アトリエ・リング 一級建築士事務所

私たちは、さいたま市浦和区の設計事務所です。環境に向き合う住まいづくりを、お手伝いします。

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浦和宿から、明治の町屋が一軒消えた。

グーグルアースの航空写真

二月のある日、知人の運転する車で中山道を通っていた時、助手席から何気なく見ていた街並みがあるところでぽっかりと抜けているのに気付きました。藤屋薬局の町屋が一群、更地になっていたのです。上のグーグルアースの画像で、黄色い点線で囲んだ建物群です。表から、南北に走る中山道に平行な棟を持つ、平入りの「店部分」。それにL字型に連続し、東西方向の棟をもつ「住居部分」。その寄棟屋根の北側にとりついて西へ連続する切妻の「つなぎ部分」があり、さらにその先にやや奥行きの長い切妻二階建ての「倉もしくは倉庫部分」で構成される建物群です。ドミノ・マンションに挟まれて、居住環境が悪化してしまったのは一目瞭然です。


2月25日撮影の敷地全景

その時はそのまま通り過ぎてしまったのですが、後日確認のために撮ったのが上の写真です。敷地の中央に井戸が残されていました。敷地は奥へ行くにしたがって少しずつ下がっていて、常盤公園から県庁前を通っていた川へとつながる地形が読み取れます。


南東からみた「店」の建物

これが在りし日の姿で、撮影は、2008年6月。看板建築ならぬ「覆面建築」で、正面から見ただけでは、まったく日本建築に見えないものでした。脇にまわると、端正な屋根が、しっかりした建築の存在に気づかせてくれます。平屋ですが、小屋裏に「つし」と呼ばれる今でいうロフト空間を持っているので、屋根勾配は高く、棟部分の装飾もりっぱです。このあたり一帯は、明治20年代の頭に火災で焼けていて、おそらくその後すぐに建てられた建築と考えられます。この二軒北隣のK家住宅も同様、このころの中山道浦和宿の典型的なスタイルを伝えていました。


北東、隣家との境界から

これは、北側の隣家(マンション)との隙間から、奥を見た写真二枚。左の写真で、店部分の外壁は、下部を赤い波板で覆われていますが、妻部分に下見板の仕上げが見えます。右の写真では、奥の二階屋が写っていて、その妻部分、小屋組を現わした意匠がわかります。北側に開口部も写っていて、倉庫というより、居住用だったのかもしれません。


ストリートビューで北方向を見る

一度、中を見せていただければと考えていただけに、残念です。かろうじて、グーグルアースのストリートビューに、今のところ、かつての姿が写っています。これも更新されてしまうと古い画像にはアクセスできなくなってしまうので、ここにパノラマ合成したものを置いておきましょう。北隣のK家住宅とともに、二棟見えているので、明治のころの街並み、そのスケール感を想像する縁(よすが)にはなりますね。現在のマンションのスケール感が、いかに断絶しているか・・・。(写真・文;青山恭之)