俺はみるく。
生まれてもうちょっとで1年。
オスの白ネコだけど、種類は「ざっしゅ」とかいうヤツらしい。
俺の家族は「おとうさん」という人と「おかあさん」という人と、「けんちゃん」という子供。
でも、家族じゃないけどよく「キクチ」という人が家に来る。
キクチはおとうさんのことを「ハシモト」と呼ぶ。名前を知らないのかな。
このキクチは優しくて、俺は大好き。いつもおもちゃを持ってきてくれる。
ウチに来ては、
「みるくちゃん、可愛い〜!俺もこんな猫が欲しいなぁ」
と言いながら抱っこしてくれる。
キクチはおとうさんと違って、細っこくていい匂いがするから、悪い気はしないけど、俺はこの家の子だからキクチの猫にはなってやれない。だけどまぁ、たまになら遊びに行ってやってもいいぜ。
・・・と思ってたら、今朝、キクチが血相を変えてやってきた。
「お願い!一晩みるくちゃん貸して!」
俺はそんとき朝のグルーミングで忙しかったんだけど、急にそんなことを言い出すキクチにびっくりして固まってしまった。
おとうさんが
「猫なんだぞ?犬と違って他所には馴染まないし・・・」
とか渋ってるけど、キクチは有無を言わせず俺の餌皿とか猫トイレとかをおかあさんに強引に揃えさせて、さっさと俺をキャリーバッグに押し込んだ。
俺はまだびっくりしてて何がなんだか解らなかったけれど、間もなく恐ろしく速いピカピカの車に乗せられて、気がついたら知らない家に連れてこられてた。
キクチは
「みるくちゃん、お願いだから協力してね」
と頼み込んでくる。
俺はキクチのそういうところを気に入っていた。
どいつもこいつも俺を猫だと思って、まともに話しかけてこないのに、キクチだけは人間同士みたいに話してくれる。
そんなキクチの頼みだから聞いてやりたいけど、流石に半日くらいは環境に馴染めずに、あちこちにフー!してしまった。
しょうがないじゃん。
俺、猫だもん。
それでもやっぱり、大好きなキクチの頼みだから、何だか知らないけど協力してやらなきゃなって気にもなってきて、落ち着いてきた頃に思いがけない闖入者があった。
キクチに抱っこされて、気持ちよくお昼寝してたとこを、
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!
という、恐ろしい勢いのチャイムに邪魔されて飛び起きてしまう。
なんだぁ?うるさいよ。
キクチ、あれ止めて。
俺は一生懸命言ったけど、イマイチうまく伝わらなかったのか、キクチは俺を抱き上げた。
そしてそのまま玄関に連れてかれる。
ドアが開いて、そこに立ってるモノを見た瞬間、俺はまたびっくりした。
「たっ・・・ただいまぁっ!」
ものすごい大声と共に、知らない人が入ってくる!
初めて会う人はただでさえキライなんだけど、コイツはとりわけ気に入らない。
なんせ・・・でっかい!
キクチもおとうさんよりでっかいけど、物心ついたときには居た所為か怖くない。
けど、コイツはおとうさんよりキクチよりでっかい!
こんなでっかいの、見たことない!
しかも、俺を見て
「・・・ね・・・こ?」
とか言いながら嫌な顔してる。
なんだこいつ。
なんだこいつ。
自慢じゃないけど俺、今まで初対面の人からは「可愛い!」しか言われたことないし、大体みんな、俺を見るとき笑ってるんだぞ?それを嫌そうな顔して見るなんて!
それに俺は「ねこ」っていう名前じゃないやい。
失礼なヤツ。それって俺がお前に「おい人間」って言ってるようなもんだぞ?
しかも両手を広げて威嚇してるんだから、きっとコイツは敵に違いない。
まかせとけ、キクチ!
俺が護ってやる!
俺は渾身の力をこめて
「フーッ!」
と威嚇した。
でも、
「ちょっと、みるくちゃん、爪立てたら痛いって!吉井、早く閉めて、ドア!」
と、キクチが痛がってしまった。
ごめん、ごめん。
でもそんな器用なコントロールできないもん。
キクチの言葉を聞くなり、慌ててでっかいヤツがドアを閉めた。
さっきキクチが「ヨシイ」って呼んでたな。
どうやらコイツはヨシイらしい。
っていうか、ドアを閉めさせたってことは、敵じゃないのか?
でもどっちにしても気に喰わないから、俺は慌ててキクチの腕から飛び降りて、安全な場所に避難した。
棚を踏み台に、冷蔵庫の上に飛び上がる。
ふー・・・。
ここなら安全。
ここまで高ければ、ヨシイがいくらでっかくても襲ってこれないだろう。
俺はほっとして、落ち着くためにグルーミングを開始した。
だけど、それからすぐに事態が大変なことになっているのに気付いた。
俺を追いかけてキッチンに来たキクチが、後ろからヨシイに襲われてる!
