日本語で届く、ミャンマーからの手紙                                          トップページへ戻る

著作権 : ビルマ人モモ&水野 哲行

 

ひどい病気

2005年10月10日 配信

モモさんから手紙が届きました。
この手紙は昨年11月に対面したときに、書きかけを見せてくれ
た文面ではなく、自分の病気を記した別のものです。

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ひどい病気

1月から2月まで1か月間上くらい、ひどい病気になった。
ときどき病気になったことがあるんですが、今度はとてもひど
かった。腸チフスというのだ。

その病気は悪寒になったり、下痢になったりしていたのだ。
何か悪いものを食べすぎたわけだ。
薬局へ行ったり、くすりを飲んだり、注射したり、した。

そのときは、何も食べなかった。
コーヒーとジュースだけ飲んだ。
あとは、おかゆを少しづつ食べてきた。
体の動きが下がってある。
髪の毛も外れちゃた。(注1)
だから髪の毛を短くしなきゃ。

わたしたちは髪の毛が長いのが、だい好きだ。
髪の毛が長いのが、とても魅力があるという考えがある。
わたしの髪の毛の長さは、ふともも(膝の上)までです。
今は肩までだけ、なちゃた。
とても悲しいことだ。
いま、救助した。(注2)

(注:1) おそらく、投薬の副作用で髪の毛が抜けたのだろう
(注:2) 快復の意味で使ったと思われる。
(問) あなたも、ひどい病気になったことがあるんですか。

上記のように今回の手紙では、モモさんからひとつ問いかけがされております。おそらくモモさんは、自国の文化と比較しながら、日本の文化を知りたいのだと思います。

読者各位から、Eメ−ルによる回答をいただければ、私からモモさん宛て、プリントアウトした文面を転送いたします。

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付録 チョウタンさんの水彩画・頒布

いつもの「ミャンマー読みきり帖」を休み、ミャンマーで高名な画家・チョウタンさんの水彩画を頒布することをお知らせいたします。

チョウタンkyaw Taungさんとは共通の友人を介して1999年に初めて対面しました。彼は1943年にヤンゴンで生まれ、芸術学院で画家の才能を伸ばし、はやくも1972年にはユネスコから「生きる世界」賞を受けました。

初対面のときすでにミャンマーで名声がたかく、得意とする油彩は絵具が乾く時間を惜しんで、買い取られてゆく状況でした。芸術家にありがちな現実をきらう性格から、この金銭取り引きに嫌気がさして、一時的に絵筆を絶ったことがあるようです。

しかし、わたしと交友がすすむにつれ外界として日本の画壇の内容を知るきっかけになり、自らおかれたミャンマーの環境はむしろ恵まれていると、考えを改めたようです。

数年まえに油彩の制作を再開したばかりか、手みやげに進呈したスケッチブックが気に入ったとみえ、水彩画の制作にも意欲があらわてきました。

チョウタンさんの特徴は光が反射する表現力にすぐれ、とくに人物画では、その明暗によって表情に生命力が宿ります。

2005年4月、チョウタンさんの次女チスウェイが日本へ留学し、来日のおりに父の水彩画を携えてきました。おそらく日本での生活に役立てばと、親ごころの表れなのだと思います。

頒布価格から、水彩画の梱包と郵送にかかる実費を差し引き、全額を次女の留学費用に充当したいと考えています。

幸い水彩画の評判がよく、ホームページに掲載してすぐ、7枚のうち5枚が売れ、残るは2枚のみとなりました。 水野哲行

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わたしとスペイン語

2006年2月21日 配信

私は三年間ぐらいごろ、スペイン語を習うと思った。
でも機会もなかったし、スペイン語のクラスも手触りなかった。

昨年の初めに、ひどい病気になっちゃった。
そうなった後で、なにか変えることにしたい気持ちになった。

その上に、スペイン語を習う機会にあった。
先生たちはメキシコから来た夫婦だ。

基礎のコースは1ヶ月半かかります。
初めは何にも分からなかった。
あきらめないで勉強を続けた。

スペイン語のアルファベットは英語と同じようなので、
書くのも読むのも日本語より楽にできた。
でも聞くのも話すのも、むずかしかった。

だんだんなれるようになって、よく分かってきた。
中間のコースが続けて1ヶ月ぐらいかかった。
ふたつも強めるコースなので、いつも勉強ばかりしなきゃ。

スペイン語について能力は上がった。
短い時間に成功になったので、とてもうれしかった。

父のなくなったあとで、その気持ちが一番だ。
あとで、手紙を日本語とスペイン語で書きます。

私は日本語とスペイン語の力は、まだみじゅくで、
ときどき変な文法なるかもしれませんが、ゆるしてください。

よろしくおねがいします。
どうも、ありがとうございました。

(1) あなたはスペインへ行ったことがあるんですか。
(2) あなたはスペイン語が好きですか。
(3) 日本でもスペイン語を習うのはふえたそうだ。そうすると、なぜですか。
(4) ここにもスペイン語を習うのが、とてもふえた。スペイン旅行者は一年中来たそうだ。
いま一番人気がある外国語は韓国語だ。日本では何ですか。
(5) スペインの歌は、聞いたことがあるんですか。

