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「初秋静日」から考える |
上の画像は、跡見泰(あとみ ゆたか)による油彩「初秋静日」で、さいたま市立 浦和博物館に展示されているものです。彼は、明治17年(1884年)東京神田生まれ 、東京美術学校で黒田清輝に師事した洋画家です。大正11年(1922年)から3年間 パリに留学し、帰国後の大正14年(1925年)に浦和の鹿島台に居を定め、69歳で亡 くなるまでを浦和で過ごしました。関東大震災後に、浦和に移ってきた画家たちの ひとりです。跡見という名で想像されるとおり、跡見女子学院を創設した日本画家 跡見花渓の甥にあたります。
「自宅二階から浦和カトリック教会を望んで描いたもので、前景のサクラの木は、 元浦和中学校の校庭のサクラ並木の残りである」と、作品説明にあります。 さて、その教会が気になります。カトリック浦和教会は、現在さいたま市役所の西 隣にありますが、同教会のホームページによりますと、昭和15年(1940年)の聖堂 献堂の場所は、現在の市役所の国道側だったそうです。「昭和54年(1979年)、市 役所建設による土地交換のため、現在の場所に移転し、新聖堂が献堂された。」と いうことなので、僕の子どもの頃には、まだあった計算になるのですが、残念なが ら記憶にありません。ホームページから、写真を転載します。ゴシックの細部がう かがえます。
さらに、昭和49年の航空写真に、教会が写っているのを見つけました。
現在の市役所が建設中で、その南足元に、師範学校の建物がまだ残っています。そ の東に、塔を頂く教会が、国道ぎりぎりの位置に見えます。教会のすぐ北に高い塔 が影を引いていますが、おそらく消防署と思われます。先の白黒の写真は、国道側 やや南から、並木越しに東面を撮っているという事がわかります。跡見泰の絵には 、消防署はまだなく、教会の北面も描かれているので、やや北よりの東から、知事 公館の北あたりの位置からの描写と思われます。とすれば、そのあたりに、彼の自 宅があったと想像できます。
ここで疑問が出てきます。跡見泰の自宅を、現在の仲町4丁目としている情報があ るのです。仲町4丁目というのは、市役所の南側のエリア(国道の西側)なので、 自宅から、教会の東面を描くことはできなくなってしまいます。
まあ、そういった謎解きはさておくとしても、昭和15年にあの場所に建ったゴシッ クの教会を、浦和の画家が描いておいてくれたということは、浦和の文化風景その ものといっていいでしょう。(文;青山恭之)