7)頑張らなくちゃ・・1

 

 ガッカリばかりもしておられません。作業は「牧草種まき」と「残った幼木への水くれ」です。

 種まきは、砂丘にワラで砂止めの「草方格(そうほうかく:1メートル×1メートルの方角)」をつくり、その中にカラガナという沙漠に強い潅木の種を蒔いていきます。草方角を作るには、ワラを敷いてスコップでワラの中央を砂地に押し込んでやる。こうするとワラが立って風除けができるのです。手間隙のかかる非効率な作業ですが、流動性砂丘の傾斜面を緑化するためには、この方法がよいのだそうです。

 昨年作業した場所のカラガナの成績が悪い。これも旱魃の影響だと考えられます。そんな場所には、もう一度種子を追いまきしてやります

 

草方格づくり

 

 

(8)頑張らなくちゃ・・2

 

 植樹への水撒き作業は、村の青年団や子供たちといっしょに作業をしました。バケツが足りなくて、作業の効率が悪かったこともあり、この作業は「焼け石に水」だったかもしれませんが、現地の人たちとの交流という面からは、とてもよかったと思います。休憩時間には、各人が日本から持っていったお菓子を出し合って(この提案は前日、ゴウノさんからありました。準備していなかったのですが、みんなのお菓子類をだしあったら、おやつに使えるぐらいの量が集まったのです)、みんなで食べました。

 青年も子供たちも、日本語に大変興味をもっているようです。オリギラという青年はノートとペンをいつも持っていて、日本語を聞いて、書きとめていました。そんな一途に「学びたい」という青年の姿を観ていると感動してしまいます。鎖国を解いて外国人と交わった江戸時代末期から明治初期の我々の祖先も、きっと目をキラキラと輝かせて、異国というものや外国人というものを理解しようとしたのでしょうね。真剣な眼差しでノートをとるオリギラの姿をみていると、ここの人たちにやってあげられることが、まだ沢山あるような気がするのです。

「休憩時間」

 

 

9)沙漠に雨が降る 1

 

 今年の緑化ツアーの日程予定は次のようなものでした。

84日:成田→北京移動

・ 5日:北京観光、夜行列車で赤峰市へ

・ 6日:赤峰市→ウランアオジュ村移動、午後:緑化セミナー

・ 7日:草方格づくり・種まき作業、夜:牧民との交流会

・ 8日:午前:植樹作業(水くれ)、午後:沙漠の中に住む牧民訪問、夜:焼肉パーティー

・ 9日:午前:植樹作業、午後:青年団との意見交換会

・ 10日:午前:小学校訪問、午後:バスで赤峰市移動→夜行列車で北京移動

・ 11日:北京滞在

・ 12日:北京→成田移動

 

 7日の夜の「牧民との交流会」がすばらしいものでした。青年たちは民族衣装をまとい、踊りと歌で歓迎してくれます。草原を馬で疾走しているような、テンポの速い踊り。朗々と歌う民謡。馬頭琴のか細い音色。

 大勢の村人たちも、この交流会を楽しみにしているようです。子供たちから老人まで、それこそ村人全員がきているのではないか、と思えるほど沢山の人々が集まってきます。

 われわれも何か芸を披露しなければなりません。昨年は参加者の中に小沢さんという踊りの師匠がおられたので、みんなで盆踊りをして、ジェンカやカメハメハ大王などを子供たちといっしょにやったのですが、今年はエアロビクスです。小学校の先生をしている木の内先生と石川さん(この2人は同じスポーツジムに通うエアロビのベテランです)がインストラクターとなって、現地に着いてから皆で練習したのです。まったくの「一夜漬け受験勉強」みたいなものだったのですが、当日は・・・なかなかの出来で「やればできるじゃない、何事も」という自信をつけたのでした。

 空気は乾燥しきっています。

 「これで雨が降ったら、雨乞い祭りですね・・。」こう言ったのは村田君だったか・・。確かに、この交換会の風景を遠くから眺めていると「雨乞いの祭り」のように見えたのでした。

