アトリエ・リング 一級建築士事務所

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旧浦和一女車寄せ部分

4月18日土曜日、地域の自治体を対象にした見学会が、埼玉県立浦和第一女子高校で開かれ、参加してきました。校長室で校長先生から学校の概要の説明を受け、お二人の教頭先生に案内されて、土曜日でしたが授業が行われている教室や、閉園になった附属幼稚園、天然記念物のセンダンバノボダイジュとユーカリの樹、さらに非常時のための備蓄倉庫や避難場所となる体育館などを見て回り、最後に紹介されたのが、この、旧校舎の車寄せ部分でした。

明治43年に建築され、昭和54年まで、70年間使われていた本館正面玄関部分です。近所にありながら女子高というのは敷居が高く、近くでゆっくり眺めるのは初めてで、この日の僕の一番の目的でした。浦和の街中に残る、唯一の明治洋風建築なのです。

僕の記憶では、もう少しグレーに塗られていたのですが、現在は鮮やかな水色です。屋根周りには、なかなかかわいらしい意匠がほどこされています。コロニアル様式といってもいいのでしょうが、柱上部で梁を受ける肘木に、日本建築の匂いがあります(舟肘木)。

また、コーナーごとの3本柱を束ねた足元にも、花をあしらった透かし模様があります。女子高ならではといったところでしょう。基礎部分は新設ですね。

僕の高校時代に、一女は既に新校舎が建っていて、屋上の天体望遠鏡ドームは、憧れの的でした。でも正面には本館が誇らしげに両翼を広げて、現役でした。古い写真を載せておきます。下は、明治44年撮影(出展;『目で見る浦和の百年』)。当時、田圃の向こうに、いきなり白亜の校舎が輝いて見えたことでしょう。

次の写真は、大正10年撮影(出展;『埼玉県写真帖』)で、北側立面の全貌が収められており、以下の解説が付記されています。

「北足立郡浦和町に在り、明治三十三年三月埼玉県高等女学校、埼玉県女子師範学校内に併置せしか、明治四十三年十一月現校舎に移転し、埼玉県立浦和高等女学校と改称す、現在九学級にして、生徒定員は本科四百人、補習科四十人なり。」

比較的最後のころの写真が下です。密度のある意匠に彩られた正面部分です。屋根窓のゴシック風アーチ(ポインテッドアーチ)のモチーフが、現在の新校舎のデザインに生かされています。設計者は、清水郡一郎。

図面を見ると、車寄せは本体にしっかり連続した構成で、現在のように独立した構造は、やや無理があるのも事実です。(上の写真とも、出展:埼玉県明治建造物緊急調査報告書)

航空写真を比較してみましょう。まず昭和49年のもの。北側立面で特徴的な屋根窓の連続は、南側には無いようです。(南側の写真をお持ちの方、連絡下さい。)

次に現在のグーグルアースからのもの。新校舎は他の校舎の軸にあうように配置が調整されたことがわかります。旧車寄せ部分は、元の位置から東へ25メートルほど移動し、90度向きを変えて、第二の人生を送っています。地域の宝のひとつです。

(カラー写真と文;青山恭之)