最大最悪の愚行・其の弐
その後は、竹田街道を下り、近鉄京都線にぶつかった辺りで滑らかに左折して、京都教育大の辺りまで来る。その後、ひたすら北上。伏見稲荷前を通り過ぎ、東福寺の前も通り過ぎ、七条ぐらいで川端通まで西に進み、そこを五条まで上り、五条川端を西入。その後西大路五条を上り、西院を西入。その後は天神川四条の辺りで妖しげな牛丼及びカツ丼及びうどんを出す、吉野屋みたいな店で朝ご飯。そいで、天神川四条を西にちょっと入った辺りで北上。広隆寺の辺りに出て、そこから家に・・・時間は十時過ぎ。疲れた。
その後は死んだように眠り、起きたらもう四時(P.M.)頃。
う〜む、疲れた。なかなかハードだった。今思えば、どうして徹夜明けの状態でこんな無茶をしたのだろうか。やはり、脳内麻薬が原因なのかだろう・・・
今度は、マウンテンバイクを手に入れて、大阪府まで行ってやろうと密かに考える私であった。
続編に続く?(続きません)
と、言っていましたが、何となく、もっと伏見と、もっと東山と、もっと其の辺りの事を詳しく紹介したいので、続きます。
単に私の気まぐれなのです。
あの辺りって、何となく独特の雰囲気があっていいですねぇ。伏見区は其の中心部まで行けませんでしたが、今度行ってみる予定。ちなみに伏見区には、嘗て大名屋敷があった名残なのでしょうか、それっぽい名前の住所があるのです。例えば、「桃山筒井伊賀」や、「桃山福島大夫」、さらに「桃山井伊掃部」や、「桃山毛利長門」。そうして、「景勝町」。どうですか?何処かで聞いた名前がちらほらと混ざってはいませんか?
思い切って、伏見区に住んでみるのも良かったかも知れない・・・
しかし、学校には行けないでしょう。伏見区になんて住んだら・・・めっちゃ遠いですもん、学校まで。
けど、基本的にこの辺りには「京」には無い魅力がありますね〜。まあ、もともと伏見とか、祇園とかは、京とは別の街として、江戸時代には存在していたわけですから。
ちなみに今の京都人は、山科とか、太秦とか、伏見とかは京の一部とは認めてくれないのです。なんでやねん。ちなみに、西京区は問題外で、南区は微妙な立場だそうで・・・嵐山界隈(嵯峨・嵯峨野の辺り)はどうなんでしょうね?あそこら辺は風光明媚だから良いのでしょうか?差別だ!!!
話がずれてきました。
>>その後は、竹田街道を下り、近鉄京都線にぶつかった辺りで滑らかに左折して、京都教育大の辺りまで来る。
この辺りを詳しく話したいと思います。
基本的にこの辺りは坂が多いんですよね。一本の平坦な道の横に、上下の激しい坂がある。この辺りは基本的に道も広いし、何て言うか、郊外的な雰囲気な所です。途中、いきなり「伏見稲荷新参道」とか言う立て看板と共に、何やら赤い柵に囲まれた稲荷っぽい小さな土地があったり・・・こんな所が、京都チック。
まだこの辺りは伏見区でも中心地ではありませんから、郊外的な雰囲気がするのは致し方ないでしょう。
で、京都教育大の前に到達。しかし、これも一筋縄ではいかなかった。何て言うか、チト迷ったのです。しかし、嘗ての記憶を振り絞り、何とか到達。危ない、危ない。
何故、京都教育大なのかと言えば、取り敢えず昔行ったことがあったので。何処か遠くに行くときは、目的地を決めておいた方が明らかにやる気に差が出ますから。
>>その後、ひたすら北上。
この辺り(さっき書いていた辺りは大体伏見駅ぐらいまでです。)まで来ると、大分街が栄えています。嘗ての商店街の面影が見えます。しかし、昔からの町屋の間に立つ、コンビニの建物が何とも物寂しい。まあ、コンビニがないと不便だろうけど、もう少し目立たないように何とか出来ないものかねぇ。
あと、古い建物の透き間から見える、どでかいマンション。市内でも、バブルの際に嘗ても町屋が地上げにより消滅!!!何をやってるんや、京都市。もっときばり〜や〜!!!
この辺りは、ひたすら南北に細長く、商店街(ぽい感じなのです。〜〜商店街と出てはいないんですけど、明らかに商店の数が多いのです。)が続いている。
何故だ、何故なんだ。昔の街道沿いか何かなのかなあ?そこら辺は私には不明。すいません、機会が有れば調べておきますんで・・・
>>伏見稲荷前を通り過ぎ、東福寺の前も通り過ぎ、七条ぐらいで川端通まで西に進み、そこを五条まで上り、五条川端を西入。その後西大路五条を上り、西院を西入。その後は天神川四条の辺りで妖しげな牛丼及びカツ丼及びうどんを出す、吉野屋みたいな店で朝ご飯。そいで、天神川四条を西にちょっと入った辺りで北上。広隆寺の辺りに出て、そこから家に・・・時間は十時過ぎ。疲れた。
伏見稲荷も、初めていったのですが、どでかい鳥居がありました。でかっ!!!って叫びそうになってしまいましたよ。その後東福寺にさしかかりました。内部レポートは未潜入なので、今回はご勘弁を・・・
しかし、どっちか忘れたけど、参道の地面がアスファルトって言うのはいけていなかったと思います。
で、七条から五条までは川端通りを北上したのですが、久々に川沿いを走りましたよ。和歌山にいたころなんて、ほぼ毎日走っていた様な・・・
ちなみに、西大路五条から西院まで北上したり、西院を西に入ったりしていたのは、四条大宮に越した時を考えて、吉牛を探していたのです。この時は、へとへとになりつつも、吉牛擬きしか発見できず、微妙に切なかったのですが、灯台もと暗し。四条大宮の駅のすぐ傍に、有ったのですよ、吉牛。インチキだ!!!
まあ、味はまあまあ。値段に見合った、そこそこの味か、もしくは少し物足りない感じでしょうか?まあ、案の定カツは薄かったけどね。ペラペ〜ラ。
あと、うどん関係を食べてみる感じ。ついでにもっと西院の辺りを探索してみたいなあ、と考え中。
後は普通に帰ったのですが、広隆寺の辺りで観光客の集団に巻き込まれ、もう最悪。なんでやねん!!!って、そうか、今日は祝日か・・・まあ、オレは夜勤明けやけどね。
いやあ、疲れました。
>>その後は死んだように眠り、起きたらもう四時(P.M.)頃。
う〜む、疲れた。なかなかハードだった。今思えば、どうして徹夜明けの状態でこんな無茶をしたのだろうか。やはり、脳内麻薬が原因なのかだろう・・・
今度は、マウンテンバイクを手に入れて、大阪府まで行ってやろうと密かに考える私であった。
まあ、そんな感じです。多分、脳内麻薬が分泌された時、人は暴走するのでしょう。密かに、私は伏見区を調査してやろうと考えている今日この頃なのでした。
ではでは・・・