村の土地利用政策について(2003年)

(リポート:中村民夫)

 

 

1、人民公社制から個人請負制へ

 中国は人民公社制度から個人請負制(私有化)に移行し、農業は大きく発展したと言われています。ウランアオジュ村の場合はどうだったのかを報告しましょう。

 1979年に、人民公社制度を廃止して個人請負制に移行するというという方針が中国共産党中央委員会からだされました。これに基づき中国農村は大改革の時期に入ったのでした。
 ウランアオジュ村では1981年に家畜請負制が始まりました。それまでは、人民公社ー生産大隊(ナシュハン郷)−生産隊(ウランアオジュ村)という3段階の組織から、個人に牧畜生産の主体が移ったのでした。配分の基準は人口1人当り「大家畜(馬・牛・ラクダ)0.5頭、中家畜(羊・山羊)2頭」というものでした。仮に6人家族だった場合には羊換算27頭となります。翌82年には草原が配分されました。1戸当り800ムー(沙漠も含む)でした。
 家畜頭数の配分は少ないと思います。前回紹介した老少さんは現在108頭を飼養していますから。村長に聞いてみました。
「生産隊で飼っていた家畜を配分すると、そういう基準となったのだ。昔はそれで生活して行けた。家畜頭数が多くなったのは、個人配分以降のことだ」との答えでした。

 その後、草原配分については、88年、97年と2回の見直しを行ない2003年(今年)も見直しが行われるとのこと。土地の所有権は牧民にはありませんが、安定して利用を行なう権利=土地利用権が認められています。長期利用権は30年を目処に設定されましたが、97年見直しの時に期限がさらに30年間に再設定され、現在では今後23年間の利用権が保証されているとのことでした。97年の再配分は家族人口1人当り6ムー、家畜頭数羊換算1頭当り4ムーというものでした。6人家族で108頭の家畜を所有する老少さんの場合で試算してみますと、468ムー(31ha)となります。

 97年の見直しで忘れてならないことがあります。水田開発です。この土地は村の共同採草地を水田に開発したのだと聞いていましたが、多分、共同採草地の一部に個人配分した土地を加えて、水田造成地を確保したのだろうと思います。だから、「97年土地支配分」の中で全体調整が必要となったのではなかろうかと(推測ですが)。水田は「住民1人当たり1ムーの飯米用水田を全人口に配分した」というものでした。生活に必要な「飯米用水田」を住民に均等に配分する・・・いかにも社会主義的な施策だと思います。

 

 

 


2、8組の共同利用地の性格

 農地の場合、土地利用権は3つに分けられています。飯米生産用地の「口糧田」、供出用食糧生産用地の「責任田」、配分しない予備地「機動地」です。草原の場合も、その配分基準が家族人数と家畜数で行われているので、農地配分と同じ考え方に基づいているように見受けられます。
 8組の赤石地区1000ムーは「共同利用地」ですが、今まで、その性格がわかりませんでした。「機動地」=共同利用地はありますが、それはステーション近くにある「採草地」のような、村全体が利用する土地ですから、8組が独自で管理する赤石地区の土地の性格がわからなかったのです。
 今回分かったことは、「8組は草原6000ムーを13戸で共同利用している」ということでした。赤石地区もその一部です。この村で草原を個人配分しないで、共同で使っているのは8組だけです。ですから、今回の土地配分見直しではこの点が検討される予定とっています(話し合いは秋に行われる予定です)。

 村長に聞いてみました。

(私)「赤石地区の1000ムーはどうなるのか?」
(村長)「中日の国際事業である。だから、赤石地区は8組の共同利用地として残すことになるだろう」

 私たちは、赤石地区のような共同利用地が村には沢山あるのだと思っていました。赤石地区での事業は大きな成果を生みました。どれくらい緑化できたか、その結果、どの程度牧民の経済が向上したか・・それは今後のことです。そういう環境回復や経済効果ではなく、今ここで言う「成果」とは、牧民自らが主体的に緑化に取り組み、私たちが資材その他の援助を行う、という活動ができたことです。主役は住民、われわれはそのお手伝いをする・・それが市民ボランティア団体「青樹会」が無理なくできる活動だと思ってきたからです。
 「8組のパターンを村全体に広めようじゃないか」と今回のツアー前には考えていました。でも・・共同利用地は村には無かったのです。さて・・どうしましょうか? 悩ましいところです。



(共同利用地のポプラ(手前)と草方格(遠方))

 

 

 


3、退耕還林条例について

 2003年1月から「退耕還林条例」が施行されました。中国は国家事業として生態回復を図ろうとしています。その内容は「耕地を止めて森林に戻す」というもの。
 1999年から四川省など3省でテストケースとして実施し、現在は25省に拡大しています。対象は「水土流出が深刻な耕地」「砂化、アルカリ化、石沙化が深刻な耕地」「生態保護上重要な耕地で、食糧生産量が低くかつ不安定な耕地」です。

