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明治5年に仏人バスチャンの設計で建てられたこの建築に、正直、感動しました。明治初期の洋風建築というと、お雇い外国人建築家による石造りの古典主義建築か、日本人大工による擬洋風建築、外国人居留地のコロニアルスタイルが思い浮かびますが、この建築には、記号としての西洋臭さや力の表現とは無縁の、近代主義精神の明るい輝きに満ちていたのです。もちろん工場という機能によるのですが、横浜の赤煉瓦倉庫のような重々しさからも自由なのです。それは、煉瓦の壁体を分節する柱と梁のリズムによるものでしょう。バスチャン自身は船工出身で、横須賀の造船所を同じ感覚で設計しているそうなので、機能優先のモダニズムが開花したと考えられます。 |
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そんな機能主義が小屋組みにも徹底して見られます。30cm角の柱の上部に12.3mのスパンでトラスがかかって、瓦屋根の荷重を支え、135年の風雪に耐えてきたのです。実際に稼動していた機械もそのまま残っていました。 そして、建築そのものに加え、荻野勝正氏(深谷の郷土史家)に解説していただき初めて知った、渋沢栄一から尾高惇忠(栄一の師で、初代工場長)、さらに韮塚直次郎(深谷に煉瓦製造技術を起こした)へとつながる製糸場建設に奔走した人々のドラマにも心を打たれました。韮塚直次郎が工場の建設を神に祈った大きな絵馬二枚もそのツアーで見ることができ、西洋近代と、日本人の志の高さが出会った稀有な時代を実感した旅でした。(写真・文;青山恭之) 富岡市の「富岡製糸場 世界遺産推進ホームページ」は以下です。 http://www2.city.tomioka.lg.jp/worldheritage/index.shtml |