私たちは、さいたま市浦和区の設計事務所です。環境に向き合う住まいづくりを、お手伝いします。
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新木場木まつり2010 |
今回の地震で被害を受けた方々には、心よりお見舞い申し上げます。まだまだ不安が続いています。さいたま市においては、建築学会の被害状況の調査をお手伝いしましたが、幸い、建物に被害は少なかった。我々の設計した建物にも損傷はありませんでしたが、津波で木造の建物がことごとく流されていった映像は、仕事に直接関わる問題を投げかけています。
そんな中で、木造建築について考える催し、東京銘木協同組合と新木場倶楽部の主催による「新木場木まつり2010」が、3月26日、江東区の新木場で行われ、一日の行程で参加しました。上の写真は、鴨川商店の水中貯木場です。言うまでもなく、木場は、大都市江戸・東京を支えた木材の一大集積地でした。戦後東京湾の埋め立てが進み、内陸化した木場が使えなくなったために、ウォーターフロントに新たに「新木場」を作りました。京葉線ができたころ、おびただしい丸太でこの貯木場が埋まっていたのが車窓から見えました。それが、海外からも丸太ではなく製材された木が入ってくるようになり、現在は広い海面が広がっています。
朝9時半、新木場駅前に集合し、約一時間半かけて、新木場の材木店などをバスで巡ります。まず、網中木材さんで、デッキ材などを見学。南洋材や、リサイクルのハンディウッドなど、外構で木を使う工夫がありました。続いて、山康商店では、エステックウッドという、国産の杉を高温処理した、狂いが無く軽く施工しやすい天然素材を紹介されました。ここは銘木も扱っているのですが、地震の時は、壁に立てかけてあった材木が倒れて、大変だったそうです。ここは埋立地なので、液状化などをおこしたところもあったのでしょう。
さて、バスツアーの白眉は銘木の老舗、鴨川商店でした。敷地に入ると、屋根のかかった屋外の作業場で、若い木挽きさんが、楠の大木にノコを入れているところでした。根元近くで木が均一ではなく、機械で一様に曳くことはできないそうです。ひとりで黙々とノコを動かし、合間に自身でノコの目立てをしていました。
その作業場の奥には、おびただしい銘木のストック。普段の我々の住宅の仕事では出会うことの無い、大木、古木の数々。屋久杉とか、樹齢600年の欅とか、縮杢という美しい目の出た楠とか・・・。あるところには、あるのだと感じました。
さらに奥の製材所で、機械で桜の大木をカットするのを見せてもらいました。この製材所の奥のシャッターをあけると、一番上の写真の貯木場に隣接しています。貯木場に浮かんでいる丸太を、写真で下部に写っている滑り台のようなスロープ沿いに製材所まで引き上げ、そのまま平行移動してこの製材機にセットされるようにできています。下の写真で、左がカットし始めたところで、カットラインが赤いレーザーで示されています。右の写真は、カットされて左へ倒れたところ。
ため息の連続でバスに戻り、東京銘木協同組合へ。そこは、競りにかけられる前の数々の銘木が整然と並んでいました。先程の鴨川商店では板物が主だったのですが、ここには、数奇屋建築の柱材から様々な用途の高級木材がそろっていて、まるでマグロが市場に並んでいるようでした。
昼をはさみ、午後からは東京銘木協同組合事務所二階の会議室で、「木の建築を推進するために」というセミナーが開かれました。まず、東大名誉教授の内田祥哉先生による講演。木造建築の多様性、木質資源の枯渇と復活、建築基準法との関係などについて語られました。日本の戦後復興を支えてきたのはコンクリートの建物だが、実はそのほとんどの表面は型枠という木造で覆われていたという話は、改めで納得させられました。
続いて東大名誉教授坂本巧からは、今回の地震の特殊性から、日本の地震被害と構造基準の改定の歴史まで語っていただきました。今回の地震と神戸の地震とは決定的な違いがあり、今回地震が起きてプレートのひずみエネルギーが解放されたからといって、首都直下型地震の発生が遠のいたとはいえないと、警告をならされました。
最後に、両先生に司会の三浦清史氏が加わり、会場からの質疑も合わせて興味深い議論が展開されました。(写真・文;青山恭之)