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: 水野 哲行 ![]()
2000年9月2日 配信 ウブドに滞在する目的は、日が暮れてからのガムラン公演に出かけることにある。 したがって昼間は、ホテル内やその周辺のレストランで無為に時をすごすのが一番のたのしみとなる。 「ハンスネル」 Han
Snel's Garden Restaurant 苦情をひとつ・・・清算のとき、つり銭が不足との理由から追加として1000ルピアを払ったあげく、その超過分の代用として何千ルピアかの水ボトルを手渡された。これは体のいい押し売りであった。 ※当主ハンスネルの逝去により、2004年7月現在は営業停止中。 「プラダ」 Pradha
この店舗の奥は同名のホテル。 「アリ−ズワルン」 Ary's
Warung
「カフェロ−タス」 Cafe
Rotus 「カサルナ」 Casa
Runa
「ミロス」 Miro's 「ムルニ−ズワルン」 Murni's
Warung
「カフェワヤン」 Cafe
Wayan
※メニュ−に表記された「ブラックライスプディンク」は、黒い米を日本のおしるこ風に煮込んだもので、熱いまま給仕される。これはうまかった!(価格表示から10パ−セントのサ−ビス料・税を付加) ★1999年5月の旅行から(1ルピア=0.014円) |
2000年10月14日 配信 ウブド村のガムラン公演で、最も定評のあるグル−プは、「ティルタ・サリ」と「グヌン・サリ」であろう。彼らの一団は、その演奏能力が優れていることは言うまでもないが、所有するガムラン楽器の音色が、他のグル−プと較べて極めて美しいことが特長となっている。 レゴンダンス「ティルタ・サリ」
Tirta Sari この楽団が所有する楽器は高音域が細くきらびやかで、対する低音域はやや甘くやわらかい。あたかも各楽器が溶けあうようなアンサンブルをもつ。おそらくバリガムランの伝統を維持する理想的な音色であろう。 奏者はその特長を理解して、曲ごとのテンポ変化を最小限にとどめ、音楽に連続性をもたせている。ガムランの伝統を知るうえで一度は聴いておきたい。 レゴンダンス「グヌン・サリ」
Gunung Sari 楽団が所有する楽器は、硬質で高音域と低音域の区分がはっきりしており、全体のアンサンブルより各楽器の個性が強い。演奏はその特長を生かして、曲ごとのテンポ変化がおおきく、音の強さと弱さのコントラストも大きい。おそらく良い意味での伝統打破をめざす楽団といえよう。 上記の2団体は人気・実力とも評価が確定している。しかし時として公演に出来・不出来があるのは他の楽団と同様。それは演者の新旧交代や演目の変更などの原因により避けられない現実で、細部にこだわらず公演を楽しみたい。 以下は、新興ながらも今後の発展が期待できるグル−プ。 ケチャ「ジュンジュンガン村」
Junjungan Village 立地条件の不利と、新興団体の無名性から観客数は多くないが、近年、ウブド中心街で行われる怠慢なケチャ公演に較べて、格段に良質な公演といえる。公開にいたるまで、村人ひとりひとりの自己研鑚の結晶がここにある。惜しむらくは、シ−タ姫の役がやや長身で、腰の位置が高い。公演場所は村の寺院前、屋根のない広場を利用しており、その自然背景も公演の成功に寄与している。 公演の所要時間は60分前後。 バリの心情「セマラ・ラティ」
Semara Ratih かつて天才の名をほしいままにしたマリオが、1925年に創作したクビャ−ル・トロンポンをレパ−トリ−の中核とし、定番の道化ジャウッ、戦士の舞バリス、それに女性舞踊2名によるレゴン・ジョボグ・・・など、それぞれの平均値がたかく、欠点となる演目がひとつとして無いのは賞賛したい。公演場所はプラデサクトゥ。ウブド中心街から東、オカカルティニホテル前を左折、そこから徒歩5分ほど。送迎バスなし。 ★ 公演にさきだつ諸注意
★1999年5月の旅行から(1ルピア=0.014円) |