大変だ。やっぱり敵だったのか?敵をテリトリーに入れるなんて、不覚だぞ、キクチ。
キクチも登ってこれるといいんだけど、キクチが乗るにはここは狭い。
ヨシイとキクチはそのままなんか喋ってたけど、きっとアレはそういう戦い方なんだろうと思って、内容までは聞いてる余裕が無かった。
どうしよう、どうやってキクチを助けてやったらいいんだろう。
暫し、冷蔵庫の上でウロウロ。
ヨシイはあれほどでっかいんだから、もしかしたらキクチのことだってぱくっと食べてしまうかもしれない。
でもいくら回ってみても、名案は浮かばない。
そのうち、キクチは自力でヨシイから逃げ出した。
偉いぞキクチ!そのまま安全な場所まで逃げるんだ!
・・・と俺がこれほど念じてるのに、
「あ、みるくちゃん!冷蔵庫の上は反則だよー」
なんて、俺のことを構ってる場合か。
こなったら・・・やっぱり俺が先導してやるしかない。
意を決して、冷蔵庫から飛び降りた。
「みるくちゃん、おなかすいた?・・・ごはんまだあるなぁ。あ、お水がないね」
すぐにキクチが嬉しそうに声をかけてくる。
『キクチ・・・そんな暢気なこと言ってる場合じゃないだろう?』
俺は逃亡を促すためにキクチの足に摺り寄りながら言ってみるのに、
「可愛い!ね?可愛いよね?」
キクチはこの通りだ。
そんなこと、敵に言ってどうする。
キクチが言うまでもなく俺は可愛いのに、それを初対面で理解できなかったヨシイに、今更通じるわけないじゃないか。
だが、この行動によって俺は事実を知ることになった。
「にゃん!」
数歩離れた先で、ドスのきいた鳴き声がした。
恐る恐る振り返る。
ここには猫は俺しかいない。
のに・・・にゃん、と言う声がするということは、やっぱり今鳴いたのは・・・ヨシイ?
え?
ヨシイって、そうは見えないけど、ネコなの?
思わずまじまじと観察してたら、今度は
「わん」
と鳴いた。
―――――――・・・い・・・いぬーっ!?
違う!ネコなんかじゃない!
そうだよ、どう見てもネコじゃないもん。
ヨシイはイヌだったんだ。
俺、イヌってテレビでしか見たことないけど、確か「わん」と鳴くような気がする。
でもイヌってこんなだっけ?なんか色んな形のがいるみたいだってことは憶えてるんだけど・・・。
んー?待て?
考えてみたら、コイツの顔、確かテレビで見たことがある。すごく人間に似てるけど、そうか、こういうイヌなのか。
キクチ、イヌ飼ってたのか。
そういや入ってきたとき「ただいま」って言ってたもんな。そっか、散歩に出てたんだ。
イヌは散歩に行くっていうもんな。
前におかあさんが
「ネコはイヌと違ってお散歩に連れてかなくていいから助かるわ」
って言ってた、言ってた。
俺は警戒しながらリビングに移動した。
攻撃されるのを恐れていたけど、ヨシイは別に吼えも唸りもしない。
でっかいけど意外とおとなしいイヌなんだな。
だけど、キクチはヨシイをあんまり可愛がってないみたい。
俺には水を汲んでくれるけど、ヨシイは自分で出して飲んだ。
俺にはベルトでじゃれじゃれしてくれるけど、ヨシイにはしない。
イヌはじゃれないのかな。
でもこれで納得した。
俺がキクチを取っちゃったから、ヤキモチ妬いてんだな。
一瞬可哀想になったけど、ヨシイはやっぱり俺のこと睨んでくるし、気に喰わないことに変わりは無い。
まー、しょうがないね。
どう見てもヨシイより俺のが可愛いもん。
それにしても、さっきから少し気になることがある。
なんでヨシイはキクチのことを「エマさん」って言うんだろう?
キクチもそれで返事するし・・・。わかんないなぁ?
おとうさんもおかあさんもけんちゃんも、キクチのことは「キクチ」とか「キクチくん」って呼んでるよなぁ?
