アトリエ・リング 一級建築士事務所

home > column > 2009 > 12

monthly column

「初秋静日」から考える

2009-12-01.jpg(78701 byte)

上の画像は、跡見泰(あとみ ゆたか)による油彩「初秋静日」で、さいたま市立 浦和博物館に展示されているものです。彼は、明治17年(1884年)東京神田生まれ 、東京美術学校で黒田清輝に師事した洋画家です。大正11年(1922年)から3年間 パリに留学し、帰国後の大正14年(1925年)に浦和の鹿島台に居を定め、69歳で亡 くなるまでを浦和で過ごしました。関東大震災後に、浦和に移ってきた画家たちの ひとりです。跡見という名で想像されるとおり、跡見女子学院を創設した日本画家 跡見花渓の甥にあたります。

「自宅二階から浦和カトリック教会を望んで描いたもので、前景のサクラの木は、 元浦和中学校の校庭のサクラ並木の残りである」と、作品説明にあります。 さて、その教会が気になります。カトリック浦和教会は、現在さいたま市役所の西 隣にありますが、同教会のホームページによりますと、昭和15年(1940年)の聖堂 献堂の場所は、現在の市役所の国道側だったそうです。「昭和54年(1979年)、市 役所建設による土地交換のため、現在の場所に移転し、新聖堂が献堂された。」と いうことなので、僕の子どもの頃には、まだあった計算になるのですが、残念なが ら記憶にありません。ホームページから、写真を転載します。ゴシックの細部がう かがえます。

2009-12-02.jpg(16000 byte)  

さらに、昭和49年の航空写真に、教会が写っているのを見つけました。

2009-12-03.jpg(82187 byte)

現在の市役所が建設中で、その南足元に、師範学校の建物がまだ残っています。そ の東に、塔を頂く教会が、国道ぎりぎりの位置に見えます。教会のすぐ北に高い塔 が影を引いていますが、おそらく消防署と思われます。先の白黒の写真は、国道側 やや南から、並木越しに東面を撮っているという事がわかります。跡見泰の絵には 、消防署はまだなく、教会の北面も描かれているので、やや北よりの東から、知事 公館の北あたりの位置からの描写と思われます。とすれば、そのあたりに、彼の自 宅があったと想像できます。

ここで疑問が出てきます。跡見泰の自宅を、現在の仲町4丁目としている情報があ るのです。仲町4丁目というのは、市役所の南側のエリア(国道の西側)なので、 自宅から、教会の東面を描くことはできなくなってしまいます。

まあ、そういった謎解きはさておくとしても、昭和15年にあの場所に建ったゴシッ クの教会を、浦和の画家が描いておいてくれたということは、浦和の文化風景その ものといっていいでしょう。(文;青山恭之)