灰 |
春の初めの深夜2時。 不意に鳴った携帯に起こされた、ボウインマンミュージック社長・大森常正は、電話の主が吉井であることを確認して、もしかしたらまた胃が痛くなるようなことを言われるんじゃないか、と不安になった。 今言い出すとしたら、アルバム出せないとか、秋のツアーやらないとか、最悪、また活動を休止したいとか・・・。 咄嗟に考えられる不安材料を数え挙げながら恐る恐る通話ボタンを押すと、案の定、 「あ、社長?・・・俺」 と、吉井はひどく疲れた声をしている。 「どうした?何かあったのか?」 心配で、用件を促す。 だが吉井が言い出したのは、想定している話題のどれでもなかった。 「あのさ、夏フェス、もうちょっと増やせるかな?」 「・・・は?」 なんだ、こんな夜中に。 仕事をもっとくれというのは喜ばしい話題だが、それにしては疲れきった気配が気になって、大森は 「お前、今なにしてるんだ?」 と、話を変えた。 吉井はこんな時間もまだ、仕事場に篭っているという。 次のアルバムの曲はもう殆どできたと言っていた筈なのに、更に作り足しているというのだ。 できた曲数を確認してみれば、既に70曲近い。 それ自体は悪いことではないが、 「吉井、アルバム1枚には、よく入って15曲くらいだぞ?」 と念を押さずにはいられない。 だが 「とりあえずガンガン録って、いいやつだけセレクトしたいんだよ」 と、何か覚悟を決めているようだ。 そこへ仕事を増やせとの用件だ。 単純にやる気を喜ぶには、吉井には前科がありすぎた。 まさかとは思うが、今年仕事をしまくって、燃え尽きようとしてるんじゃないか・・・? またしても「もう歌わない」とか言い出すんじゃないか? なんだか鬼気迫る吉井に、大森は一度ひっこめた不安を、更に募らせた。 だが、どうやらそういうことではないらしい。 「金がいるんだよ!」 振り絞るようにそれだけ言って、電話は切れた。 ――――金が、要る? なにがあったというんだ? まさか、家族の誰かに何か不測の事態が起こったとか? それとも詐欺にでもあったのか、借金でも背負ったのか? 不安はあとからあとから湧いてきて、大森はとうとうその夜、一睡もできなかった。 朝が来るのを待って、事務所所有のスタジオに行った。 昨夜2時まで仕事していたというのに、10時にはもう吉井はスタジオでデモテープを録っている。 スタッフに確認してみると、もう1週間ほどその調子らしい。 まるで、燃え尽きる寸前の炎のようだ――――・・・。 そう思いついて、更に大森は不安になり、眩暈を感じてドサリとコントロールルームのソファに座った。 バサっ。 投げ出した左手に、雑誌の山がぶつかる。 なんとなく一番上の1冊を手に取ってみた。 『完全輸入車ガイド』 ・・・珍しいな、と、最初は単純に思ったものの、そこにデカデカと『ポルシェ』の文字が躍っているのを見て、大森の脳裏に「金が要るんだよ!」という昨夜の吉井の発言が蘇った。 いや、まさか。 いくらなんでも。 湧き上がった発想を打ち消すために、雑誌の山たちに目をやって、一度抱いた疑惑は確信に変わった。 10冊近く置いてあるそれは、全て車雑誌だった。 何冊かはカタログが混じっている。 ご丁寧に付箋が貼ってあるページには、すべて各種ポルシェが掲載されていた。 「これ、エマのか?」 デモ録りを見守っているスタッフに声をかけて「いや、吉井さんのですよ」という返答にますます確信は深まる。 丁度そこへ、タイミングよく・・・というか悪く、というかエマがやってきた。 「おはよー」 だけのスタッフとの挨拶で、エマが頻繁に遊びに来ていることは察せる。 大森は挨拶もそこそこにエマを呼びつけると、隣に座らせ、雑誌の山を指差して説教を始めた。 「エマ。いくらなんでもやりすぎだ」 「は?」 「そりゃ、吉井は一般人に比べたら小金も持ってるけどな、それでもどこからともなく湧いてくる金ってわけじゃないんだ」 「・・・知ってるよ?」 「だったらどうして車なんかねだるんだ!吉井のやつ、仕事増やして稼ごうとクタクタになってるじゃないか!」 確認をとったわけではないが、それほどコアなファンでなくても『ポルシェ=エマ』の方程式が成り立っていることを知っているくらい、エマのポルシェ好きは有名だ。