アグネスチャン |
「The Twelfth Of Never」 Webster・Livingstone作詞・作曲 with Love From AgnesFA 7 (LP) 197x.x |
うーん、何から書こうか、、いっぱいありすぎて困ります。でも、うんと端折ってこのページのテーマである、歌を中心に書いていこうと思います。が、どうなりますか・・・。
最初から失礼ながら、今ではアイドルのスターダムにのし上がったあの頃には戻れないでしょうけど、まだ現役で頑張っているようなのでちょっと遠慮して、紹介曲は香港のLPに収録されたものにしました。
(紹介曲について:「The Twelfth Of Never」はポール・フランシス・ウェブスターとジェリー・リビングストンの作。1957年ジョニー・マティスでベストセラー。1973年ダニー・オズモンドがLP「Alone
Together」に収録し全米8位、ミリオンセラーを記録する。・・・以上、CD「The Very Best Of The Osmonds」POCP-1609 1996.6.1から抜粋。 オズモンドブラザーズは、ジャクソン5とともに日本でも人気のあったグループ。この曲は「恋する年頃」という題名で日本でもヒットした記憶があります。)
歌さえ聞ければそれでよし、というわけにはいかなかったのが、アグネスです。日本語がわからず習慣も違うこの国で、家族から一人離れて心細さとホームシックに耐えながら頑張る彼女をいとおしく思ったものです。
そんな壁を乗り越え、押しも押されもしないアイドルスターとなり、学業もおろそかにせず上智大学に入学し、しかも優秀な成績を修めていると聞き、多くのファンはアグネスのファンであることに、誇りさえ感じたものでした。おそらく、大部分の(とりわけ熱烈な男性)ファンはアグネスを理想の女性として見ていたでしょう。そしてそのファンの中に自分もいました。1つ年上の彼女は一方通行の恋人でもありました。
あまり良くない話として、アグネスは周囲の人たちとの衝突が多く、マネージャーや付き人がたびたび代わるという話が聞こえてきていました。が、それは彼女の芯の強さであり、その裏返しとしての強情も、日本での彼女を支えてきたのだとファンは思い、ファンである気持ちをいささかも萎えさせるものではありませんでした。
彼女のファンの特徴として女性ファンが多かったというのがあります。コンサートでは、「えっ」と思うほど女性が多かったです。小さい子から同年代の女性まで、ファンの層は広かったです。
単なるルックスの良いだけのアイドルではありませんでした。「アグネスの小さな日記」「あなたとわたしのコンサート」「初めまして青春」「MeiMei」など、記念碑的なアルバムが次々と発売され、歌にうるさいファンも満足させました。これらのアルバムの中には、彼女の魅力と一致した名曲がひしめいていました。何度も何度も、レコードが擦り切れるまで聴くと、さらにもう一枚買うという繰り返しでした。
1972年のデビュー後の73年から76年8月に引退するまでが、彼女のスターとしての最も人気があった時期ですね。76年6月にビザの書き替えで帰国していた香港で、とつぜん芸能界からの引退を発表しました。それは当時の新聞にも記事が載りました。
アグネス、突然引退を発表 カナダで心理学勉強したい・・・と 【香港26日共同】26日の香港の華字各誌によると、休暇で当地に帰郷していたポピュラー歌手・女優のアグネス・チャン(陳美齢)=(20)=は25日、地方各紙芸能記者招待会見で突然、引退を発表「7月7日に香港を離れ欧州見物をした後、カナダの大学に入って心理学を勉強します」と語った。 この日の会見に姉の女優陳依齢さんと現れたアグネスは「日本にいたときすでにカナダ留学を決めていたが、25日までの家族会議で相談、みんなの賛成を得たので」と前置きして引退を発表した。 「日本へはもう立ち寄らずカナダへ行くのか」との質問に「日本のファンと渡辺プロに申し訳ない。どう引退を申し出ればよいかわからなかったので・・・」と言いながら、姉の肩に顔を埋めて泣き出した。 そうしてこう告げた。−−もし日本で引退を言い出せば慰留され芸能界を去るのが非常に難しい。渡辺プロからも契約更改に香港に来たいという電話があったが、引き伸ばし戦術を今日までとってきた。間もなく私のことを忘れてくれるでしょう。 引退の理由は20歳になったし、日本で3年間勉強した心理学を、9月から新学年の始まるカナダで続けたいからだというが、渡辺プロとさらに契約すれば収入の約85%を税金などにもっていかれるというのも理由の一つという。 日本で撮りかけのテレビ映画「新・二人の事件簿」はまだ撮り終わっていないが、との質問に、しばらく考えたのち「自動車にひかれて死んだことにされてもよい」と答え、記者団は大笑い。 アグネスは姉と一緒に26日フィリピンに向かい、数日間休みをとる。 ・・・・・・・・・読売新聞から |
