アトリエ・リング 一級建築士事務所

私たちは、さいたま市浦和区の設計事務所です。環境に向き合う住まいづくりを、お手伝いします。

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生田勉自邸

南東角からの外観

先月のこのコラムで立原道造を取り上げましたが、彼と親しかった生田勉が三鷹に建てた自邸(牟礼の家)を見学する機会を得ました。新建築住宅特集での取材に、ご一緒させていただいたかたちです。2010年12月号の、その記事に使っていただいたのが上のスケッチです。紙面では、寸法線や特記引き出しなどのレイヤを重ねたので、ここでは、元のスケッチを載せておきます。
 生田勉というと、マンフォード、ギーディオン、コルビュジエなどの翻訳で著名ですが、実作に触れるのは初めてでした。この住宅は、1962に竣工。改修・増築されていますが、50年近く前の姿をよくとどめていました。実直で、すばらしい建築でした。四畳半を2×3で6つ並べて二層にし、東南の角の四畳半を吹き抜けにした単純な構成。そこに、すなおに切り妻屋根をかけています。2階の軒は、妻面で登り梁となって、大きなガラス面を作り出しています。


平面図

新建築発表当時の平面図です。方位は、右上が北。北東面で接道しています。北西部分は個室が配されていますが、それを除いた正方形の空間はワンルームの構成となり、中心には丸太の柱が棟木まで達しています。先月紹介した立原の山荘に比べると、構造のフレームの意識がしっかりしているのがわかります。1階、居間の南西面の開口部には350hの腰壁があるのに対し、南東面は床までハキダシで、その先のデッキへの方向性が強調されています。


矩計図

新建築の取材の主題は、「たたずまいのの成長」ということでした。生田氏の没後に、やはり建築に進まれたご子息によって、丁寧なリフォームがされたのです。妻面のケラバの出を増して鉄骨の頬杖で受けたり、バルコニーの構造補強を兼ねて下部にアルコーブを張り出したり・・・。L字型にまわした増築部分も、本体となじんでいました。


新建築表紙

上の写真は、ご家族のお話を聞きながら見せていただいた、この住宅が発表された1962年12月号です。表紙を飾っているのは、篠原一男の「からかさの家」の有名な写真です。同じ号だったのかと思って、目次を見てさらにおどろきました。

目次

「からかさの家」だけでなく、西沢文隆の「正面のない家」や清家清の「棟持柱の家」など、日本の住宅建築の歴史を飾る名作がずらりと並んでいるのです。東京オリンピックから大阪万博、そしてバブル時代へのお祭りが始まる前、建築家たちが住宅という課題に向き合って創作を深めていた時代だったことが良くわかります。今日の住宅雑誌一冊の中から、次代に伝わる作品がどれだけあろうかと、まさに自分達の問題として、考えさせられてしまいました。(スケッチ・文・写真;青山恭之)