噴水の飛沫がキラキラと輝くのを背景に、赤い顔でグラサンを持つ俺と、それをかけてもらうべく、目を閉じて少し上を向いているエマは、多分無意識だろうけど、ちょっとだけ背伸びをしている。


――――――はっ!


また俺はこの写真を眺めていた。
気がつけば、掃除の手を止めてからかれこれ1時間。
1時間も眺めていれば、今度は見ていなくても細部まで脳味噌に焼き付いている。
しかもそろそろ飽きそうなもんだけど、こうやって我に返るのは・・・実はもう本日3回目だ。
そしてこの写真は、自分でも思ってもみなかった状態で、今俺の目の前に鎮座している。



ツアーが終わって、少しばかりゆったりしたスケジュールになった手始めに入ったオフの今日、俺は多忙にまかせて荒れ放題になっている部屋をのろのろと掃除しはじめた。
殆ど寝に帰るだけの生活だったけど、スーツケースに入ったままで放置してたツアーの荷物とか、脱ぎ散らかしたままの普段着とか、デッキの前に抛りっぱなしのCDや、食べかけのお菓子が机に置きっぱなしになってるのが鬱陶しかったところに、事務所から
「いい加減に持って帰ってください」
と、ファンからのプレゼントを強制的に運び込まれた。忙しかった間、会議室に山積みにしていた4人分のプレゼントはありがたいもののやっぱり場所をとる。普段から車の兄弟は先週、ヒーセも5日前に持って帰った。
俺もそのとき会議室からは運び出したものの、オニのように取材が立て込んでたもんだから、マネージャーの車に放置していた。暫くはヤツも何も言わなかったけれど、昨夜送ってくれたときに、今日がオフだというのに「じゃ!」と普通に車を降りようとした瞬間、キレた。
「吉井さん、これ、社用車じゃないんですよねー」
深く静かにキレたヤツの声は怖い。
このオフに家族で旅行に行くつもりのマネージャーは、真剣に後部席の箱の山をなんとかしたいと思っていたんだけど、明らかに疲れてる俺に、昨夜まで言い出せなかったらしい。
有無を言わせず部屋までついてきて、無言で玄関に放置していきやがったラッピングの山を、今朝ほどやっと解き始めた。

ぬいぐるみ、ぬいぐるみ、ぬいぐるみ、ライター。
ぬいぐるみ、ぬいぐるみ、香水。
ネクタイ、ピアス、ぬいぐるみ、ぬいぐるみ・・・って、おい!どんだけぬいぐるみあるんだ!っていい加減疲れてきた頃に、ソレが出てきた。そう、この状況を作り上げた魔の物体。

それは何を思ったか、小ぶりのキレイなフォトスタンドだった。
持ってみればずっしりと重く、明らかに値の張る代物で、まるでお姫様の部屋にでもありそうな、ごってりと装飾を施したフレームは銀色に輝いている。
ファンの子がここに何を飾ることを想定したのかは判らないけれど、はっきり言ってこのフレームに納まるには、並の女や生半可なスターでは無理だ。
だって明らかにフレーム負けする。
はっきり言うと、使用用途を完全に見失ってしまってる、いわば悪趣味の領域に片足つっこんだデザインのフォトスタンドがとても気に入った。

最初、若い頃のデビッド・ボウイをここに入れようかと考えた。
彼の華やかな風貌なら見劣りしないんじゃないかな。俺もいつかここに納まっても見劣りしないようなロックスターに!っていう目標にもなるし。そうだ、ジギーの頃がいいだろう。
だけど、荷解きを放置したまま、どっかに昔の雑誌があったんじゃないかと、収納してあるクローゼットを物色しながら、記憶の中の美麗フォトを検索していたんだけど、俺は途中で
(なんか・・・違う・・・)
っていうことに気がついた。
版権写真やステージ写真のボウイは、確かに目を奪われるほど美しいんだけど、グラムロックが醸す、いい意味でのチープさや猥雑さが、なんだかこのフレームに似合わない。
同じ装飾過多でも、こっちはなんていうか・・・高貴趣味がエスカレートしてこうなっちゃったっていう・・・そう、バロック系のオーバーデコレーション。
多分、同じデザインでも、使ってる素材がもっとチープなもんだったりすれば感じなかったであろう気品が溢れてて、なんていうのかな、男は本当はお姫様が好きで、女の子は王子様に憧れてるんだけど、「あらそんな恥ずかしいこと言えないわ」って心のどっかでブレーキをかけちゃってる、その本質を覗き見されたような居心地の悪さが妙に快感っていう、非常に複雑なハートの隅っこをチクチクしてくるんだよな、これ。

いささかその新しいお気に入りを持て余し気味に(だったら何を入れようか)と、ベッド脇の棚の前まで行ったところで、
「ったく、これじゃ王子様かお姫様しか入んないよ」
なんて独り言を呟いた瞬間、例の写真が目に飛び込んできた。

