私たちは、さいたま市浦和区の設計事務所です。環境に向き合う住まいづくりを、お手伝いします。
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日光街道粕壁宿 |
春日部の神社の仕事に、2010年の末から関わってきました。その年10月に放火によって全焼した建物の再建です。翌年8月末には神社として再スタートをきることができましたが、法的な手続きに時間がかかり、今年の8月末にやっと終了しました。(去年9月のこのコラムで一部を紹介しました) 春日部市役所で完了検査の検査済証を受け取った日、春日部駅から見て、役所のある西口と反対、東口側の旧日光街道に面した、東屋田村本店の建物群をスケッチしたのが、上の画像です。
春日部の街は、日光街道粕壁宿として賑わってきました。現在の街道はすっかり整備され、その分、古い建物を見つけるのに苦労します。それでも、ここ東屋田村本店は、複数の蔵も含めて旧商家の構えを今に伝えていて貴重な存在です。店そのものもいわゆる蔵造りで、防火の意識の高さが読み取れます。蔵造りの職人の華は左官職人だったそうで、特に二階の軒先など、その精緻な技術に圧倒されます。右側に見える蔵の二階の庇が、軽やかな曲線を描いているのも、華やかさを印象づけています。 さらに店先には、天保5 (1834)年の道しるべの石柱が立っています。日光・岩槻・江戸の三方面が示されていて、ここの場所が、交通の要衝であったことがわかります。確かに現在の東武鉄道も、春日部から岩槻へ、日光・浅草を結んでいるのです。 旧街道を隔て、歩道に備えられた丸太のベンチに腰を下ろして、江戸から現在まで流れる時間を感じながら、スケッチすることができました。
さて、上の画像が、旧日光街道の現状です。電柱は地中化され、歩道も整備されて、すっかり新しい街になっています。それでも歩いてみれば、先の東屋田村本店のような、かつての面影を残す建物を見つけることができます。
上の写真、丸八酒店の、左の街道からやや奥まった、二階屋と蔵です。街道に面した店の建物は新しくなっていますが、奥の二階屋には、遠目にも贅をつくした造りがうかがえます。
これは、宿の北端に近い、新町橋との交差点に位置する建物です。去年(2011年夏)、この辺りを歩いた時には、蔵を改修しているところでした。
これまで紹介した3例ではありますが、街道に面して、店は平入りとし、隣接して妻入りの蔵を設ける。さらに蔵の二階の開口部を、曲線を描く軽やかな庇で守るというのが、粕壁宿スタイルらしいのではと考えられます。
これは、永嶋庄兵衛商店。蔵こそ奥の方に隠れていますが、店を「つし二階」とした、古い様式を見せています。
このように、街道沿いは整備された印象ですが、脇に入った街角に、かろうじてかつての面影をしのぶことができます。中央の大谷石の蔵など、見事です。(スケッチ・文・写真;青山恭之)