大変だ。
大変に大変だ。
ものすごく、限界極まりなく、どうしようもなく大変だ。

大体、エマさんが悪いんだ。
何を思ったんだか、急に俺のこと構いだしたりとかして。
ずっと「嫌われてるのかも」とまで思ってたほど距離があったくらいに、こんなこと今まで無かったもんだから、きっとその所為で俺が混乱してしまってるんだ。

看病しに来たりするのが悪いんだ。
おでこくっつけて熱測ったのがいけないんだ。
蜜柑なんかくれるから悪いんだ。
俺は布団に入れてやろうと思っただけなのに、腕の中で微笑ったりするからいけないんだ。
バスローブ乱したまま寝てたのが悪いんだ。
更に乳首がピンクなんてのは反則だ。

くー・・・っ!

「――・・・ロ、ロビン?」

果てしなく混乱したままミネラルウォーターのボトルを握り締めて地の底に沈んでいたら、ヒーセに背後から怪訝そうに呼びかけられた。
「次、オメエだぞ?」
「・・・あー・・・」
生返事で立ち上がる。

あの風邪騒動を境に、2週間ほど公演が途切れるツアーの中休み中ではあるが、疲れを取るどころか、平行して新曲のレコーディングをしてたり、狙い目とばかりにTV出演だの雑誌の取材だのが山のように入るので多忙極まりない。お陰でデートする暇もなく、俺のエマさん病は悪化するばかりだ。
そしてこうして雑誌用のロケ撮影の合間なんかは悶々と思い悩む日々である。

噴水の傍での撮影。
初夏の日差しに、撮影を終えたヒーセは木陰に休みに行ったが、兄弟は噴水の周りで遊んでる。
ああ、エマさんの笑顔が眩しい・・・。

「吉井くん、お願いします」
「おねがいしまーす」
「グラサン取ってよ、吉井くん」

カメラマンからの指示に、思わず嫌な顔をしてしまった。
これを取るのは危険だ。
視線が一箇所にしか行ってないのに気付かれる。
フレームに手をかけたまま暫し思い悩んでいたら、きょとんとした顔でエマさんが俺を見た。

見るなぁぁぁぁっ!

心の中でだけの絶叫が虚しい。
しかもその声はエマさんに届くことは勿論なく、何故かほてほてとこっちに向かって歩いてきた。
なっ、何?今度は何を企んでるの?

グラサンの奥でドギマギしている俺の前で小首をかしげる。
だからそういう計算したような無駄に可愛らしい仕草はやめてくれ。

「あのさぁ」
舌っ足らずに話しかけないでくれ。

「持ってようか?それ」
「え?」

エマさんの指は俺のグラサンを指していた。

あ・・・そ・・・。
俺がグラサンの行き場に迷って外すのを躊躇ってると思ったのね・・・。
小さなことで一人で動揺して、ぐったり疲れながらも、こうなったら渡すしかない。
微妙に視線をずらしながら差し出すと、エマさんは何故か更に近づいて
「かけて、かけて」
と謎の発言をする。
「え?」
「俺にかけて。手が濡れてるから」
言われるままエマさんの目元に俺のグラサンをかざした。
すぐ前に立って向かいあうと、俺よりも頭半分小さいのを、ものすごく意識してしまう。
エマさんはまるでキスのときみたいに、目を閉じて上向き加減に装着を待ってる。

うわ・・・ドキドキする。
スローモーションみたいに伸びていく自分の手の先をただじっと見ていた・・・ら。

パシャッ!

え?

不意に脳内に外界の音が挿入されて我に返った。
シャッター音。
二人してカメラのほうを向く。
「いや、あまりにも微笑ましい光景だったから」
カメラマンがにやにやしていた。

カーッと頬が熱くなる。

「ば・・・ばかっ!」
思わず本気で怒鳴ってしまって、カメラマンもスタッフもエマさんもきょとんとしてる。
マズい。
「こ、こんな写真が載っちゃったら女の子たちに誤解されてお婿に行けなくなっちゃうじゃないの!」
とりあえずオカマ言葉でおどけてみたので周囲は笑ったが、我ながらなんでグラサンかけてる写真がお婿に行けないのか謎だ。
だけどエマさんは更に追い討ちをかけてきた。
可笑しそうに声を立てて笑いながら
「だったら俺がお嫁に貰ってあげようか?」
と。
周囲はますます笑う。でも俺はそれどころじゃなかった。

お・・・嫁、だとぉ?
そんな顔して、逐一人を翻弄しときながら、その発想は根本から間違ってるだろう!

「やだ、エマさんがお嫁に来てよ」

ついポロっと言ってしまって自分の発言に慌てた。
いや、そうじゃないだろう、俺!