 雨乞い祭りのフィナーレは、爆竹と花火でした。

 花火が終わり、村人たちが去り、庭の照明が消えると、夜空は満天の星が輝いていました。天の川が天空を横切って流れていたのでした。

 

「おどり」

  

 

10)沙漠に雨が降る 2

 

 予定になかったのですが「雨乞い祭り」は翌日も開かれたのです。

 8日の午前は植樹地の幼木への散水作業、午後は沙漠の中に住んでいる牧民トランガさんを馬車(マーチャ)にのって訪ねたのでした。その馬車の御車をしてくれたのが、昨夜の交流会で踊ってくれた青年たちでした。トランガさんの家には若い女性がお手伝いにきていましたが、彼女も昨夜踊ってくれたメンバーでした。そういうことで、今夜お互いに踊りを教えあい、いっしょに交流しようということに決まったのです。

 沙漠から帰ろうとした時に、雨が降り出しました。細い雨は、乾いた大地に吸い込まれていきます。ようやく雨が降ったのですが、その雨はすぐに止んでしまいました。

 夜、食事が終わった頃に青年たちがやってきました。彼らの踊っていたテンポの速い踊りを教えてもらい、われわれはエアロビクスを教える、そんな踊りの交歓です。青年たちはすぐにエアロビクスを覚えてしまいました。日々馬に乗っている彼らはリズム感抜群ですね。

 2日間にわたる踊りが利いたのでしょうか、深夜に雨が降り出したのです。その夜は何人かでパオに雑魚寝

したのですが、パオのフエルト布地にあたる雨音を聞きながら、とても幸せな気分となって眠ることができました。

「ステーションに降る雨」
注)ステーションの中は外壁を防風林に被われ、その内側の試験地には樹木の幼木や野草、果物の木などが植えられている。そこは外界からは別天地の風景が広がるが、この地域でも理想的な土地利用ができたら、このような風景となるだろうと思えた。

 

11)沙漠に雨が降る 3

 

8日から9日の2日間にわたって降った雨は、ステーションの雨量計によると32mmだったそうです。平年の年間雨量の1割も降ったのです。

 沙漠地帯は水不足の一方で水害が頻繁に起きています。皮肉な現象ですね。植物がない砂漠に降った雨は、地下に溜まらずに表面を流れて、低い場所に集まり洪水となってしまうのです。僅かな雨でも洪水が起こる・・その地域の水分確保のためにはもったいないことなのですが。

せっかく降った雨が沙漠の地下水となって利用できる、そうなるためには、大地の貯水能力を復活させることが必要です。大地が水を蓄えるためには樹木や草原により大地を緑で被うこと。植物がまず、その葉で雨を受け止め蓄える。次に、地上に落ちている落ち葉と通気性に富んだ表土が水を蓄える。植物で地表が被われていれば、保水力は高まり、降った雨は一時的に蓄えられ、徐々に地下に浸透していくのです。少ない水を有効に使うためにも沙漠の緑化は必要なのです。

 ウランアオジュ村での作業を終えて、赤峰市に帰る途中で夕立となりました。たいした雨量ではないのですが川は洪水となり、水害を心配して村人達が沢山でていました。

「水害」

 

12)村に響く「春がきた」 1

 

 9日午後は青年団との交流会が開かれました。集まっている青年たちの顔もうれしそうです。われわれもうれしいのです。念願の雨が降り続いているのですから。

 青年たちの参加者は25人、われわれは14人。それぞれが自己紹介した後で、@日本人からモンゴル青年への質問、Aモンゴル青年から日本人への質問、Bモンゴル語ー日本語会話、の3つを行いました。

 青年団は14歳から28歳が入団資格で、参加は自由意志によりますが、村に残っている青年の大部分は青年団に入っています。「青年の家」という集会場があり(今回の交流会もここで行いました)仕事が終わるとここに集まってきて、TVをみたり、歌をうたったり、農業関係の勉強会を開いたりしています。