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しかし、さすがに2年というブランクは長く、この間に多くの一般ファンの関心は、しだいにほかのタレントへと移ってしまっていました。また、復帰後レコード会社をワーナーパイオニアから渡辺音楽出版系のSMSに替わり、そして音楽性が変化したことで、売り上げ枚数も減少していったようです。歌手にとって良い曲を歌い、ヒットさせることが、歌手生活を続けるための何よりも重要な要素です。
私の周囲もその間、変化しました。彼女がカナダから帰国してまもなく、私には婚約者が現れ、アグネスがコンサートで富山へ来たときには、婚約者と同伴で行くことになりました。
そして知り合いの「ひなげしサークル」の人たちといっしょになってコンサートを盛り上げたものでした。比較的小さいホールで、近くでアグネスが見れました。アグネスのおしゃべりが良かったです。地元ファンの手紙を紹介したり、観客がステージでアグネスの振り付けをまねたり、紙ふうせんの曲の弾き語りやNSPの曲が聞けたりと、個人的にはこのコンサートが一番楽しめたと思っています。
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でもこれ以降、私のアグネス熱は急速に冷めたのです。それは婚約者ができたことで、しだいにアグネスが憧れの人ではなくなってきたことと、レコード会社を替わって変化した音楽性が、私の気持ちと合わなくなってしまったことが、同時進行したからです。
アグネスも成長とともに、ただのアイドル的存在から本格的な歌手へと変化すべきなのでしょうが、どう変化すればいいのか模索中だったかのもしれません。だからレコード会社を替わったからというよりも、私にはゴダイゴなどと関わりを持ち始めた音楽の方向に失望したことが大きかったからです。
中には良い曲があったんですが、今まで丁寧な音楽作りがなされていた印象が、しだいにジャンキーな雰囲気になってきたのです。関心が薄れてきたことでコンサートにも行かなくなり、富山のコンサート後の食事会が最後、それっきりサークルの人たちとも会うことはありませんでした。結局、私はそうやってアグネスファンから脱落してしまったのでした。
デビューから1、2枚目ぐらいのLPは、他のアイドルタレントと同じように他人の持ち歌がよく収録されて(いわゆるカバー曲)いました。しかしアグネスはすでに香港を中心に、東南アジアで売れっ子でしたから、「Circle Game」など、香港でのヒット曲も入っていました。当時アグネスはまだ日本に帰化していないので半年に一度、香港にビザの書き替えで帰っていました。そのたびに映画やTVの出演、アルバムの収録、コンサートと、忙しい人でした。
また、アグネスはレギュラーのラジオ番組を持っていましたが、一足に先に新曲を紹介したり、香港に帰国しているときも、テープや国際電話で番組に情報を送ってきていました。(ニッポン放送、「アグネス・カメのチャンチャンポップス」「アグネス・ヒデボウのチャンチャンポップス」「アグネスの大進撃」「おはようアグネス」「ヤッホーアグネス(1976.3.28最終回)」と移り変っていった。「アグネスの大進撃」は一時せんだみつおが出ていた。)
道玄坂の「ひまわり」というレコード屋さんだったと思いますが、レコードの輸入をしていました。通販でも取り寄せてくれたので、1975年と76年に、私も香港やシンガポールのレコードを数枚注文したものです。
BGMにした曲も入っているLP「with Love From Agnes」は、「Three Days」というとても気に入った曲があるんですが、あいにくレコードのセンターホールがずれており、盛大なワウが発生していました。仕方なくセンターホールを彫刻刀で削り、直して聴いていました。向こうのLPの中にはこんなものもあるってことです。(とはいうものの、当時の日本にもセンターずれのシングルならあった)
