8月25日、ダイセル化学工業
ダイセル化学工業-1

 夕方からの世界陸上の開会式に向けて、堺駅から南海の電車に乗って北上を始めてから、左の車窓に注目していました。午前中に浜寺公園駅に向かって南下している時、レンガ造のような工場が視界を横切り、気になっていたのです。今度はデジカメをオンにして構えていたので、上の写真が撮れました。赤レンガの工場建築が何棟も建っていたのです。あれよあれよという間に、やがて、大和川を渡る鉄橋で開けるヴィスタにも塔を伴ったような赤レンガの建物が見え、撮影したのが下の写真です。

ダイセル化学工業

 帰ってきてから調べたところ、この工場は、ダイセル化学工業本社工場で、旧堺セルロイドという会社でした。建築は明治43年(1911)設計アクステル(米人)、実施設計茂建築事務所、施工鴻池組。実施設計の茂庄五郎については、大阪人間科学大学教授の植松清志氏が、以下のサイトで書かれていました。

 http://www.amaken.jp/nambu/18/13.htm

 セルロイドの本格的工場はここが日本で初だったようです。富士フィルムもここから生まれた会社で、僕もずいぶんお世話になっていたのです。今まで、いったい何本の富士のフィルムを使ってきたのでしょうか・・・
 この写真の右にちらりと写っている大和川ですが、大学時代に古美術研究ツアーがあり、その前提講義の時に宮本常一先生が、大和の盆地と世界を結び付けるこの川の果たした役割の重要性を説いていたのを思い出しました。その河口にあたっていた堺は、物流・交易の要として発展してきたのですが、この堺セルロイドや、埋立地の新日鐵などに代表されるの工業の町として、現在にいたっているのです。


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