 青年団の中で中国語の読み書きが出来る人の数を質問してみました。大部分は出来るのですが4−5名はモンゴル語しかできない、という答えです。この国の公用語は中国語です。ですから小学生のうちに中国語を学びますが、青年たちの中に小学校も行けなかった人がいる・・これが現実なんですね。青年がこの程度ですから、年配者の中で中国語が話せる人は、さらに少なくなってきます。

 モンゴル青年からの質問は「日本にも青年団があるのか、それはどんな活動をしているのか」「このツアーの料金はいくらか、それは賃金の何ヶ月分に相当するのか」等、なんと答えたらよいのか難しいものがありました。

 日本の青年団活動が停滞していくのは、農村から青年が出て行ってしまうことによるのですが・・。それは昭和35年以降の高度経済成長政策で日本の工業が発達していき、多くの工場労働者が必要となって農村から若者が都市に出ていった。そういう一方で農業基本法により農業規模拡大政策がすすめられたが農家後継者は農村に止まらず、今、後継者不足が深刻な問題となっています。日本は裕福な国になったと言われていますが、農村はその集落維持すら困難な過疎地域を生み出している。そんな実態を反映して、青年団活動は停滞しているのです。

 ツアー料金は約1.5万元(20万円)です。内蒙古自治区は中国内でも収入の少ない地域で、牧民の平均年収は2500元だと言われています。ツアー料金の1.5万元は、牧民の平均年収の6年分に匹敵するのです。また、仮に日本の比較的若い世代のサラリーマンの平均年収が400万円だったとすると、このツアーの参加には年収の5%程度となります。つまり・・ツアー料金を例に計算すると、彼らとわれわれとでは、120倍の収入格差がある(牧民の6年分の年収=日本人の年収の1/20=1.5万元)ということになってしまうのです。

 普段は考えたこともなかい質問に、ちょっと考えさせられたのでした。

 

 モンゴル語ー日本語会話は大好評でした。講師はゴウノさん、この人の教え方は上手い。今年4月の植樹ツアーで来た時に、小学生たちに「春がきた」を教えたのだそうですが、それを子供達がちゃんと覚えていて歌えるのです。その子供達も一緒になって、青年たちに「春がきた」を教えます。そして会話に入っていく。「センベノー」は「こんにちは」と言います。みんなで、大きな声で「こんにちは」としゃべってみる。

 こうして、青年団との交流会は終わりました。みんなで「バイアルテ(さようなら)」といって別れました。

 

 村中を歩いていると、子供たちが「こんにちは」と声をかけてくれます。大人たちも「センベノー」というと笑いながら挨拶を返してくれます。オボ山に登ろうとすると、どこからともなく子供たちが現れて、われわれと手をつないで、「春がきた」を歌いながらオボ山に案内してくれます。村人は今回、大きくかわりました。「コトバ」なのですね、互いにコミュニケーションをとりたいのですが、そのきっかけとなる「コトバ」。それをちょっとだけでも知ると、村人とわれわれはもっと親しくなれるのです。

 

「村に響く春がきた」

 

 

13)村に響く「春がきた」 2

 

 村での滞在の最後の日に小学校を訪問しました。午前に小学校で子供たちと交流し、午後には赤峰市に移動して、夜行列車で北京に帰るのです。

 この村の小学校は1〜3年生までの学校で、4年生以上は郡にある広域小学校に行きます。小学校は村営で、教室が3つと職員室(先生は校長先生を含めて3人)という小さな学校でした。毎年、われわれが教師役になって、工作をしたり折り紙を教えたり、スポーツをしてきました。今年は木ノ内さんが勤務地である埼玉県上尾市の小学生の絵をたくさんもってきてくれたのです。そこで、全クラスに絵をかいてもらいそれを上尾市の小学生へのプレゼントとすることにしました。お絵かきの時間の後は「日本語ーモンゴル語会話」の時間としよう・・・みんなで話し合った結果、こう決まったのです。