っていうことは俺が正しい。
そういやキクチもおとうさんのこと「ハシモト」って呼ぶなぁ。人間って沢山名前があるのかな。
でもヨシイはイヌなんだから、正しいほうの名前で呼んだらいいのに。
ベルトを噛みながらそんなことを考えてたけど、そのうちそれどころじゃなくなってきた。
ベルトに続いてネコジャラシが来たからだ。
しかもキクチは遊び方を心得てる。
けんちゃんみたいにひたすら振るんじゃなくて、足の下に隠して先だけチョロっと出したり引っ込めたりするんだよぅ!
これやられるとたまんない。
所詮おもちゃだって知ってるけど、ウズウズするんだもん。
夢中になってネコジャラシを追いかけるのを見て、キクチがケラケラ笑ってる。
ヨシイは高いソファの上から、嫌そうな顔でそれを見下ろしてる。
やっぱなぁ、
同考えても俺のほうが可愛いよな。
ヨシイも可愛くしたらいいのに。
そんなことを考えたのは、夢の中でのことだった。
俺はいつの間にかぐっすり眠ってしまったらしい。
目を覚ますと、キクチは俺の隣にいなかった。
慌てて見回したら、ソファの、ヨシイの隣にいる。
元々ヨシイはキクチのイヌなんだから、可愛がってもらって当たり前だけど、キクチの膝にヨシイが手を置いてるのを見て、ちょっとムッとしてしまった。
キクチー!
俺起きたから、ヨシイより俺を構ってよぅ!
そう、呼ぼうとしたときだった。
ドカっ!
とてつもなくでっかい音が響いて、俺は飛び上がった。
見ればヨシイがキクチの膝にのっかってる。
イ・・・イヌってすごい乱暴!
大体、あんなにでっかいのに、キクチにヨシイが抱っこできるわけないじゃないか!
バッカじゃないの?あのイヌ!
驚いて心臓をバクバクさせてたら、キクチが柔らかい声で俺を呼んだ。
「みるくちゃん、起きちゃったの?」
そして手を出して「おいで」してくれる。
更に、指差し。
ヨシイは怖いけど、俺はついついその指に惹かれてキクチに摺り酔ってしまう。
なんでだろうなぁ?
指一本出されると、抗えないんだよなぁ。
ネコジャラシと同等の魅力があるんだよ。指って。
「みるくちゃん、寝ちゃってて寂しかったよー。おかえり♪」
そうは言われても、いつもより睡眠時間短いんだよー?普段はもっと寝るもん。
ああ、でも撫で撫で気持ちいい。
もっと、もっとぉ♪
だが、寝起きの極楽は短時間で破られた。
次の瞬間、急に目の前から手がなくなって、ソファを見上げたらヨシイがキクチの両肩を掴んでいた。
わーっ!
大変だ!
やっぱ今度こそ襲われるぅぅぅぅっ!
思わず身を低くして怯えた。
―――――が。
「ペ・・・ペットは古いほうを余計に可愛がらないと傷つくんだぞ!」
ヨシイが絶叫した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
なんだ。
寂しいアピールだったのか。
まぁ、仕方ないな。
こればっかはな、同情するよ。
俺だって、おかあさんが「けんちゃんけんちゃん」言ってて俺をずっと構ってくれてないと拗ねるもんな。
けんちゃんはそれでも人間だから我慢できるけど、コイツイヌだし、俺、ネコだもんな。
キクチはそれから暫く、ヨシイに「可愛い、可愛い」と言ってた。
俺はこっそりヨシイに向かって
『良かったな』
と言ってみた。
・・・が、聞いちゃいない。
おなかもすいたし、ちょっとだけ2人にしてあげようと思って、キッチンにごはんを食べに行った。
だけど、カリカリを食べて戻ってきて、意外なものを見てしまった。
・・・ヨシイが、キクチを抱っこして・・・る?
あれ?
ネコはヒトに抱っこしてもらうけど、イヌの場合は逆なのか?
ちょっとばかり混乱したけど、そういうもんなのか、と納得して、俺は昼寝の続きに戻った。
ヨシイはでっかいけど、どうやらキクチに心底懐いてるみたいだし、危険はないだろう。
でも俺はその夜、今まで生きてきて、それなりに形成された力関係に対する概念というものを、根底から覆すことになった。
まさか、ヒトとイヌとネコで、一番強いのがネコだとは思ってなかったんだ。
夜中にまたお腹が空いて、クッションからキッチンに行く途中で、隣の部屋の戸がちょっと開いてて灯りがついてるのが見えた。
しかもなんだか悲鳴みたいのが聞こえてくる。
キクチの声だと認識して、俺は慌ててその部屋を覗いた。
すると――――・・・。
恐ろしいことに、キクチが食べられていた。
裸で転がされて、上に覆い被さったヨシイが、ギシギシベッドが軋むほど揺れながら色んなところを一口食べる度に
「やだ、もうダメ・・・っ!あ・・・あっ・・・!」
と泣いている。
ヨシイは昼間とは全然違う態度と声で
「何がダメなの?イイんでしょ?」
と平然と言いながら、暴れるキクチを押さえつけて更に食べる。
俺はびっくりして固まってしまったけど、ヨシイがキクチの口を食べようとしたのを見て我に返った。
口を食べるということは。キクチに反撃できなくさせるということで、つまりトドメを刺そうとしているのだ!
