中国本土でも、その保守性から伝承者はかなり少ないといわれる希有拳種孫臏拳。中国山東省青島(チンタオ)に伝承される孫臏拳は、技撃と歩法に大きな特点を持ち、身法において龍腰勁、鞭稍勁を重んじ、また、象鼻拳を併用して相手の穴位をピンポイントで打撃する。孫臏歩と呼ばれる特殊な歩法を用い、その素速い進退動作も全て攻撃によって構成されている。
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| 孫臏拳は伝説では、戦国時代の軍略家であり孫子の兵法を編纂した孫濱をその開祖とする。孫臏は幼くして両親を亡くし、少年期は牛の放牧をして苦しい生活を送ったといわれている。後に龐涓(ほうけん)と共にと鬼谷子より兵法を学んだが、その後魏国の軍師の地位に就いた龐涓は、自らの能力が孫臏に及ばないことを知っており、孫臏が他国において自らの敵となることを恐れて軟禁した。軟禁状態の孫臏はこの期間武術の技を日1手書き留め、年間で365手の武術が完成した。これが現在まで伝承されている孫臏拳といわれている。 |

孫臏
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【長袖拳】
孫臏拳は袖の長い服を着て、手を振り回すように攻撃したことから、長袖拳という呼び名もある。
一説では殺意を暗蔵する目的で、長袖に拳を覆い隠した。また別の説では、袖の内側に古銭を縫い付け、暗器として鞭のように振り回し、敵を打撃したという説もある。孫臏拳の型の特徴としては、常に拳脚同時の攻撃を繰り出し、手足を充分伸ばして振り回すような攻撃を多用することから、通臂拳、蟷螂拳などの影響を受けて創始された印象が強い。
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| 師祖張景春は清末、山東省荏平縣の人で、綿花商人であった。幼い頃から武術を習い、綿花の商売で各地を巡り、広く武術家との交流を行なった。時はまさに鏢(ひょう)師、鏢護院が切磋琢磨していた時代であったが、張景春は武術家との交流において常に孫臏拳を用いて勝利したことから、張景春の名は冀魯一体に知れ渡った。 |
張景春の弟子は張金嶺、魏金鳳、楊明斎の僅か3名であったが、現在知られている限り、張金嶺に弟子はなく、魏金鳳にも僅か一名の弟子の名が伝えられているだけであり、この弟子も現在解っているのは程という姓のみで、名前は不明であり、それ以後の伝承の記録も残ってはいない。
現在山東省を初め、台湾、アメリカなど世界各国で練習されいる孫臏拳は全て楊明斎からの伝承である。 |
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| 山東省青島国術館の館長を務めた楊明斎は多くの弟子に孫臏拳を指導し、また、数々の試合で好成績を収めたことから、山東省の稀有拳種としてその名が知れ渡り、現在も山東省青島にはその伝承者が多い。 |
孫臏拳一代総師
楊明斎老師 |
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| 世間に孫臏拳の名前が知られるのは、清末近代孫臏拳の師祖張景春からであり、武術の歴史としては新しい。中国では文化大革命以後、国家遺産としての伝統武の衰退を憂い、 1982年、中国国家体育委員会により、武術遺産控掘整理として、中国各地の伝統武術の発掘と整理が開始された。 |
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| 徐自良老師と孫臏拳譜 |
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この時、査拳、蟷螂拳、文聖拳、孫臏拳の四拳種が、山東省四大拳種として指定された。趙永昌先生は徐自良先生の賛同と、省体委武術発整導小組の推薦により、〈孫臏拳〉書稿の編集作業を開始。1984年より〈孫臏拳拳械録〉を執筆し、山東省体育資料等で発表。また同時に〈孫臏拳〉書稿の執筆にも着手し、1986年北京で開催された、武術遺産控掘整理表彰大会において好評を博した。 |
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1931年5月27日山東省青島市生まれ。小学校より顧子明に長拳を学び始める。その後、墨建章、孫玉君、王兆孔等の各老師より、少林拳、太極拳を学ぶ。1965年より徐自良、張文徳の両師に師事し孫臏拳を学ぶ。
これまでに修めた武術は、少林八歩連環拳、羅漢十八手、少林短打、達磨杖、匕首、流星錘、九節鞭、孫臏拳では基本功、大架、中架、小架、四套、五套、奇勢等、全伝を修める。その他、自ら保安拳、二節棍、六十四式太極拳、警棒術、春秋大刀等を創編する。
1990年4月青島保安培訓中心が組織され、訓練官並びに館長を勤め、1995年までに十期、二千二百余名を育成、同年隊を編成し、青島氏柔道比賽に参加、団体の部で優勝、青島市武術散打比賽において二項目で冠軍、一項目で亜軍を獲得。
1990年5月青島市南区武術協会副主席兼秘書長に就任。1991年4月隊を引率して青島市武術比賽に参加、内6名が冠軍を獲得した。
1990年5月7日全国で初めて孫臏拳研究会を設立、会長に任命され孫臏拳の研究、普及に努める。
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中国武術協会会員
青島武術協会顧問
青島孫臏武館顧問
中国武術段位六段
国家武術1級教練
青島保安訓練中心訓練館館長
青島市市南武術協会付主席
青島市南孫臏拳研究会会長
国家武術散打裁判員
日本孫臏拳協会総顧問 |

孫臏拳の使用法を
指導する趙永昌老師 |
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日本孫臏拳協会青島訪問
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| 保安培訓中心での指導風景 |
中国山東省
青島(チンタオ)にて
趙永昌老師と |
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孫臏拳は大架(96手)、中架(32手)、小架(74手)、四套(108手)、五套(55手) の五つの型(365手)が連関してひとつの套路を構成している。
他には十式と呼ばれる基本功(十種類の基本訓練)、三十二手の対練(組手)などがある。
陽明斎先師から徐自良先生を経て、趙永昌先生に伝えられた孫臏拳は、馬歩や弓歩といった他流派に見られる歩形を死歩と言って嫌い、常につま先寄りに重心を置いた孫臏歩を活歩として多用していることが特徴である。 |
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高芳先 先師 |
孫臏拳が台湾に伝わったのは、楊明斎から孫臏拳を学んだ高芳先が国民党の蒋介石と共に、大陸から台湾に移ったことによる。その後台北市中国文化大学国術組の招きにより、大陸より孫紹栄先生が訪台し、中国文化大学で孫臏拳が盛んに練習されるようになった。孫紹栄先生は青島の徐自良先生の筆記による孫臏拳譜を台湾に持ち帰り、民国82年、中国文化大学から〈孫臏拳譜〉を出版されている。現在台湾では、中国文化大学国術組を中心に孫臏拳国際連盟を発足して普及活動を行なっており、世界各国に分会が組織されている。 |
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台湾にて唐人屏先生
(孫繽拳国際連盟総会
副主席兼中華台北会長)と |
擒拿技法を指導中の
蔡明雄先生(台湾台中市) |
孫紹棠 先生
中国文化大学
国術組(台北市) |
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