 農民の農地を森林にするのですから、その補償が必要となります。内モンゴルでは1ムー当たり苗木代50元、今後8年間に亘って200斤(100kg)の小麦、20元の補助金が支給されます。
 計画では2001年〜10年までに3,546億元(約5兆円)を投入し、耕地への造林面積2.2億ムー、荒れ山造林2.6億ムーの計4.8億ムー(32.2万平方km=日本国土面積の85%に相当)を緑化するというものです。この結果、29億ムーの生態回復が期待されるといわれています。

 赤峰市にこの条例の該当地があるか聞いてみました。予算が限られているのに比べ希望県が多い状態で、赤峰市地域には該当はない、とのことでした。

 生態回復のために、中国当局は思いきった施策を採用したものだと思います。この施策が成功し、黄砂と沙漠化が改善されることを期待する一方で、その地域に住んでいる農民・牧民のことが心配になります。彼らは離農して居住地を離れて「生態移民」となってしまうのです。自然環境を回復させることとが、移民を前提に行なわれているこの政策の影響が心配されるところですね。



(沙漠のエロージョン)

 

 

 


4、難しいウランアオジュ村の土地利用

 

 朝克図先生(内モンゴルから東京大学に留学している学者です)から感想と緑化に対するご意見をいただきました。モンゴル人である先生のご意見は、これからの活動を考える上で参考になります。先生のお許しを得て、メールを転載させて頂きました。

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 ウランオウジュ村の調査報告は私にとって、とてもいい勉強になりました。8組の緑化は上手く進んでいるらしい。西部盟の砂漠地域に日本人が行って緑化しているが、成功している例は少なくない。どうして、現地の人があまり動かないでしょうか、恥ずかしく感じる。

 ウランオウジュ村は生態系の劣化的貧困地域である。北の錫盟と東部の呼盟には生態保全が出来ている地域があり、肉牛、酪農など高産出ができる地域が少なくない。
 内モンゴルは50年前平均50cm高さの草植ができる草原であった。今はどうして生態はこんなに悪化したのか・・・。これは政治と民族征服政策に関わる問題であると考える。

 中国西部開発において重要な問題は環境保全、生態回復である。内モンゴル自治区も生態回復のために、「退耕環林環草」、「生態型畜産」(環境保全型畜産)という標語を2年前から打ち出した。具体的には
1)自然放牧から舎飼半舎飼の導入という畜産飼養方式へ
2)畜産は粗放経営方式から集約経営という経営方式へ
3)家畜頭数の多頭化から個体畜の品質効率型へ
4)地域から国内への畜産品市場の拡大、国際市場への拡大へ
 という内容である。

 この「退耕環林環草」事業は、内陸地域の条件不利地域(とくに生態系を無視した傾斜地耕作によって表土流失が発生している地域が対象)において傾斜地の耕作を中止し、植林、植草を実行して森林、草原に戻し、生態環境を回復させる事業である。乾燥地域への農耕文化の導入に失敗した経験から見れば、「退耕環林環草」事業は内モンゴルの自然規律(メカニズム)に則っていると思われる。草地は休閑なければならない。草原の回復は3年や5年という短期間に解決できる問題ではない。草地の緑の回復には15−20年かかる。この15−20年の草地回復の長い時期の間どのように家畜を養うか・・世界の多くの国々はこの難問に直面してきた。飼料需給を解決する方法は飼料農耕、人工草地を作るしかないが、乾燥地域で飼料農耕と人工草地の成功率は問われる。(ウランオウジュ村の水田耕地と人工草地の灌漑が問われるでしょう、北海道の採草地の草の高さは1mぐらいを見ました、内モンゴルの68万ku 草地に何時こんなに草できるか)。

 清朝時代から中国南方で増加した漢人は,食糧問題を解決するために,北方の人口の少ない、水草豊富な草甸草原に開墾する農耕地を探す必要が出て来た。漢人は人口の爆発的増加による飢餓問題を解決する為に、牧区を開墾し、燃料を得るために森林の伐採と草原の破壊を行ない、資源工業の増加などにより草原退化や砂漠化をまねいたことである。

   今日、日本人研究者は内モンゴル全域に足をのばし、活動範囲を広げている。日本人研究者の成果は大いに評価すべきであろう。日本人による沙漠研究は、緑化も目的のひとつであるようだ。ただし、沙漠地域での緑化はすなわち農産物の栽培をどのように促進するなど、緑化=農耕開墾を意味しているような印象が強い。

 



(子羊と子供たち)