「んー、吉井のお嫁さんかぁ。英二、俺、吉井のとこにお嫁さんに行ってもいい?」
エマさんは更に上手だった。
スタッフたちに紛れて笑っていたアニーは真顔に戻って一言。
「ダメ」
「ダメだって。吉井、ごめんねぇ」
周囲はその遣り取りで、輪をかけて爆笑の渦に包まれ、俺はいたたまれなさに
「はやく始めよう!」
と怒鳴った。


「適当に動いて」という指示を貰って、少し歩いたり立ち止まって空を仰いだりしてみる。
噴水から跳ねる雫がキラキラ光って綺麗。
その向こうでエマさんが笑ってる。
その笑顔が髪に隠れ、やがて反対側を向いた。
そしてすぐさま彼方に駆けて行く。
どこに行くんだろう?
ああ、どうやら散歩中の犬を見つけたらしい。
飼い主に何か話しかけて了解を貰ったらしく、大きな犬を撫でてる。

ちくしょー。
可愛いな。
なんだってあの人はやることなすこと一々可愛いんだろう。
前からこんなに可愛かったっけ?
それとも俺が気付いてなかっただけなのかな。

やがて犬に「バイバイ」してすらりと立ち上がる。
公園の向こうに去っていく犬を見送っている後姿はほっそりと綺麗。

「あの、吉井くん?こっちもちょっとは向いてくれる?」

エマさんばっかり見てた所為で、カメラマンに苦笑気味に言われた。
おっと。まずいまずい。
慌ててカメラに視線を戻したけれど、また暫くするとエマさんを探してしまう。

困ったな。
本当にどうしちゃったんだ?俺。

意識的にカメラに視線を戻して更に何枚か取り進めた時点で、カメラマンは「ダメだ」と呟いて顔を上げて大きく溜息をついた。
そして暫く考え込んで、くるりと振り返った。

「おーい、エマちゃーん、こっち来て一」

は!?
なんでエマさんを呼ぶ?

きょとんとしながら駆けてきたエマさんに向かって、ヤツはとんでもないことを言った。

「王子様、エマちゃんがいないと写真撮る気もしないんだって。一緒に入って」

「ちょ・・・おい!」
俺が慌てて制してもおかまいなし。
エマさんは俺のグラサン越しにクスクス笑いながら俺の隣に近づいてきた。
「どうしたの?最近なんだか甘えんぼ?」
「な、何を言って・・・」

甘えん坊もなにも、俺はエマさんに甘えたことなんかない!
っていうか、何だってあんなこと言うんだ!
きつくカメラマンを睨みつけたら、ヤツはニヤリと片眉を上げて笑った。

「いいからいいから。ライブのつもりでリラックスしてねー」

――――はっ!?・・・もしかして、なんか勘付いてる?コイツ・・・。

思わず更に挙動不審になりかけたとき、頭上の木々がさざめいて、一陣の風が起こった。
ふわりと舞う甘い香り。
誘われるように香りを辿ると、隣に立つエマさんが髪を乱して微笑んでいた。
いつの間にかシャツのポケットに収めたらしく、その瞳はグラサンに覆われていない。

視線が絡む。

きゅっと胸が疼いた。

パシャッ!

エマさんが首を巡らせて向こうを向いた。
俺もつられる。

パシャッ!

俺が風に揺れる木々を見上げると、エマさんも同じように見上げた。

パシャッ!

エマさんが少し離れる。間近にあった香りが遠のき、俺はそれを視線で追った。
次第に噴水に近づき、指先が水を掬い上げた。
透明な雫が陽光にキラキラ輝く。エマさんがそれをうっとりと眺めているから、水滴はまるで極上の宝石のように見えた。

パシャっ!
カシャカシャカシャッ!

ジ―――――・・・。

「はい、イイ感じ」

カメラマンの声で我に返る。

「エマちゃん、ありがとうね」
「どういたしまして」

気がついたら、エマさんはカメラの向こうにいた。
知らないうちにシングルショットも撮られていたらしい。

「ほら、吉井くん。もうちょっと撮るよ。それともまだエマちゃんがいなきゃダメなの?」
「はぁ!?・・・ったく、何を言ってんだか」

俺は無理矢理全てを冗談の範疇に納めるべく笑い飛ばして、今度こそ写真に集中した。
カメラの向こうで、まだ長い髪を揺らしつつ見守っているエマさんの視線を充分意識しながら。


あーあ。
ホント、この風は俺をどこへ運んでいくんだろう?



撮影が終わって、カメラマンが悪戯っぽく内緒話をもちかけてきた。
「ツーショット、ほしい?」
「いらん!」

俺は如何にも「呆れ果てた!」という顔で睨みつけた――――が。

結局上がってきたポジにしっかり混ぜられていたツーショットをこっそり抜いて手中に収めたのは。
謂われない邪推が、ただ単に恥ずかしかったからだ!・・・と、思いたい。


エマさんをひたすら見つめていたのだろう俺のシングルショットは、どれもなんだか切なげに、自分でも見たことがない表情をしていた。


end
つづく

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