重要文化財、旧篠原家住宅(宇都宮市)
 さる10月20日、PTAの大会で訪れた宇都宮で、旧篠原家住宅を初めて見学しました。地方の町などに出かける場合、たいがい古い建物のリストをチェックしておくのが常なので、今回も、いくつかのリストに目を通しておいたのですが、この建物は掲載されていませんでした。宇都宮は今まで何度も来ているのに、これまで、僕のアンテナにひっかからなかったのです。それが、今回、PTAの大会の時にもらったいわゆるご当地観光地図に紹介されているのが目に留まりました。そこで、浦和区から参加のPTA関係の方々とお別れした後、訪ねてみてびっくり!非常に興味深い建築でした。

 少し古いリストに載っていなかったのは、市の文化財に指定されたのが平成7年。その後修復工事を経て、平成12年に国の重要文化財になったという「新顔?」だったのです。蔵のうちの一棟は江戸末期、母屋は明治28年の建築ですが、昭和20年の空襲でいくつかの建物が消失。さらに昭和39年の前面道路(旧奥州街道)拡張にともなう曳き屋工事など、歴史の風を受け続け、宇都宮駅から近いという好条件が逆方向に働くなか、平成9年から一般公開が開始されました。

 さて、建築として僕がどこに興味を感じたかというと、日本の町屋が近世から近代へと変化する過渡期の姿が色濃く見られるという点です。都市化に伴う防火性能のアップというのも町屋の近代化の大きな流れで、この建築も、土蔵造りの上に大谷石を張るなど、かなり防火のガードが高いものです。現に、そのおかげで、戦火から逃れることができました。でも、ここで特徴的なのは、二階の平面計画だと思います。



 近世の町屋では、二階は無いか、あったとしても「つし二階」という人がやっと立てる程度の予備の空間、住み込み人が寝泊りするような消極的な空間でした。それがこの建築では、最も晴れの空間である20畳敷きで天井も高い座敷を、二階にもってきているのです。さらに、二階への階段を3箇所用意して、客・家人・使用人の動線を分け、相互を廊下で結んで、それぞれの部屋の独立した機能に対応できる平面計画になっているのです。逆にいうと、このあたりの「新しさ」が、文化財の指定を遅らせていたのかもしれません。



 そういった建築計画的興味を別にしても、見ごたえのある建築であることに変わりはありません。二階の座敷の欅の床柱は、一階の帳場と土間を画す大黒柱(45センチ角)なのですが、長さ11メートルで、なんと棟木まで達しているというのです。その柱と二階床梁の接合部には、鉄の補強材が表しで用いられていました。細部を見れば、明治後期という、日本の木造建築の技術が最も高かったと言われる時代の、職人の技を堪能できます。



 母屋だけでなく、三棟の蔵も見事です。いわゆる土蔵の上に、大谷石を張っていき、金物で留めて、目地と釘頭を漆喰で仕上げていくディテールの美しさ。そんな、大谷石の壁に囲まれた空間では、中国の安徽省の民家で感じた硬質な空間を思い出しました。
 いずれにせよ、これだけの建築を、この場所で残し、後世にわたって維持していこうという関係各位のご努力に敬意を表したいと思います。(文・写真・;青山恭之)



参考資料;国指定重要文化財「旧篠原家住宅」解説書(宇都宮市教育委員会、H12)
平面図と床の間の写真は、ここから使用させていただきました。