私たちは、さいたま市浦和区の設計事務所です。環境に向き合う住まいづくりを、お手伝いします。
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駒沢オリンピック公園体育館・管制塔 |
先日、久しぶりで駒沢オリンピック公園を訪ねました。1964年、東京オリンピックのために造られたもので、高山英華氏が全体計画を示し、芦原義信氏(ムサ美時代の恩師)が広場・体育館・管制塔を設計しました。芦原氏の著作『外部空間の設計』の中で、アプローチの大階段を上がりながら、塔が少しずつ見えてくるというのを学生時代に読んで、印象に残っています。
冒頭の写真は、陸上競技場(こちらの設計は村田政真氏)のスタンドの最高部から、東西軸上を西に見ているものです。打ち放しコンクリートのドライな質感と、広場のペイブの45度の縞々が、芦原氏設計のムサ美のキャンパスと共通する印象です。
グーグルアースで見ると、南北軸のアイストップに塔と聖火台(今はない)が並ぶあたりは、法隆寺の伽藍を思わせます。塔が左で、池は回廊。すると、八角形の体育館は夢殿でしょうか。全体を貫くのは近代主義のデザインなのに日本がちらつくのは、当時の建築家たちの中に、自国のアイデンティティへの意識があったからでしょう。
芦原義信氏の業績を記録する「芦原義信デジタルフォーラム」といういわば公式サイトがあり、彼の数多くの作品から10作品が紹介されているなかに、この体育館・管制塔も詳しく紹介されています。 芦原義信デジタルフォーラム
体育館は、4枚のHPシェルで大空間を覆う構造です。シェルといえばコンクリート板をイメージしますが、ここでは鉄骨で組んでいます。構造設計の織本匠氏も我々の恩師です。織本氏の退任記念の本『架構−構造のデザイン』の編集を、私がムサ美建築の助手をしている時にお手伝いすることができました(1987年)。氏はその本の中で、この体育館の構造について、以下のように述べられています。
「これは私の全作品の中でも、特に印象深い作品である。4枚の変形HPシェルを使い、オーバーハングの周辺をフリーにした初めての建物だ。周辺をフリーにするという事が、気持ち悪くていやでいやでしかたがない。しかし、理屈からいえば、荷重がかかったら、キャンティレバーの部分ではやじろべえのように上に反り、少しも危険な事は無いはずなので思い切って始めてしまった。確かに当時はシェル華やかなりし頃ではあったが、ここではひとつの単位が大きいので、鉄骨で組む事にした。鉄骨で組むとなると本来シェルとはいえないのだが、様々な検討を重ねた上でそう決定した。・・・」
この本の外箱の表裏に、鉄骨の伏図が象徴的に表現されています。
さて、インテリアです。1993年に、竣工後30年を経たリニューアルが行われた結果、入口周りの空間や、メモリアルギャラリーの付加などの変化があったなかで、インテリアの印象を大きく変えたのは、天井の設備機器でしょう。空調のダクトがアリーナ部分の上部に覆いかぶさって、シェルの天井面に目がとどきません。
リニューアル以前、オリンピック当時のインテリアの写真が、JOCのサイトにありました。当時は、照明がまばらに配置されている程度だったので、天井面の高まりが感じられます。この差は、まさに時代の要求ということなのでしょう。 http://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/photo/komazawataiikukan.html
東京都では、駒沢の施設群全体をリニューアルしていくそうです。 http://www.metro.tokyo.jp/INET/KEIKAKU/2010/07/70k71100.htm
改築になる施設もあるなかで、この体育館・管制塔は構造的に問題はなく、現在の姿で維持されていく方針との事。築50年になれば、文化財としての価値も出てくることになります。(写真・文;青山恭之)