大隈講堂
去年の六月、神楽坂建築塾で藪野健先生と早稲田周辺を歩いた午後、この絵を書き始めた。その日夕方までかかって仕上がらず、今年になって同じ季節の晴れた日ににもう一度訪れて仕上げた。藪野先生の資料にあった設計者の言葉どおり塔は青空に突き刺さっていた。    
「そして建物には塔を附けたいと思つた。即ち天をさす塔を以て大學の隆々として發展しつ丶ある其象徴となし、これに大時計を取り付けて時間の標準とし、頂上に組鐘を取り付けて時間ごとに或曲目を奏せしめ、これを學園にひヾきわたらすやうにし。また記念日其他には適宜にこれを打ちならして式典の時刻を四隣に報じ、なほ欧州諸國のかういふ建物あるやうに大學に於ける記念す可き出来事は、大理石板なり青銅版なりに之れを銘刻して塔の内部の壁に取り付け、塔を下から上まで上り行く間に大學の歴史を知り得るやうになさうとするものであつた。これは幸に當局の容る丶ところとなりあの百二十五尺の塔をつけることになったのである。」(佐藤功一 『工事報告に洩てゐる設計に關する思ひ出』早稲田学報、昭和2年11月、より)
昨日(11月11日)、サンシャイン60の展望台からこの「塔」を見た。どこからでも目立つのが「塔」の本来の姿のはずだが、夕暮れ時ということもあり、双眼鏡を使って初めて探し出すことができた。立ち並ぶマンション等に埋まってしまっていたが、特徴ある頂きのかたちが存在を主張していた。東京には、搭状の高層建築はいくらでもあるが、「塔」といえる「建築」が少ないのは、上記の佐藤功一のような「意思」が設計者にないからなのではないかなどと、眼下にひろがる建物の海を見ながら考えていた。 絵・文 青山恭之
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