上記のように今回の手紙では、モモさんから五つ問いかけが、されております。おそらくモモさんは、自国の文化と比較しながら、日本の文化を知りたいのだと思います。

読者各位から、Eメ−ルによる回答をいただければ、私からモモさん宛て、プリントアウトした文面を転送いたします。

ミャンマー読みきり帖 (この蘭は、すべて受け取り人、水野:記)

「タイ国境の町、タチレク」

タイ北部メェサイからミャンマーへ入国する手順が変更された。

従来まではパスポートのコピーを2枚用意し、タイ国側でパスポート本体を預けたまま、ミャンマー側へすすみコピーを提出していたが、2006年1月わたしが見聞した現状は、タイ国を正規出国扱いとするものだった。

パスポートに留められた出国カードを外され、出国スタンプを押印されるから、空港での出国と何ら変りがない。ただし出国窓口の張り紙によると、日帰り越境の場合1000バーツ、複数日越境の場合2000バーツの所持金が条件とされるが現実には、ほとんど検査していない。

徒歩でミャンマー側へすすみ、ここでパスポート本体を預ける。日帰り越境の場合は5USドルまたは250バーツ、複数日越境の場合は10USドルまたは500バーツを査証料金として支払う。レート換算すればUSドルのほうが安上がりとなる。

複数日の場合は、パスポートのコピー1枚と写真3枚が必要でパスポートに替わる2週間有効の簡易査証を交付される。この査証で当地タチレクだけでなく、160キロほど奥地のケントンまで進むことができるが、その希望があれば口頭で伝えて査証に明記してもらうことが必要だ。

略式の査証なので、ケントン以遠のタウンジーやマンダレーへ進むことはできない。むろん当地でパスポートを預けているから、出国も当地タチレク以外では不可能、必ずタイ国側のメェサイへ戻ることが絶対条件となる。

タチレクで入国してヤンゴンやマンダレーから出国する場合は、当地で交付される簡易の査証ではなく在外の大使館で取得した正規の査証が必要となる。
(この行程は、次回の旅行で実現したいと考えている)

タチレクの高級ホテルは、タイから入国してすぐ東西に延びる幹線道路を東へ2キロほど進んだところに一軒。
メコンリバーホテル Maekhong River Hotel
シングル一泊1200バーツ、スイート3500バーツ。
提示された価格表には中国語が併記され、その顧客が多いことを暗示している。

一般的なホテルとしては、同じ幹線道路を東へ700〜800メートル、休業中のレッジーナホテルの交差点を左折、さらに200メートルほど先に進むと一軒。
ミヤシュエイーホテル M<ya Shwe Yee Hotel
シングル一泊600バーツ、ただし漢字で「請用水或着衛生紙無用其它紙」と注意書きがあり、トイレでの紙使用は厳禁。そのほか商店の上階を貸す格安ホテルも、いくつかある。

タチレクの街中には、さしたる観光資源はない。毎日タイから日帰りで越境してくる人々は、国境周辺に広がる市場で格安の品物を探すことが目的だろう。ミャンマー原産の宝石、外国製タバコ、中国から運ばれた漢方薬、子供の玩具、文具、農機具、大工道具などのほか、ワシントン条約に抵触する動物まで店頭に並んでいる。

タチレクに足を踏み入れたとたん、看板はビルマ文字に替わり食堂はビルマ料理が主体となる。コンビニの品揃えはタイと比較すると激減し、とくにスナック菓子、清涼飲料水などは不足ぎみで不便に感じるから、できればタイ国で用意して持ち込むほうが得策であろう。

わたしが接したコンビニの店員やバイクタクシーの運転手、ホテルの従業員など、ビルマ族が保有する人当たりの柔らかさ、互いに共有する親近感など、首都ヤンゴンでの印象と替わりがなく、手軽にミャンマーを体感できる絶好の場所といえよう。

ただしミャンマーの領土に属しながらも、タチレクの貨幣経済はタイバーツ圏に入り、ミャンマー通貨のチャットは使用できない。すなわちタイバーツを持参したまま、両替の必要はない。

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スペイン語の習得

2006年7月17日 配信

兄さんのお陰で、私の髪の毛が厚くて長くてきた。(注:1)

