「根岸さん、ね、これ、似合う?」

目の前でキャップを被ってみせて、にっこり笑うエマは、やっぱり可愛い。

「似合うけど、エマにキャップってなんかイメージ違う気がするなぁ」

僕みたいなスタンスと違い、メジャーシーンの第一線で、容姿も含めてキャーキャー言われてきた人には、やはりある程度固定したイメージっていうのがあって、そこに重ね合わせると、なんだかキャラが違う。
それが、今まで周囲に居なかったタイプだからなんだろうけど、最近はよく僕の服の着方なんかを真似してて、影響されてんのかな、って思うと微笑ましい。
エマ自身、すごく懐いてくれてる。そういうのを見ていると、可愛く思わないわけがない。きっと今まではバンドメンバー内でも年上の部類だったから、なんの気負いもなく甘えられる存在っていうのが、彼をそうさせているのだろうな。

「だってネギさんのとか見てたら、俺も欲しいなーって思うんだもん」

そのエマがそんなことを言うと・・・。

「買ってあげようか?」

ついつい、甘やかしてしまう。

「うん!ありがとう!」

去年の夏のツアーのリハーサル開始前に、吉井に散々釘を刺されていた、「エマの笑顔は犯罪だから」という言葉が身に沁みる。
確かに・・・犯罪だなぁ。
こんなに人に何かを買ってあげるような人間では無かった筈なのに、僕は。

レジを済ませた新しい袋を、エマがまた嬉しそうに受け取ったのを見て、弛む頬を押さえきれない気分で浸っていたら、耳慣れた声が聞こえた。

「吉井和哉でーす」

慌てて周囲を見回したが姿はない。
エマは「ん?」という顔で携帯を取り出した。

・・・ああ、着信音か。そういえば、吉井のサイトで着声サービスやってるって言ってたな。世の中便利になったが、こうなると紛らわしいとも思う。律儀に使ってるエマは、やっぱり微笑ましいが。

「はい。・・・うん。えっとねぇ、買い物。――――-・・・はは、まだ終わんないの?・・・うん」

エマは少し早足になって、軽く僕と距離をとりながら話す。
確かに人前での電話のエチケットではあるが、そこに違う意味があるのも、僕はきちんと判っているのだ。
僕と話してるときよりも、少し高いトーンのエマの声。

やっぱりこういう所も可愛いと思う。

吉井が勝手なことを吹聴するせいかもしれないが、世間は少し誤解していて、以前楽屋に来てくれたヒーセに「根岸さんも大変だと思うけど、まぁ諦めてくれ」としみじみ言われたり、アニーに無言で握手されたりしたが、だからといって僕はエマとどうこうなりたいと思っているわけではないのだ。

エマが可愛いのは、あくまでも懐いてくれる弟みたいな気分だし、そもそもそういうのに逐一反応して、真っ正直に嫉妬してる吉井も、それはそれで可愛らしくてしかたない。

いつまでも少年のようだというのは、なんて貴重で素敵なことだろう。
これがサラリーマンや何かだったら、「いい年して、年甲斐も無い」と言われるとろこなんだろうが、理屈抜きに感性勝負の僕たちの商売にとっては、プラスにこそなれ、マイナスになる要素ではありえない。

電話を終えたらしいエマが、数歩先で立ち止まっているのを発見して、急いで追いつく。

「吉井?」
「うん。まだ取材が終わんないって嘆いてた」
「あれ?約束でもしてた?」
「ううん、そうじゃないけどね、多分・・・いつもの病気」

エマがそんなふうに言って苦笑するのは、本当に例によって例の病気だからだろう。
本当に本気で吉井は僕のことを疑ってるらしくて、エマと2人で買い物にでも出ると、2時間に一回くらいはこうして電話がかかってくる。そのときにエマが取らないと、そのあとはもう大変な騒ぎなのだ。