2000年12月2日 配信 ガムラン音楽は大衆に認知された現在でも、いまだ新鮮な印象を与えるが、これが初めて西洋の音楽家に紹介されたころを想像すると、その衝撃は計り知れないものがある。 この項では、クラシックの作曲家に限定して、ガンランの影響を探ってみることにしたい。登場する作曲家は、音源としてのCDが入手しやすいドビュッシ−、ラヴェル、プ−ランク、ブリテン、ゴドフスキ−。 [ドビュッシ−] Claude
Debussy その実演をドビュッシ−は聴き、従来の作曲法における主音と属音の関係に疑問をいだくようになった。彼はすでに20代後半となっていたが、フランス芸術院のコンク−ルでみごとロ−マ賞を獲得したカンタ−タ「放蕩息子」のほかには、めぼしい成果を残しておらず、まだ無名にちかい存在であった。幸いにもガムランの影響は、1903年に作曲されたピアノ独奏曲「版画」の第1曲「塔・パゴダ」に表われた。彼はガムランの響きを、自己の内部で消化してから曲にとりいれたため、鈍感な聴き手にはその出自が理解しにくい。 推薦CD 蛇足ながら上記(pf)と記すのは、その昔ピアノとフォルテ、すなわち弱音と強音が自在に演奏できる楽器として命名され、正式にはピアノフォルテと称した。現在では、略してピアノと呼ばれるようになった。 [ラヴェル] Maurice Ravel 推薦CD [プ−ランク ] Francis Poulenc 1931年パリで開催された植民地博覧会で、彼は初めてバリ島のガムラン音楽に遭遇した。その体験が覚めぬまま、翌1932年にわずか2ヶ月半で「2台のピアノのための協奏曲」を書き上げ、随所にガムランの響きをとりいれた。それは意識せずとも自然に聴き取ることができ、かつクラシックの曲想として違和感がなく、この作曲家の天分が発揮された名曲となった。 推薦CD [ブリテン] Benjamin Britten ブリテンは台本作者ジョン・クランコから依頼されていた新作バレエ「パゴダの王子」の楽想として、すぐさまガムランの響きを登用し、翌1957年ロイヤルバレエ団の初演に間に合わせた。それは西洋の管弦楽団を駆使しながら、臆面もなく生身のかたちでガムラン音楽を引用した特異な例となった。録音は初演直後、ブリテン自身が指揮棒をとりLPレコ−ドの両面に収めるために、大幅な省略を実施した。 推薦CD 以上の作曲家たちは、曲名としてパゴダ Pagoda を使用していることがあるが、これは英語で「仏塔」を意味する総称なので用法として間違いではない。しかし日本語では、「仏塔」を意味する用語がいくつもあり「パゴダ」という用語は、ミャンマ−の仏塔を意味する場合にのみ使用されている。 [ゴドフスキ−] Leopold Godowsky 作曲家としての知名度がひくいため、この曲の録音は恵まれず1999年にやっと新録音が登場した。その奏者は、インドネシア人の女流ピアニストで1966年アメリカのウィリアムカペル・コンク−ル優勝の経歴をもつ。 推薦CD [マックフィ−
] Collin Mcphee ガムラン音楽をとり入れた「タブ−ン・タブハ−ン協奏曲」はメキシコで世界初演のあと、1953年ニュ−ヨ−クで再演され彼の実績が世に知られることとなった。しかし、彼の作曲能力は第一級とはいい難く、後年発表の研究書「Music in Ball」の著作者として名を残している。 推薦CD 最後に極めて珍しい録音を紹介して、この項の終わりとしたい。The
roots of gamelan と題された1928年世界初録音SP原盤から復刻されたCDで |
2001年1月13日 配信 ジャワ島中部、ジョクジャカルタまで空路を利用すれば簡便にボロブドゥ−ルを観光することができる。しかし今回はジャカルタからの空路を選ばず、まず列車でバンドンへすすみ、この地で2泊するあいだ本場のワヤンゴレ(木製人形)を鑑賞してから、早朝バンドン始発の列車でジョグジャカルタへ向かうことにした。 バンドン駅のジョグジャカルタ行き切符窓口は、駅正面ではなく路線の反対側すなわち駅裏にあることを、前日のうちに確かめておいた。前日出発1時間まえに窓口で待機。 ぶじ07時30分発、全席ビジネスクラスの急行列車、指定券を14000ルピアで入手。 