それが証拠に、唇が触れた瞬間、キクチは
「ああんっ!」
とさっきよりも大きく悲鳴をあげた。
いけない!
キクチが殺されてしまう!
キクチがいなくなってしまうのは嫌だようっ!
俺は覚悟を決めて足元の方からベッドに飛び上がり、ヨシイの背中に乗って爪を立てた。
「うわあぁぁぁっ!?」
途端にヨシイが悲鳴を上げてキクチの上から退き、ついでにベッドから転がり落ちた。
キクチが
「えっ!?吉井!?」
と、うろたえてる。
俺はあと一押しとばかりに、キクチの前に立ちはだかって、ヨシイに向かって
「シャーッ!」
と威嚇した。
するとヨシイは
「や・・・やだっ!エマさん、ネコどけてっ!」
と叫んだ。
その声は本気で怯えている。
キクチが慌てたように俺を抱き上げ、俺はまだフッフッと言いながら、間一髪でキクチを護れたことに安堵した。
「もう、なんでここに来たんだよ・・・。クソ、背中引っ掻かれたぁっ」
ヨシイはまだ情けなく喚いている。
キクチがクスクス笑いながら
「きっとドアがちゃんと閉まってなかったんだね。大丈夫だからおいでよ」
と呼ぶ。
んんん?
キクチ?
今の今、ヨシイに襲われてたじゃないか?
呼んでいいのか?
暢気にも程があるよ、キクチ・・・。
俺はちょっと混乱したけど、やがてヨシイが、俺がいる所為でベッドに戻ってこようとしないのに気付いた。
・・・あれ?
俺の頭の中で、力関係が解らなくなる。
ヨシイはキクチに可愛がってもらえなくて拗ねていた。
ということは、キクチのほうがヨシイより強い。
と思っていたけど、さっきヨシイはキクチを食べようとしていた。
ってことは、本当はキクチよりヨシイのほうが強い?
でもそのヨシイは、俺が怖い。
・・・・・。
・・・・あれ?
ってことは、この中で一番強いのって・・・俺?
知らなかった!
ネコってヒトよりイヌより強いんだ!
俺は新発見に興奮した。
でも、これが解った以上大丈夫だ。
俺が暫く泊まって、キクチを護ってやるよ!
決心を固くして、俺は「なおーっ!」と雄叫びを揚げた。
けれど、誓いも虚しく、俺は翌朝には家に帰ることになった。
おとうさんが迎えに来たのだ。
おとうさんはヨシイを見て
「あっ!ヨシイさん、お久しぶりです」
と挨拶した。
ヨシイは怖い顔でおとうさんを睨んだ。
「ハシモト、ごめんねぇ」
キクチが済まなそうに謝る。
むむー?
力関係は・・・一体?
キクチ<おとうさん<ヨシイ<俺?
いや、でもキクチはは俺のこと怖がらないしなぁ。
ヨシイ<キクチ<・・・あれ?じゃあ、おとうさんは?
・・・・・・・・・・・・・・・。
ま、いっか。
どっちにしろ、俺が一番強いんだ。
『じゃあな、キクチ。
ヨシイに食べられないように、寝るときは部屋に鍵でも掛けといたほうがいいと思うぞ』
とりあえず、帰ることがはっきりしてるみたいなので、俺は丁寧にキクチに挨拶した。
キクチも
「じゃあね、みるくちゃん。ありがとね」
と返事してくれた。
話の通じるヤツで良かったぜ。
三日ほど経って、書斎の机の上をぐちゃぐちゃにして遊んでたら、背後でおとうさんがキクチに電話してるのが聞こえた。
「あのさぁ、菊地。アレ以来みるくが異常に我侭なんだけど、オマエ、なんかしたの?」
俺はぺろりと舌を出す。
だって解ったんだもん。
俺が一番強いって。
おうちでよく見てみたら、おとうさんはおかあさんにもよく怒られてる。
へへん、金輪際、おとうさんの言うことなんかきかないもんね。
だって、俺の周囲のヒエラルキーで一番高いところにいるのは、俺なんだ。
end
ところで、みるくちゃんは吉井のことを犬だと信じている程度の脳味噌なのに、なんでヒエラルキーなんて言葉を知っているのだろう?