのか記憶にありませんが、(レコーデイングの際にプロデユーサーから一度聞かされただけなので)確かアメリカのコーラス・グループだと思います。
 英語の詩は米ケネデイー大統領が演説で言ったセリフをもとに作られたものだそうです。 手に手を取って皆で夢を実現させよう、と云う内容の詩はいかにもアメリカの大統領が演説しそうなセリフですよね。


管理者:Blue Tree

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