当時のレ−トは、10000円=202000ルピアであったから約700円。ちなみに現在のレ−トは、10000円=750000ルピア。現地物価の値上がりをみこしても、日本円のレ−トが有利に変動しているので、現在ではより安い費用で旅行できるといえよう。 列車の編成は、先頭にディ−ゼル機関車、荷物車、客車×2、荷物と食堂の混合車、客車×3、すなわち機関車を除くとわずか7両の短い編成。定刻に発車した列車は順調にすすみ、食堂車ではミ・ゴレンと称する中華そばをすすり、15時14分定刻よりやや遅れてジョグジャカルタに到着した。 あいにく今夜の宿を決めていないので、とりあえずプラットホ−ム上の旅行案内所を訪ねてみる。 高級ホテルは身分不相応だが、かといって安宿では・・・とホテルリストを繰りながら迷っていると、当の案内所から1泊80ドルのフェニックスホテルを、55ドルにディスカウントするとの誘惑に負け、2泊することに決めた。さいわい鉄道駅から近く、明日のボロブドゥ−ル行きに備えてバスをつかまえるディポネゴロ通りにも徒歩圏内であった。 翌朝8時ちょうどにホテルを出発、眼前のジャンドラル・スディルマン通りを、徒歩で西へすすむとディポネゴロ通りと名を変え、北方に向かうマゲラン通りと直角に交わる。 すでに交差点あたりに停車したバスから、車掌が「ボロブドゥ−ル、ボロブドゥ−ル・・・」と連呼して集客に余念がない。 運賃は500ルピア、待ち時間なしでバスに乗車でき、あとは到着を待つばかりと思ったが、1時間ほど走行した途中のムンティランで乗り換えを知らされ、あわてて下車し次のバスを探す。 ほどなくボロブドゥ−ル行きのバスがみつかり、ここでも運賃500ルピアを支払う。 09時40分、終着ボロブドゥ−ルに到着。 すぐさま馬車や人力車の客引きに囲まれるが、この下車地点から遺跡公園の入口までは徒歩5分、その必要はなかった。入場料4000ルピア、早朝06時から17時まで見学者に開放。広大な敷地を確保しており、この入口から目当てのボロブドゥ−ル本体までは、さらに徒歩5分を要する。 一辺120メ−トル、正方形の基壇上に六層、その上は円形基壇が三層、頭頂部は円錐型のストゥ−パがそびえ立ち、地表からの高さは42メ−トル。1814年ジャワの副総督、スタンフォ−ド・ラッフルズによって発見され、世界最大の石造建築として広く知られるようになった。石材に刻印された古代ジャワ語の書体から推定して、建立年代は760年から850年のころと考えられている。 順路どおりに進めば、見学者は真東からボロブドゥ−ルに登頂することになる。今回は目的をしぼり、全部で1460枚もある彫刻類のうち、第一回廊の上下2段に分割された上段のみ、すなわち「釈尊の生涯」をたどってみることにした。これだけでも一辺あたり30枚、合計120枚もあるのでつぶさに見学すれば、ゆうに半日を要するだろう。ちなみに下段は仏陀の前世物語り、すなわち「ジャ−タカ」から13種類の逸話が選ばれている。 参考書として、溝口史郎著「シャカムニの生涯」丸善ブックスを持参したので、ペ−ジをくりながら歩いてみよう。まず階段をのぼるまえに左手方向、基壇の東南角に開示された通称「隠れた基壇」をみる。 もとの東正面に戻り、階段を一段のぼると目的の第一回廊。古代インドの礼法にのっとり、右回りに巡ることで彫刻の物語りが理解できるようになっている。すなわち正面から左手へ進んだあとは、すべて右手へおれる順路となる。全120枚の彫刻は、その保存状態が均一ではなく、先の参考書を手にしながらも理解しにくい場面があるため、すべての紹介は断念し重要な画面だけをえらぶことにした。その大きさは、縦94センチ×横195センチから最大287センチ。 [東面・左半分]
[南面]
[西面]
[北面]
[東面・右半分]
最後の彫刻のすぐ左手は周遊まえの階段部、これで回廊を一周したことになる。階段を登って、いきなり円形基壇に移動すると、釣鐘型の仏塔が72基あり、それぞれの内部に仏陀像が安置されている。 [付記] ★1994年8月の旅行から(1ルピア=0.048円) |
