氷川女体神社


 高山在住の家具作家、宮原夫妻の展覧会を見に、緑区宮本を訪れた折、氷川女体神社にお参りしました。旧浦和市内屈指の古社です。社伝によれば、崇神天皇の時代に創建されたとされています。大宮の氷川神社とともに、武蔵国一ノ宮と称されてきました。女体というのは、大宮の氷川神社が「男大社」、中山神社が「王子社」で、三社が一体をなし、地図上でもほぼ等間隔で一直線にならんだ関係にあるということです。男と女のまんなかに子どもということでしょうか。それぞれが見沼を見下ろす台地の端に鎮座し、見沼を鎮めるという役割をもっていたのでしょう。



 湖水信仰の象徴として、古代から船で沼にこぎ出だして行う磐船(いわふね)祭りが続けられてきましたが、江戸時代に沼を埋め立てて田圃したため船で沖にでることができなくなり、池を造って祭りを行いました。その跡が、「磐船祭祀遺跡」として残っています。遺跡周辺は「見沼氷川公園」として整備され、公園の池から女体神社の杜を眺めたのが、トップの写真です。常緑の広葉樹を中心とした、かけがえのない緑です。



 階段で台地に登った正面に、拝殿・幣殿・本殿が見沼を向いて建っています。ハイライトは本殿部分で、棟札から、寛文7年(1667年)に、徳川第四代将軍家綱の命で造られたことがわかっているものです。旧浦和の古社寺の中では唯一、全面に朱漆が塗られています。三間社流造り。


 
 ディティールもしっかりした建築で、かつての信仰の篤さ、建設当時の華やぎが創造されます。ただ、部分的にはあちこちに痛みが出ていて、修理を要する段階に思われました。(文・写真;青山恭之)