アトリエ・リング 一級建築士事務所

私たちは、さいたま市浦和区の設計事務所です。環境に向き合う住まいづくりを、お手伝いします。

home > column > 2012 > 07

monthly column

順天堂精神医学研究所/近代建築への旅、スケッチ展

順天堂精神医学研究所 クリックで大きな画像へ

神楽坂アユミギャラリーでの「近代建築への旅、スケッチ展」。僕は今年、埼玉県越谷市の順天堂精神医学研究所の絵を出品しました。それに添えた文章「スケッチ雑感」を、以下に再録しておきます。


■ スケッチ雑感

東武伊勢崎線の車窓から見える建物が、以前から気になっていた。せんげん台駅に用事があった時、訪れてみると、順天堂精神医学研究所として現役のりっぱな西洋建築だった。 建物は、明治末に赤坂に建てられた千代田病院で、その後順天堂医院赤坂分院となり、昭和初期に本郷に移築。昭和20年までは順天堂病院として、戦後も様々に使われた後越谷市に移され、平成4年に改修工事が行われて、明治の意匠を受け継いでいる。 その経緯が、建物脇の掲示板に詳細に記されている。その冒頭で、「順天堂関連の建物の中で、もっとも古い、由緒ある建物である。」と、誇らしげに書かれていて、関係者の方々に大事にされているのがよくわかる。 スケッチは3月中旬。桜の木々に囲まれていて、花の季節にはさぞ美しかろうと思ったが、おそらく建物が見えなくなって、建築そのもののスケッチには向かないかもしれない。その代わりに、梅の古木が花をつけていた。

南東コーナーからのパノラマ

このスケッチ展を見ていただいた、近代建築に詳しい友人から、「このような建物が越谷にあるの?」と質問を頂いたので、先ほどの文章と重なるのですが、建物脇の掲示版の記述もここに載せておきましょう。


■ 建物の由来について

この建物は昭和四十二年七月に東京都文京区本郷順天堂大学から当地に移築されたもので学校法人順天堂関連の建物の中で、最も古い、由緒ある建物である。

この建物のそもそもの始まりは、明治の終わりに赤坂表町二丁目(豊川稲荷前)に開設された千代田病院である。

同院が事情により明治四十五年二月に売りに出されたものを、順天堂病院が譲り受け改装し、同年十二月十六日から昭和四年九月まで順天堂赤坂分院として開業した。 その間、関東大震災で本郷の順天堂病院が焼失し、甚大な被害を受けたが、赤坂分院は被害を受けなかったため、患者の診療、入院で重要な役目を果たした。

しかし昭和三年、本院の再建がなると、赤坂分院の機能を本郷に統合し、建物を本郷元町に移転した。

本郷では昭和二十年まで順天堂産院として開業していたが、戦後は職員宿舎、精神科病棟などさまざまな用途に使われたあと、当地に移築され、現在の財団法人順天堂精神医学研究所として使われてきている。 さらに平成四年修復工事が行われ、明治の建造物を現在に伝えている。

平成九年七月一  財団法人 順天堂精神医学研究所




さて、この「近代建築への旅、スケッチ展」は、1993年春に始まり、その秋には第2回、1994年の第3回展から僕も毎回参加して、今年で23回を迎えました。 東京・神楽坂と地方でダブル開催をするというスタイルが続きましたが、今年はやや参加者が少なく、東京展のみ。 例年では隣接する高橋ビルの地下の会場も使っていましたが、今年はアユミギャラリーの空間だけに50名ほどの作品を並べたため、コンパクトにまとまって、なかなか充実した展覧会となっていました。

→「近代建築への旅、スケッチ展」のページへ

ギャラリー内部 南方向

上の写真はギャラリー奥から、神楽坂通り方向(南方向)を見たパノラマです。インテリアと、飾られている絵がマッチしています。出窓部分がアルコーブになって、ソファが造りつけられています。

ギャラリー内部 東面

次は、入り口から入って正面の、いちばん長い壁面(東面)です。上の段、中央右に、僕の絵があります。

ギャラリー内部 北方向

最後に、出窓のところのソファから、奥行き方向(北方向)を見たものです。突き当たり左に小コーナーがあり、そこまで絵でいっぱいです。

街で、建物をスケッチする人を見かけると、うれしくなるものです。街や建物に思いをよせる人の存在が、その思いを他の人々にも伝えていくと思えるからです。 そのためにも、街角にとどまってスケッチすることは大事だと思います。日本全国でそんな波紋が広がっていったら・・・。 この展覧会が、これからも続いていくことを願っています。(スケッチ・写真・文;青山恭之)