金が要る→吉井がポルシェを捜しているらしい→エマに貢ぐという推測は、当然のように成り立つ。それでなくても吉井はこの間、エマにギターを貢いだばかりなのだから。 が、エマは 「俺のじゃないよ。ねだってないもん」 と、口を尖らせた。 「だったらどうして吉井がポルシェを捜してるんだ」 「でも本当に知らないもん!」 ムキになったやりとりに、スタッフの一人が「これじゃないっすか?」と、横からノートパソコンを差し出した。 そこには吉井のオフィシャルサイトが表示されていた。 ファンからの質問に吉井が答えるQ&A。 「吉井さんの好きな色はなんですか?」という質問に、吉井が「赤と紺のコンビネーションが好き。エマにボディが赤で、内装が紺のポルシェがカッコイイと薦められましたが・・・」と答えていた。 「ほら見ろ!」 証拠を握ったとばかりに大森はまた叱りモードになる。 でもエマにしてみれば、本気で意味が判らないのだ。 「ちょっと待ってよ、社長。俺、本気でそんなの勧めた覚えないんだけど?」 「でも吉井はこう言ってるじゃないか」 「いや、そりゃ確かに、この間『どんな車が好きか』って話したよ?でもそれだけ!本当にねだってないし、薦めてもないってば!」 濡れ衣を着せられて、エマも必死だ。 「あ、エマちゃん!」 そこへ、吉井がブースから出てきた。 エマを見つけ、疲れ果てた表情などどこかに消え去り、速攻で抱きついてくる。 「ねぇ、吉井。俺、本当に車ねだったりしてないよね?」 「ん?」 いきなりそんなことを訊かれて、吉井はきょとんとエマを見つめた。 「車?」 「俺が吉井にねだったって、社長が責めるんだよ」 「はぁ?社長、ちょっと、何勝手なこと言ってんの?」 エマを責めたと聞いては、吉井は黙っていられない。まるで不当ないじめの現場を見つけたかのように、大森は睨まれて怯んだ。 「いや、お前がポルシェを捜してるみたいだから、俺はてっきり・・・」 「違うよ!俺の車!新しいのが欲しいだけ!」 吉井はふんっと鼻を鳴らすと、急にふんぞり返って威張った。 「吉井、車買うの?何買うの?」 話に食いついてきたエマが瞳をキラキラさせると、吉井は威張った顔のままで言い切った。 「エマのオススメ、外装赤で内装紺のポルシェ」 「・・・・・・・・・・・・・」 その場の誰もが沈黙したのは、言うまでもない。 エマによると、単純に車談義ででただけの好みの話だった筈なのだ。吉井はそれを勝手に「薦められた」と解釈し、購入しようとしている。それが何のためかといわれたら、確実に理由は一つ。 「・・・自分のポルシェをエサに、エマを釣るつもりか・・・」 大森は、思わず結論を口に出して呟いてしまった。 エマのためならなんでもする。 口には出さないものの、それは明らかに吉井の座右の銘である。 そして仮にエマがそういう吉井の態度にピンときて制止するようなタイプであればともかく、エマはずーっとそういう扱いになれてしまっている所為で、吉井の行動はどこまでも際限なくエスカレートしていくのだ。 何がどうふっきれたのか、そんなことは大森にはわからないが、ともかくも今の吉井にはブレーキが全く存在していないということだけは解る。イエローモンキーの解散と同時に、何故か今まではそれなりに制御していた(らしい)2人の熱愛っぷりを、まるで飽和状態の器から水が零れ出るように露にしても、まだ足りないというように。 このままではいつか、吉井は灰になって飛んでいってしまうのではないかと思い、 「吉井、ほどほどにしろよ」 と、大森は言いかけた―――――・・・が。 そういえば昔、こいつは 「灰になって死ねるのが最高!」 という歌詞を書いていたな、ということを思い出して。 「ま、働いてくれるんならいいか」 ということにしてしまったのだった。 end |
オフィのFC限定ページのQ&Aで、吉井が「好きな色は?」と問いかけに本「赤と紺のコンビネーションが好き。エマにボディが赤で、内装が紺のポルシェがカッコイイと薦められましたが・・・」と答えたから、その話。 別に捻りも何もないし、オチもないけど、なんとなく書いておきたかっただけ(笑) だってラブラブなんだもん! |