「Three Days」は、バックがギターだけの物憂いメロディで、アグネスは口説き調に歌っています。これがまたなんともいえない雰囲気で、妙に心をひきつける力があり、この曲を聴いている間はボーっと何もしたくなくなります。輸入盤では最も良い曲の一つです。
左は「with Love From Agnes」の表面 なぜかwithのwが小文字 右は中面 おそらくタイでのTVかショーの1場面 |
香港では香港のやり方があるのですね、当然ですが。別の形で彼女の魅力が表現されていました。
「Three Days」「Nobody’s Child」「Frank Milles」「Laving Song」・・・彼女の持ち歌でなくても、選曲とアレンジがマッチしていました。バックがギター、ピアノ、エレクトーン、あとドラムスと、ユニークかつシンプルな構成が独特の雰囲気に仕上がっており、これが香港でのアグネスのイメージなのかなと思いました。
ライナーノートは当然のことながら、漢字の羅列、中国語で書かれており、なんとなく意味がわかるようなわからないような・・・。 気に入っている曲「Nobody’s
Child(孤兒涙)」の収録時、アグネスは涙を禁じ得なかった・・というような意味(らしい)の解説がありました。
香港などでは出演映画と同時にそのサントラ盤も発売されていました。こういうときはオーケストラも入り、お金がかけられているなぁと思えます。平凡だったか明星(中国語ではスターの意味になるそうで・・・)だったかが撮影した写真をジャケットに使ったLP(それはワーナーにも)もありました。
持っているレコードを聴く限りですが、ほとんどといって良いほど他人の持ち歌・スタンダードナンバーを集めたアルバムですね。たしかに、新しい歌を覚えてレコーディングするひまなどないだろうし、経費もかかるでしょう。
日本でのLPに収録した曲も使われたりしていました。「You are 21,I am 16」はLP「ORIGINAL1 (LSP-9070)」に、「Sayonara Goodby(日本では、さよならの唄)」はLP「with Love From Agnes (FA-7)」に収録されましたが、この2曲はアグネスの作った歌です。
やはりデビューからしばらくは出来の良いアルバムが多く、時間が下るにしたがってしだいに魅力のないものが出てくるようになるものですね。ネタが切れるっていうのかな・・・・。あ、それとも私が心変わりしただけなのか・・・?
日本でもワーナー時代はコンセプトが良いというか、好みのアルバムが相次いで出されていました。シングルで出してもヒット間違いなしといえる名曲が、ぎっしり詰まっていました。
まず、5枚目のLP「アグネスの小さな日記」は8ページのマゼンタカラーのアグネス自筆の歌詞カードが付いていました。アグネスが描いたイラストや、写真も多いのがうれしい。「ポケットいっぱいの秘密」の歌詞で ♪寝顔 やさしくて♪ の部分で‘寝’の字が書き忘れ(アラ探しだったかな)。
音楽的には、いよいよアグネスの特色が出始めたと言えるアルバムです。演奏は全体的に引き締まった作りになっています。
1面1曲目「歌はともだち」はコンサートのオープニングによく使われました。曲の終わりがフェードアウトせず、次の「星に願いを」のドラムがいきなり入ってくるという、おもしろいつなぎに(パンチインていうやつ?)なっています。
「想い出の散歩道」、これはビージーズの「First Of May(若葉の頃)」を思い出させるちょっと切ない曲。「さみしがりや」はどうもアブネスの日常の感情をあらわしているようで・・・
2面、「雪」や「トゥインキー」はアグネスネタです。「ポケットいっぱいの秘密」は、このLPだけのバージョンで、エレキをメインのバック、ピアノの間奏が絶妙。アグネスのちょっと抑えた歌いかたは、♪ひみつ ないしょにしてね 指切りしましょ 誰にも言わないでね♪ の歌詞によく合う、そういう意味では後でシングルカットされた時のアレンジよりも、ずっと作りが良いです。
「さよならの唄」はアグネス自作の曲。この歌詞の状況も「さみしがりや」のようにちょっと悲しい。「星空の約束」はバックがマッシュ・マッカーンの「霧の中の二人」を思わせます。
