五線譜1

            aya-yuの自己紹介

     思春期はさるも詩人?

 始めてギターを手にしたのは中学の3年生の頃です。25年も前(’99現在)の話ですが、この頃は、学校をさぼったりいろいろプータロー状態のaya−yuでした。たまたま父親が安物のガットギターを知人からもらってきて、他に弾く人がおらず、手元に置いて気をまぎらわせていたのが始まりでした。始めは単音でぽろぽろ弾いていたのだけれどコードを押さえるようになると、誰かのコピーをするよりも歌を作ってばかりいました。今思うと思春期はさるでも詩人になれるんじゃないかと思えてしまいます。でもaya−yuにとってはあの頃にギターがあり、歌があったことは何より支えになっていました。

     始めてのフォークギター

 埼玉県立K高校に入学。井上陽水・イルカ・小椋けいあたりを多少コピーしたものの、相変わらずオジナル作りに精を出していました。学校帰りに楽器屋と楽器も扱ってる質屋さんをのぞくのが大好きでした。正月に念願のフォークギターを質屋さんで手に入れたときは本当にうれしかった。モーリスのW18。定価18000円のギターです。でも、なぜかすぐにネックにひびが入ってしまいました。自分で直そうと思って、なんと電気ドリルで穴をあけてしまい、大切にしていたはずの一台目のギターは自ら破壊してしまった。ネックの中に鉄の棒が入っていることをこの時始めて知りました。その後、アリアドレッドノート・Kヤイリ・パール(ドラムスのメーカーだよ。)といったメーカーの国産ギターを買いました。ちなみに購入したお店は、ほとんどが質屋さんです。

     歌う会N

 某国立大学教育学部入学。しばらく前から、ある店に置いてあったMK53が気になり始めました。いままで見てきたギターとは全く違う姿にあこがれていました。きっと店の人にはよだれが見えたでしょう。始めの定価、たしか37万くらいについていたと思ったのですが、最近、shirabeさんにいただいた1978年2月のカタログではケース代込みで25万3千円となっていました。お店の人が正札を書き間違えたのか、aya−yuの読み間違えか、今となっては真相は不明です。とにかく、売値は少しずつ安くなっていきました。なんとかバイトで買えそうだと思ったときから貧しい食生活と引き換えに手に入れた一本です。
 ところで、aya−yuは大学へは講義でなくサークル活動に通っていた人種です。「歌う会N」という、歌を多くの人に広めようといったサークルです。キャンパス内で突然輪になってギターをかき鳴らして道行く学生を引っ張り込んで一緒に歌うというとても迷惑なサークルでした。aya−yuはそこで主にギターマンをしていました。それまでストロークなどほとんどしたことがなかったのですが、おかげでとてもうまくなりました。(ほんとにうまくなった?)ストロークで8の字を描いたりカッティングしたり、弦を切るほど強く弾いてもピックガードに傷ひとつつけなくなったのは、このころの修行のおかげだと思います。(でも、今は自分からはストロークしなくなった。)原曲は知らないのに、いろんな歌も憶えました。

     中島みゆきパンツ

このサークルは年に一回、定期発表会と言って和太鼓・民謡・ミュージカル・合唱もやっていました。特にミュージカルは、オリジナルの曲を集めて編曲・レコーディングして作り上げた物で稚拙ながらも皆でよく頑張りました。たった一度、なんの間違えか、中島みゆきが大宮でコンサートをした時にジョイント(といってもお手伝い)の声がかかり、バックで歌ったりもしました。その時にTシャツをもらったのですが、そのTシャツは娘が生まれたときに奥さんに赤ちゃん用のブルマーに作りかえられてしまいました。ちなみに奥さんはサークル仲間です。

     PAマンaya−yu


 市民会館を借りてミュージカルなどやっていると音響の事が気になりだします。その後のaya−yuのバイト代はギターでなく、全てPA機材代へと化けていくことになります。サークル小屋で夜なべしてキャノンコードを何本作ったことか。ここはコンデンサーマイク、ここはダイナミック、ここは超指向性コンデンサー、ピックアップは・・・将来の職業はこれもいいかな、と思いました。
 でも、aya−yuは学校の教師になりました。(教師と言ってもいろいろいるさ。)にもかかわらず、大学卒業後数年間はサークル時代の友人と「Happy Box Folk Concert」と銘打って、オールオリジナルのコンサートを開きました。自前の機材で市民会館を借り切って・・・しかし、300人以上は入るホールにお客はたった2〜30人
しかも、集まったのは大学時代の身内ばかり(外部に宣伝しなかったからあたりまえ)・・・けれど、とても楽しかった。このコンサートでMK53はとても活躍してくれました。

     コーヒーブレイク・胃もフ゛レイク

 O小学校に赴任して、それまでの学校と様子の違うのを感じました。一言で言えば、ギター・バンド大好き人間がたくさんいたからです。職員旅行にバンド機材を持っていったり納めの会で演奏したり。喫茶店を借りて演奏会をしたり、PTAの新年会の依頼を受けて演奏したり。しかし、コピーをほとんどしたことのないaya−yuにとってはバンドで譜面通りに弾くのはちょっとしんどかった。でも、とてもいい仲間で、一緒に活動するのはとても楽しかった。バンドの名前はコーヒーブレイク。その中にコーヒーを飲むのが大好きな人がいて、つきあって一日6杯も飲んでたら胃がこわれた。
 このころ既に、個人的にはギターソロに興味がいっていて、リードやサイドを弾くより、メロディーと伴奏を一本のギターで弾くほうが好きになっていた。aya−yuの持っている譜面は偶然だけど江部賢一さんのものしかなかった。適当に好みのソロレパートリー集を買うといつも江部さんの名前があった。だからある意味でaya−yuのギターの師匠は江部さんということになります。(???)でも、aya−yuは江部さんのこと、お顔もお年も知りません。

     「コーヒーブレイク」から「おじさんず」へ

 コーヒーブレイクのメンバーはあちこちの職場に散ってしまい、なかなか一緒の活動もできなくなったのだけれど先日、リーダーらしき人物のM氏から誘いがあり、アコースティックのコンサートを開きました。そのバンド名は「おじさんず」といい、気持ちの悪い(?)ことに皆マーチンのギターをかかえていました。(このときは、練習ではaya−yuもマーチンをかかえていた。)
 コンサート会場は、回り中吸音板だらけの残響の全くない、とんでもないところでした。aya−yuは自分の機材をちょっとばかり過信していて、このくらいなら何とかなるだろうと思っていたのがあまかった。リハなしだったこともあり、いきなり本番に入ったら、中音と低音に強い定常波があって、イコライザーでコントロールしきれず、気持ち悪い音だった。せっかく来てくれたお客さんに迷惑かけられないと思って、ほとんどミキサーマンになりきってしまったaya−yuでした。ざんねん。でも、まったくこりてないよ。こんどこそ・・・
 
     自己紹介からわかったこと

     1.埼玉県内のどこかの小学校の先生だということ
     2.ギターとPAが好きだということ
     3.結婚している男

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