バスタイム



「あのさー、この間のライブなんだけどさー」
ぼけっとしたような吉井の声が響く。
俺はそっちも見ずに
「うん?」
と返事した。
「ホールとライブハウスの反響率の違いって、すげー大きかったと思わない?」
話題に続いて、ぷかぷかとシャボン玉が飛んできた。

儚い球が、シャワーの湯に当たって消える。

「それは仕方ないよ。機材は充分工夫してたんだけどね」
ちょっと考えて、に水音が混じりに答える。
コンディショナーを洗い流して、最後に少しだけ湯の温度を下げてぬるま湯を被る。
「いや、不満ってだけじゃないんだけどさ・・・なんつーか、忘れてたなーって思って」
座ったまま吉井に背を向けて、洗ったばかりの髪を軽く結ってもらう。
「忘れてたって?」
手が離れたので作業の終ったのを確認して、吉井が待つバスタブに足を浸けた。

浮かぶ泡はふわふわと白い。
陰影を暖色の灯りの色に染めて。

向かい合って座ると、吉井はまたストローを咥え、新しいシャボン玉を作った。
小さな球が列を成して俺の隣をすり抜けていく。

「ライブハウスと、武道館とか大阪城ホールとかって極端なのを短期間でやったじゃない?間がなくてさ」
「うん」
「去年はあんまり考えてる暇もなかったけど、今になって両方の感じを忘れてたんだなって思ったの」
「ああ、そういうこと」

言いたいことがわかって、でもそれは実はあんまり考えたくなくて、またシャボン玉を作ろうとする吉井からストローを取り上げた。
「もう、折角洗ったのに髪につくじゃん」
「また流せばいいじゃない」
「遊ぶなよ」
「なんで」

ひとしきりストローの奪い合いで争って、勝利した俺は、敗者の胸に凭れてぷくーっと大きなシャボン玉を作った。

「エマちゃん、ずるい」
「いいじゃん」
「俺に凭れてたら、結局髪に泡つくよ?」
「また流せばいいんでしょ?」

そしてまたストローを口に含む。
口を塞いでおけば、したくない会話をしなくて済むから。

最近は、あんまり述懐という行為をしたくない。
イエローモンキーを解散してすぐは、思い出すのも辛くて記憶から逃げてた。
吉井と再び仕事をし始めて、夢中のうちに1年が過ぎ、この前のステージで懐かしい曲を演奏して、やっと普通に過去を懐かしむことができるようになったと思った。
そして、今。
ともすれば今度は過去に縋りそうになる自分が怖くて、改めて亡霊から逃げ回っている。
その本音は結局のところ、自分が吉井にとっての過去の遺物になりたくないという一言に尽きるんだ。
過去でなく、未来にもその隣にありたい、と。
だけどそう思ってしまうことが俺たちの歴史への冒涜になってしまいそうな気がして、刻々と変わり行く心境の変化がただ怖かった。

そしてこの感覚は、どうやらツアーが終わる度に俺を襲う病気らしい。
未来の約束がない俺たちの関係を思うと、仕方のないことかもしれないけれど。

胸から下を満たすお湯は充分に熱いけれど、その上にのっかる泡は少しひんやりとした優しい感触。
吉井の腕が、ゆっくりと俺の上体を抱き、腹の前で手を組んだ。

俺はずるずるとずり下がって首を上げ、吉井を見上げる。
「ん?」
優しい目で見下ろしてくれる顔に指で触れて、キスが降りてくる前にもう一度ストローを咥えた。

「あら」
「ここは危険。またこの前の二の舞になるから」
「キスしようと思っただけなのに」
「あんときもそう言って、結局最後までしたじゃん。逆上せて死ぬかと思ったもん」
「エマちゃん、やだって言わなかったじゃない」

