鬼塚 勝也
Title: 
WBA Super Fly Weight 5回防衛
戦績 25戦24勝(17KO)1敗 (5/3現在)
生年月日 1970年3月12日 福岡県


とにかく鬼塚が好きだった。当時高校生の私は、鬼塚の試合になると家族から「うるさい!」と怒鳴られるほどの
大声をあげて応援していた記憶があります。本当にかっこよかった。全身黒ずくめでリングに上がるその姿、番組のテーマ曲(確か、ガンマ レイのヘディング・フォー・トゥモロー)、マスコミには評判の悪かったインタビューも鬼塚らしくてかっこよかった。過酷な練習を自分に課して、勝利のためにひたすら信念を貫き通すその姿に共感した。私は、鬼塚の試合後のインタビューで感動して何度も泣いた記憶があります。アルマンド カストロ戦なんか試合の途中でうっすら涙していたし・・・。どんなに苦しい状況でも恐ろしいまでの精神力で切り抜けていくその姿がファンを熱狂させていたのでしょう!最後の試合となる李 炯哲戦なんか並みのボクサーだったらとっくに倒れている状態が延々と続いた。にもかかわらず鬼塚なら、次の回なんとかしてくれるとファンはみな信じていました。ストップされたときも冷静に考えると遅すぎるくらいでした。しかし、「なぜとめる!ここからが鬼塚は本気出すんだよ!」と当然のように思っていたのです。ストップされ、李がインタビューを受けている間、鬼塚はリング上でファンに頭を下げているのを見て敗戦という現実にやっと気づきました。と同時に涙が込み上げてきました(泣きすぎ)。その後二度と鬼塚は、リングに上がることはありませんでした。現在は、ジムの会長としてがんばっているかたわら、CMなんかにも出演してます(これがまたかっこいい!!)。これからもずっと鬼塚を越える日本人ボクサーは私の中で現れることはないでしょう。

さて、私の思い出ばっかりではなく技術的なことを見ていきましょう。
はっきり言って、私が知ってる鬼塚は世界戦の鬼塚しか知りません。地方なので世界戦しかボクシングは放送されません。ということで、その中から解説することにします。

鬼塚ってSFにしては上背があるのですが、リーチがあまり長くなかったような気がします。
そのせいかショートのパンチが非常に巧妙でした。例えば、
左フックの顔面からボディー(ここ重要です。)へのダブルは特にうまかったです。角度とテンポのよい左のダブルは日本人の中ではぬきんでたものがありました。アルマンド カストロ戦が特にそれが有効に機能した試合だと思います。

もう一つの武器がジャブだと思います。当時は気づかなかったけれども今ビデオで見返してみると、鋭く強いジャブを連発してることがわかります。キャリア後半は、目を痛めていたため接近戦に頼るボクシングに変貌していましたが、松村戦なんかは鋭いジャブをびしびし決めていました。軸足の蹴りが強かったのでいいジャブが打てたのでしょう。

そして、忘れてはならない精神力の強さとタフネス!世界戦では何度もピンチに陥ることがありましたが恐ろしいほどのタフネスと精神力の強さで倒れることを拒絶し、その状態から狂ったように反撃をしていました。過酷なトレーニングをしてきた自信、勝利を求める執念が鬼塚をあそこまでがんばらせたのだと思います。

すべての5段階評価の成績表で言えば、すべて4って感じで崩れの少ない強いチャンピオンだったと思います。
当時世界的に流行のテンポの速い連打と波状攻撃(テリ− ノリス等)をいち早く身につけていたのも鬼塚ならではだと思います。セコンドの衣装も海外のように統一してかっこよっかたし。世界的流行に敏感だったんでしょうね。

高校時代、鬼塚の試合の次の日の朝、みんなに「鬼塚負けてただろー。なんだよあれ!」と言われて一生懸命鬼塚のフォローをしていたあのころが懐かしいなぁ・・・。カストロ戦なんか自分が勝ったかのように自慢しまくってたし(笑)
また、鬼塚の試合が見たいなぁ・・・・・。