LP「あなたとわたしのコンサート」は、1曲目「二人だけのコンサート」の出だしが、オーケストラのチューニング風景から始まり、キーボード(エレクトーン?メロトロン?)の遠慮がちなメロディが先導しながらエレキ・ドラムスなどが次第に同調してオケ全体がまとまったところで歌が入るという構成、ちょうどコンサートのオープニングのよう。
「海より青い瞳」「花柄のパラソル」「アップル・パイのラブレター」と、「ひなげしの花」のような甘ずっぱさが漂います。
1面最後の「雨模様」はぐっと沈んで、しかし朗々と歌って聞かせます。どうしてシングルカットされなかったんだろうと思われる良い曲です。コンサートでもよく使われました。レコードでは6分13秒の曲で、私は白黒フィルムの現像時間を測る代わりに使っていました。間奏もしっかりハミングして2回歌うとちょうど12分、暗室での退屈な時間も気持ち良く過ごせました。
2面「私のペンフレンド」は、初めて会うペンフレンドにハラハラドキドキという歌。多重録音(?)によるアグネスのデュエットがあり、ここをオシロスコープで観測するとラスタがぐるぐる回っておもしろい。
「とても好き」はアグネス自作の曲。♪もう 18さい なりましたわ♪ という言葉遣いが独特。 ♪わたしはいつもひとり♪ を ♪わたしはいつもしとり♪ と歌っているのは、ファンにとっては貴重(アグネスは江戸っ子だったのか・・)でしょう。
「白いカナリア」、歌詞は希望が持てる内容なんだけど、曲がちょっと悲しい。それがうまくミックスされて真剣な思いが伝わってきます。
「夢の小径」は歌詞も曲も実にほのぼのとして幸せになるような気分。♪今夜もあなたを 夢で待っているの♪、♪今夜もあなたと 夢であいたいのよ♪ なんてうまい言いまわしなんだ・・・。これはかくれた名曲です。 オープニング「二人だけのコンサート」から始まって「夢の小径」でコンサート終了。
通算10枚目となる、2枚組アルバム「はじめまして青春」の1枚目はヒット曲&カバー曲を収録、それらを「思い出をあける鍵」「思い出をしまう鍵」という気の利いた曲ではさんであります。でも伊勢正三の「海岸通り」は、アグネスで初めて聞いた気がするのですが・・・。その後、イルカあたりが歌ってましたね。しかしイルカの眠い声には、この曲は似合わなかった。この人には「なごり雪」が良い。
2枚目はオリジナル曲を収録、「はじめまして はたち」なるほど、アグネス二十歳の記念曲です。「ハロー・グッドバイ」は後に柏原芳江(だったかな?)が歌う。
「ふたりぼっち」「いつもとちがう私」「灯ともし頃は淋しくて」「東京タワーを鉛筆にして」「おやすみ」が気に入った曲です。どれも、この時期のアグネスに合っているな、という印象の曲ばかりです。
そして「思い出して下さい」は「雨模様」に並ぶ名曲で、アグネス引退のメッセージ曲になったことでもあり、忘れられない1曲となりました。両曲とも長ーい間奏が、なぜか大きな存在感を持っていて間延びを感じさせず、曲全体に重みを増す効果があるように感じます。
「あなたとわたしのコンサート」から、ベスト盤、カバー盤、ライブ盤と続き、これがようやくのオリジナル盤。しかも「あなたとわたしのコンサート」のような甘酸っぱさ、言いかえれば、幼さから一歩抜け出して大人に近づいた雰囲気のアルバムです。
ところで、ジャケットの毛糸の帽子をかぶる写真、嫌です。
引退発表前、最後のアルバム「MeiMeiいつでも夢を」。「雨の坂道で」「街角」「小さなアンブレラ」「陽のあたる場所」「旅人」など名曲がずらり。「美美(MeiMei)」はアルバムタイトルにもなった、アグネス作の良くできた曲。
「陽の当たる場所」で、歌詞の“ドライブ”をアグネスらしくなく、純日本的発音にで歌っているのと、“じてんしゃ”を“じでんしゃ”と発音しているのが貴重です。(またアラ探しの悪いクセ)
「TryAgain」はアグネスが作詞、これも良い曲でアグネスのよく通る声が聞けてうれしいが、ちょっとこってりしているのが残念。「Jip-JipのUFO」は名曲なのに、間奏でわけの分からない掛け合いを入れて大失敗、ほんとにもったいない。「愛はメッセージ」もメロディを繰り返し使い過ぎて重圧感がある。良い曲なのでなお惜しい。
それでも前作と同じく、アイドルから抜け出したかなと感じられる名盤です。
トロント大学在学中のオリジナルアルバム1枚目「お元気ですか」は、日本でカラオケテープを作りそれをロサンゼルスのスタジオに持ち込み、アグネスの歌をアフレコしたものです。ジャケットの写真はそのスタジオのようですね。全体的に落ち着いた曲が多く聞きやすいです。好みはアルバムタイトル同名の「お元気ですか」と、「あなたを包みたい」です。
