会報  すきっぷNetログ

むかし懐かしい すきっぷNet。 あのときボードをにぎわしたシスオペは?会員は? 今どうしているんだろう・・

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 全国にホストが乱立したパソコンBBS華やかなりし1989年頃、富山県は高岡市にもNTT系のホストが誕生しました。その名も「すきっぷNet」。

 すでにNTT系では富山に「ネットフレンティ富山」、金沢には「ネットフレンティ金沢」がありました。それぞれは独立に運用されているため、ボードの書き込みやメールのやりとりは、そのホストの中でしかできませんでした。だから、どこか地域の人たちと連絡をとったり話題を集めたりするためには、その地域のホストを調べ、個別に会員にならなければなりませんでした。
 このような地域限定の小規模なパソコンBBSは「草の根ネット」と呼ばれ、個人やグループなどでも運営され、多くは会費無料で会員になれました。まだ現在のようなデータや画像を自在にやり取りするようなシステムではなく、テキストデータを主体に扱う掲示板(BBS)がメニューの中心でした。もちろん、データを扱うボードもメニューにはありましたが。

 そんな草の根ネットとは別に、全国にアクセスポイントを持つPC-VANやNIFTYのような有料の大手BBSもありました。これらはその後インターネットの拡充に努め、ご存知のように代表的なインターネットサービスプロバイダー(ISP)になっています。


すきっぷNetから送られてきたテレカ。おそらく初期会員にだけ配られたと思われる。写っているのは当初のシスオペ、左から「RIKO」「ユンチャン」「シータン」

 さて、すきっぷNetについてですが、開設当初、NTTが運営していました。それが電気通信事業法がらみとかで、間もなくNTTの関連会社(NTT北陸テルマック)に移管されました。それでもホストは高岡から移動することはなく、富山県西部を中心に会員を増やしていました。

 開設から3人の女性シスオペがいて、会員とのコミュニケーションをとっていました。シスオペというよりシグオペ(sigop)的な、いわゆるボードのもり立て役をしていて、これが他のネットにはない特色で、この、なんて言うか、異色のコンセプト(?)がとても良かったです。
 そして開設1年目には会員も150人ほどになり、会報も発行されました。そんなこともあって、すきっぷNetはかなりの盛り上がりをみせていました。さらに、ネット上だけでなくオフ会が何度か開かれたり、雨で実現しなかったものの会員同士で登山も計画されました。
 このような状態がしばらく続き、4,5日間サボると読むのが大変(通信速度が低速な1200から2400bps)なくらいメッセージが書き込まれることもありました。また会員数も、無料ネットにありがちな幽霊会員と呼ばれるアクセスしない人もいましたが、400人ぐらいにまで増えて、にぎやかさを増していきました。
 メッセージだけでなく、チャットもにぎわっていました。そんな状況を4回線でカバーしていたため、全回線がふさがり、つながらないこともしょっちゅうでした。

 その後、女性シスオペのメンバーが代わったりしながらも続いていましたが、そのうち異動になったらしく、いつしかシスオペの書き込みがなくなると、少しずつさびれ始めました。 息の長い会員もいましたが、パソコン通信自体めずらしくなくなるなど、他にも原因があるにしても、書き込みが減るとアクセスが減り、さらに書き込みが減る結果となります。

 93年にはさらに北陸キャプテンサービスに移管されるなど、アクセス意欲を低下させるできごともあります。無料ネットゆえ、移管先ではこれによる直接の収入はありません。単にホスト管理というお荷物がやってきたに過ぎません。そういった管理側の現状が会員にもしだいに伝わってきました。シスオペにメールを送ってもなかなか返事が来なかったり、ホストの4回線中2回線がハングアップ状態でも、ずっとほったらかしになっていたこともありました。それでもアクセスすれば大抵つながるほど、利用されなくなっていました。

 こんな“冬”の時代が長く続いた98年後半ついに、すきっぷNet年内の閉鎖のお知らせがボードに掲載されました。それと同時に、すきっぷ会員のインターネットプロバイダーHokurikuLandへの切りかえの斡旋もしていました。とうとう来るべきものが来たという気持ちでした。むしろ、遅すぎた感さえありました。
 さて、このお知らせを読んだ会員は何人くらいいたのだろうか?さらに、HokurikuLandに加入した人は? とりあえず一人は確実(自分)。
 時を同じくして、ネットフレンティ富山・金沢もまた、閉鎖と、同様の案内が掲載されました。世の中にはすでにインターネットの波がじわりと浸透しはじめていたのです。このように、テキストデータ主体だった大部分のBBSが役目を終え、しだいに消えていきました。

 ただ一つ、今もっておしいと思うことは、あの時の遺産(ボードメッセージ)が、インターネットにまったく受け継がれていないことです。せめてHokurikuLandのページのどこか片隅にでも・・・と思いがありました。が、それは会社も違うことだし、無理な考えですね。
 手元には、わずかなログがあるだけです。

  2001.3.20

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