文句を募らせる吉井の前で、大きくなりすぎたシャボン玉がストローから離れることなくパチンと弾けた。
逆流してきた洗剤液にむせ返る。

「馬鹿。大丈夫?」
「んー・・・だいじょぶ」

舌を拭うように指を動かす口の中は、結局吉井の唾液で不快を洗い流して貰うことになった。

「・・・・・・夏になったら、外でやろっかな・・・」

シャボン玉が青い空に漂うところが見たい。

「え?青カ・・・」
「違う!シャボン玉!」

妙な勘繰りに綻んだ口元を隠さないスケベ男に、バシャンと泡まみれの湯をかけたら、マヌケ面で応戦してきて、ちょっと面白い。
「やめろ馬鹿」とか「何だ馬鹿」とか言い合って全身泡まみれにしてふざけてたら、いつの間にかストローを取り返した吉井が、シャボン玉攻撃を俺の顔めがけて浴びせてきた。

「あ、最悪」
「ふふん。諦めなさい。夏になったらやらせてあげるから」
「外で?」
「うん」

吉井はまだ暴れる俺を無理矢理抱きこんで、頭の上でシャボン玉を膨らませた。
シャボン玉は小さすぎると、色も単調で味気ない。大きくなりすぎると飛ぶこともなく消えてしまう。
吉井が作ったシャボン玉は、適度な大きさでバスルームの中をいくつも漂った。

「広島とか北海道とか、いろんなとこで」

ふわふわと蒸気の中を漂うシャボン玉を目で追ってたら、夢見るように耳元で囁かれて、俺は驚いて身を竦めた。

「フルコースよ。シャボン玉して、美味しいもん食べて、温泉入って、エッチもしようね。散歩して、人のライブも見に行って、あ、勿論俺らのライブもね、きちんとやんないとね」
「ちょ、吉井?何の話?」
「夏の話。フェスで行った先全部でシャボン玉しよう」

新しいシャボン玉がまた俺を取り囲む。
だけど俺はそれを見ることもなく、ぽかんと吉井を見上げ続けた。

「フェス、俺も行くの?」

口に上らせた呟きに、吉井は
「は?何言ってんの。当たり前でしょ?」
と心底意外そうな顔つきで答えた。

「アナタのリベンジに行くのよ?」

俺の・・・リベンジ・・・?

「野外も久しぶりだから、また機材悩むぞー」

そう、フェス、俺も行くんだ。
ライブができる!この夏も、またライブが。
にやにやしながら、恐らくは俺の心境を見越して言った吉井を改めて見上げた俺の顔は、自分でも解るほど笑っていた。

「吉井、身体洗ったげる」
「あら、サービスいいわね。泡おど・・・」
「馬鹿!」

また下世話なことを言おうとした吉井を無理矢理バスタブから上がらせて、一杯に泡立てたボディシャンプーを乗せたスポンジで、丁寧に吉井の背中を洗いながら、じわじわ浮かんでくる感慨を噛み締めた。

俺のリベンジ。
それは、あの結果的には活動をしていた最後の年に、病気でライブに穴を開けたという、ギタリスト生活の中で最も辛い記憶の一つである、あの夏のことを指している。

それは過去と未来と、両方が入り混じった、連綿と続く歴史のライン。
俺の心配を他所に、吉井の未来図にはまた俺がいる。

嬉しさとも切なさともつかない感情に、きゅっと心臓を掴まれて、目の前の泡だらけの背中にぎゅっと抱きついた。

「やっぱサービスだ」

揶揄してくる吉井の声音はどこまでも優しくて、背中から回してる俺の手を取ると、そっとその左指に接吻けた。



end




風呂でしなくてもいい話題のような気もしますが、そのへんは日常感を出したかったわけで・・・(言い訳)
2006年の夏フェスにエマちゃんを「連れてく」と言ってくれてありがとう、吉井。そろそろ君の愛を疑わないよ。・・・いや、また多分疑うけど(笑)
さてさて、この「バスタイム」で、SS-365の掲載数が、丁度100になりました!365本アップするのが目標だけど、まずはその中のちっちゃな目標達成です。

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