娯楽 みみコーナー 私変わってません “アグネス”といってもハワイのラムちゃんではなくて、香港出身のアグネス・チャンのほう。昨年夏、芸能界を引退、カナダのトロント大で学生生活を送っているそのアグネス・チャンがレコードを出す。 彼女が所属していた渡辺プロ宣伝部の話によると、「引退して環境が変わっても私は変わっていないということを日本のファンの皆さんにわかってもらうために・・・」とカッコいいメッセージを寄せているが、彼女がいなくなった後もファンの熱はすごいらしい。 いまでも8千人が所属するファンクラブがあり、トロント大心理学科の彼女あてに手紙を出す。その数が週に120通、いまでもスターなのである。中にはカナダまでたずねて行ったファンもいるという。アグネスが「どうしてこんなところまで?」とたずねたら「これが青春です」と答えたそうだが・・・。 レコーディングはロサンゼルスのスタジオで春休みを利用して8日間がかり。もちろん日本からカラオケ(伴奏録音テープ)持参で歌だけの録音だが“さよならステージ”の実況盤(2枚組)が十数万セット売れているアグネス。今度は文字通りの外人タレントとして再登場、また売れそー! そう言えばラムちゃんの方はそろそろ下火? 77年2月16日(水)読売新聞 |
在学2枚目のオリジナル「私の恋人」、すがすがしいジャケットが印象的です。「お元気ですか」からわずか4か月後の発売。アグネス手書きの歌詞カードにはメッセージがあり、それによると、このLPは日本で録音したものだそうです。
在学3枚目は「カナダより愛をこめて」の2枚組、このジャケットの帽子をかぶった写真がとても嫌いでした。1枚目がおもにオリジナル曲を収録、2枚目は昔のヒット曲の焼き直しです。1枚目は短いインストゥルメンタルだけの「イントロダクション」に始まり、「卒業」まで12曲、おおよそポップス調の曲で良くまとまっています。アグネスは「卒業」は今でも涙なしでは聴けないと言っています。そういえば、79年9月に富山へ来たときも、この曲を涙ぐんで歌ってました。
ところで、ジャケット内側のりんごを空中に投げ上げている写真、空の色ムラがとおんなじ。これって、LPのジャケットをカメラ撮りしてるんじゃないの(苦労してるんだ)。なにしろこの色ムラはジャケット製作の‘のりしろが原因なので。それから左側のアグネスの横文字のメッセージ、CD用に縮小したおかげで全然読めないです(LPも読めない部分多々、理由我苦手横文字)。
そう言ゃ、この「カナダ・・」をネタに、どっかのオジさんとオバさんが「ラブレターフロムカーナーダー」なんて歌ってましたっけ。
ついでですが、「卒業」なぜ涙なしでは聴けないのか、そのへんのことはCD「アグネス・チャン/ベストセレクション〜メランコリー〜」CRCP-20242〜3(2枚組2000.5.24日本クラウン)に書かれています。アグネスが選曲し1曲1曲コメントを付けて紹介していて、誰も知らなかったアグネスのことがわかります。
これは今もファンの人も、昔はファンだった人も、全然ファンじゃない人も、持ってても損はないベストです。
芸能界復帰のアルバム「Happy Again」。「風の縁結び」「この窓を開けて」「ある寒い日の朝」などなかなかよろし。「アゲイン」は久々に気に入ったシングル曲。ジャケットのさわやかな写真も含めて、全体的に明るい感じに仕上げてあります。
さて、SMSに移ってからは最初はそれなりでした。最初のアルバム「ヨーイドン」では、のちに石川ひとみが歌った「ハート通信」、ブレッド&バター(だったか?)の一人とデュエットした「つむじ風」、そして「ヨーイドン」などが好みです。アグネスはよく、「つむじ風」の‘つむじ’を‘づむじ’と言って笑わせていました。
次のアルバムが「Agnes In Wonderland」。ゴダイゴミュージックの始まりです。とりあえず「Who Am I?」と「Someone」が良かったようです。
たて続けに2枚ベストが出たあとのLP「ABC Agnes」でもゴダイゴ節。「Mr.Clown」や「Rain,Rain」「Rose Are Red」が良かった(後の2曲はゴダイゴ作ではない)んですが、録音機の調子の悪いのがそのまま使われていて、せっかくの曲が台無しでした。フラッターっていうか、ジャミングっていうか、あれはテープがスリップしてるんですかね、それがカッティングまで通るっていうのもひどいもんです。レコードのコンディションとしては最低です。マスターテープを作るまで気づかなかったんでしょうか。レコーディングのとき同時録再をちゃんとモニターしてれば分かるでしょうが >レコーディングエンジニアさん。