2001年11月10日 配信 ワヤンクリを初めて見たのは今から10年まえ、ジャワ島のジョグジャカルタだった。それは観光客むけとして2時間の短縮版だったが、この芸能を知るきっかけとしては充分であった。 バンドンを早朝の急行列車に乗り、夕刻にはジョグジャカルタに到着した。ホテルに旅装をとき、散歩を兼ねてマリオボロ通りの観光案内所をたずねた。そこの掲示により、ソノブドヨ博物館でワヤンクリ(影絵芝居)が連日催されていることを知り、20時の開演まえには現地にかけつけた。 平土間の会場は、影絵の舞台となる白い幕が垂直に張られていた。これを「クリル」と呼び、その上方に一基の電灯を設置して影絵の照明とする。その電灯は「プレンチョン」と呼び、本来の公演では椰子油を燃料とした原始的なランプを用いる。白い幕クリルは、床から1メ−トルほどの高さ、水平に渡したバナナの幹で支えられている。この幹が影絵たちにとっては、大地を意味し「グドゥボク」と呼ぶ。 ワヤンが開始されるまえは、グドゥボクの中央に宇宙の象徴として「グヌンガン」が立つ。これは上演が始まる直前に降ろされ、影絵たちの物語りが終わると再び立てられる。ワヤンの世界に没入していた観客たちは、この合図によって現世に戻されるしくみとなっている。 影絵に登場するワヤンは、水牛の皮を材料として外形をつくりランプの逆光に映えるよう、顔の表情を打ち抜きとする。そのためにワヤンの登場人物は、すべて横顔という制約をうける。皮を支える骨組みは、水牛の角や骨を削りだす。肩と腕の関節を可動できるように細工したワヤンも多い。ワヤンの上演はラ ンプを通した逆光のもとに鑑賞するが、その反対側すなわちワヤンをあやつる側で鑑賞することも可能なため、ワヤン本体には彩色が施されている。 一説によるとワヤンの原型は、日本の紙芝居のように彩色した平面絵画だったと考えられており、それは「ワヤンベベル」という形態で今に残ると推測されている。その発展過程のうちに、一見無用に思えるワヤンの彩色が伝承されたのであろう。 ワヤンの伴奏となるガムランは、青銅製の銅鑼(どら)や鉄琴で構成された楽器集団で、その小さいものは3〜4名、大きな編成では25名以上の奏者が必要となる。この夜のワヤンでは20名ほどの奏者に加え、プシンデンと呼ぶ女性歌手まで待機していた。青銅楽器は銅鑼(どら)を木枠につりさげた形状のゴング系と、いくつかの銅鑼(どら)を木箱にとりつけた形状のボナン系に分類される。また鉄琴は、青銅の小片を竹筒のうえにとりつけ、共鳴構造のグンデル系と、単に木枠にとりつけただけのサロン系に分類される。 以上4種のほかに、両面太鼓の「クンダン」、縦笛の「スリン」弦2本の旋律楽器「ルバブ」などが補助楽器として加わる。 ガムラン奏者が位置につき、ワヤンを操作する人物が登場した。彼の背中には上演の成功を願って、聖なる剣「クリス」が腰帯に差されていた。ゆるゆると上演が始まり、中央に立っていたグヌンガンが降ろされた。ジャワのガムランは、ゆったりとしたテンポを基本として、人物の移動場面や戦闘場面で速いテンポが挿入される。西洋のバレエ音楽が、あくまで人間の動作を基本としているのと同様、このワヤンでは影絵の操作を参考としたために、ゆるやかなテンポが好まれるのであろう。 演目はインド叙事詩のラ−マヤナと、マハ−バラタが根幹をなす。ジャワの民衆にとっては、幼いころから親しんだ物語りのため、その登場人物と役回りは周知のことであろう。ふと窓際に目をこらせば、そこに張り付くよう地元の観客たちが、無料の見学にあやかっていた。むろん館内には正規料金を支払った外国人観光客のほかに、地元の家族づれも多い。 ガムランは1オクタ−ブをほぼ均等に5分割したスレンドロ音階と、不均等に5分割したペログ音階を使用する。一般にジャワのガムランは7世紀に栄えたシャイレンドラ王朝の名前を由来とした、スレンドロ音階の使用が多い。 西洋楽器と異なるのは、一式のガムランは独自の調律が施されているため、たとえ同系の楽器でも相互に交換することはできない。したがって絶対音感という思考は成立せず、主音・属音の関係がなく和声の法則もない。