この間の取材のときに掠め取ったポジ。
緊張してエマさんを見下ろしてる俺と、俺を見上げる格好のエマさん。

「・・・いた。王子様」

思わずそう声に出してしまって、俺は焦った。

な、何を言ってるかなぁ、俺!
いや、そりゃ確かにエマさんはどっか王子様みたいなとこがあるよ。俺と違ってお育ちがいい所為か、本当は綺麗なもんとは言いがたい業界の中にあり、更にアマチュア時代だってみんなと同じように立派に他愛ない悪事にも足をつっこみつつも、なんか周囲から超越して汚れない雰囲気を纏ったままでさ。
それがどうにも気恥ずかしくて、俺はよくエマさんが実は悪人だとか吹聴したりするんだけど、それも本当は、「俺とおんなじとこに堕ちてきてくれないかな、この人」みたいに思ってるとこがあって、それほどに侵しがたい空気を持ってる。
まぁ、本当に俺から見たら王子様育ちなんだけどね。それがエマさんに固執してしまう原因なのかな。いや、でも同じ育ちのアニーには、微塵たりともなんにも感じない訳だから、やっぱエマさん独特の高貴さなんだろうな。

って、おい!

つらつらと、エマさんんがいかに王子様なのかを脳内で言い訳してる場合ではない。
だからって男とのツーショットをこんなデコラティブなフォトスタンドに入れてベッド脇に飾らないだろう、普通!
っていうか、完全に頭がそっち行っちゃってたからって、気がついたらポジと財布と一枚の紙を握り締めて玄関に立っているのは何故だ!?

ああ、そうか。そういやさっきつらつら考え事しながら出かけたような気がする。
そうそう、写真をね、フォトスタンドに収めるにはサイズがでかかったから切らなきゃいけないんだけど、どうも貴重なツーショットにハサミを当てるのがもったいなくて、コンビニまでカラーコピー取りに・・・・って、おぉいっ!

俺はアレか。
ファンか。
しかも乙女系か。



それがかれこれ今から5時間前の出来事だった。
のろのろした掃除は一向に進まず、ここを通りかかるたびにきちんとベッドサイドに鎮座したフォトスタンドに心を奪われてしまう。
目を閉じながらもなんか楽しそうなエマさんの表情もイイんだけど、やっぱ絶妙なのは俺らの身長差だよな。
10センチあるかないかの身長差。この写真のエマさんはちょっと背伸びしてるんだけど、俺がやたら高い靴を履いてたから、差は縮まらず。この差があるから、いつもエマさんは俺に話しかけたりステージでアイコンタクトを取ったりするとき、上向き加減で見上げてくるんだよ。
そりゃ俺は見上げられるのには慣れてるけど、女の子とかだともっと『ぐんっ』て見上げる。そりゃそうだ。男は視線を合わすためにはもっと距離をとる。いや、微妙な距離だけど、それだけで違うからね。
でもエマさんは違う。
すぐ傍から、『ふっ』て見上げるんだ。ステージだとかなり密着することが多いから、その仕草は顕著。
これがもっと差が少なかったらそこまであからさまに見上げなくてもいいんだけど、エマさんはバンドの中では一番小さいからね。小さいって言っても標準から見たら大きいほうだ。でも俺はもっとでかいし。
キスするときに丁度いいんだよな、エマさんとの身長差って。少し顔を傾けると簡単にキスできる、いつも。

・・・・・・・・・・・キス。

そうだよなぁ、俺、この人と何回もキスしてんだよ。

ふとそれを思い出すと、目の前にぱぱぱっと、エマさんの半開きの唇がフラッシュバックしてくる。
しかも、感触と共に。
畜生!あのヒトってば、仕事でのキスなのに、6割以上の確率でキスするとき唇半開きなんだよ。本当はステージパフォーマンスなんだから、「ああキスしてんだな」って判ればいいんだし、軽く唇合わせるだけで済むというのに、何故か半開きなんだよ!
すぐ傍で『ふっ』と見上げつつ、半開きの唇を晒されたら、そりゃ舌つっこむよな、普通!しかもエマさんの唇は無骨にカサついてたりなんかしなくて、ふにょんと柔らかい。まぁ、そういう唇だからキスのパフォーマンスする気になるんだけどさ。しかもライブ中はイっちゃってるから、あのヒト!見上げてくる瞳もうるうる。場合によっちゃ、キスの最中に
「ん・・・はぁっ」
なんてちっちゃな声で溜息つくことあるんだよ!?

もうこれは、アレだ。
この悶々とした気分は間違いなくエマさんの責任だ。
エマさんが悪い!

フォトスタンドを凝視しながら、心の底からエマさんにとっては謂れのない悪態をついてたら、耳の奥に
「ん・・・はぁっ」
まで蘇ってきた。
そしてそこに触発される、落ち着きのない俺の下半身の反応。

じっと見下ろす。


オーマイガッ!
またかよ!
ありえねぇよっ!!
蜜柑の次は写真の身長差に欲情。
エマさんのばかぁぁぁっ!!


