ペーターペフゲンの「図説 ギターの歴史」によると、「胴がギターのようにくびれた、いわゆる串状ネック・リュート」がBC.1400年以上前の新ヒッタイト帝国のアラジャヒュユク遺跡の石スフィンクス門にあるレリーフに描かれているそうです。これが「人工的な串状」と言えるかどうかは諸説があるようです。
腰の部分にやわらかな女性らしいくびれがあり、両側に内湾曲した円弧の5つのサウンドホールを持ったフラットトップで、フレットつきの長いネックがボディの全面にわたって取り付けられていたとの説もあります。
BC.1900年頃の古代オリエントの都市エシュンナのテラコッタレリーフやBC.1800年頃のネレブトゥムの廃墟イシュチャリから出土したレリーフも串状ネックですが、これらには胴のくびれはありません。
イシュチャリのレリーフにはネックの先端に房がかかっており、弦が複数本張られていた事を予想をさせてくれます。
ただ、これらの時代はギターの先祖であると同時に、まだ、全ての弦楽器の先祖としてとらえるのが正しい認識なのでしょう。
ごく初期のリュート「串状ネック・リュート」の構造が精密にはっきりと描かれたのはエジプトのテーベ時代BC.1200〜1100、オストラコンという土器の破片に描かれた女性リュート奏者の絵です。エジプトにはBC.1500頃のヒッタイトのエジプト侵入によってもたらされたといいます。
ここでは、さおは胴を貫通せず、金具のようなもので表面板に固定されています。胴はひょうたんなのか人工的なものかの区別はつかないそうです。この頃の資料は数多くあるそうですが、その後、BC.300頃まで1000年間、目新しい資料は存在しておらず、大きな発展もなかったとも言われます。
現存している弦楽器の中で、ギターに近いとされる最も古い弦楽器はAD.300年頃の「コプト人の刻み入りリュート」で、4点が残っています。
フランツ・ジャーネル(Franz Jahnel)の「Manual of Guitar Technology(The Bold Strummer Ltd.)」をはじめとする幾つかの書物には、「Coptic lute(コプトのリュート)」(ハイデルベルク大学エジプト研究所蔵)についての記載があります。12世紀初めに、サッカラの聖ジェレミアのコプト王朝の廃跡とクアララのコプトの墓から発掘されたというリュートです。コプト人とは、エジプトにおけるキリスト教信徒を指すそうです。
ハンス・ヒックマン(Hans Hickmann)は「本物のギターにとっての先駆者」と呼び、ベロウ(Bellow)は「コプト人のギター」と呼んだと言います。胴は木材から削り出され、共鳴胴には毛皮でなく板が貼られています。平らな底板と表面板、長いネックと横板からなり、胴がくびれています。
コプト人は、政治権力の中枢から遠ざかっていたために、その文化は時代の主流となることはなく、つねに地方的な分派として存在したことが一つの大きな特色であると言われます。そのこともあって、その後の継承・発展はしていないと言われており、現代ギターの直接の先祖とまではいえないと言われてもいます。
一方で、フレデリック・グレンフェルドは、コプトのギターを、「考古学的に見て変種」としつつ、「エジプト5000年の歴史の中で、多少ともギターの祖とおぼしいもの」として、3世紀から8世紀にわたり少しずつ改良されつつも、その形態が中世紀に至るまでほとんど変わることがなかったことは確かであり、エジプトから北アフリカおよびスペイン全土に回教旋風を巻き起こしたアラビア人たちが、ギターの原型をそのまま西ヨーロッパに受け入れさせた可能性を指摘しています。