【5弦バンジョータイプのタバコ箱ギター】

【4弦のタバコ箱ギター】

アメリカ・ギタープレイヤー誌編集長だったトム・ウィーラーは、その著『ザ・ギターブック』の中で、
アメリカのギター史について次のように述べています。「“アメリカ”の音楽は、たとえそれが何であれ、
アメリカ東部と南部の白人と黒人の文化の源流であるヨーロッパと西アフリカの影響によって発展し始めた。
部族で用いられた皮ばりのひょうたん楽器(バニア)は、ほぼバンジョーの原型と言えるだろう。
そして、それらの楽器は未だに、フォーク、マウンテン、ブルーグラスの音楽に用いられている。
また、奴隷たちは、葉巻用の箱や、手頃な棒、ワイヤーを利用してホームメイドのギターを作り、
代用していたが、当時の植民地時代のアメリカで使用された本物のギターの多くは、英国産であった。」
所謂、黒人奴隷の「タバコ箱ギター」についての記述です。
ここには中世スペインのギターラとビウェラの関係のように
「民衆のギター」と「音楽家のギター」が存在すると言えます。
実際にマンドリンの弦を利用して本格的なスチール弦のフラットトップギターをアメリカで最初に作ったのは、
ギター製作家のラーソンブラザーズと言われています。
しかし、私には裏板が平らな「タバコ箱ギター」も、所謂、「胴のくびれ」に拘らないならば
「本物のギター」と言えるのだろうと思っています。
アメリカの革新的なギター製作家スティーヴ・クラインは「大切なのは僕らが作るギターよりもそれを使う音楽家。
一流の音楽家は、たとえ段ボール箱に輪ゴムを張ったようなギターでも音楽にしてしまうだろう。」
と言ったそうですが、「タバコ箱ギター」は、バンジョーの誕生とも関わって、当時の黒人奴隷達の音楽を育て、
アメリカでスチール弦のギターを発展させた一つの源流として捉えています。
もともとアメリカに住んでいたインディオ達が昔から使っていた弦楽器は、主に口弓だったようです。
楽弓は、その端をくわえることで、単純な楽弓に共鳴体をつける効果を持つといいます。
インディオの楽弓は、口を開いて弓の弦を呼吸で振動させて音を出すなどしていたという話もあります。

ヨーロッパの大航海時代の後、ギターは、3つのルートを通じてアメリカに現れました。
一つ目のルートは、アメリカ開拓時代・南北戦争時代、東部のイギリス商人によるギターの輸入、
或いは製作家の移民です。二つ目は、南部のスペイン人の入植者達が持ち込んだそうです。
そして、3つ目のルートが、南部の黒人達による自作のギター作りの広がりです。
その後、西部への移住者に伝えられ、カウボーイたちが銃とともにギターを手にするようになり、
アメリカ全土に広がっていくことになりました。そして、アフリカから来たバンジョー弾きとヨーロッパから来た
ギター奏者が出会い、黒人歌手が歌うことでブルースが生まれました。
ヨーロッパの音楽家がアフリカの音楽を知ることから、アメリカの音楽が生まれたと言うこともできると考えます。

・ブルースを生んだ黒人たちの「タバコ箱ギター」

 タバコ箱ギターは、もともと製作家の手によるギターではないので詳細はわからないことも多いです。
私が確認している現存するタバコ箱ギターの写真等からわかることは、
ヘッドにはバンジョーペグ(ヘッドの裏側から通された糸巻き)が通されていたと思われる4つの穴があり、
個体により、ネックの低音側にもう一本バンジョーの第5弦と同じように短い弦が張れたものもありました。
これらのギターについては、バンジョー弦を使用していたのではないかと考えられ、
チューニングもバンジョーの奏者が簡単に弾きやすいものにしていたことが想像されます。
タバコ箱に木切れの角棒でできたネックをつないであります。
ネックは、長方形に近い形の黒く色を塗られたヘッドも含めて、
幅も高さも削り込んで形を調整してあるように見えます。
フレットはありません。箱の真ん中には穴が開けられてサウンドホールが作られています。
個体により、手製のブリッジにブリッジピンで弦をとめるものや、アーチトップギターのように、
ブリッジで弦を支え、胴の下のボディエンド部で弦をとめるタイプなど、個々人で工夫した作りになっています。
モダンギターよりも一回りは小さいものが多かったのではないかと思われます。
仮にバンジョーと同じ調弦で演奏していたとしても、表面板と裏板が木材で、バンジョーと弦長が異なる楽器は、
黒人たちの音楽にとって、意味のある楽器だったのでしょう。
ヨーロッパでガット弦が使われ、アメリカで鉄弦が使われることが主流となったのは、
当時のアメリカ人の日常に鉄線が多く使われていたことに起因すると言われています。
トム・ウィーラーの言う通り、タバコ箱ギターも、当初は、単なる細めのワイヤーを張っていたのだと想像できます。
アメリカに奴隷として入植させられた黒人たちにとって、祖国のドラムは、
これに興奮して一揆を起こす懸念があるとして禁止されていた一方で、自分で弦楽器を作り、
それを演奏することは認められていたそうです。
ギターは、作るのも弾くのも簡単なので、いつの間にか南部の黒人の間に広まり、
バンジョーを凌ぐようになったと言われています。黒人達のギターは、
全て自家製で製法の基準などはなかったそうです。
チーズ箱に弦を4本張ったバンジョーもあったし、石鹸箱に弦を4本張っただけのギターもあって、
その音は似たり寄ったりだったといいます。

 著名なブルース歌手ビグ・ビル・ブルーンジー(1892~1958)はその著に「私が十歳の頃、煙草の入った箱でフィドルを自分で作ったし、友人のルイス・カーターのために荷物の入った箱でギターを作ってやった。そして二人はよく白人のピクニックのお供をしたものだった。」と書いているそうです。また、同じくブルース歌手のマディ・ウォータースはポール・オリヴァーに「俺たちはみんなギターを自分で作ったものだった。俺のギターは箱に棒を取り付けてネック棹にしたものだった。それ以上、何ができるだろう。あとはそれをどう弾くか、それが問題だった。」と語ったといいます。