・・・・ヤバい。
しかし、マジでヤバすぎる。
いくらなんでも、この欲情を・・・っつーか、感情を認めるわけにはいかない。
普通だったら
「あら、あの子に惚れちゃった」
で済ませるところだけど、何て言ってもエマさんは男・・・そう、男なんだっ!
いくら可愛くても。
いくら乳首がピンクでも。
いくら絶妙の身長差でも。

よく考えろ、吉井和哉。
そしてよく写真を見ろ。
この人は男。俺と同じようにつくもんついてるんだ。
目覚めに髭生えてくんだぞ。

「よし!」

よく判らない掛け声と共に、今一度写真を凝視したが・・・。
何故か、さっき王子様に模した筈のエマさんが、もはやロビン王子の横のエマ姫にしか見えなくなってしまっていた――――-。

合掌、俺。





またしても悶々と一人の夜を過ごした翌日、だけど俺は早々に白旗を揚げざるを得なくなってしまう。
音楽番組出演のために訪れたテレビ局。
楽屋でメイクしてるときに、エマさんが
「吉井、ちょっと立って」
と頼んできた。
「ん?」
軽い返事が甘みを帯びるのに自ら脳内で悪態を吐きながらも、抗えない本能的な笑顔で前に立つと、
「えーっと、えーっと」
と、またしても無駄に可愛らしい思案の声を上げながら2足の靴を順番に履き替えてる。

「どうしたの?」
「んとね・・・吉井今日、この靴だよね」
「え?うん」
「じゃあ、やっぱこっち」
「え?」

エマさんが決定したのは、かかとが低いほうの靴。
衣装にはどっちかっていうと高いほうのが似合うのに、意外なセレクトだからそこを指摘してみると、きょとんとした顔で、『オマエは一体何言ってんの』的に当然のように断言した。

「だってこっちのほうが並んだとき、吉井との身長差イイんだもん。高いほうのだと微妙に吉井の背の高さが映えないでしょ」



・・・・・・・・・・・・・・ああ、ノックアウト・・・かもしんない。

そう言われて見れば、確かにいつもより俺の靴は低い。
バンド内で他のメンバーよりも身長が低いことを望むという、男にしては珍しいこの人の美意識からすると当たり前の選択だったのかもしれないけれど・・・・
仕方ないじゃないか。
なんか、全幅の信頼を置いて立ててもらったみたいで、胸がキュンってしちゃったんだもん!

鏡の前、並んで立った俺たちはやっぱり理想の身長差で、明らかに「がっしりした体型」とは程遠い俺の隣にあっても、着やせするエマさんは明らかに華奢で、体型さえも理想的なカップルにしか見えないじゃん。

思わず頭の上に蝶々を飛ばしてしまう俺にセルフつっこみをかます暇も無く、追い討ちがあった。
本番のスタジオに向かう廊下で出会った、とある大柄な有名ミュージシャンが
「今日よろしくー」
ってにこやかに挨拶するのを、すぐ隣にいたエマさんが受けた。
「こちらこそよろしくです」

繰り返すが、エマさんだって並の男よりは背が高い。
だけど俺よりは小さい。
俺とそう変わらない身長のその男を、エマさんは「ふっ」と見上げて微笑んだ。
彼はそんなに他意はなかったんだろうと思う。
とかく対峙する人を褒めがちなこの業界で・・・しかも男に対してもこの形容がある程度まかり通るこの業界で、更にエマさんの笑顔相手ではその有名ミュージシャンを責める筋合いではないかもしれないことは重々承知しているが・・・。

「お!君、可愛いね」

ヤツはそう言いやがった。
エマさんもエマさんで満更でもなさそうに
「え?なんですか、それ」
なんて笑ってるもんだから・・・

俺は、つい。

その男が通り過ぎるや否や。

「エマさん、あんまり不用意に他の男を見上げないように」

なんて・・・・自分でもどうかと思う釘を刺してしまった。

「は?」
当然ながらエマさんはきょとんとしたが、もはや引っ込みはつかず
「だからっ!あんまり俺じゃない男を見上げて微笑まないように!危ないからっ!」
と、半ば怒られるのを覚悟でぐいっと腕なんか引き寄せてしまったんだけれど。

エマさんはちょっとびっくりした顔で俺を見上げ、怒ることも無くパッと鮮やかに笑った。

「ふふ、吉井ってば、変なヤキモチ」
「な、何を・・・そんなんじゃ・・・!」

明らかに図星を突いた意外な揶揄に激昂しかけたけれど、すこし見下ろしたエマさんはやっぱり笑ったまま、少しばかり目元を赤く染めていたもんだから・・・。



流石にフォーリンラブを認めた挙句、そんな些細なことに有頂天になった俺を。



一体誰が責められようか。




end
つづく

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