そのため西洋音楽の実践者にとって、ガムランは摩訶不思議な音楽と聴こえるにちがいない。この異文化が魅力に転じて、ドビュッシ−やラヴェルが作曲に導入したおかげで、現在のわれわれは西洋音楽を聴きながらも、間接的かつ無意識のうちにガムラン音楽を知っていたことになる。 ワヤンを操作する人物は「ダラン」と呼び、演奏がはじまると口上をのべながら影絵の操作をする。同時に、あぐらを組んだ足指に「チュムポロ」と呼ぶ木製道具を挟み、これでワヤンの収納箱を叩いて拍子をとり、ガムラン全体を統率する指揮者の役目をはたす。むろん上演中は常時1体、多いときは両手を使って3体のワヤンを操作する。腕が可動するワヤンは胴体を支える支柱のほかに、両腕からのびた左右一対の操作棒を使う。ワヤンを白い幕クリルに近づけると打ち抜きした表情が鮮やかな影絵となり、クリルから離せば一転して影がぼけ、抽象化した影絵となる。 順次登場したワヤンたちは、出番を終えたものからダラン自身が収納箱に入れてゆくが、再び出番をむかえるワヤンはバナナの幹グドゥボクの隅に刺し立てられて待機する。上演中の戦闘場面で、腕の可動部分がこわれてしまったワヤンは、すぐさまダランが応急修理をして出番に備える。 上演には神々、英雄、貴族、貴婦人、聖職者、呪術師、道化役、動物など、およそ現世の生物すべてがワヤンという形を借りて登場する。また文明の象徴として自転車、オ−トバイ、飛行機なども登場して世相を反映するとともに、風刺や批判の精神を取り入れることで、ひろく民衆の人気を保ってきた。 この点では日本の歌舞伎と一脈の共通点があるが、ジャワのワヤンクリの場合は教育制度の遅れから、文盲対策として道徳や知識を広める意義があったことを見逃してはなるまい。そのため伝統的なワヤンの上演には、ジャワの古語「カウィ語」が常用されていたが、近年では民衆への理解をはかるためインドネシア語の上演も盛んとなった。 ワヤンたちの表情は、ガムラン奏者や地元の観客を観察してみると、かれら自身が巧みにデフォルメされて人形に定着していることがわかる。これは一夜あけてジョグジャカルタの街を散策すると、行き交う庶民の表情からワヤンが連想され確信をあらたにした。 ガムラン奏者たちは、出番の合い間をぬってタバコをくゆらす者や、席をぬけて所用に立つ者、かたわらの売店でジュ−スを飲む者まで現れて、上演の妨げになりはしないかと心配させる。 しかしながら、ガムランの進行に粗相をきたすことない。この自然体ともいえる奏者の態度が、楽譜という定本がないガムランの演奏に、日ごと変化をもたらしているのであろう。その反面ダランは唯ひとり、休む間もなくワヤンを操作し、口上を述べ、唄い、拍子をとり、ガムラン全体を統率し上演を進行させる。この八面六臂の活躍が、ダランの技量と人気を決定する要因となる。 ジャワ島におけるワヤンの上演は、庶民たちの結婚式やイスラム教にもとづく割礼など、通過儀礼の余興として催され、上演は夜を徹して明け方まで行なわれる。そのような庶民生活に密着した公演をわれわれ観光客が知ることはむずかしく、上演を体験するには長期滞在の方法しかないだろう。CDやDVDが流布している日本に住みながら、ワヤンクリを実体験する機会は、残念ながら皆無にちかい。 この上演を見た2年後、首都ジャカルタの市場で、名匠の誉れ高いダラン、ナルトサブド翁(1924〜85)のカセットテ−プを手に入れた。 ★1992年9月と1994年8月の旅行から |
| 小話 インドネシア その1 バリ島、デンパサ−ル空港で税関検査がおわるとあちこちの窓口から、にゅ−と腕が伸びおいで、おいで・・・の光景を眼にする。これは両替を勧誘する銀行員たち。 窓口によってレ−トの変動があり、伸びた腕が長いほど不利?のような気がする。 よく比較すべし。 小話 インドネシア その2 小話 インドネシア その3 小話 インドネシア その4 小話 インドネシア その5 小話 インドネシア その6 小話 インドネシア その7 小話 インドネシア その8 小話 インドネシア その9 小話 インドネシア その10 小話 インドネシア その11 |