忘れ去られたもう一つのルネッサンスギター「ギッテルン」~「ギターguitar」という言葉の登場

 マール社ダイヤグラムグループ編「楽器」によれば、ギターはスペインで発祥もしくは他国からスペインに導入されたと考えられているが、14世紀後半には、ヨーロッパ全体に根付いており、17世紀には、リュートよりはるかに演奏しやすい楽器として人気を集めて今日に至るといいいます。

 しかし、ヨーロッパ全体へのスペインを源流とするギターが広がる一方で、その流れに飲み込まれ、制作方法も継承されることなく、消えてしまった根本的に全く別の形のギター(フィドル?)がイギリスにありました。それが、現在、イギリス、ロンドンの大英博物館にあるギッテルン(gitternギターンと訳している本もある)です。

 エリザベス女王やライセスター伯の手に抱かれたという大英博物館のギッテルン(14世紀頃の制作と言われる)は、1本の木から削り出されていました。親指をかけるため、指板の後ろに1つの穴があけられており、胴の下端のつまみにつけられた弦は、駒を通って張られていました。背面は船の竜骨状。そして側面は弦止めの方から、しだいに先細りとなってネックに伸びています。胴にある穴は、ヴァイオリンなどにも見られるF型ホールをもっています。

 大英博物館所蔵のメリー女王詩篇(1310~1320年代)では、「男性と天使によって奏でられていた楽器」と書かれており、ほかの中世紀の詩篇にもよく登場するといいます。メリー女王詩篇の挿絵には、ギッテルンを奏でる天使とギッテルンを含めた様々な楽器を弾く人々の様子が描かれています。さらに、13世紀前半のライム大聖堂の中央支柱に刻まれた冠の人の像や1320年頃のケルン大聖堂の使徒像の手にもギッテルンの特徴を持つ弦楽器が表現されており、北ヨーロッパのいたる所の大聖堂に彫刻家の手によって刻まれていたといいます。

 ギッテルンの衰退について、フレデリック・グレンフェルドは次のように書いています。

「リュートに比べてギッテルンは音量が少ないし、胴のところが細めにできていてダンスには向かない。しかし夜に婦人の窓辺で掻き鳴らすにはもってこいの楽器である。」「一説によると、リュートは王侯貴族の間で愛好されたし、ギッテルンは庶民の間で歌に合わせて奏でられた。しかし、スペインギターが登場し、音のバランスを調整し、古い楽器の不備を解消することになった。ベン・ジョンソンの劇『いろいろなジプシーの世界(1621年初演)』の主人公は『ギターをください。親方のところへいって歌いましょう。』と台詞を述べるが、この時、はじめて弾弦楽器の世界にギターguitarという語があらわれ、新しい響きが鳴りだしたのである。この時以来、ギッテルンという語はなりをひそめ、ギターguitarre、gitar、guitarという語があらわれ、イギリス中にこの語がゆきわたり、ある若い伊達男が『町にギターが鳴ると、女の子たちはうきうきだ』とも書いている。」

 

ギッテルンの起源について、メトロポリタン美術館の楽器コレクション主事だったエマヌエル・ウィンテルニッツは「キタラの残存とイギリス風チテルンの進歩The Survival of the kithara and the evolution of the English Cittern」の中で、「(ギッテルンの胴にある特徴的な)その翼は古い時代のチタラcitharaの両腕の名残りであり、ギッテルンはアポロのリラが変じてイギリスの製図室で考案されたチテルンにほかならない」と書いているそうです。

ここで、「チタラ」とは、ローマを起源とするある種の弾弦楽器群と思われるが、明快ではありません。しかし、マドリッド国立海洋博物館の2世紀頃のものと思われるローマのアポロの彫像が持つリュート族(おそらくは、ギリシャの民族フィドル「リラ」)は、メリー女王詩篇の挿絵にある天使の持つギッテルンに似た形状の「フィディクラ」に属する楽器だと考えられています。

実際に、全てのヨーロッパのフィドルがローマのフィディクラを起源とした楽器であるかは異論もあると思いますが、同じ流れを汲むフィドル(主に弓奏のリュート族)が中世ヨーロッパの多くの国に伝播し、それを基にギッテルンが生まれた可能性は高いと考えてよいのでしょう。

だとすれば、現在、ギターとよばれている弦楽器以外にも、また、一つ、胴のくびれた裏板の平らなリュート族が、スペインギターの歴史の流れ以外に存在していたことになります。ギッテルンを「ギター」と呼ぶべきか、或いは、ギター族に入れるべきかどうかについても、議論があるべきなのかもしれません。