その次「美しい日々」。ゴダイゴ節と縁が切れたみたいだけど、この中で良さそうなのは矢野顕子作「ひとつだけ」の一つだけ。後に矢野さんはこの曲を自分のLPで歌ってます。♪愛してるわ♪ を ♪ねぇお願い♪ に、歌詞を少し変えて。
次の「Message」ではもう覚えている曲がありません。
そしてアルバム「小さな質問」も心に残っている曲なし。エロ(アグネスにしてみれば)まがいのジャケット写真も大嫌いだった(はっきりしろ)。以後は購入せず。
「はじめまして青春」や「MeiMeiいつでも夢を」の延長ではいけなかったんでしょうか。個人的には、一歩一歩を踏み出し、これからさらに楽しみだと思った矢先の方向転換に見えました。それも違う方向のようで・・。 そうでなければ、もう少し長くアグネスのファンでいられたような気がします。
参考までに、
ワーナーパイオニア時代は17枚のうち10枚がオリジナル、2枚がオリジナルとベストの2枚組、ベストが2枚、ライブが3枚。
一方SMSに移ってからのアルバム16枚のうち7枚がオリジナル、9枚がベスト盤、なんと××な!。
*注 http://www.st.rim.or.jp/~morimura/ を参照しました。
LPの、CDでの再発売はかなりの期間されなかったです。思うに、ワーナーと渡辺音楽出版の間での版権の問題があったのではないでしょうか(別に、イザコザがあったって聞いたわけではありません)。その間、なぜだかアポロンあたりが独自の選曲によるベスト盤を出してましたね(テープの版権による?)。とにかく、オリジナルアルバムのCD化を長いこと待ちわびていたこともあり、憶測が憶測を呼ぶ・・・・。
ようやくワーナーから出たのは記念碑となっている5枚でした。さすがワーナー、マーケティングが的確ですなぁ。なにしろLPから20年前後経っています。そのとき良く売れたLPというのではなく、今も昔のファンが欲しがるCDというところが大切。LPのデザインが引き継がれていたのもうれしい、ちゃんとファンの心をわかっているね。(でも、どのみち熱烈ファンは全部のLPをCDで揃えたがっているでしょう。)
その後には、デビューアルバムがCD化されたのですが、なんと紙ケースのWジャケット。歌詞カードまでLPとまったく同じデザインで、CDに合わせて縮小したものです。当時のタスキこそなかったものの、デビュー当時のアルバムそのままといった感じは、とても気の利いたコンセプトだったです。
で、残りがCD化されるということ、ないんですか?待っているんですけど >ワーナーさん
「ひなげしサークル」についてですが、おそらく当時、日本で一番活発に活動していた私設ファンクラブだったと思います。愛知県に籍をおき、ツァーに同行し(いわゆる追っかけですな)、時にはファンクラブがアグネスをコンサートに呼んだということもあったと聞きました。
そのファンクラブの代表が、高校時代の同級生だったのもびっくりしました。そんなこともあって、私も入会して彼と個人的な連絡をとったこともありましたが、熱が冷めるといつのまにか会費切れ、退会していました。
その後しばらくして連絡をとったら、スタッフの人から「彼は最近結婚をして、どうも活動に力が入らないんです」などというようなことを聞きました。 ・・・はっはっは、オヌシもか。
最近、音楽活動を始めたようですね、頑張ってほしいです。どんな歌を歌っているのかまだ聞いたことがありませんが、いつだったかNHKTVで、作詞家の松本隆の番組を放送していた中で、「ポケットいっぱいの秘密」をアグネスが歌っていました。それほどキーが高い曲じゃないのに、、でも・・・もう高音部が歌えてなかったです。ちょっとハスキーボイスに聞こえると思ったらそういうことだったんですね。
昔、ステージで「Without you」を金切り声に近い高音で歌った、脳みそがすっ飛ぶようなあのすがすがしさは、もう味わえなくなったのでした。
*参考資料:「アグネスチャン また逢う日まで」、「LOVE LETTER from AGNES CHAN」 ペップ出版。
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