去年、私ときどき病気になった。
私の髪の毛を短くしちゃったので、そうなったかもしれない。
いつも、占いとき、占い師があなたの髪の毛を切らない、と言われた。
私のを長くて、そのまましたのは十二年くらいだった。
私も大好きだ。

男の右腕、女の長い髪の毛には、めずらしい力があると感じがある。
私、あまり迷信的な人じゃないのに、私として長いのは
もっときれいだと思った。

スペイン語アドバンスコースの終わりに、私たちは
メキシコからの先生夫婦とバガンへ3泊5日旅行した。(注:2)
そのとき、日本からの観光客と会ったことがある。
若い男の人はツアーリーダーらしい。
その人は中国語もスペイン語もできる。
その人たちと少しはなすことができた。とてもうれしかった。

今、私スペイン語のガイドさんの試験に成功した。
人生はめずらしい、私は日本語のガイドさんになりたいのに、
スペイン語のガイドさんになる機会にあった。

私は今、ミャンマーについてスペイン語で練習している。

(注:1) 腸テフスを患ったモモさんは、投薬の副作用により髪の毛が抜ける現象に悩まされた。前回2006年2月の対面には発毛作用のあるシャンプーを進呈。この一文は、その返礼。
(注:2) 樹液を舐めることは、参考文献にない用法で、モモさんの記述により初めて知りえた。

上記のように、モモさんはスペイン語のガイド試験に合格し、ちかい将来はスペイン語圏の観光客を案内することになるかも知れません。
わたしと再会したのは、2006年5月下旬ですが、このとき日本語を使う機会から遠ざかっていたらしく、はじめのうち、会話に不自由するようすでした。しかしモモさんの自宅で半日ほど過ごすうち、わたしと会話が進むにつれ以前と同じような能力が戻りました。
いまミャンマーでは日本の観光客が減少傾向にあり、モモさんの能力を生かしたガイドに関して、スペイン。フランス、イタリア、ドイツなど西欧諸国からの観光客が増加しており、その需要も増えています。

ミャンマー読みきり帖 (この蘭は、すべて受け取り人、水野:記)

 「チェイントン再々訪」 2006年5月

2003年3月の再訪ではヤンゴンから空路でチェイントンへ移動し、陸路でタイへ抜ける行程をとった。今回は、その逆でタイ北部メェサイからミャンマー領タチレクへ入り、チェイントンまで陸路移動、のち空路でヤンゴンへ進む行程をとった。

ヤンゴンから出国する行程では、タチレクで発給する簡易査証では認められず、あらかじめ東京のミャンマー大使館で正規の査証を取得しておいた。したがってタチレクから入国するとき査証発給の手続きはなく、通常のスタンプ押印のみで入国。

タチレクで一泊し翌朝、乗り合いタクシーでチェイントンへ移動する。定員4人または5人が集まるまで出発しないので、この日8時半から待ちつづけ、出発したのは4時間以上経過した13時ちかくであった。すでに出発まえから疲労困憊。料金はひとり500バーツ、所要3時間半から4時間。

前回の移動手段は、この乗り合いタクシーだけだったが、今回は一日2本9時と13時に出発する大型バスの運行を確認した。料金は350バーツ、出発当日の手配では満席のことが多く、タチレクへ入国する際のイミグレーションで切符の手配を代行する旨の張り紙広告があった。

チェイントンの宿泊は、前回と同じプリンセスホテル一泊26ドル、冷蔵庫、エアコン完備、朝食つき。現地通貨チャットの両替はホテルで行えず、すぐ北隣の食料品店を紹介された。1USドル=1100チャット、のちヤンゴンで両替したときのレートは1150チャットだから、定説どおりミャンマーでは辺境のほうが両替レートは低い。

チェイントンの朝市は、いまも盛況だ。前回の訪問で撮影した露天商の面々をさがし、持参した写真をそれぞれ手渡すことができた。みな商売をしている自分を見るのは初めてなのだろう、とまどいながら次第に笑みがこぼれてゆく。今回の朝市では、日本とおなじように「筍」が旬をむかえていた。また季節の食材として「蝉」が売られていたのは、
昆虫食で知られるタイの北部でも目にしたことがなく、新しい発見であった。

午後、街なかを散策していると知らぬ間に丘の頂上に出てしまった。チェイントンの周囲を遠望でき、遠くの山並みが雲にみえ隠れしており、ここが広大な盆地の中心にあることがわかる。手前に視線をうつすと、仏教寺院と教会が隣接し文化の交点でもあることを示し、眼下には周囲2キロほどのノントン湖が水を貯えている。さきの朝市の活況は、これら自然環境が人間の心理にあたえた現象なのだろう。

