アトリエ・リング 一級建築士事務所

私たちは、さいたま市浦和区の設計事務所です。環境に向き合う住まいづくりを、お手伝いします。

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文化財建造物被災調査

氷川女体神社本殿
01;氷川女体神社本殿

建築学会と建築家協会の連携事業で、この度の大地震における文化財建物の被災状況調査に、参加しました。各地の建築家が、地元の文化財を目で見て確認するというものです。7月29日、3人の建築家とものつくり大学の学生も交え、旧浦和市内、現在はさいたま市緑区を中心にまわってきました。当日の調査の順番で、各建物を紹介します。

01は、宮本の氷川女体神社本殿。見沼区中川の中山神社をはさんで、大宮の氷川様と対をなす古社です。三社は、見沼を飛び越えて等間隔で一直線に並び、中山神社からは大宮の氷川神社の方向に夏至の太陽が沈み、氷川女体社の方向から冬至の太陽が昇るというコスモロジカルな配置になっています。棟飾りのうち、千木(ちぎ)の片方が損傷を受けていましたが、神社の方に聞いてみると、地震以前からとの事。現在、修理の準備が進行中だそうです。揺れの痕跡のように見える箇所もありましたが、被害といえるレベルではありませんでした。



旧坂東家住宅、深井家長屋門
02;旧坂東家住宅                       03;深井家長屋門

次の旧坂東家住宅は、見沼くらしっく館として公開活用している建物です。さいたま市を代表する民家です。その次、さぎやま記念公園をはさんで見沼の対岸にある深井家長屋門とともに、台地に根をはったような建築で、地震の被害は見られませんでした。深井家長屋門は始めて訪れましたが、茅葺が見事で、弘化元年(1844)という年代もわかっている貴重な存在です。



国昌寺門、中野田不動堂、重殿社本殿
04;国昌寺門              05;中野田不動堂            06;重殿社本殿

続いて、見沼田んぼの東側の台地上を巡ります。国昌寺は、見沼代用水東縁に接した斜面の上に位置します。鉄骨の補強も見られましたが特に地震の被害はなく、古くからの地山で、地盤が良好なのだと感じました。東北自動車道の浦和料金所のすぐ脇にある、中野田不動堂と重殿社(じゅうどのしゃ)本殿は、初訪問です。それぞれ、しっかりした日本建築の技術が発揮されていて、このあたりが決して田舎ではないことを再認識しました。 ただ、重殿社本殿は、覆屋の中に守られているもののこけら葺きの屋根などに痛みが進んでいて、造りがシャープで美しいだけに、今後の修復が望まれます。



大門宿本陣表門、大門宿脇本陣表門
07;大門宿本陣表門                  08;大門宿脇本陣表門

日光街道の大門宿には、本陣・脇本陣ともに表門が残されています。地震の被害はありませんでしたが、大型車両も含めて、途切れることがないような車両交通の振動が、建物にダメージを与え続けているのではと思いました。



旧中島家穀櫃、鈴木家住宅
09;旧中島家穀櫃                  10;鈴木家住宅

くらしの博物館民家園の中には多くの文化財建造物がありますが、ここは既に調査が済んでいたのですが、唯一未調査の一棟、旧中島家穀櫃という小規模な穀物庫を調べました。被害なし。その後、見沼を南にたどって、東浦和駅そばの鈴木家へ。母屋の漆喰壁や蔵の土蔵の壁に亀裂が見えたので家の方に訪ねると、地震以前からのようでした。



大熊家表門、旧高野家離座敷、さいたま市立浦和博物館
11;大熊家表門                12;旧高野家離座敷    13;さいたま市立浦和博物館

最後は、赤山街道をたどって北上。大熊家表門は、中仙道浦和宿本陣の門を移築してきたものです。門本体には異常がないものの、塀の部分はかなり傷んでいて、地震でずれたであろう痕も散見できました。旧高野家離座敷は、以前は曜日を決めて公開していたのですが、予約制になったようで、敷地内には入れませんでしたが、塀越に見る限り地震の損傷はなし。最後に訪れたさいたま市立浦和博物館も、揺れてずれたような痕を見ることはできませんでした。

建物の番号をグーグルアース上にプロットしました。クリックで大きな画像が開きます。

この日見てきた建物は、見沼を囲む大地の上に立地するものがほとんどで、地盤がいいのでしょう、揺れたとしても構造上問題になるような傷跡を残してはいませんでした。今回の地震でどんなダメージを受けたか以上に、文化財としての日ごろの保存状況や、さらにこの先、どう残して、どう生かしていくかという問題を考えさせられた一日でした。(写真・文;青山恭之)