アトリエ・リング 一級建築士事務所

私たちは、さいたま市浦和区の設計事務所です。環境に向き合う住まいづくりを、お手伝いします。

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立原道造の豊田山荘

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さる11月3日、「第6回 ヒアシンスハウス夢まつり in 別所沼」が行われました。午前中から夕方にかけて、多彩なプログラムが展開されましたが、今回、特に立原の自筆のパステル画2枚と、建築図面3枚が展示されたことが注目されました。立原道造記念館が事実上閉館し、もともとの所持者で詩人の小山正孝氏(故人)に戻されたものを、小山氏のご子息のご好意で、今回のお目見えとなったそうです。A2程度の図面を、ガラス越しに撮りました。
 建築図面は、立原が東大を卒業後、石本事務所時代に設計した「豊田山荘」の1階・2階平面図と、外観パースです。立原の図面そのものは、立原道造記念館で何度か見ているのですが、今回は時間もあって、ひとつの建築作品としてじっくり見ていると、いろいろ感じるところがありました。この建築は実現されませんでしたし、他にもこの建物のスケッチがあると思えるのですが、この3枚の図面からの印象を書きとめておきます。
 まず平面図。しっかり・きっちり描いているなあという感じです。一本一本の線に自信を持って、鉛筆を動かしていることが伝わってきます。


1階平面図

そしてプラン自体は、1階では、玄関がありません。ピロティーのようなテラスから直接リビングに入る形式で、ヒアシンスハウスのように靴でそのまま入る想定のようです。ただ、これは当時の軽井沢あたりの外国人別荘ではふつうの形式でした。また、女中部屋の存在も時代を感じさせます。女中さん専用のトイレもあります。
 特徴的なのは、サンルームの存在と、暖炉を両側からはさんだ「コシカケ」でしょう。立原は、椅子坐での居場所をつくるのが上手だったように思えます。その暖炉前の空間とサンルームがリビングを斜めにつないで、空間に流れが生じています。居間の南面は二間間口の開口をいっぱいに取るため、戸袋を西へ突出させているのはこの時代としては新しい。


2階平面図

2階は、個室群です。和室の南面のみに縁側が計画されていますが、1階に見られた空間の流動性はありません。特に吹き抜けをとっている訳でもないので、1階と2階の空間は、はっきりと切れています。


外観パース

続いて、パースを見てみましょう。やや遠い視点の設定です。彼の下の丹下健三が、卒業制作で近めの視点設定から、角度のきいたパースを描いていたのと対照的です。これぐらい遠い視点設定で二点透視図を作図しようとすると、消失点は遥かに製図版からはみ出してしまうので、これは作図による透視図というより、いわゆる透視図風スケッチでしょう。近景に描かれたベンチが、透視図法的にずれているのはそのためと考えられます。筆跡は、平面図のかっちりした線ではなく、やや先の丸まった鉛筆で、フリーハンドのゆれを絵画的に取り入れた表現になっています。
 横羽目の板による外装ですが、見ているといくつか気づきます。まず、サンルームに腰壁があること。また2階の縁側にも腰壁があります。これは、自然との一体感を求めたというより、内部に安らぎを確保しようという気持ちが感じられます。また、1階南西端の戸袋が、二階の床上部まで伸びて、アプローチのアイストップのような特徴的な壁を形成しています。戸袋といえば、2階の縁側のところ、腰壁があるのに、戸袋は2階床レベルまで伸びています。
   外壁は横羽目と書きましたが、2階の内法上部は、縦に貼っています。このことで、ボディー(奥行き6間分)と下屋的な部分(北側の1間分)が明確になっています。2階北側の一間は階段も含むため、天井を低く設定しているのです。2階6畳間のセンターに棟が位置することになります。1階では女中部屋の中央を棟が横断することになり、とりたてて構造のフレームと平面計画を一致させようとはしていない印象です。


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そこで、構造的な観点に注目してみると、上下の壁の位置が一致しているのは、西の妻壁の通りに3尺の壁が2箇所と、洗面脱衣室とトイレの間の4尺の壁との3箇所あるだけです。もちろん、壁を構造として考えるのは、特に神戸の震災からこちらの考え方なのですが、木造のフレームの意識がどれほど立原にあったのか?ボディーと下屋が明確に分かれていると書きましたが、両者を分ける壁(構面)の位置が一尺ほど南北にずれています。そのあたり、この図面群の描かれた時期が相互に前後するのかもしれないので、なんともいえないのですが・・・。
 要するに僕の印象として、立原という建築家は、構造のフレームを建築表現の表舞台にもってきていないということです。この山荘は、切妻の屋根がかけられていますが、2階の天井はフラットに張られていたのではないでしょうか。ヒアシンスハウスは片流れの屋根を持ちながら、天井はあっけらかんとするくらい水平です。この建物も同様だと想像できるのです。構造の架構は立原の空間の奥に追いやられている。彼はそれ以上に、空間の「住みごごちのよさ」という目にみえないものを求め、早く逝ってしまったのです。(文・写真;青山恭之)