日光御成街道、川口宿



  3月23日から30日まで、お隣川口市の本町・金町で、「まち・たてもの・記憶 残し!プロジェクト」という催しが行われ、23日の午前と午後の催しに参加してきました。主催は、「まちのこし集団 かわぐち塾」。

  午前は、本町・金町界隈を巡る見学会でした。講師は、僕達「うらわ建築塾」の津村泰範さんが勤めました。このあたりは、2000年の秋に、やはり街づくりのイヴェントで見て歩きました。前回と比べて、本町の中心軸である「本一通り商店街」が、町並みとしての印象が弱くなってしまった感じがしました。田島屋酒店という、蔵も伴った重厚な商家が無くなっていたり、街路に面していた町屋が歯抜けになって、駐車場やマンションになったり・・・。ここは日光御成街道の川口宿として賑わっていた歴史をもっているのに、その痕跡が見えにくくなっているのです。そのことを示す情報が、この通りをあるいているだけでは読み取れないのが残念でした。

 本陣跡の門(a)が、少しひっこんで残っていましたが、屋根の小屋組みなど、一部の材はどうも当初のものではないように見受けられます。宿場の北入り口あたりの看板建築(b)や、中西日進堂薬局の店(c)は健在でした。浜田家の蔵(d)では、「まちかどの近代建築写真展in川口」が開催されていました。(小さい画像は、クリックで拡大画像が開きます)

(a)   (b)


(c)   (d)

  むしろ、通りから少し裏に入ったあたりで、歴史を感じる建物に出会うことができました。

永瀬邸    永瀬邸内の旧発電所


亀の湯   渡辺家の蔵(崔龍日氏のアート「空蝉」)
 
 午後は、旧鍋平別邸(川口市母子福祉センター)で、講演会とシンポジウム。この建物は、2001年に、国の登録文化財になっています。2000年の時は、まだ非公開だったのかもしれません。それが、川口市の施設として生まれかわって、見ることができるようになりました。鍋屋平五郎という鋳物問屋の別邸で、大正から昭和初期の建物です。特に離れ部分の和洋折衷の意匠は、華やかだった当時の川口の気分を今に伝えています。



 講演は、「文京歴史的建物の活用を考える会」の多児貞子氏による、「そして、建物は残った! 文京区安田邸における試み」でした。神楽坂建築塾では安田邸の見学をしていますが、僕はまだ見ていません。スライドを使って、興味ある話が聞けました。今度、訪ねてみたいと思いました。

 そして、会場の日本庭園を使った、現代美術のパフォーマンスも行われました。

 最後に座談会。パネラーは、前記多児氏の他、永瀬洋治(前川口市長)・小林玖仁男氏(二木屋亭主)、池田一氏(アーチスト)。浜田克則氏(かわぐち塾代表)を座長にで、それぞれの観点から話題が飛び出し、会場の方からのご意見もあって、なかなか盛り上がった座談会でした。永瀬さんの、「自分の街に責任を持つ「市民」と、ただ寝に帰るだけの「住民」はちがう」という言葉が印象に残っています。ただ、川口は東京に近いために高層マンションが続々と建って、街が変わっていくスピードが早いという話を聞くと、歴史的なものを残していく活動は、難しいと感じざるを得ませんでした。
 座談会の様子を、スケッチしました。(文・写真・スケッチ;青山恭之)