「どうする?そろそろ行く?」

僕は吉井からの雷を避ける為にも、買い物中に時折2人での行動を終わらすべく、水を向ける。
リハーサル開始2時間前。

「うーん、もうちょっと時間あるなぁ」

だけど決まってエマはギリギリまで行こうとしない。
マイペースだとは思うけど、そこには少し違う意味も含まれてるのに、僕は最近気付くようになってきた。

昔は同じバンドのメンバーとして、取材からラジオ出演から、同行しているときはその仕事の殆どを、吉井と共にこなしてきたエマ。
でも今は、一緒にステージに立つとはいえ、エマが賄うのは音を出す仕事だけ。
今更2人の間に、そんなことでの歪みは生まれたりしないけれど、プライドとは別の次元での寂しさみたいなものを感じずにはいられないのだろう。
それはきっと、サポートという仕事は同じにせよ、他のミュージシャンのステージに立っているのなら感じなくても良かった、ちょっとした心の隙間なのだけれど。
去年はまだ緊張のほうが大きかったみたいだけど、最近は吉井がいない現場にいる余白の時間が長いと、エマはこうやって逃げ出す。
そういうのは、人間がどうしても『過去の記憶』を持たざるを得ないから感じてしまう寂寥で、弱さとは言わないんだよ、って言ってあげたらいいのかもしれないけどね。

「楽器屋さん見に行こうかな。掘り出し物があるかもしんない」

自分の本拠地とは違う街だということを感じさせない慣れた足取りで、エマは方向を変えて歩き出した。
僕は従者のように後を追う。
なんて早足なんだ。やっぱりコンパスの違いかな?
ともあれ、こうして一緒に買い物に出ていても、自分の行きたいところにまっしぐらに向かうエマは、猫の王様みたいで、僕くらいの年になってしまうと、それも可愛らしいもんだ。

結果、僕が店に入ったのは、エマより30秒ほど遅れてのことになった。

エマは買い物中、時折とてつもなく鼻が利く。
今日も何かを嗅ぎ取ったのかもしれない。
漸く追いついた店内で、既に猫の王様は見つけた魚・・・いや、入荷したばかりのオールドギターに一目惚れしていた。

うわ。
だけど、これは高価いわ。
流石に買ってあげるよ、とは言えない。

「弾かせてもらったら?」

キラキラした目で飾られてるギターを見つめるエマに苦笑しつつ促すと、早速店員を呼び止めてアンプを繋いでもらった。

「あー・・・鳴りもいい。反りもないし重過ぎないし、弾き易いー」

軽く指を慣らすだけで、既にギターの虜になってる。

「これ、指板エボニーだよね?えー?だけど、そんな硬い音じゃない・・・。アレみたい、昔使ってた白のカスタム。んー・・・もしかしたらコレもライブだと抜けないのかなぁ。でもアレよりはちょっとパキっとしてる気もするし、ピックアップ換えたら行けるかな。テンションも、もうちょっと下げたいな。どうしよう、ちょっと加藤に電話して・・・、あ、そっか。今いないや。どうしよう・・・。いや、でも何より高価いよ。んー・・・けど、欲しい、うわーっ」

当たり前だけど、さっき買った帽子のときとは段違いのはしゃぎっぷり。
普段は物静かなエマがここまで饒舌になるのは珍しい。
彼が我を忘れて饒舌になるのは、ギターのことと車のことと、あとはもう一つだけ。

「ネギさん、ねぇ?どう思う?似合う?」
「うん。すごく似合う」

常に人前で弾くということが念頭から去らないエマは、それが自分に似合うかどうかも忘れない。
店員も、そうそうすぐには売れないと思っていただろう高価な一点もののこと。あと一押しで買いそうな有名ギタリストを、揉み手せんばかりに褒めそやす。

そこまで惚れたギターなら買ってしまえばいいんじゃないかとは思うんだけど、あっさり「じゃあ買いなよ」とはいえない値段だ。
エマはそのままたっぷり1時間ほど悩み始めた。

エマは、ああでもない、こうでもない、でもどうしよう、を延々と繰り返していたが、僕は流石にリハの時間が気になってそわそわし始めた。
「エマ、明日にでももう一回来たら?」
「ツートーンかぁ・・・。ペグは充分無事だしなぁ・・・」
聞いちゃいない。

