【アントニオ・デ・トーレスSE60】

「MAKING MASTER GUITAR」には下記のようにアントニオ・デ・トーレスについて記されています。
『トーレスは1840年頃に最初のギターを製作した。彼は、1854年にセビーリャのギター製作者がたくさんいる地区に工房を持った。彼はグラナダのホセ・ペルナスJose Pernasによって製作されたギターを見ることができたはずだ。それらは当時一般的に用いている典型的なデザインで、小さいボディ、固定されたサドルを持ったブリッジ、広い力木、精巧な渦巻き模様のヘッドデザインなどの特徴を備えていた。しかしながら、トーレスはすでにこの初期のパターンから根本的に異なったギターを作っていた。彼の楽器はボディ下部がより大きく、そして現代の力木のデザインの特徴となっている、7本の放射状の扇形力木を取り入れていた。当時、ほとんどの力木はシンプルな3本の大きい横向きのバーから成り立っていた。トーレスは木材の音響特性を直感的に把握していたに違いない。彼は多くの同世代の製作家よりも、巧みに材質を選択していた。同世代の製作家は、実用的な楽器としてよりも、むしろ美しい装飾品としての楽器を生産していた。トーレスのギターの幾つかは、丹念な象嵌やその他の装飾がなされているが、多くは比較的シンプルに装飾されている。そして彼のこだわりは明らかに楽器の機能にあった。彼が装飾技法を駆使して作った場合でも、それが過剰にならないように、注意深くコントロールしていた。
1860年に、トーレスは大きな博覧会に作品を出品し、製作者としての名声を確立した。にもかかわらずギター製作は儲かる仕事ではなく、彼は楽器を作るのをやめて、陶磁器を売る店を開いた。当時のスペインにおける慢性的な不景気が、彼の財政難の原因であるように思われる。
ギター製作者は、一般的に二つのタイプの楽器を生産した。アマチュア奏者のための基本的な学習用と、プロフェッショナルな音楽家のために丹念に仕上げられたものである。最高のギターを作るためには多大な時間を費やす為、製作に要した真の労働量を価格設定に反映させるのは非常に困難であったに違いない。1875年にトーレスは再びギターの製作を始め、1年間に約6本の楽器を製作した。この慎み深い生産は、1883〜1892年には2倍の年間12本になった。しかしながら彼の職歴中、最も優れた作品は初期に製作したものである。後期の楽器は、同じ音質を出すことはできなかった。
トーレスは1892年11月19日に死去した。彼の作品の大部分は、1852〜1859年と1875〜1892年の間に作られている。』
追跡可能なトーレスのギターは、約65本といいます。
トーレスのギターは、楽器サイズは大きくなり、膨らんだ部分の巾も増しました。パレルモやラコートに比べると、根本的な音の変化が見られたそうです。音量と遠達成は増し、コンサートホールに適する物となりました。力木についても様様な配置が試みられ、そのうち七本の力木によるファンブレーシングが定着しました。
様様な楽器製作家が根本的な改良を試みましたが、コンサートギターの基本理念はトーレスに帰着するといいます。