私たちは、さいたま市浦和区の設計事務所です。環境に向き合う住まいづくりを、お手伝いします。
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浦和領家公団アパート |
浦和区領家に、昭和37年、当時の日本住宅公団によってに建てられた、複合型集合住宅です。地上5階建て、住戸数40。岩槻街道(浦高通り)と産業道路いう東西・南北の主要地方道の交叉点に近接し、領家界隈の「へそ」のような立地に、白く端正なモダニズムの意匠を見せてきました。
L字型平面の、大通りに面した一階に領家消防署、鋭角に折れた細街路側の一階に、両家公民館が同居する、いわゆるゲタバキ住宅です。上の写真が南面の消防署サイド。下の写真は。南西の角から見ているものです。
ビーイング・マップに、全体の構成がわかる鳥瞰図がありましたので、載せておきます。L字で囲まれた中庭に、消防署のタワーが建っているようすも、お解かりいただけると思います。
住宅部分については、間取り等の詳細は不明ですが、南側のバルコニーは、外壁のサッシ面から内側にとられていて、インテリアとして考えられています。そこに面して、和室の軸組みが見えるのが、下の写真です。現代の、いわゆるnLDKが成立する前の時代を感じさせます。
ごくストイックな意匠の建築ですが、モダニズムらしい遊びのデザインも。下の写真、消防署の入り口上部に、円形のガラスブロックがあしらわれています。
また、L字の出隅に当たる部分に、誇らしげに、「浦和領家公団アパート」の文字。ロゴにも時代を感じます。
高度成長期の明るさに貫かれたような建築ですが、ここのところで建て替えられる事になったようです。消防署は隣の敷地に新築されて、既にそちらで動きだしています。住宅・公民館の機能については不明です。消防署として機能していた頃の画像が、グーグルアースのストリートヴューにありました。
下の写真は、9月7日撮影。工事のためのパネルに覆われていました。裏手にあるお寺、長覚院の境内から撮りました。
領家には、同潤会による分譲住宅地の開発もあり、戦後は産業道路の開通にあわせて浦和の街の郊外が開かれていった時代を見続けてきた建築でした。これは、ささやかな、記録です。(文・写真;青山恭之)