腕時計とエマと店員の顔を交互に見比べていたら、5度目に店員が視線を遠くに移した。

「いらっしゃいませー」

新しく客が来たようだ。
僕もつられてそっちを見て・・・驚いた。

「あれ?ネギさん?・・・あ、エマちゃん!」

入ってきたのは吉井とマネージャー氏だった。
いいんだけど、『エマちゃん』を呼ぶときだけ声が弾むのはなんとかならないものか。

「なんでまだいんの?そろそろ楽器隊、リハじゃないの?」
「エマがあのオールドに惚れたらしくてね、離れないんだよ」

僕は苦笑気味に吉井に事情を伝える。
吉井はちょっと目を見開いて、すぐに溶けそうに愛しげな視線になって、ギターを抱えるエマを見つめた。

「エーマちゃん」

そのままスタスタと椅子に掛けてるエマの隣に寄ると、隣にしゃがみこんで見上げる。エマはそれでやっと吉井に気付いたらしい。

「吉井、これさぁ、俺っぽいよね?それでこの風格!音がね、ちょっと湿った感じなんだけど、あのカスタムよりは抜けてんの。それでさ、これのピックアップをね・・・」
「うんうん。でもエマ、そろそろ時間じゃない?」
「―――――・・・あ!」

吉井に言われてやっとそれに気付いたエマが慌てて時計を見た。
僕が30分ほど前からずーっと言ってたのは全く聞いてなかったのに、吉井の言うことだと聞くんだもんなぁ。

「行きなさい。俺、ちょっと見てから行くから」
「・・・うん・・・」

名残惜しそうにギターと吉井をもう一度眺めてから、エマは漸く立ち上がった。
何度も振り返りつつ、とぼとぼ店を出て行く。

「ネギ坊」

僕もすぐにそれを追おうとしたが、吉井に呼び止められた。

「ありがとね」

何の礼かは、言われなくても判ってる。
『俺がいない間、今日もエマの相手してくれててありがとうね』と、吉井は言いたいのだ。
だけどそれは本当に僕に悪いとか思ってるんではなくて、そう言うことでエマの所有権が誰にあるかを主張してるんだということは、その表情が物語ってる。
僕はそういう吉井の子供っぽさに笑みを誘われながら、店を出ようと踵を返した。
だが、僕は更に少しだけエマより遅れることになる。

吉井がしている会話に、とてつもなく興味を掻きたてられて、牛の歩みになったからだ。

「で?エマが惚れたのはコレ?」
「そうなんですよ。流石に高価くて迷ってらっしゃったんですけど」
「買うわ」
「え?」
「買うから、これ。カードでいい?」
「あ、エマさんにプレゼント?」
「ば、ばーっか!違うよ!・・・えー・・・っと、そ、そう、バーニーに土産だよ!」

苦し紛れに反論しながら、エマの惚れたギターのために7桁の出費を即決する吉井に感服しながら、僕はやっと店を出た。

いやいや。
エマを君と張り合える人間はいないよ。
僕に買ってあげられるのは、せいぜい帽子くらい。
してあげられるのは、君がいない間の子守くらいだから、安心しなさい。

店の前で、そんなやりとりを知らない猫の王様は、しょんぼりと耳と尻尾を垂れて僕を待っていた。

きっと、あと数時間後。
「バーニーに土産」
と言い張りつつ、あのギターを抱えて吉井はやってくるだろう。
いつもの行動パターンでいくと、それを泣きそうな顔で羨ましがるエマに、
「もう、エマちゃんってば。バーニーにあげたんだから、欲しかったらバーニーにお願いしたら?」
なんて見え透いた意地悪を言いながら、わざとらしく、エマがお気に入りギターに貼る定番の、ポルシェのステッカーを差し出すはずだ。

僕たちはそれでいいんだよ。
ダシにされる楽しみを感じるのも、このサポートの魅力の一つなんだから。



end



「もう区切りをつける」と言い張りつつ、まだ書くかツアーネタ(笑)
FOOLISH HEARTのZEPP大阪のときに、ネギとエマが楽器屋にいたら吉井がやってきた実話をもとに。

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