カップ |
聞いてはいた。 吉井とエマが、いよいよ長い春を越えた、ということは。 いや、最初それを聞かされたときは、別に驚かなかった。 吉井がずっとずっと、それこそ15年近い片想いを抱えていたのは知ってたし、ことあるごとに 「ヒーセ、ヒーセ、俺、やっぱエマを諦められない」 なんて相談もされていた。 ただ、エマはずっと 「俺は吉井とは寝ないよ」 って言い張ってた。 その言い方は、既にお互いの気持ちがどこにあるのか判った上での『最後の砦』だったから、今になっていよいよそういう関係になったっていうこと自体は、 「まぁ、いいんじゃない?」 みたいな感覚でしかなく、今更男同士がどうこうとか、無粋なことを言うつもりもなかったし、そもそもそういう上っ面の常識を持ち出すには、奴らの気持ちは本物だって、知りすぎるほど知ってる。 まぁ、エマにしても、ソロに連ていかれるほどの吉井の覚悟を見せられて、意地を張る意味がなくなったのかもしれないし、ツアーメンバーが決まってみれば、どうやら吉井にとっては新しいライバルまで出現したみたいだから、きっかけとしては充分なものがあったんだろうと思う。 だから、本当に、平気だと思ってたんだよ、俺は。 いや、平気じゃないのかって言われたら・・・平気なんだけどさ、戸惑うっつーか。 今日初めて、本当に「恋人同士」の吉井とエマを見た。 オフで、特に用事もなかったから、エマに電話してみたんだ。 「飲むかー?」っつって。 エマは今一人暮らしだし、最も誘いやすい環境にある。 エマからは「だったらウチに来る?」って返事がきた。 居酒屋とかもいいけど、部屋で飲むのは一切の気遣いがなくていい。 俺は喜んでその誘いに乗った。 ・・・そのときまで、本当にまだ実感としてなかったんだよ。こいつらがつきあってるっていうことに。 マンションに行ったら、玄関におっきなスニーカーがあった。 「あれ?これって・・」 呟いた俺に、エマはあっさり笑って 「吉井が来てるから」 と答えた。 そこで俺はやっと2人が恋人同士だったことを思い出し 「おや、お邪魔しちゃったかい?」 なんて茶化してみた。 いつもだったら「なんで?」なんてそらっとぼける反応があるんだけど、今日はちょっと違った。 「・・・もう、そんなことないって」 と――――・・・。 ほんの少し困ったみたいに目を逸らしたんだ。 どきっとしたね。 いやさ、別にオイラが今更エマちゃんに横恋慕するようなことはないけどさ、そうじゃなくて、事実を突きつけられたような気がしてさ。 ほんのちょっとドギマギしながら、俺は「悪いね」とだけ言って上がりこんだ。 吉井はキッチンにいた。 「あ、ヒーセ、いらっしゃい」 と、お前が家主か?って言いたくなるような歓迎をしてくれて、慣れた手つきでグラスや酒を用意する。 そこに 「あ、やべ、忘れてた。このイカ、賞味期限昨日までだった」 なんて独り言が混じってるから既にこの部屋は『エマの部屋』というより『2人の部屋』なんだろうと思わざるを得ない。 そのまま吉井は「エマさん、エマさん」と呼んで 「イカ、炒めちゃう?」 と訊く。エマはヒラヒラと吉井の隣に立ち、 「刺身用だったんだけどね。火入れたら食べれるか」 と返す。そして 「いいよ、俺、やるから」 吉井はエマをそう言ってリビングに促し、エマは吉井が用意したグラスや酒を持って俺のほうにやってきた。 ・・・なんだかなー・・・。 つい最近まで全く感じなかった、2人の間だけの空気っつーのが出来てて、俺は妙な居心地の悪さにドギマギする。 誰かの新婚家庭に遊びに行っても感じたことのない感覚だ。 通されたリビングのソファには、吉井が脱いだと思われる上着がかかり、ローテーブルにはやりかけの作詞のノートが置いてあった。その隣には、エマ愛用のスペア絃。吉井のとエマのと、2人分の外した腕時計が仲良く並んでる。 「アニーも呼ぶかい?」 別にこいつらはいちゃついてるわけでもないのに、なんとなく漂うスウィートな空気に面食らって、巻き添えを作ろうと提案したが、残念ながらアニーは今日は仕事らしい。 間もなく、吉井がイカと野菜を炒めたのと、チーズやサラミを乗せた皿を持ってやってきた。 俺たちはテーブルを囲み、吉井は自然にエマの隣に座った。 「まま、ヒーセ。おひとつ」 「どーも」 吉井に薦められてグラスを取る。 俺にはそういう言葉をかけたが、エマには無言で酒を注いだ。 「オフだってのに、ヒーセが買い物してないなんて珍しいね」 「あのさ、俺だっていつもいつも買い物してるわけじゃねーよ」 そんな遣り取りは、以前と全く変わらないけれど。 ふとした折に気付く。 変化した少しの空気。 吉井はずっとエマを想ってた。 エマはなんだかんだとかわして、吉井を受け入れてやることはなかったから、どこかでいつも叶わないと諦めていたらしい。 悲しそうに、切なそうに、その目は頻繁に翳っていた。 冗談に紛らせた告白は日課ペースで繰り返され、その度にみんな笑ってたけど、あれこれと話をきいていた俺にまでは、瞳の翳りは隠せてなかった。 そしてエマも、吉井を想ってることは明白だった。 拒絶しながらも常に瞳が吉井を追っていて――――・・・。 一度、エマに聞いたことがある。どうして吉井を受け入れてやらないのか。 