修学旅行生の1月17日
御影高校は第2学年が当時長野県黒姫高原への修学旅行中でした。
そのときの生徒の作文をまとめた「神戸へ」という文集を発刊しました。
次の作文は、私の一番印象に残った作文です。
妹の死
御影高校2年生
阪神大震災で妹の沙綾香が死んでしまった。神戸で地震があったと知ったのは、十七日の朝七時頃だった。テレビで地震の報道がされたが、まさか沙綾香が死んだとは思わなかった。僕たちはその日も黒姫でのんきにスキーを楽しんでいた。僕は沙綾香に何もしてやることができなかった。何かしてやるにしては、あまりにも短い人生だったのだ。十年しか生きられなかった沙綾香はどういう思いであの世へ旅だったのか。たぶんぼくを憎んでいるだろう。嫌な兄貴だったかもしれない。今更反省しても仕方がない。どんなに泣いても、悔やんでも沙綾香は戻ってこないのだから。今こうして書いていても涙が出てくる。 僕は本当に悔しい。お姉ちゃんは「死にそう」と言いながら死んでいったと、弟の拓也が言っていた。どんなに苦しかっただろうか。地震を体験していない僕は想像することさえできない。妹はかわいかった。本当にかわいかった。生まれて、赤ちゃんの頃から見てきている。今もそこにいそうなそんな気がする。「お兄ちゃん、これ教えて。」と言ったとき、「お兄ちゃん、人生ゲームで遊ぼ。」と言ったとき、今となっては全て思い出。
去年は八幡君と甲子園へ行った。その時は沙綾香と拓也を連れて行った。みんなで阪神を応援して、歌も歌って、メガホンをたたいて、風船を飛ばして、とても楽しかった。僕は今でも覚えている。あの時、沙綾香がどんなに楽しそうな顔をしていたか。
一月十九日に神戸へ帰ってきて、父と灘高の体育館へ行って、初めて遺体と対面した。 「これが沙綾香か。」そう思った。いつもなら、「お兄ちゃんが帰ってきたでえ。」と言ってくれる沙綾香に血の色はない。棺の中の沙綾香は本当に眠っているようだった。今にも目を開けて起き上がってきそうな、そんな顔だった。しかし、顔色は青く、ところどころ赤くなっていた。ほっぺたを触ってみた。冷たかった。もう生きていないんやと思った。 もう沙綾香の髪を洗ってやることも、ドライヤーで乾かしてやることもできない。沙綾香からしょうもない手紙をもらうこともない。もういっぺん、おんぶしてやりたい。そう思います。沙綾香よ、どうか天国で安らかにお眠り下さい。