住民たちは「外食」の習慣をもたず、一部のひとたちが朝食を茶店で摂るていどなので食堂の絶対数がすくなく、わたしのような観光客にとって不便を強いられる。地図で探したミンガラレントランでタイの名物「トムヤムクン」を注文してみると、日本とおなじ味覚の「豆腐」が入っていたことに親近感を覚えた。しかし一食あたり4〜5ドルの相場は、物価の換算を考えれば高いと言わざるをえない。

遠望できた丘の頂上あたりでは、水利条件が劣るために貧しい所得層の民家が多かった。その反面、主要道路に面した民家は庶民のくらしに過分なほど立派な民家が多い。それらの一軒に二階建て白壁造り、その二階部分は全面バルコニー付き、側面階段、自家用の井戸、一階部分は土間作りで頑丈な木材とびらが付属、そのとびらは夏場に涼気を呼びこむ手段として開放されるはずだ。

滞在の記念にとスケッチを画策、向かいの道路際に腰かけ90分ほどを要して完成しかけたころ、わたしに気づいた民家の主婦が現れて、しきりに完成を促す。どうやらスケッチを記念にほしいとみえ、完成品を手渡すと近所の雑貨屋でコピーを作り満悦したようす。つたないスケッチが素朴に喜ばれて、描き手のわたしにも旅の醍醐味をもたらした。 写真

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もう一回の自己紹介といろいろ

2006年12月11日 配信

モモさんの妹、ウィンチョウさんとEメールによる連絡が可能
になり、この文面は従来のような郵便で届いたものではなく、
Eメールの添付画像として届きました。

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家族は今、四人います。

父は三年前、なくなった。
私たちの名前について苗字もないし、なくなった後も変えたことはない。(注:1)

父は溢血して卒中しまった。病院に二週間ぐらいかかった。
退院して家に一週間かかった後、なくなった。
死期の三番目の日に野辺の送ったことがある。
だいたい埋葬するより火葬するのは多い。
燃やす前に、ココの水で頭をぬらすことがある。(注:2)
骨灰はそのままおいた。骨灰を取る習慣がない。(注:3)

墓地から帰りに魂の代わりに、バラの花を取ったことがある。
七日にお坊さんたちに父のために目指して、食べ物とか僧侶の
ための器具とか差し上げたことがあった。
食べ物を差し上げる目的は、父は食べ物ができない場合、そう
すると父は食べられてきたと感じがある。
器具を差し上げる目的は、父は着物がない場合、そうすると父
は着物ができたと感じがある。
でも、そうするのにできない場合もある。

私たちのために、できればできるほど父のために一番いいこと
をしてくれましょうか。できない場合というのは、たとえば父
が地獄にいるか、なにか畜生になったか、人間になった場合は
できない。(注:4)

私たちの、前世は数えられないほど多いし、来世も数えられな
いほど多いと感じる。前世のとき、いいことも悪いこともした
かも知れなかった。そうした自分のふるまいの結果は現世、そ
れ以上に来世のとき得るはずでしょう。
私たちのために、生きているときを大切にするべきだ。

いつも大切にしたのは、五尊(仏、法、僧、親、師)で毎日、
礼拝したことがある。死んだあとはみんなほこりになって、何
もいつも無いので無駄になったと思った。

今年は四回忌で、お寺へ行ってお坊さんに食べ物を差し上げた。
年回忌でパゴダへ行って善事をすることもあるし、お坊さんに
何か差し上げて等分することもある。でも墓参りがない。
それは習慣が合わないけれど、目的は同じでしょうか。

私のため、父が生きているとき、いろいろ怒られた。
私は一番いい娘じゃなかった。でも父のことが大好きだ。
父のことは今まで思い出して、とても残念だ。
父は一番いいお父さんだ。
父の代わり、だれもできないと思った。

(注:1) ビルマ人には苗字と名前の区分がない。
また、死者に戒名をつける習慣はない
(注:2) ココ、おそらくココナツ椰子のこと。
(注:3) ビルマ人だけでなく東南アジアでは、遺体や遺骨にたいして執着がなく、日本人との感覚に差異あり。
(注:4) 日本人と同じく輪廻転生の思考がある。
(1) あなたは、お父さんのことが好きですか?
(2) あなたのお父さんが生きている?どうすればいいかな?
(3) 今まで思い出して、とても残念なことがありますか?
(4) あなた自身のために、いつも大切にしたいのは何?
(5) 生きているときについて、あなたはどう思う?

上記のように今回の手紙では、モモさんから五つ問いかけが、
されております。おそらくモモさんは、自分の思考と比較しな
がら、日本人の思考を知りたいのだと思います。

読者各位から、Eメ−ルによる回答をいただければ、私からモ
モさん宛て、プリントアウトした文面を転送いたします。

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