アトリエ・リング 一級建築士事務所

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シンポジウム「武蔵野美術大学4号館の創造と再生」

さる6月4日にムサ美で行われたシンポジウムに参加しました。その趣旨を引用します。
 「1964年8月27に竣工したアトリエ棟(現4号館)は故芦原義信教授の設計による武蔵野美術大学最初の本格建築です。多くの人々に愛されたこの建築がこのほど、耐震工事、修復工事を完了し、新学期を迎えて、新しい出発をすることになりました。このことを祝し、当初の設計思想とその後の経緯を踏まえ、あらたに行われた耐震工事、修復工事の具体的経過を、関係した皆様にご報告いただき、皆様にそのすべてを共有する機会を持ち、この建築が末永く使用されることを願うものです。」武蔵野美術大学建築学科主任教授源愛日児。

7×7=49本の独立柱によって持ち上げられた、6×6=36ベイの正方形グリッド。地上階に補助機能を持ちながら、主階は2階に展開するアトリエです。36ベイは、3つのアトリエと、階段を持つ前庭、ふたつのヴォイドによる6ベイの1セットが、6つ繰り返されるという明快な構成を持っています。それが、芦原先生の名著「外部空間の構成」のなかで、ムサ美の正門から一号館の下をくぐって中央広場に至り、そこで左に展開してこの4号館のピロティに入り、螺旋階段を上がると、三つのアトリエの前庭を構成する小広場に着くというシークエンスとして説明されています。この見事な計画に、建築ってすごいなあと思いながら学生時代をすごしていたものです。

そんな4号館でしたが、大学が規模を拡大し、高層建築も増えてきたなかで、あまりにも牧歌的でぜいたくな計画として何度も建て替えが検討されてきました。それでもこの建築を残すことのに価値を見出し、リニューアルが成ったのです。

シンポジウムは、長尾重武教授(上写真右端)の司会で、保坂陽一郎名誉教授(写真左端)の基調講演、さらに発言順に(写真左から)赤塚裕二油絵学科教授、改修設計担当の石岡俊二氏(芦原事務所)、宮下勇教授、高橋?一氏(建築家)、中谷礼仁氏(建築史家)の面々により行われました。階段教室は、建築の学生をはじめ、OBや、大学の関係者などで埋まりました。

芦原先生のもとで実際に設計を担当した保坂先生からは、はじめ、45度振れたグリッドにHPシェルの屋根をかける設計でスタートしたところ、油絵の先生方が猛反対で、双方の意見はどこまで言っても平行線だったところに、岡山の「きびだんご」が入ったグリッドを芦原先生が持ってきて、現在のかたちに結実した経過を聞くことができました。建築を設計するという行為が、突き詰めていくぼど闇の中に入って先が見えなくなり、それがある時アイデアひとつで、すっと霧が晴れたように様々な問題を高次で解決することがある、という貴重な話でした。

石岡氏からは、実際の改修設計の具体的な話が聞けました(上写真)。耐震補強をどうするかという問題に対し、ピロティ部分に耐震壁をXY方向にいれていくという考え方が近道としてあるわけですが、それを採らず、あくまでも水平に抜けていくピロティ空間を殺さないように、独立柱だったものを地中梁で連結(!)し、柱頭部分を小さな鉄骨部材で補強するという大胆な解決を採用しています。この決断に、敬意を感じます。また、打ち放しの外壁の補修にも大変なエネルギーがかかったそうです。一部アトリエを研究室に改装したり(下写真)、大きいキャンパスを搬入搬出するためのスリットを用意したりといった、現実的な機能の計画についても語られました。

他の方々や、会場からの議論も活発に行われ、とても熱い時間をすごしました。シンポジウム終了後、現場である4号館のピロティで、ワインパーティーが開かれ議論は続きました。

それでも議論は終わらず、鷹の台駅前の居酒屋で二次会。さらに、帰りの武蔵野線の車中でも、保坂先生、布施教授と僕の三人で、議論は続きました。(写真・文;青山恭之)