 授業は若者たちが頑張ってくれました。1年生の先生役は相馬さんと高橋くん、2年生は村田くんと知久さん、3年生は津元さんと中村くんです。

 みんな先生役は初めての経験で、加えて自分でもモンゴル語なんて全くといってよいほど分からないのですから、不安です。「でもさ、子供たちだって日本語知らないんだから・・・」と開き直るしかないですよね。中川さん、西さん、石川さん、団長の押田教授、ゴウノさんたちもクラスを分担してサポートしてくれます。

 授業が始まりました。通訳は2人です。3年生の場合、日本語から中国語への通訳は南先生が、中国語からモンゴル語への通訳は小学校の先生にお願いしました。

 「みなさん、こんにちは。今日は日本のお友達へプレゼントする絵を描きましょう。この村の風景やみなさんの生活を描いてください。それが終わったら、日本語の勉強をします」日本語の勉強・・と聞いた瞬間、子供たちの目が輝いたのです。日本語に興味があるのがよくわかります。

 絵を描き終えて、日本語会話の時間となりました。「春がきた」の日本語歌詞をモンゴル文字で小学校の先生にお願いして黒板に書いてもらい、みんなで歌いました。かなりの子供が歌えるのです。

「モンゴルヘル センベノ- ヤポンノヘル こんにちは。オノロン こんにちは ゲチュフェリア」

(モンゴル語で センベノ- 日本語で こんにちは 。みなさん こんにちは と言ってみましょう)

こんな風にして「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」などを教えたのです(かなりインチキっぽい会話教室ですが・・・まぁ仕方ないか)。子供たちは大きな声で日本語を発音してくれました。

 授業の最後に、もう一つ新しい歌を子供たちに教えました。「蛙の歌」です。赤トンボの歌を教えようかと相談していたのですが、意味が難しいし単語も多いということで、相馬さんが前日にこの歌を提案してくれたのです。たしかに・・なかなかいい。単語は少ないし意味も明確、蛙の声もは入っているし・・。「蛙の歌」はモンゴル語で「ムルヒ ネード」。子供たちはすぐに覚えてしまいました。

 授業が終わった後は全員で校庭に出て、輪になって「春がきた」と「蛙の歌」を歌いました。こんなに純真な子供たちを見ていると、涙がでるほどに嬉しいものです。

 やればできるものですね。この授業を成功させた若者たちはすごい、と思います。「伝えたいものがあって、それを受け入れようとする相手がいる」それが授業を成功させたのでしょうが、「日本語を教えてあげたい」という情熱だけで、今までやったこともない教師役をやりとげてしまったことがすごい。

 バスに乗って学校を去るわれわれに、子供たちは「さよなら」と言いながら、見えなくなるまで手を振り続けてくれたのでした。

 

「小学校の歓迎」

 

 

14)旅行記のおわりに

 

 「沙漠緑化」「ボランティア」と話すと「すごいことしていますね・・」という反応が返ってくる。そう反応をされると、かなり恥ずかしくなってしまうのです。凄いこと・立派なことしている、という感覚じゃないんだから。

 モンゴルという土地を一度見たかった、それがこのツアーに参加した理由。草原の国だと思っていたら、沙漠化が進行しているのだという。では、ついでに緑化作業を経験するのもいいかもしれない・・その程度のものなんです。

 ツアーに何回か参加していますが、われわれがその地にしてあげる事よりも、われわれがその地からもらってくるもののほうがはるかに大きいんじゃないかって思うのです。うまく表現できませんけれど。

 こんな短歌がありました。作ったのは高校生。まぁ、これが参加したわれわれの気持ちを表すのに、一番近い感覚じゃないのかな。

 

ボランティア軽い気持ちで始めたら 救われたのは自分のこころ

(丹野たき子:高2)

「ともだち」

 

(終わりに)

この旅行記は友人たちにE−メールで送った旅行報告をまとめたものです。1日1話、写真付という構成で。お付き合いしていただいた、メル友のみなさん、そしてHPで読んでいただいたみなさん。私のモンゴル話にお付き合いいただき、有難うございました。

(2000.9.4                      青樹会HPウエブマスター 中村)

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