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ハーモニカ横丁
「ハーモニカ横丁」パンフレットより

初春の一日、大宮東口のまちづくりに取り組んでいる団体「はっするねっと」の皆さんと、吉祥寺・神楽坂・下北沢の視察研修に参加した。天候や時間の都合もあって下北沢は割愛となったが、吉祥寺・神楽坂では、それぞれのまちづくりの中心メンバーの方にお話をうかがうこともでき、有意義な時間を過ごすことができた。ここでは、学生時代から過ごした吉祥寺について、かつての体験もふまえて述べてみたい。
 浪人時代、予備校のクラスメートが井の頭公園の先に住んでいて、彼の家を訪ねたのが、吉祥寺を知った最初だった。その時、にぎやかな駅前の商店街を抜けて行って公園に至り、広やかな池を渡り、さらに雑木林を後に静かな住宅街へと続くシークエンスがとても新鮮で、「あ、住んでみたいな」と思った。それは、浦和で生まれ育った僕が、初めて、他の街に住んでみたいと思った経験だった。そして大学に入学してみると、さまざまな理由から吉祥寺で過ごす時間が増え、3年生になる春から、浦和にもどってくるまで14年間、吉祥寺を生活圏としてきた。この街がいいのは散歩するのに快適だということ。とにかく車にじゃまされずに、たいていの用が足りる。さらに自家用車の必要性を感じることがなかった。おかげで浦和にもどってきてからも、車なし生活が続いている。車を気にせず歩けるエリア(ケビン・リンチの用語でいえばディストリクト)がはっきりしていることが、吉祥寺の街の大きな特色だと思う。
 そのディストリクトのなかに、特徴的なパスである「サンロード」と、入れ子になった小さなディストリクト、「ハーモニカ横丁」がある。今回の視察研修では、サンロードのアーケードが新築直後だったので、それが話題の中心になった。吉祥寺の中心商店街であるサンロードの、老舗としての意気込みが感じられる取り組みだったし、吉祥寺に様々な立場でかかわる団体の協議会というような上部組織の存在にも関心させられた。それでも、やはり魅力的なのが「ハーモニカ横丁」だった。

ハーモニカ横丁パノラマ

ずいぶん久しぶりに来てみて、歯抜けになったところもチラチラ目にしたが、街のスケール感は健在だった。行政の立場からは、すぐにでも再開発をかけたいエリアであろうが、土地の権利関係が複雑すぎてなかなか手が出せないらしい。たまたま昼食をとりに入った中華料理屋で、急な階段を上がって2階のテーブルにつくと、料理が運ばれてきたのが手動のダムウェータ(井戸のつるべと同じ仕組み)だったのには感動。戦後の闇市から続く時間と空間がまだ生きているだ。(ただ、昔は「ハモニカ横丁」と呼んでいたと記憶している。)

 また、東急デパートの西側は、おしゃれなショップなどが次々にできて、特に若い人が多く感じられたが、そんな一画に市営の駐輪場が新しく作られていたあたりにも感心させられた。そんな様々な空間が、違和感無く同居しているのが、吉祥寺の懐の深さなのかもしれない。(写真・文;青山恭之)