「そうなるのは簡単だけど、それじゃダメになっちゃうから。俺、これでもかなりの甘えただからさ、多分・・・曇っちゃうと思う。自分のレンズが。そうはなりたくないんだよ」 それはエマの美意識であると同時に、結局は客観的にどうにもならない恋を拒むことでの、護りたがる矜持なんだと俺は思った。 「俺は、吉井に相応しいギタリストでありたいよ。恋愛とか友情とか、そういうの全部超えた先に行って」 エマがそんな本音を俺に告白したのは、後にも先にも一度きりだった。 そのくせ、エマもまた時折切なそうに吉井を見つめてた。 そのあまりにも深い愛情と執着、そして根の深い不器用さが歯痒かった。 それが、今は。 エマを見る吉井の目は、翳らない。 吉井を見るエマの目も、翳らない。 ただ当たり前に、柔らかくお互いを包む。 これは別に僻んでるつもりじゃないんだけど、2人の周りには、なんだか新しい皮膜ができていて、俺は今そこに入れないんだな。 何があったのかとか、どうして今になって結ばれたのかとか、そんなことを改めて訊こうとは思わない。 吉井が少し前、俺に 「エマと寝たよ」 ってそっと伝えてきたときの 「そっか。良かったな」 って答えた、それが全てでいいと思ってる。 それが自暴自棄になった挙句の欲情だったとか、もはやエマの情熱が音楽よりも安楽に傾注したんだとか、そういう心配はしなくて良かった。 吉井がエマとのことを教えてくれたとき、一緒に聞かせてくれた新曲『BEAUTIFUL』が、今までにないほどの無欲な暖かい愛情に満ちた歌だったから。 なるほどな。そういうことなんだな、って。 クドクド説明されるよりも判りやすく腑に落ちたってもんだ。 でも。 やっぱりちょっと寂しくないといえば嘘になる。 俺たちはずっと4人で一つだったのが、2人がこれ以上ないほどの絆を結んじまうとよ。 ・・・いや、その・・・エマとアニーは兄弟だし、昔はよくロビンも 「どうせ俺たちは他人だよ!」 なんて言ってたけど、今はエマとロビンも、ちょっと他人じゃないわけじゃん? なんかさ、俺だけ仲間はずれみたいな―――――・・・判ってるよ!子供っぽいってことは。 そんな自分にはちょっと苦笑。 あれこれと話しながらグラスを重ね、深夜になって「泊まっていけば?」っていうエマの誘いにはちょっと躊躇った。 いや、別にこいつらも俺がいるのにやりゃしねぇだろうけど、なんか入り込めないもんだから、今の2人には。 そんなことを考えながら適当に返答を濁してたら、吉井が 「ま、コーヒーでも淹れるわ」 と立ち上がってキッチンに消えた。 俺は酒も入って、ほんの少し僻みも入って(いいよ、認めるよ)、エマに戯れかけてみた。 「エマちゃん、吉井がいりゃ、幸せかい?」 って。 ちょっと意地悪な質問だったかな?とは思ったけど、流石に強固な絆がある所為か、別にエマはそんな俺を非難したり悪びれたりするような気配はなかった。 ちょっと首をかしげて、 「吉井には内緒にしてくれる?」 と言うと、にこっと笑った。 「幸せだけど、ちょっと足りない」 「え?」 足りないって、なんだろう? 「吉井と2人だとね、ヒーセたちのこと、どうしても考えるから。そうするといつも幸せがちょっと足りないんだよね、2人分」 思いがけない答えに口を噤んだけれど、エマはさらりと続けた。 「吉井には言えないけど、俺は今もイエローモンキーだよ。俺も吉井も、アニーもヒーセも」 不覚にも、俺はじわっと涙が出そうになった。 そうなんだな。 2人は2人だけで世界を完結させることはないんだ。 こうなって尚、そう思えるほと、俺たちは4人なのかもしれない。 「コーヒー入ったよ」 戻ってきた吉井が持っていたマグカップは、お揃いの色違い3つだった。 客用にしては妙にアンバランスで、だけどどう見ても同じデザイン。 「はい、ヒーセのは黄色」 手渡されて、少し驚く。 「俺用?」 まさかそんなもんがあるとは思わないから、目を丸くしてる俺に、吉井が悪戯っぽく言った。 「付き合い始めなのに、食器とか殆どペアってないんだよ。エマちゃん、なんせ4つセットに拘るから。でも、ネギさんとかきても絶対4つセットのは使わないんだよ」 そんなことに拘るエマと。 きちんとそれを察してて、やっぱり同じようにしてる吉井と。 2人は2人でくっついたと思い込んでしまってたけど、その皮膜の中にはきちんと俺やアニーもいたんだってことがじわじわと脳の回路に沁みてきて・・・。 どんなに言葉を尽くされるよりも、いつも考えててくれることがよく解って。 そう思うと、2人がくっついたのは、4人が更に強く結びついただけのような気がしてきて。 「ば・・・馬っ鹿だねぇ!付き合い始めくらい惚気ろよ」 なんて、さっきまでの気分とは真逆の文句を言いながら、手の中のカップはコーヒーの所為じゃなくあったかかった。 吉井の赤いカップ。 エマの青いカップ。 今は戸棚の中らしい、アニーの緑のカップ。 それから、俺の黄色のカップ。 end |
なんだか最近、無性に友情系を書いてしまうなぁ。 カップの色わけはイメージ。昔よく「ヒーセはキレンジャーだよね」とか言ってたし(笑) つか、その区分でいくと、本当はエマのカップはピンクにしたかったけど、ご本人は自分はアオレンジャーだと思っていらっしゃるので(笑)、配慮してみました。 |