浦和駅、さよなら旧ホーム
上;付け替え工事当日、昼過ぎには線路が撤去されていました。5月18日12時22分撮影。
中;6月7日、骨組みだけになって、ホームは、太陽の光で洗われているようです。
下;7月30日、旧ホームは、地下通路部分を残してほぼ姿を消し、高架ホームが浮き上がって見えるようになっています。


  JR浦和駅を高架化する工事が進行しています。さる5月18日には、京浜東北線北行の2番線を付け替える工事が行われて、京浜線は高架化が完了しました。その後、地上にあった旧ホームを撤去する工事が現在行われていて、日に日に、旧ホームの姿が見えなくなってきている今日この頃です。

  浦和駅は、明治16年7月28日に開業しました。「日本鉄道が現在の東北本線・高崎線にあたる鉄道の一部である上野〜熊谷間を開業した際に開設された。当時の駅は上野、王子、浦和、上尾、鴻巣、熊谷で、当駅は東北本線で最も古い駅の1つである。」(Wikipedia)しかし、その二年後に東北本線を分岐させるために設けられた大宮駅が交通の要衝となり、特急も、中距離の普通列車すら止まらない県庁所在地の駅として、有名になってしまいました。でも「浦和」という地名は人気があって、「浦和」のつく駅は、現在8つあります。「「浦和」の名に方角を冠する駅は、東西南北の全部が揃っている。因みに、全国の鉄道駅で方角と地名のみの組み合わせで四方揃っているのは浦和だけである。」(Wikipedia)

  現在解体されているホームは、昭和7年電化工事完了とともに、地下通路と合わせてコンクリート製で築造されたものが元になっています。1982年のダイヤ改正で、すべての中距離列車が停車するようになるまでは、どこに行くにも、このホームから京浜東北線に乗ったものです。地下通路はまだまだ残りますが、ホームへ上がる階段はすでに無くなっています。浦和駅高架化工事は、2012年完成をめざします。(文・写真;青山恭之)



工事前日の5月17日、南浦和から北行きに乗りって、先頭車両の窓から、線路の様子を写しました。中央の線路が、明日、右上からの高架線に繋がれます。


浦和駅2番線に進入。この日を最後に取り外される線路が、輝いて見えました。


この日ばかりは、鉄道ファンたちが、カメラを構えていました。


この日はレッズの試合があり、多くの人々に踏みしめられて、最後のお勤めです。


この階段とも最後のお別れです。


屋根材が取り払われた上屋を、高架になった2番線から見下ろしてみると、母屋には木材が使われていたことがわかりました。(5月31日)


浦和駅の完成予想断面パース(さいたま市のホームページから)。東西が自由通路で結ばれることは、地元にとっては長年の夢です。


最後に、5月24日に浦和駅西口改札前に登場した「浦和うなこちゃん」の石像です。当日は、デザインした、やなせたかし氏を迎えて、除幕式が行われていました。並んで記念写真を撮っている人を良く見ます。浦和駅は、話題が多い。)